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凛々子を見送っても、一人で学校の最寄り駅から電車に乗り込んでも、千鶴の胸の奥の小さなはっきりとした鼓動は消えなかった。
電車の窓ガラスに映る、伸びかけのボブの髪を未乃梨からもらったリボンで結った自分の姿を見て、千鶴は自分の鼓動がはっきりと強まったように感じた。
(どうして……? 私、未乃梨とはただの同じ中学からの友達のはずだし、凛々子さんとだって、たまたま知り合っただけの、練習を見てくれる先輩で――)
窓ガラスに映る自分の髪のリボンに未乃梨の顔が、左手に残る細い手の感触に凛々子の顔が思い出されて、千鶴は電車の窓ガラスから目を逸らした。
(私、未乃梨には「お父さんに怒られてもいい」なんてことまで言われてるのに……どうして)
千鶴の胸の奥の鼓動は小さくても、なかなか治まりそうになかった。
その日の夜、千鶴は寝る前にスマホに届いたメッセージの差出人を見て、少しだけどきりと驚いた。
メッセージは未乃梨からだった。
――部活の伝達なんだけど、マーチの全体合奏、金曜日にやるんだって。覚えといてね
文面を見て、千鶴はほっと安堵したように息をつくと、返信を打った。
――遅い時間にありがと。コンクールに参加するメンバーは練習も忙しくなるんだっけ?
――中学のときほどじゃないかな。うちの高校の吹部、無茶な練習はしないって子安先生も言ってたし
――そうなんだ。今日みたいに一緒に帰れない日もありそう?
――その辺はどうかなあ。そうそう、今日のリボン着けてた千鶴、可愛かったよ。先輩たちも似合ってるって言ってた
未乃梨の返信に、千鶴はぎくりと固まった。未乃梨にもらったリボンは、凛々子にも「似合うわよ」と好評だった。
少し迷って、千鶴はメッセージを返した。
――そうなんだ。色んな人に見られててびっくりだよ
――私があげたリボン、凛々子さんは何か言ってた?
唐突に凛々子の名前を出されて、千鶴は戸惑った。再び千鶴は少し迷ってから、返事をした。
――凛々子さんも似合うって言ってた。あと、髪を伸ばすんなら手入れをしっかり、だって
――ふーん。凛々子さんにも気に入られたんだ
スマホの画面の向こうで、未乃梨がむくれた髪をしていそうな気がして、千鶴は慌てた。
――いやその、わざわざ凛々子さんに見せつけたわけではなくて
少し間があって、未乃梨から返信がきた。画像が添付してあり、薄いピンク色でチェック柄の半袖のパジャマを着た未乃梨の自撮りが写っていた。
――信じてあげるから、今夜何を着て寝るか教えて
――私、いつもTシャツに短パンとかだよ? 未乃梨みたく可愛い寝間着とか持ってないし
――いいから見せて。じゃないと明日ハグ十回
あまりな未乃梨からの返事に、千鶴は困惑した。黒いキャミソールに青い半袖の前開きのシャツというラフな自分の寝間着姿を、千鶴は渋々その場でスマホで撮ってから、画像を返信に添付した。
――これで、いい?
――許してあげる。明日もリボン着けてきてね。おやすみ
千鶴は、ほっとしてベッドに座り込んだ。
翌朝、電車でも、朝の音楽室でも、未乃梨は上機嫌だった。部活でやる「スプリング・グリーン・マーチ」も、凛々子たちと一緒に演奏する本番が近い「G線上のアリア」やパッヘルベルの「カノン」も、どこか調子良くフルートで吹いていた。
未乃梨の上機嫌の原因は、昨晩に千鶴がメッセージで送った寝間着姿と、今日も千鶴の髪に結んでいるリボンなのは明白だった。
「もう。昨日の夜、びっくりしたよ。どんな格好で寝るか教えろ、なんて」
「私は満足だったよ? 千鶴、黒いキャミとか大人っぽいの似合うんだもん」
「あれ、中学のときから着てるやつなんだけどなあ……」
「それより。私のパジャマの感想はないわけ?」
「えっと、その……未乃梨らしいっていうか、可愛かったけど」
「子供っぽくないか、ちょっと心配だったけど……良かった」
未乃梨は少しだけ、恥ずかしそうに上目遣いで千鶴を見た。
「そんなこと気にしてたの?」
「だって、……誰かに見せる時、気に入られたいじゃない。もう」
「……え?」
「何でもない。ほら、早く楽器片付けて行くわよ」
呆気に取られた千鶴に背を向けると、未乃梨はそそくさとフルートを仕舞い始めた。
金曜日の全体合奏は、千鶴にとって少々困ったことが多かった。
千鶴の立ち位置は周りにテューバやユーフォニアムやトロンボーンといった音の大きい金管楽器のパートが陣取っていて、調弦するのも一苦労だった。
前に木管楽器の分奏では参加していなかったホルンやトランペットや打楽器もいて、まずは音楽室をセッティングするのが大変だったし、大型の金管楽器の群れの中でコントラバスの準備をするのもひと苦労だった。
(え……? こんな、自分の音が聴こえるかどうか分かんない中で弾くの……?)
なかなかコントラバスの開放弦の音に反応してくれないチューナーの画面をにらめっこでもするように見つめながら、千鶴は途方に暮れた。
(続く)
電車の窓ガラスに映る、伸びかけのボブの髪を未乃梨からもらったリボンで結った自分の姿を見て、千鶴は自分の鼓動がはっきりと強まったように感じた。
(どうして……? 私、未乃梨とはただの同じ中学からの友達のはずだし、凛々子さんとだって、たまたま知り合っただけの、練習を見てくれる先輩で――)
窓ガラスに映る自分の髪のリボンに未乃梨の顔が、左手に残る細い手の感触に凛々子の顔が思い出されて、千鶴は電車の窓ガラスから目を逸らした。
(私、未乃梨には「お父さんに怒られてもいい」なんてことまで言われてるのに……どうして)
千鶴の胸の奥の鼓動は小さくても、なかなか治まりそうになかった。
その日の夜、千鶴は寝る前にスマホに届いたメッセージの差出人を見て、少しだけどきりと驚いた。
メッセージは未乃梨からだった。
――部活の伝達なんだけど、マーチの全体合奏、金曜日にやるんだって。覚えといてね
文面を見て、千鶴はほっと安堵したように息をつくと、返信を打った。
――遅い時間にありがと。コンクールに参加するメンバーは練習も忙しくなるんだっけ?
――中学のときほどじゃないかな。うちの高校の吹部、無茶な練習はしないって子安先生も言ってたし
――そうなんだ。今日みたいに一緒に帰れない日もありそう?
――その辺はどうかなあ。そうそう、今日のリボン着けてた千鶴、可愛かったよ。先輩たちも似合ってるって言ってた
未乃梨の返信に、千鶴はぎくりと固まった。未乃梨にもらったリボンは、凛々子にも「似合うわよ」と好評だった。
少し迷って、千鶴はメッセージを返した。
――そうなんだ。色んな人に見られててびっくりだよ
――私があげたリボン、凛々子さんは何か言ってた?
唐突に凛々子の名前を出されて、千鶴は戸惑った。再び千鶴は少し迷ってから、返事をした。
――凛々子さんも似合うって言ってた。あと、髪を伸ばすんなら手入れをしっかり、だって
――ふーん。凛々子さんにも気に入られたんだ
スマホの画面の向こうで、未乃梨がむくれた髪をしていそうな気がして、千鶴は慌てた。
――いやその、わざわざ凛々子さんに見せつけたわけではなくて
少し間があって、未乃梨から返信がきた。画像が添付してあり、薄いピンク色でチェック柄の半袖のパジャマを着た未乃梨の自撮りが写っていた。
――信じてあげるから、今夜何を着て寝るか教えて
――私、いつもTシャツに短パンとかだよ? 未乃梨みたく可愛い寝間着とか持ってないし
――いいから見せて。じゃないと明日ハグ十回
あまりな未乃梨からの返事に、千鶴は困惑した。黒いキャミソールに青い半袖の前開きのシャツというラフな自分の寝間着姿を、千鶴は渋々その場でスマホで撮ってから、画像を返信に添付した。
――これで、いい?
――許してあげる。明日もリボン着けてきてね。おやすみ
千鶴は、ほっとしてベッドに座り込んだ。
翌朝、電車でも、朝の音楽室でも、未乃梨は上機嫌だった。部活でやる「スプリング・グリーン・マーチ」も、凛々子たちと一緒に演奏する本番が近い「G線上のアリア」やパッヘルベルの「カノン」も、どこか調子良くフルートで吹いていた。
未乃梨の上機嫌の原因は、昨晩に千鶴がメッセージで送った寝間着姿と、今日も千鶴の髪に結んでいるリボンなのは明白だった。
「もう。昨日の夜、びっくりしたよ。どんな格好で寝るか教えろ、なんて」
「私は満足だったよ? 千鶴、黒いキャミとか大人っぽいの似合うんだもん」
「あれ、中学のときから着てるやつなんだけどなあ……」
「それより。私のパジャマの感想はないわけ?」
「えっと、その……未乃梨らしいっていうか、可愛かったけど」
「子供っぽくないか、ちょっと心配だったけど……良かった」
未乃梨は少しだけ、恥ずかしそうに上目遣いで千鶴を見た。
「そんなこと気にしてたの?」
「だって、……誰かに見せる時、気に入られたいじゃない。もう」
「……え?」
「何でもない。ほら、早く楽器片付けて行くわよ」
呆気に取られた千鶴に背を向けると、未乃梨はそそくさとフルートを仕舞い始めた。
金曜日の全体合奏は、千鶴にとって少々困ったことが多かった。
千鶴の立ち位置は周りにテューバやユーフォニアムやトロンボーンといった音の大きい金管楽器のパートが陣取っていて、調弦するのも一苦労だった。
前に木管楽器の分奏では参加していなかったホルンやトランペットや打楽器もいて、まずは音楽室をセッティングするのが大変だったし、大型の金管楽器の群れの中でコントラバスの準備をするのもひと苦労だった。
(え……? こんな、自分の音が聴こえるかどうか分かんない中で弾くの……?)
なかなかコントラバスの開放弦の音に反応してくれないチューナーの画面をにらめっこでもするように見つめながら、千鶴は途方に暮れた。
(続く)
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