34 / 135
♯34
しおりを挟む
放課後に入ってすぐ、凛々子は学校の来客用の出入り口に二人の弦楽器奏者を出迎えに立った。
ヴィオラケースを肩から提げた、長袖の制服の黒いブレザーに黒いスカートの瑞香と、チェロケースを担いだ、薄手のグレーのジャケットに足首ほどの丈のオリーブ色のワンピースの智花は、凛々子の姿を見つけると手を振った。
「凛々子、今日はよろしく」
「紫ヶ丘って久し振りだねえ。卒業以来だからもう一年ちょっと、か」
「二人とも、遠くからお疲れ様。そういえば、智花さんって紫ヶ丘の出身でしたね」
来客用のスリッパに履き替えた瑞香は、制服が違うだけの自分と同年代の少年たちや少女たちとすれ違いながら、「さっすが、紫ヶ丘」とこぼした。
「ここって戦後に出来た共学校だし、なんか自由そうだよね。男女比もうちと違って偏ってないし」
凛々子と瑞香に続く智花が、懐かしそうに廊下を見回した。
「瑞香の井泉野高校、元が旧制中学で男の子が多いんだよね。お陰で私は安心だけど」
「智花、女の子が多い高校だと心配、とか言ってたもんね? 井泉野に受かったって言った時の安心した顔、今でも覚えてるわよ。ところで」
瑞香は智花に混ぜ返してから、凛々子に尋ねた。
「今日合わせるっていう吹部の子たち、仕上がりはどうなの?」
「フルートの方は経験者だし心配はなさそうね。コントラバスの子も初心者にしては上出来ってとこ」
ふーん、と智花は凛々子に相槌を打った。
「例の背の高いって子ね。前の星の宮の練習で舞衣子先生がちょっと興味持ってたわね」
凛々子は智花と瑞香に、「ま、期待してくれていいわよ」と振り向いた。
「今度の訪問演奏、施設の子供たちには喜んでもらえるんじゃないかな」
「へえ、大した自信じゃない。ま、私たちが楽しんで弾けないと、ね」
智花は瑞香と凛々子の背中に、笑みの混ざった声を向けた。
放課後に、それぞれの楽器を持った千鶴と未乃梨は二年一組の教室へと向かった。
千鶴は、前を歩いている自分より顔ひとつは背の低い未乃梨の後ろ姿に声をかけた。
「そういえば、フルートパートの練習、抜けてきても大丈夫だった?」
「先輩たちにはOKもらったよ。学校外での演奏は勉強になるからどんどんやっちゃえ、だって」
「そうなんだ。吹奏楽部って結構自由なんだね」
「この学校が特殊なのかなあ。中学の時はひたすらパート練と合奏だったし」
首を傾げる、いつものリボンをあしらったハーフアップの髪を後ろから眺めながら、千鶴は「あー、やっぱり?」と何か納得した風だった。
「志之さん……結城さんも似たようなこと言ってたね。ここの女バレ、オーバーワークは厳禁で筋トレとかストレッチもしっかりやるし、練習の一環でドッジボールやって遊んだりすることもあるって」
「運動部も緩いのね。……コンクールの練習、どうなるんだか」
未乃梨は、ため息をつきながら二年一組の教室の引き戸を開けた。
二年一組の教室には、凛々子のヴァイオリンより一回り大きい弦楽器を顎に挟んで音出しをしている、眼鏡に短い二つ結びの髪の黒い上下の制服を着た少女と、その二つばかり年上と思われる、千鶴のコントラバスより二回りほど小さい弦楽器を膝に挟んで楽譜を用意している、長めのウルフカットの髪にグレーの薄手のジャケットに丈の長いワンピースの女性が凛々子と何やら話し込んでいた。
凛々子は、教室の戸口にそれぞれの楽器を持って現れた千鶴と未乃梨を見て、「あら、いらっしゃい。入って」と中に招き入れた。
千鶴と未乃梨に、凛々子は弦楽器の二人を手短に紹介した。
「ヴィオラが井泉野高校三年の今井瑞香さん。チェロが城澤大学の教育学部二年の浅井智花さん。二人とも、私がコンミスをやってる星の宮ユースオーケストラの団員よ」
「紫ヶ丘一年でフルートの小阪未乃梨です。宜しくお願いします」
「同じく、一年でコントラバスを春から始めた、江崎千鶴です。宜しくお願いします」
「宜しくね。じゃ、チューニングしたら始めようか」
「はい」
「あ、はい」
智花に促されて、千鶴と未乃梨はいそいそと準備を始めた。
最初に五人で合わせたのは、パッヘルベルの「カノン」だった。
智花は、まず最初に千鶴ひとりにあの二小節のパターンを繰り返し弾かせた。
「今、千鶴さんが弾いてるコントラバスに、私がこういうのを重ねます」
智花は拍の頭だけを千鶴のパートに合わせた分散和音をチェロで弾いてみせた。
千鶴のコントラバスの歩みに、智花のチェロの分散和音が重なって、退屈に思えた二小節の繰り返しが急に彩りを帯びた。
(あれ? この二小節の伴奏、こんな風に、面白いことになるの?)
目を丸くしかけた千鶴に、智花は補足した。
「驚いた? この曲の低音パート、本当は鍵盤楽器の右手とかで和音を足すんだけど、今回は弦とフルートだけなので私のチェロがその代わりね。じゃ、始めましょう」
智花がチェロの弓を構えるのを見て、千鶴と瑞香と凛々子もそれぞれの弓を構えた。未乃梨も、やや面食らいつつフルートを構えた。
(私以外に管楽器がいない……合図は誰かの弓を見てなきゃいけないの……?)
不慣れな二人を含んだ五重奏の、「カノン」が始まった。
(続く)
ヴィオラケースを肩から提げた、長袖の制服の黒いブレザーに黒いスカートの瑞香と、チェロケースを担いだ、薄手のグレーのジャケットに足首ほどの丈のオリーブ色のワンピースの智花は、凛々子の姿を見つけると手を振った。
「凛々子、今日はよろしく」
「紫ヶ丘って久し振りだねえ。卒業以来だからもう一年ちょっと、か」
「二人とも、遠くからお疲れ様。そういえば、智花さんって紫ヶ丘の出身でしたね」
来客用のスリッパに履き替えた瑞香は、制服が違うだけの自分と同年代の少年たちや少女たちとすれ違いながら、「さっすが、紫ヶ丘」とこぼした。
「ここって戦後に出来た共学校だし、なんか自由そうだよね。男女比もうちと違って偏ってないし」
凛々子と瑞香に続く智花が、懐かしそうに廊下を見回した。
「瑞香の井泉野高校、元が旧制中学で男の子が多いんだよね。お陰で私は安心だけど」
「智花、女の子が多い高校だと心配、とか言ってたもんね? 井泉野に受かったって言った時の安心した顔、今でも覚えてるわよ。ところで」
瑞香は智花に混ぜ返してから、凛々子に尋ねた。
「今日合わせるっていう吹部の子たち、仕上がりはどうなの?」
「フルートの方は経験者だし心配はなさそうね。コントラバスの子も初心者にしては上出来ってとこ」
ふーん、と智花は凛々子に相槌を打った。
「例の背の高いって子ね。前の星の宮の練習で舞衣子先生がちょっと興味持ってたわね」
凛々子は智花と瑞香に、「ま、期待してくれていいわよ」と振り向いた。
「今度の訪問演奏、施設の子供たちには喜んでもらえるんじゃないかな」
「へえ、大した自信じゃない。ま、私たちが楽しんで弾けないと、ね」
智花は瑞香と凛々子の背中に、笑みの混ざった声を向けた。
放課後に、それぞれの楽器を持った千鶴と未乃梨は二年一組の教室へと向かった。
千鶴は、前を歩いている自分より顔ひとつは背の低い未乃梨の後ろ姿に声をかけた。
「そういえば、フルートパートの練習、抜けてきても大丈夫だった?」
「先輩たちにはOKもらったよ。学校外での演奏は勉強になるからどんどんやっちゃえ、だって」
「そうなんだ。吹奏楽部って結構自由なんだね」
「この学校が特殊なのかなあ。中学の時はひたすらパート練と合奏だったし」
首を傾げる、いつものリボンをあしらったハーフアップの髪を後ろから眺めながら、千鶴は「あー、やっぱり?」と何か納得した風だった。
「志之さん……結城さんも似たようなこと言ってたね。ここの女バレ、オーバーワークは厳禁で筋トレとかストレッチもしっかりやるし、練習の一環でドッジボールやって遊んだりすることもあるって」
「運動部も緩いのね。……コンクールの練習、どうなるんだか」
未乃梨は、ため息をつきながら二年一組の教室の引き戸を開けた。
二年一組の教室には、凛々子のヴァイオリンより一回り大きい弦楽器を顎に挟んで音出しをしている、眼鏡に短い二つ結びの髪の黒い上下の制服を着た少女と、その二つばかり年上と思われる、千鶴のコントラバスより二回りほど小さい弦楽器を膝に挟んで楽譜を用意している、長めのウルフカットの髪にグレーの薄手のジャケットに丈の長いワンピースの女性が凛々子と何やら話し込んでいた。
凛々子は、教室の戸口にそれぞれの楽器を持って現れた千鶴と未乃梨を見て、「あら、いらっしゃい。入って」と中に招き入れた。
千鶴と未乃梨に、凛々子は弦楽器の二人を手短に紹介した。
「ヴィオラが井泉野高校三年の今井瑞香さん。チェロが城澤大学の教育学部二年の浅井智花さん。二人とも、私がコンミスをやってる星の宮ユースオーケストラの団員よ」
「紫ヶ丘一年でフルートの小阪未乃梨です。宜しくお願いします」
「同じく、一年でコントラバスを春から始めた、江崎千鶴です。宜しくお願いします」
「宜しくね。じゃ、チューニングしたら始めようか」
「はい」
「あ、はい」
智花に促されて、千鶴と未乃梨はいそいそと準備を始めた。
最初に五人で合わせたのは、パッヘルベルの「カノン」だった。
智花は、まず最初に千鶴ひとりにあの二小節のパターンを繰り返し弾かせた。
「今、千鶴さんが弾いてるコントラバスに、私がこういうのを重ねます」
智花は拍の頭だけを千鶴のパートに合わせた分散和音をチェロで弾いてみせた。
千鶴のコントラバスの歩みに、智花のチェロの分散和音が重なって、退屈に思えた二小節の繰り返しが急に彩りを帯びた。
(あれ? この二小節の伴奏、こんな風に、面白いことになるの?)
目を丸くしかけた千鶴に、智花は補足した。
「驚いた? この曲の低音パート、本当は鍵盤楽器の右手とかで和音を足すんだけど、今回は弦とフルートだけなので私のチェロがその代わりね。じゃ、始めましょう」
智花がチェロの弓を構えるのを見て、千鶴と瑞香と凛々子もそれぞれの弓を構えた。未乃梨も、やや面食らいつつフルートを構えた。
(私以外に管楽器がいない……合図は誰かの弓を見てなきゃいけないの……?)
不慣れな二人を含んだ五重奏の、「カノン」が始まった。
(続く)
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
「南風の頃に」~ノダケンとその仲間達~
kitamitio
青春
合格するはずのなかった札幌の超難関高に入学してしまった野球少年の野田賢治は、野球部員たちの執拗な勧誘を逃れ陸上部に入部する。北海道の海沿いの田舎町で育った彼は仲間たちの優秀さに引け目を感じる生活を送っていたが、長年続けて来た野球との違いに戸惑いながらも陸上競技にのめりこんでいく。「自主自律」を校訓とする私服の学校に敢えて詰襟の学生服を着ていくことで自分自身の存在を主張しようとしていた野田賢治。それでも新しい仲間が広がっていく中で少しずつ変わっていくものがあった。そして、隠していた野田賢治自身の過去について少しずつ知らされていく……。
フラレたばかりのダメヒロインを応援したら修羅場が発生してしまった件
遊馬友仁
青春
校内ぼっちの立花宗重は、クラス委員の上坂部葉月が幼馴染にフラれる場面を目撃してしまう。さらに、葉月の恋敵である転校生・名和リッカの思惑を知った宗重は、葉月に想いを諦めるな、と助言し、叔母のワカ姉やクラスメートの大島睦月たちの協力を得ながら、葉月と幼馴染との仲を取りもつべく行動しはじめる。
一方、宗重と葉月の行動に気付いたリッカは、「私から彼を奪えるもの奪ってみれば?」と、挑発してきた!
宗重の前では、態度を豹変させる転校生の真意は、はたして―――!?
※本作は、2024年に投稿した『負けヒロインに花束を』を大幅にリニューアルした作品です。
ほのぼの学園百合小説 キタコミ!
水原渉
青春
ごくごく普通の女子高生の帰り道。帰宅部の仲良し3人+1人が織り成す、青春学園物語。
ほんのりと百合の香るお話です。
ごく稀に男子が出てくることもありますが、男女の恋愛に発展することは一切ありませんのでご安心ください。
イラストはtojo様。「リアルなDカップ」を始め、たくさんの要望にパーフェクトにお応えいただきました。
★Kindle情報★
1巻:第1話~第12話、番外編『帰宅部活動』、書き下ろしを収録。
https://www.amazon.co.jp/dp/B098XLYJG4
2巻:第13話~第19話に、書き下ろしを2本、4コマを1本収録。
https://www.amazon.co.jp/dp/B09L6RM9SP
3巻:第20話~第28話、番外編『チェアリング』、書き下ろしを4本収録。
https://www.amazon.co.jp/dp/B09VTHS1W3
4巻:第29話~第40話、番外編『芝居』、書き下ろし2本、挿絵と1P漫画を収録。
https://www.amazon.co.jp/dp/B0BNQRN12P
5巻:第41話~第49話、番外編2本、書き下ろし2本、イラスト2枚収録。
https://www.amazon.co.jp/dp/B0CHFX4THL
6巻:第50話~第55話、番外編2本、書き下ろし1本、イラスト1枚収録。
https://www.amazon.co.jp/dp/B0D9KFRSLZ
Chit-Chat!1:1話25本のネタを30話750本と、4コマを1本収録。
https://www.amazon.co.jp/dp/B0CTHQX88H
★第1話『アイス』朗読★
https://www.youtube.com/watch?v=8hEfRp8JWwE
★番外編『帰宅部活動 1.ホームドア』朗読★
https://www.youtube.com/watch?v=98vgjHO25XI
★Chit-Chat!1★
https://www.youtube.com/watch?v=cKZypuc0R34
乙男女じぇねれーしょん
ムラハチ
青春
見知らぬ街でセーラー服を着るはめになったほぼニートのおじさんが、『乙男女《おつとめ》じぇねれーしょん』というアイドルグループに加入し、神戸を舞台に事件に巻き込まれながらトップアイドルを目指す青春群像劇! 怪しいおじさん達の周りで巻き起こる少女誘拐事件、そして消えた3億円の行方は……。
小説家になろうは現在休止中。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる