三角形のディスコード

阪淳志

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♯28

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 凛々子りりこはいたずらっぽい笑みを浮かべたまま、組んだ脚を戻した。
「冗談よ。でも、江崎えざきさんにそういう相手がいないなら、いつか他の誰かから告白されたりしちゃうかもね?」
「えっと、あの、それは……」
 千鶴は、どぎまぎと顔を赤らめた。ふと、帰り道の未乃梨みのりの言葉が思い出された。

 ――千鶴が私のカレシ、って。女の子同士なのに、ね
 ――ねえ。もう、付き合っちゃおうか?

 千鶴は、未乃梨に冗談をあしらうように「女の子同士で何するの」と応えたことを、少し後悔していた。
 凛々子が腰掛けている教室の机から下りて、艷やかな長い黒髪を手であしらうと、ヴァイオリンを構え直した。机から下りる時に小さく翻したスカートを恥ずかしげもなく直す凛々子の姿は、いつも可愛らしい未乃梨や、立ち振舞いを男の子と比べられやすい千鶴自身とは明らかに違った。
 中学の同級生や一年四組のクラスメイトの女子の誰ひとりとも違う大人びた雰囲気を、凛々子が持っているように、千鶴には思われた。
 ヴァイオリンの調弦を整えると、凛々子は「じゃ、再開しましょうか」と穏やかに千鶴を促した。
 千鶴が調弦をし直す時に凛々子はヴァイオリンでAの開放弦を鳴らしながら、千鶴の様子をじっと見た。千鶴の調弦が終わると、凛々子はヴァイオリンの弓を止めた。
「じゃ、『G線上のアリア』を通してみましょう。本番で小阪さんがフルートで吹くパートを私が弾くから、ついてきて」
 凛々子は千鶴が一緒に弾くのが当たり前のように、「G線上のアリア」を弾き出した。千鶴は、振り子のようにオクターブ違いの音を行き来する自分のパートにやや手こずりながら、凛々子の後について行った。
 凛々子の弾く「G線上のアリア」は、いつもと少し違った。ヴァイオリンの弦を押さえる左手の揺らぎが抑えられて、普段の凛々子の甘やかな音とは違う弾き方で「アリア」の祈るような旋律を弾いている。
 明らかに、凛々子は未乃梨のフルートの癖を真似ていた。ヴィブラートをあまり掛けない、真っ直ぐで整った折り目正しい未乃梨の吹き方を、凛々子は意識しているようだった。
 凛々子が長い音符を弾ききってから次のフレーズに入る時に、千鶴はふとあることを思い付いた。
(こないだ三人で合わせた時みたいに、ブレスを吸ったら。そして――)
 千鶴は唇を薄く開いて、ブレスを吸った。右腕の力を抜いて、フルートと混ざってくれそうな柔らかな響きを置いて、凛々子のヴァイオリンを受け止めた。
(こういうゆっくりで綺麗なメロディ、未乃梨が気持ちよく吹けるようにするなら、私は出しゃばっちゃいけないはず)
 コントラバスの弓が穏やかに動いて、長い弦の振動からくる豊かでヴァイオリンより遥かに低い音の響きが「アリア」の旋律をエスコートした。
 「G線上のアリア」が、繰り返しに入ったところで、凛々子がヴァイオリンを弾きながら「くすり」と笑ったように見えた。凛々子の右手と左手の動きが遊ぶように動き始めて、繰り返す前にはなかった細かい音符の動きがそこかしこに足された。
 凛々子は楽譜すら見ずに、その場で思いついた音を「G線上のアリア」に付け足しながら弾いていた。フレーズをわざと後ろにもたれさせたかと思えば、ひとつ飛ばしで音階をなぞる分散和音のすき間の音を埋め尽くして滑るように遊ぶ。
 繰り返しに入ってからの、凛々子の演奏する様子は未乃梨のフルートとは全くの別物だった。まるで誘うように遊びを入れて、エスコートしているはずの千鶴のコントラバスを引っ張っていく。
 千鶴は、目の前でヴァイオリンを弾いている凛々子が自分のたった一つ年上ということが信じられなくなるような錯覚すら起こしかけていた。ゆったりとした祈るような「G線上のアリア」の旋律が、清楚で可愛らしい天使から艶めいて微笑む女神に姿を変えたようにすら、凛々子の演奏の切り替えは千鶴には感じられた。
「G線上のアリア」が終止符にたどり着くまで、千鶴は凛々子に釘付けになっていた。
 コントラバスを手にしたばかりの時の親切さや、「主よ、人の望みの喜びよ」を合わせる時の巧みさの奥に隠れていた、凛々子の艶めいて大人びた姿が、そこに姿を現していた。
「江崎さん、どう?」
 凛々子の声に、千鶴はコントラバスを支えたまま我に返った。
「あの……凄かったです」
「本番ではやらないけどね。江崎さんがちゃんと弾いてくれたから、遊び甲斐があったわ」
 凛々子は、ヴァイオリンを持ったまま千鶴に一歩近付いた。
「これが、私のスタイルよ。お気に召したかしら」
 千鶴は、凛々子のヴァイオリンに今までになく戸惑っていた。戸惑う最大の理由は、明らかだった。
仙道せんどう先輩の演奏、一緒に弾いててこんなに気持ちいいなんて……!)
「その顔だと、私から聞くまでもないようね」
 満足そうに微笑む凛々子に、千鶴は「……はい」と頷くことしかできなかった。
「もし、私ともっと演奏してみたいなら、いくらでも付き合うわよ。学校でも、それ以外の場所でもね」
「いいんですか……?」
「ええ。ただ、私が小阪さんのライバルになっちゃうかも、だけど」
 凛々子はもう一度、艶やかに微笑んだ。

(続く)
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