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♯11
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ディアナホールにある、オーケストラがまるごと入る広い練習室の中でハ長調の主和音が堂々と、しかし演奏している人数の割にはやや軽やかさに傾いて響き渡り、シューベルトの交響曲「グレート」の第一楽章が締めくくられた。
「それでは、十五時まで休憩です。次は第二楽章から」
指揮者が次の練習開始の時間を告げると、十代の少年少女が中心の星の宮ユースオーケストラの団員たちはめいめいに席を立ったり、隣の席の奏者と談笑を始めたりと一斉にリラックスし始めた。
凛々子も、指揮者から見てすぐ左横の、総勢で十三人が座る第一ヴァイオリンの最前の席に自分のヴァイオリンを置くと、ヴィオラのパートが座る指揮者から見て右手側に足を運んだ。
「瑞香さん、お疲れ様」
凛々子は眼鏡に短めの二つ結びの髪の、ヴァイオリンよりひと周りほど大きな弦楽器を抱えながら自分のパート譜に何やら書き込んでいる少女に声をかけた。
「凛々子もお疲れ様。ヴァイオリンの方はどう?」
「いつも通りよ。『グレート』は長いけど、じっくり弾き込めば本番に充分間に合うわ。もっとも、その前に」
微かに口角の上がる凛々子に、瑞香も「ふふん」と機嫌が良さそうに鉛筆を置いた。
「歌曲王の交響曲だし、どのパートも楽しいメロディだらけよね。そうそう、あの件、どう?」
「うちの高校で見つけたコントラバスの子? 今のところは、上々かな」
「ここ最近練習見てあげてるんだっけ。その分だと、うちのオケに連れて来れそう?」
「ひょっとすると、ね。本人と、周囲の理解があれば、だけど」
瑞香は、舞台上では客席から見て右手奥に当たる、管楽器奏者が並ぶ横でヴァイオリンやヴィオラより遥かに大きな弦楽器が三本ほど寝かせて置いてある辺りを見た。管楽器が各パートにつき二人か三人揃う規模のオーケストラとしては、コントラバス三人は少しばかり低音が心許無い。
その手前に陣取る、コントラバスよりは一段小さいチェロを弾いていた長めのウルフカットの女性と、瑞香の目が合った。
ウルフカットの女性はチェロを置くと、瑞香や凛々子に近寄って来て、「おやおや?」と微笑みかけた。ラフなシャツとカーディガンにぴっちりした細身のパンツは、やっと中学時代の私服がローテーションから外れた瑞香や凛々子が着こなすにはあと数年は先になりそうだ。
「瑞香、コンサートミストレスと低音の方を見ながら何を相談してたのかしら」
「智花、チェロバスにちょっといい話があるかもなのよ。凛々子が高校でバスを始めた子を見つけてきて、その子にご執心なんですって」
「へえ? 凛々子ったら、奥手そうなのに手が早いのね?」
ウルフカットの智花は、面白そうに凛々子を見た。凛々子は智花にやや胸を張った。
「見どころはありそうなのよね。手も大きくて基本のフォームは作れてるし、身長もその辺の男の子よりずっと大きいし」
面白がるようににこにこ笑う智花が、「ふむ」と表情に真面目な色を足した。
「女の子なの? 吹奏楽部か何か?」
「ええ。指導できる人がいなくて、私が勝手に個人練習に付き合ってあげてるだけだけど」
智花は、「ふーむ」ともう一度頷いた。
「凛々子、その子を捕まえておいた方がいいわね。何なら、六月の本番、聴きに来てもらってもいいかも」
「私も智花に同意見よ。チェロバスが増えればヴィオラもやりやすくなるしさ」
智花と瑞香に、凛々子も首肯した。
「クラシックに興味を持ってもらえるように、色々教えてるところよ。ちょっとはその子に期待しても良いかもね」
凛々子は練習室の壁の時計に目をやった。練習再開の五分ほど前で、全体のチューニングのために管楽器の席のオーボエ奏者がAの音を吹き始めていた。 凛々子は瑞香と智花に「それじゃ、後で」と手を上げると、自分の席に戻っていった。
試着室から出てきた千鶴を見て、未乃梨は「わあ!」と顔を輝かせた。
薄手のチュール生地を重ねてウェストを蝶結びのベルトで締めた可愛らしいブルーのレイヤードスカートに、トップスはボックスプリントの黒のTシャツを合わせて、甘くなり過ぎないコーディネートは長身の千鶴には合っていた。
千鶴が着てきていた薄い水色のフーディを羽織ってもミスマッチにはならず、千鶴のボーイッシュさに女の子らしさが上手く組み合わさった感じに仕上がったのが未乃梨にはかなり気に入っていた。
「いいじゃん! 千鶴、スカートも似合うしもっと穿こうよ!」
「そ、そう? 制服以外だとあんまりスカートってあんまり穿かないし、ちょっと落ち着かないかも」
千鶴はレイヤードスカートの生地をつまんだ。未乃梨が着れば足元が隠れそうなマキシ丈のスカートが、男子と並んでも高い身長のせいで千鶴だとふくらはぎが見えるミディ丈になってしまっていて、それがこれから暖かくなる季節に合いそうな軽やかさを演出していた。
「ここまで高身長のお客さんは初めてですけど、これだけスカートも似合うならこういうアイテムもこれから是非ご検討してほしいですねえ」
「あ、はい……」
「うち、夏場は水着も扱ってますんで、よろしければシーズン前に見に来て頂ければと」
にこにこと笑顔で提案するショップの店員と「水着かぁ……千鶴、夏に二人でプールに行ってくれるの?」と期待を込めた目で自分を見る未乃梨に、千鶴は困ったように笑顔を見せた。
「私の水着なんて、中学の体育で見てるじゃない?」
「分かってないわね。学校で着るだっさいセパレートじゃないのよ? ……それに、私も、千鶴に選んでほしいから、ね?」
「もう、しょうがないなあ」
体育の授業で着るのとは違う色とりどりの水着を着た未乃梨も可愛いかもしれない、と思いつつ、その未乃梨と釣り合う水着を着てプールサイドにいる自分を想像して、千鶴は恥ずかしそうにレイヤードスカートの薄い生地をもう一度つまんだ。
(続く)
「それでは、十五時まで休憩です。次は第二楽章から」
指揮者が次の練習開始の時間を告げると、十代の少年少女が中心の星の宮ユースオーケストラの団員たちはめいめいに席を立ったり、隣の席の奏者と談笑を始めたりと一斉にリラックスし始めた。
凛々子も、指揮者から見てすぐ左横の、総勢で十三人が座る第一ヴァイオリンの最前の席に自分のヴァイオリンを置くと、ヴィオラのパートが座る指揮者から見て右手側に足を運んだ。
「瑞香さん、お疲れ様」
凛々子は眼鏡に短めの二つ結びの髪の、ヴァイオリンよりひと周りほど大きな弦楽器を抱えながら自分のパート譜に何やら書き込んでいる少女に声をかけた。
「凛々子もお疲れ様。ヴァイオリンの方はどう?」
「いつも通りよ。『グレート』は長いけど、じっくり弾き込めば本番に充分間に合うわ。もっとも、その前に」
微かに口角の上がる凛々子に、瑞香も「ふふん」と機嫌が良さそうに鉛筆を置いた。
「歌曲王の交響曲だし、どのパートも楽しいメロディだらけよね。そうそう、あの件、どう?」
「うちの高校で見つけたコントラバスの子? 今のところは、上々かな」
「ここ最近練習見てあげてるんだっけ。その分だと、うちのオケに連れて来れそう?」
「ひょっとすると、ね。本人と、周囲の理解があれば、だけど」
瑞香は、舞台上では客席から見て右手奥に当たる、管楽器奏者が並ぶ横でヴァイオリンやヴィオラより遥かに大きな弦楽器が三本ほど寝かせて置いてある辺りを見た。管楽器が各パートにつき二人か三人揃う規模のオーケストラとしては、コントラバス三人は少しばかり低音が心許無い。
その手前に陣取る、コントラバスよりは一段小さいチェロを弾いていた長めのウルフカットの女性と、瑞香の目が合った。
ウルフカットの女性はチェロを置くと、瑞香や凛々子に近寄って来て、「おやおや?」と微笑みかけた。ラフなシャツとカーディガンにぴっちりした細身のパンツは、やっと中学時代の私服がローテーションから外れた瑞香や凛々子が着こなすにはあと数年は先になりそうだ。
「瑞香、コンサートミストレスと低音の方を見ながら何を相談してたのかしら」
「智花、チェロバスにちょっといい話があるかもなのよ。凛々子が高校でバスを始めた子を見つけてきて、その子にご執心なんですって」
「へえ? 凛々子ったら、奥手そうなのに手が早いのね?」
ウルフカットの智花は、面白そうに凛々子を見た。凛々子は智花にやや胸を張った。
「見どころはありそうなのよね。手も大きくて基本のフォームは作れてるし、身長もその辺の男の子よりずっと大きいし」
面白がるようににこにこ笑う智花が、「ふむ」と表情に真面目な色を足した。
「女の子なの? 吹奏楽部か何か?」
「ええ。指導できる人がいなくて、私が勝手に個人練習に付き合ってあげてるだけだけど」
智花は、「ふーむ」ともう一度頷いた。
「凛々子、その子を捕まえておいた方がいいわね。何なら、六月の本番、聴きに来てもらってもいいかも」
「私も智花に同意見よ。チェロバスが増えればヴィオラもやりやすくなるしさ」
智花と瑞香に、凛々子も首肯した。
「クラシックに興味を持ってもらえるように、色々教えてるところよ。ちょっとはその子に期待しても良いかもね」
凛々子は練習室の壁の時計に目をやった。練習再開の五分ほど前で、全体のチューニングのために管楽器の席のオーボエ奏者がAの音を吹き始めていた。 凛々子は瑞香と智花に「それじゃ、後で」と手を上げると、自分の席に戻っていった。
試着室から出てきた千鶴を見て、未乃梨は「わあ!」と顔を輝かせた。
薄手のチュール生地を重ねてウェストを蝶結びのベルトで締めた可愛らしいブルーのレイヤードスカートに、トップスはボックスプリントの黒のTシャツを合わせて、甘くなり過ぎないコーディネートは長身の千鶴には合っていた。
千鶴が着てきていた薄い水色のフーディを羽織ってもミスマッチにはならず、千鶴のボーイッシュさに女の子らしさが上手く組み合わさった感じに仕上がったのが未乃梨にはかなり気に入っていた。
「いいじゃん! 千鶴、スカートも似合うしもっと穿こうよ!」
「そ、そう? 制服以外だとあんまりスカートってあんまり穿かないし、ちょっと落ち着かないかも」
千鶴はレイヤードスカートの生地をつまんだ。未乃梨が着れば足元が隠れそうなマキシ丈のスカートが、男子と並んでも高い身長のせいで千鶴だとふくらはぎが見えるミディ丈になってしまっていて、それがこれから暖かくなる季節に合いそうな軽やかさを演出していた。
「ここまで高身長のお客さんは初めてですけど、これだけスカートも似合うならこういうアイテムもこれから是非ご検討してほしいですねえ」
「あ、はい……」
「うち、夏場は水着も扱ってますんで、よろしければシーズン前に見に来て頂ければと」
にこにこと笑顔で提案するショップの店員と「水着かぁ……千鶴、夏に二人でプールに行ってくれるの?」と期待を込めた目で自分を見る未乃梨に、千鶴は困ったように笑顔を見せた。
「私の水着なんて、中学の体育で見てるじゃない?」
「分かってないわね。学校で着るだっさいセパレートじゃないのよ? ……それに、私も、千鶴に選んでほしいから、ね?」
「もう、しょうがないなあ」
体育の授業で着るのとは違う色とりどりの水着を着た未乃梨も可愛いかもしれない、と思いつつ、その未乃梨と釣り合う水着を着てプールサイドにいる自分を想像して、千鶴は恥ずかしそうにレイヤードスカートの薄い生地をもう一度つまんだ。
(続く)
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