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しおりを挟む美玲は一瞬だけ瑞稀に目をやり、軽く頭を下げる。
「喬?」
瑞稀の存在など、美玲は大して気にしていない。女性と一緒に居る…それだけで勘繰る程のレベルに瑞稀は達していないからだ。
瑞稀にも、それは瞬時に理解出来た。
まさかこんな女と…なんて微塵も疑っていない。あり得ないと最初から警戒されてさえいない…
そう、瑞稀は所詮野暮ったく、貧乏臭くて…Ωでなければαに擦りもしない存在だ。
だから、目の前の居る喬一が興味があるのは、Ωである自分…。
瑞稀で無くとも、Ωなら…誰であっても同じだろう。
瑞稀は美玲をまじまじと見つめる。
なんて綺麗な人なのだろう。自信に満ちて、それでいて嫌味が無く、その育ちも性格も申し分無いのは美しさ以外で培われた雰囲気で分かる。
選ばれた…限られた人しか身につけれない余裕だ。
「喬?ごめんね、やっぱり心配で…来ちゃった…」
美玲が喬一の頬に手を添える。
薫は瑞稀に気まずさを隠した貼り付けたような笑顔を向けた。
「瑞稀ちゃん、ごめん。俺らも行こっか」
薫に促されるまま、瑞稀も頷きその場を後にしようとする。
「…瑞稀」
喬一の声がした。
瑞稀は振り向きざまに軽く会釈し、前を向く。出来るだけ早足で、その場から離れた。
「…瑞稀ちゃん、大丈夫?」
後ろから薫にふと声を掛けられて、瑞稀歩みを止める。
「もしかして、喬一…瑞稀ちゃんの特性のこと…知ってる?」
薫は心配そうに瑞稀にそう尋ねる。
どう誤魔化そう…頭が、うまく働かなかった。
「何かされた?大丈夫?」
沈黙を肯定と捉えた薫が、瑞稀の様子を更に心配そうに伺った。
瑞稀は顔を左右に振る。
「最近…喬一の様子もおかしくて…。美玲が心配して、日本にまた来たんだ」
αがΩに執着する理由は、αの子を産ませる為…そして、フェロモンに任せて体を重ねるため…。
瑞稀の父親がそうだったように、喬一もそうなのだろう。
Ωとαでなければ一生関わることも無かった。
Ωがどういう人間かなんて関係ない。
物のように扱われ、蔑まれて、要らなくなったら捨てられる。
瑞稀の母親のように。
「喬一の事で何かあったらすぐ俺に言ってね。勿論栞菜でも良いし…」
薫は優しく瑞稀にそう言った。
αなのに、この人も栞菜も…そして伊瀬も、珍しい人だな…と瑞稀は思っていた。
自分も、αには偏見を持っている。
でないと、この身は守れない。
それでも不思議なことに、伊瀬を前にすると瑞稀はΩの前に自分が出て来てしまう。
自分を見て、聞いて、知って欲しいなんて、身の程知らずにも一歩出てしまうのだ。
帰り道、瑞稀は何度も美玲と呼ばれた女性を思い出した。
指先まで、光っているような人だった…
喬一が大切にしている恋人。
美玲と過ごす喬一は一体どんな風に美玲に接するのだろう…
2人が連れ立って歩けば、それはそれはお似合いで、誰しも目が行くだろう…
瑞稀がもしただのβだったら、遠巻きにそれを見て…羨ましいと目を奪われたんだろうか…
さすがαだと心ときめかせて。
はぁ…はぁ…と熱い呼吸が古い家に響く。朝方瑞稀は灼かれるような熱さに突き動かされ、目を開けた。
その熱さから少しでも逃れるため、朦朧としながらも無駄な足掻きを試みる。 抑制剤に、東條や栞菜が教えてくれた民間療法…全てを試しても、やはり瑞稀の体はαを欲して灼かれていた。
ヒートだ…
3ヶ月は経っていない…だが、確実にヒートだった。経験があるだけに、確信がある。
出来る事なら、気を失ってしまいたい…
そうすれば、時間は過ぎていくのに…
瑞稀は力無く台所で蹲る。
欲しい
欲しい
欲しい…
喬一の顔が浮かんで、手を伸ばしてしまいそうになる。
あの手で体を這う感覚、形の良い唇が深く重なり、時に奪うようにして隅から隅まで愛撫された。
手つきは優しいが、体が1つになれば時に乱暴で…瑞稀の体は幾度も与えられる快楽に歓喜し、震える。
喬一の欲望に満ちた瞳、堪えきれないと歪める顔、いつもの余裕さが消える瞬間が、瑞稀の中の何かを強烈に刺激した…
あの熱を、もう一度…
「おっはよー今日も寒いねー。また雪降りそう…」
慣れた手つきで鍵を開け、玄関をガラッと開いた渚は片手にシンビィを抱いてやってきた。朝食を食べるためだ。
だが、βであってもヒートのフェロモンはα程で無くても感じる事は出来る。
「瑞稀…?」
渚はシンビィを床に放すと、すぐに瑞稀に駆け寄った。
「…渚ちゃ…」
充血したトロンとした目で、瑞稀が渚を見つめる。荒い呼吸に肩を上下させ、熱い吐息が漏れていた。
「助けて…助けて、渚ちゃん」
瑞稀は渚に手を伸ばし、自分の方へ引き寄せようとした。
こうなったら、αで無くとも…それほど区別が出来なくなっていると渚は一瞬戸惑うが、その手を優しく握って瑞稀を見遣る。
「大丈夫、瑞稀。大丈夫だから」
「…どうにかしてっ、お願い…お願いっ!」
瑞稀を宥めつつ、渚は飲んだ薬の種類を聞いて一度医院へ戻る。
戻ってくると瑞稀に保冷剤を渡し、高熱の要領で体を落ち着かせた。
そして鎮静作用のある薬と軽い睡眠薬を飲ませる。
即効性のあるものを選んだので、すぐに効果は出始めた。
瑞稀を布団に戻し、言葉を掛けながら宥めると、瑞稀は次第に眠りに落ちていく。
「瑞稀…。もし僕を恨むなら、それで良い。一生許さないで。でも、僕は…こうするしか無い」
渚は寝息を漏らす瑞稀の傍らで、そう独り言を呟く。
聞こえていないと分かっていても、言葉に出していた。
聞かせるわけにはいかない、罪悪感が渚を何度も迷わせた。
だが、渚はもう迷わない。
例え、瑞稀を失うとしても。
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