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「瑞稀みずき、本当に行くの?」
 
 白衣を着たままのまだ年若いの男は、瑞稀と呼ばれる人物が作った出来たばかりの朝ごはんを食べるため、断りも無く椅子へ座る。
 勿論、それを瑞稀にお伺いする必要も無い。
 
「…奨学金もそれで返せるし、契約の内容によるけど3年以上は関係を結べないんでしょ?…国が推奨してるならそれが1番かなって」
 
 瑞稀は食欲の進まぬ箸で、冷めた朝ご飯にそれでも手を伸ばす。
 
「いや…やめた方がいいって」
 
 呆れたように整った顔を引き攣らせた男は、瑞稀の主治医であり最も家族に近い存在の男だ。
 まだ若いが、すぐ近くの古びた医院で医者をしている、下町の町医者だ。
 
 特にΩの患者が多い。
 抑制剤や避妊薬もしくはもっと重い処置までを請け負う男の名は月島 渚つきしま なぎさ祖父の医院を継いだβの男だ。
 
 そして一緒に食卓で朝ご飯を食べているのは、βでは無く人間の中でも稀な種であるΩの須藤 瑞稀すどう みずき。
 
 猛勉強の末、薬学部になんとか滑り込んだ大学生だ。
 
 
「とりあえず奨学金返済の目処を立てたいの。じゃ無いと…就職も思うようにいくか分からないし…」
 瑞稀は朝から小さく溜め息を吐いた。
 
「1番良いのは、番を見つけることだけどね。そうすれば何も他の人間と変わらない」
 渚は瑞稀の顔色を伺う。
 
 ″他の人間″ね…。
 
 番…
 αがΩの首を噛むと成立するという、噂の、あれ…
 
 
 番えばどちらかが死ぬまでその相手としか体を重ねられない。
 だが発情期はパッタリと治るらしい。
 
 Ωには願ったり叶ったりな事だ。
 番を失う喪失感は想像を絶するもので、片方を失った後立ち直れる番も多く無いと聞く。
 だが、Ωならまだしも、αがわざわざ自らを縛り付けるような事を果たしてするのだろうか。
 
 
 
 瑞稀を産んだ母は、そのαに噛んでも貰えなかった訳で…
 
 瑞稀の父、遺伝子上父と呼ばれるαの人間は、子供を望めぬ体のαの女性と結婚した。
 どうしても…αの子が欲しかったのだろう。
 αとΩの子が1番、αが産まれる確率が高いのも理由かもしれない。
 Ωの母は愚かにも、その父と呼ばれるαの子を3人産んだ。
 
 上2人はαだった。もちろん直ぐに母から取り上げた。
 だが産まれたαの1人は女だった。
 もう1人スペアに男児を欲した父はもう1人、母に産ませた。
 それが、女でΩであると分かった瞬間に母と瑞稀は捨てられた。
 道端のゴミのように、何気無く、簡単に。
 
 はっきりと、愛していない、産む道具だと突きつけられても尚、発情期に苦しみ縋るように愛を求めて捨てられた母は、瑞稀が4歳の時マンションのベランダから身を投げた。
 
 浴びるほど酒を飲んでいたので事故か自殺かは分からない。
 
 母がホステスとして働いていたクラブのオーナーであり、子供がいなかった須藤夫妻に瑞稀は引き取られ、須藤夫妻が亡くなる高校3年生まで、瑞稀は愛情掛けて育てて貰った。
 
 そのお陰で下町の一等地にある古く小さな一軒家に今も住めている。
 
 そして今、この家に家主の承諾を取る事も無く、好き勝手に出入りして当たり前のように朝食を食べている男は、須藤夫妻とは産まれるずっと前から家族ぐるみで付き合いがあったらしい。
 
 
 渚と瑞稀の間には、不思議な繋がりがある。
 Ωである瑞稀、そのΩが贔屓にする専門的な医者。この身に産まれた上では、とても幸運なのだろう。
 
 
 
 とはいえ社会的に見下され、まともな職に就けないと言われているΩが従事出来る職業は限られる。主に、性産業といっていい。Ωの特徴を逆手に取り、α相手に体を差し出すのが1番稼げるだろう。
 番うか番わないかは別として…

「幸い…私はヒート、発情期がまだ来てないし…今オークションに出てもαにそこまで影響されないと思うの。本能のままαの体を求める、とかそういうのが無いならその方が良いし。男のΩ程でなくても高く買ってもらえると思う。私の…処女を」
 オークション…この国にはΩを保護する政策や法律がある。
 
 希少種であり、αに需要があるので、経済支援の1つとして国がαとΩのマッチングをお手伝い…というのは建前で、αの前に放り出されて、買われるのだ。
 
 純潔のΩを。
 
 金持ちに、オークションで値を競わせ、手数料を引かれた残りがΩの元へ入る。
 容姿によって変動するが、それなりに大きな額だ。1番高値となるのが容姿端麗なΩの男性だという。
 女性よりも数が少ないから。
 
 
 
「…怖いもの知らずだなぁ。
 好きな子居ないの?せめて、初めては好きな子と済ませたら?なんだっけ、伊瀬くんだっけ?彼だって良いじゃないか。知らないαのおじさんだかお爺さんだか、ハゲだかデブだかに処女を捧げるより…」
 
 伊瀬くん、の言葉に一緒瑞稀の呼吸が止まった。
 
「伊瀬くんは、そういうのじゃないし。好きな人いるの知ってる…ていうかもう彼女かも…」
 
「彼女居るんだ。まぁ居るか。かっこいいもんね、αだし」
 
 こんな時に、その名前を出されると、瑞稀は計らずしも動揺してしまう
 
 瑞稀はそれに気付かれないように必死に取り繕う。
 
 
「まぁ…オークションの後のαとの契約はまた別だし…一回きりとするのか、そのまま関係を継続するのか…どちらにせよ僕も契約書はチェックするよ。瑞稀がどうしてもオークションに出るって言うならね。僕が立て替えたっていいのに、奨学金」
 渚は溜め息を吐いた。

 瑞稀には分かる。立て替えると言ったって、古びた儲けの少ない小さな医院には薬学部の奨学金なんてとてもじゃないが出せない。それに、今でも渚はいろいろ助けてくれている。
 
 須藤の両親が残してくれた物を少しづつ切り崩して生活する瑞稀には有り難いが、甘えるのも大概にしないといけない。
 
 
「支払いは瑞稀の体でもいいよ」
 
 悪戯ぽい笑みを浮かべる渚に、瑞稀はオェっと吐く素振りで返した。
 
「キモい。性病貰いそう。絶対嫌」
 ひどーいと渚は言うが、立地上いろいろな人が来る渚の医院には、渚のファンも多い…故に、渚も押し切られてそれなり…いや数限りなくそういった関係の男女が居る。
 
「医者ですから、気を付けてます。相手も選んでます。僕がうなじ噛めたら良いけど、βは無理だしね」
 
 嘘だ
 性病で痒みが酷く泣きべそをかきながら愚痴を溢してた時を瑞稀は知っている。
 
「…性病持ちだけは嫌だな」
 
 瑞稀はそう呟いた。
 
「すぐ薬出してあげるよ」
 瑞稀が作った食事を遠慮無く食べながら、渚はそう言った。
 
 
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