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 最初の出会いだって、本当は後を付けてた……なんて、死んでも言うつもりは無い。
 
 言ったら十中八九、気持ち悪がられる——

 そんなの誰にでも分かる。
 青葉に出会った当初から、海途はそれを強く心に決めていた。
 
 青葉に嫌われたく無い、それだけの理由だ。
 
 相手にどうしたら好意を抱いてもらえるか、どんな反応をしてどうすれば良いか、海途は心得ている。それなのに、追い方すら分からない……
 格好の付けようも無い、そんな自分の不器用な卑しさや強引さを海途は青葉にだけは知られたく無かった。
 
 
 狡賢く足掻いても、どうしても接点が欲しくて、彼女に近付きたかった——
 
 
 星川 青葉は大人びた外見に反して、人懐こく面倒見が良くて、明るい。
 友達のフリして慕ってる奴も、声をかけられず盗み見ていた奴も居る。
 彼女の周りを見ていれば、そんなものはすぐに分かった。
 
 自分も、ずっと青葉を見ていたから——
 
 気付いていないのは、当の本人だけで、笑顔を振り撒く彼女を何度目で追っただろう……——

 高く結んだ艶のある長い髪、そして真っ白な首のうしろには小さなホクロが2つ……
 
 それに気付いた時、誰にも見せたく無いと海途は思った。
 
 
 彼女に、もっと近付きたい……——
 
 
 意を決して、海途はあの日、青葉の背中を追った……——
 
 
 
 髪は下ろしてた方が好きだと言った。
 バカみたいに、幼い自分はそんな事で優越感を覚えていた。見えない首筋、それは自分だけのものだと——

「橘くんピアノ上手。指も凄く綺麗……。私、音楽は全然詳しく無いけど、橘くんの音すごく好き……」

 彼女が気に入ってる曲。

 随分古臭いものが好きだと正直思った。それでも、彼女が好きだと言ったから、弾く気になった。それ以外に理由は無い。
 
 練習の間中、彼女がどんな反応をするか想像すれば胸は高鳴り続けた。

 突然弾いたらどんな顔をするだろう?
 喜んで笑ってくれるんだろうか……
 
 そんな風に思って——……
 
 
 優しく微笑む彼女は純真で、黒い影は微塵も無かった。
 生命力に満ちて、そこだけが光って見えて目が離せなかった。
 
 
 自分だけに見せてほしい——
 自分しか知り得ない彼女を——
 もっと もっと もっと——
 


 それは、突然の出来事だった。
 

 Ωが居る——
 襲われたらしい——
 面白おかしくどうなったか知りたがる生徒……まさかねーとヒソヒソ話す生徒……
 
 αの親は揉み消しに必死で、星川 青葉と何とか接触できないかと周りを巻き込み苦心していた。そしてすぐに星川の家は避難のため家を出たと噂で聞いた。

「……もし、あの場にあなたが居たら、フェロモンに当てられたのはあなただったかもしれないわね」
  
 高校で開かれた保護者会の帰り、海途の母はハンドルを握りながら後部座席に座る海途にそう言った。それは忠告なのか、警告なのか、少なくとも息子の変化に何かを感じ取っていた母親の、慰めだったのかもしれない。



 すぐにでも青葉に会いたい——

 海途の頭の中は、青葉のことでいっぱいだった。
 
 
 でも……会ってどうする?
 自分もαなのに……?
 何を言えば良い……?

 怖がったら?
 拒絶されたら?
 
 彼女のヒートを受け入れて生きていけるのか?どうやって?——


 まだ17、8の海途には何もかもが重過ぎる現実で、抗うには余りに無力だった。


 それでも、何度も何度も海途は青葉に連絡した。無事なのか、声が聞きたい、返事は急いでない、そんな内容ばかり送っても、一向に返って来ない。
 現実をわかっているのに受け止めきれない海途は、感情の行き場所を失った。
 そして急に決まった父の転勤を理由に、周りの目からも逃げる様にして日本を出た。


 
 拒絶——その恐怖を、海途は未だしっかりと味わった事がない。味わいたいとも思わなかった。
 
 
 その相手が青葉なら、絶対に——
 
 
 けれど、それに近いものを、海途は強い衝撃と解く事の出来ない混乱で味わった。
 
 

 休暇で一時帰国した際、海途は家族に内緒で青葉の家に向かった。それなりに勇気を必要としたが、迷いは無い。自分の粘着気質に嫌気がさす、なのに、諦めきれなかった。

 万が一会えたら……——
 
 拒絶されても、怒りをぶつけられても、許されなくても良い。
 
 
 纏まりも無く、偽りの無い気持ちだけでも青葉に伝えたい……——
 重たい現実だと知っていて、それでも他に、青葉に会える理由を海途は作った。青葉が大好きだった海外のマスコットキャラクター……その小さなぬいぐるみを買って、それを綺麗に包装し直し、お土産にした。
 向こうでしか手に入らないものだ。
 
 子供じみている……——それでも、差し出した時自身に向けられる視線は、拒絶ではあって欲しくなかった。
 
 渡せるかも分からない。こんな事しか出来ない、けれど……——そんな情けなくも、予想もつかない僅かな期待を抱いて……
  
 
 だが、着いた先にあったのは何も無い更地と赤い売地の文字だけだった。
 

 海途は声も出せずその場に立ち尽くす。
 
 
 ……考えればすぐ分かる事なのに、なぜ自分は……——
 Ωとバレたら、逃げるしか無い。
 それでも期待していた。
 まだ、消えていない——
 自分達の何かは、まだ残っている——と……


 ——違う、最初に消したのは、恐らく自分だ。自身には、重すぎると早くから理解していた。どこかで見切りをつけていた。十分に、理解していた。
 
 それを、もし、青葉が察していたのなら……——
 
 海途は、自分は根っからの善い人間では無いと少なからず自覚している。
 計算高く、冷酷で、感情のコントロールも出来る。損益と倫理の天秤を、自分はさも何気ない顔で上手く操れる。それでも、誠実であろうと努力はしたつもりだった。
 せめて、たった一人の前だけでは、そうでありたかった。
 
 だから、どうか……——
 
 そもそも、祈りは届くはずも無い。
 偶然さえ神は自分に与えてくれない。値しない、そうはっきりと告げられた気がした。


 気になりながら、罪悪感に苛まれながら、時間の経過と共に薄まっていくこの感情に託けて、それなりに楽しく、むしろ忘れてしまえるならと願った時もあった。

 どうしようもない——
 仕方が無い——
 なす術なかった——

 あの頃の自分は悪くない……まだ幼く、世間も知らず無力だったのだから……——
 そう自分に言い聞かせ続けた。
 
 
 忘れたいのに、忘れられない。
 忘れられないのに、忘れたい——
 
 そんな矛盾した思いも、月日が経てば上手く蓋が出来る術は身に付いた。


 それなのに、彼女は突然現れた。
 
 
 無理やりその蓋をこじ開けて、胸が苦しくなって海途は目が離せない。同時に懐かしさが俄かに喉まで込み上げる。
 
 蓋が、全て開いてしまう——
 その焦りに、我を忘れた。

 だが名札に見知った苗字は無い。


 ああそうか、大丈夫、彼女はこんな場所で思い詰めたような暗い顔をしてアルバイトなんてしていない——
 
 
 10年前の彼女は、星川 青葉はまだ確かにどこかに存在している——
 
 
 きっと困難を乗り越えて、最愛の人を見つけて番にでもなって、綺麗な家で、聞こえの良い肩書を持ち、やり甲斐のある仕事をしながら楽しく暮らしてるはず——

 きっと彼女じゃ無い——
 そんなはずは無い——
 
 じゃ無ければ、海途がそれなりの悩みや困難を以って、過去を見て見ぬフリをし続けた10年間は……
 
 青葉にとっての10年間は……——


 
 そして、真っ白く細い首の後ろに、あの2つ並んだほくろは確かにあった。
 
 あれだけ隠しておきたかった、自分だけの印が。
 
 目の前に、Ω救済ーその書類を持って……
 
 

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