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しおりを挟む青葉は活発で明るい、割と勉強も出来る高校生だった。
毎日が忙しくも充実していて、そんなに深い悩みも無かった。
根拠は無いが、何でも出来る——そんな自信に満ちていた。
自分がΩである……そんな事も知らぬまま——
ただ漠然と、他人事のように……番——その響きに、青葉は密かな憧れも持っていた。
それは中々辿り着けない運命で、まるで御伽話のエンディングのようなロマンがあった。
その後、ずっと幸せに暮らせますよ、という約束のような。
そして、そんな高校生生活の中、青葉にも初めて恋人、と呼べる存在が青葉出来た。
彼がαという噂はあった。
多分そうだろうと青葉も思っていた。 容姿端麗で、他よりも抜きん出た才能があり、他とは違う何かを彼は確かに多く持っていた。
でも彼がαかどうか、青葉は確かめはしなかった。正直どうでも良いと思っていた。感情に勝るものは無い——
だが、それは体質が誘発した感情だったのかもしれない——と後に青葉は思い直す。
お互いがαとΩだから、惹かれ合っただけなのかもしれない……——そう思った方が、胸の痛みは多少軽くなる。
現実を見なさい、と言う自戒になる。
もう二度と、夢見るような事はやめなさい——、と。
このカフェで青葉が働き始めて既に三ヶ月が過ぎた。
一度ヒートも来ている。
丸々2週間近く休んでしまったが、少しふくよかで薄いベージュのメガネを掛けた年配の女性店長は何も言わなかった。
普段は口数少なく大人しい店長は、自分の子供の話になると嬉しそうに饒舌になる。
店長の話に耳を傾ける聞き上手な青葉を気に入ってくれてるのかもしれない、と青葉は思った。
この職場なら、いつもより長く働けるかも——そんな希望も抱いて。
「青葉——」
「晴臣…?なんで?」
新しく働き始めたバイト先にふらっと現れたのは、パキッとしたおしゃれなスーツに身を包み、人懐っこい柔和な笑みを浮かべた青葉の幼馴染だった。
「結婚式の帰り。そういえば青葉の新しいバイト先近かったなーって思って。
新幹線降りて酔い覚ましに歩いたらちょうど良かった」
永瀬 晴臣……
保育園から高校まで一緒だった所詮地元の幼馴染というやつで、青葉と付き合いのある同級生は今は晴臣しか居ない。
青葉のスマホにある連絡先はほんの数件——その一件が晴臣だ。
晴臣と再会したのは、青葉が高級住宅街にあるクリニックで医療事務のアルバイトをしていた時だ。
真っ赤な顔で子供のように熱冷ましのタオルを頭に巻いた晴臣は、青葉の前に不意に現れた。
具合の悪そうな晴臣は、青葉の顔を見るなりこれ以上無いほど驚いて、そしてにっこりと嬉しそうに笑いかけた。
その笑みは、確かに青葉の武装解除の第一手になる。
懐かしく、暖かく、どこか柔らかい——そんな感情に青葉は包まれた。
だが、それでも尚他人のフリを突き通そうと頑なに構えた青葉を、お見通しとばかりに晴臣は巧みに転がして青葉の懐にするりと入り込んでしまった。
晴臣は、誰にでも好かれるという特技と魅力がある。そして青葉には、湧き上がるような懐古のという隙があった。
勝手知ったる仲の晴臣との今の関係は、青葉にとっても決して居心地の悪いものでは無い。
「ああ、そう言えば先週そんな事言ってたね」
青葉が目線を上にあげて、そんなやり取りを思い出す。
「もう終わるだろ?飯一緒に行こ」
頬がほんのり赤い晴臣がそう言う。
その息も、心なしかアルコールを含んでいた。
「結婚式行ってたくさん美味しい料理食べたんじゃ無いの?」
青葉が首を傾げる。
「それは昼。飲んでばっかで腹減って……」
そう言いながら、晴臣はフーッと大きな息を吐いた。
勧められるままに飲んだに違い無い——そして、晴臣は律儀にそれを何度も飲み干した事だろう。いつものような、人の気を緩ませる、どんな相手の懐にも入り込んでしまう百戦錬磨の笑みで——
バイト終わりの青葉と晴臣が向かったのは、駅の地下にある比較的リーズナブルなうどん屋だ。
「体調どうなの」
小さな机に向かい合わせに座り、うどんを食べ始めてすぐ晴臣は視線をうどんに落としたまま、青葉にそう尋ねる。
「……ヒートの事?」
晴臣に隠す事でも無いが大きな声でも言える話題でも無い。だが青葉に気まずさは無かった。
「まぁ、それもあるけど。まだ1日一食生活してんの?」
晴臣がチラッと視線を上げる。
あくまで重苦しく無い雰囲気で会話は進んでいた。
「一番健康に良いのは一日一食か二食らしいよ。ヒートは周期も安定してるし、健康で何も問題無い」
そうカラッと言いながら、青葉が麺を啜る。
今日初めての食事を、確かに青葉の体は貪欲に欲していた。
それにしたって……——
と晴臣は青葉の手首や首筋に目を遣る。
細く、色白の皮膚の下に血管が透けて見える……
痩せているせいか、確かに見た目は高校の時のままと言って良い。
丸くスッとした輪郭、少し焦茶の長い髪……
だが頬は薄らこけ、髪には艶も無い。
顔は青白く、目元には黒い影が出来ていて、色白だから余計に目立つのに本人は気づいていないのだろうか——と晴臣は表情に出さずに何度も青葉をチラチラと窺った。
職が安定しないからお金が無いし食事は抜いてる——と不意に溢した青葉の言葉を聞き逃す事なく晴臣が拾ったのは、再会して間もない頃だった。
安定しないのはヒートのせいなのは聞かなくても晴臣には理解出来る。
かと言って余計な心配は青葉を追い詰める——青葉がそういう奴だと、晴臣は知っていた。
青葉には、青葉の自尊心というものがある。
不意に溢してしまった言葉は、本意では無いはずだ。
心配のし過ぎは、青葉にとっては余計なお世話……重荷に変わってしまう。
弱音を吐く姿は、青葉が望む自身の姿ではきっと無いのだろう。
けれど、それでもどこか晴臣には気に掛けずにいられなかった。
「そっか……まぁ無理すんなよ」
晴臣も軽く流すようにそう返す。
分かっているから、口には出せない。
出せば、青葉はまた……と晴臣の箸は一瞬止まる。
「結婚式、どうだった?」
青葉は話題を変えて、そう晴臣に尋ねる。
「良かったよ、高校の時の奴だったから、軽い同窓会みたいなもん……」
隠す理由も無いので晴臣がそう言うと、ほんの一瞬青葉の箸も止まる。だが、また何も無かったように動き出した。
「そうなんだ。じゃあ私も知ってる人かも。……結婚式ってやっぱり楽しい?行った事無いから行ってみたい。晴臣が結婚する時は呼んでね、絶対」
青葉がそう言って晴臣を見ると、晴臣もうんうんと麺を啜りながら笑って適当に頷く。
「しかし結婚式多すぎてご祝儀貧乏なんだよな。ここ奢ってよ青葉」
啜る合間に晴臣が悲しそうなため息を漏らすと、青葉はジトっと晴臣を睨んで小さく笑う。
「何を仰いますか、弁護士さんがさもしいアルバイトに集るなんて」
「今の俺の財布には何も入ってない」
晴臣が少し語気を強めてそう言うと、青葉は晴臣のわざとらしい態度に対抗して見せつけるような笑みと溜め息をわざとらしく吐いて見せる。
「大丈夫、先生カードか電子マネーでいつも払ってるでしょ」
先生って言うなと、晴臣が怒るような振りして笑うと、青葉も可笑しくて一緒に笑った。
ここまで青葉が砕けて話せるのは、晴臣だから……——青葉の生い立ちも高校までの人生も知ってる晴臣だからだろう。
青葉がお手洗いに行くと席を立つ。
手持ち無沙汰になった晴臣が、スマホで電話やメールを確認し、不意に自らのsnsを開いた。
「10年か……」
スマホを見つめながら、とある投稿を目にして晴臣はそう独り言を呟く。
空港で美女と抱き合う絵に描いたようような容姿端麗で自信に満ちたスーツ姿の見知った男と、それを囲むの友人達。
サプライズの文字と止まらないコメント数——
「随分幸せそうじゃん……そっちは……」
晴臣の意思に反して、どこか冷めた小さな笑みが漏れる。
その短い動画に溢れるお祝いや称賛の言葉……完璧に作り上げられたその空気感に、晴臣はどこか冷ややかな視線を送った。
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