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第1章 ニート・イズ・マイライフ

八百屋の店主って優しくないですか?

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 (あれ?私生きてる?)

 目の前で大きなライオンが鋭い爪を立て、襲いかかってきていたはずだ。逃げることもできず目をつぶって、ただ死を待つ状態だった筈……。

 _____筈なのに
 
  突然の強風に見舞われ、さらに雨でも降ってきたのだろうか、空から降り注ぐ水飛沫を肌で感じる。

  何が起こったのだろうとハルが恐る恐る目を開ける。

 そこには、振り下ろされた腕を動じる気配もなく、ただいつもの様に気怠そうに、こちらを向いて、片手で受け止めているサクの姿があった。

 「たくっ。何やってんだお前。だから無闇に近づくなって言っただろうが」

 サクは余裕そうな顔で話しかけてきている。いつもと変わらない調子。家でハルに暇つぶしでもするかの様につく、いつもの悪態。

  しかし、そんな後ろで黒獅子が反対の腕を振り上げた。明確な殺意の元、まさしく獲物を狩る獅子そのものだ。

 「危ない!」

  ハルが咄嗟に声をかける。

 しかし、サクは振り返ろうとすらしない。

 「でかい声出すなよ」

 サクは、空いているもう一方の手で耳を塞ぎ、そのまま振り下ろされた黒獅子の腕を、まるで鬱陶しい虫を払うかの様に、軽くポンと拳で弾く。

 軽く小突いた様に見えるその拳を受け、黒獅子は後ろへと大きく仰け反った。

 何がおきたのか黒獅子にすら理解ができなかった。

 目の前にいる男からは何も感じられない。野生で育っている黒獅子は普段、自らの身を守るため強者を前にしたときに、その強さを計り取る勘は非常に敏感に養われている。

  つもりだった__。

 しかし何度も言う様に、この男からは強さ、オーラの様なものを感じない。脅威を全く感じ取れない。だからこそ確実に殺れる自信を持って、腕を振り下ろしたのだ。

 なのにこの男は

 サクは黒獅子の方へ振り返ると、シッシッと手で、去るように命じる。

 黒獅子はしばらくグルルと喉を鳴らしサクを睨みつけていたが、諦めた様に振り返り体を元の子猫の姿に戻し、駆けていった。

 恐ろしかったのだ。得体の知れない、今まで感じたことのない類の恐怖を覚えたのだった。



 大丈夫か?とサクは腰を下ろしハルの顔を覗き込む。

 (死ぬかと思った本当に。)

 遅れてやって来た恐怖と、助かった安堵から涙をこらえることができなかった。

 ハルは大泣きしながらサクに抱きつく。

 「お、おい!お前離れ…………。はぁ、まぁ、なんだ。無事でよかったよ。本当に。」

 サクは照れ臭そうに鼻の頭を掻き、ハルの頭にそっと手を置いた。







 (気まずい……。)

 一通り泣き、冷静になったハルは、サクに抱きついた自分の行いを激しく悔やんでいた。

 お互い何となく目を合わせることができない。

  しばしの沈黙が流れる。

 こういう時に口を開くのは、やはりサクだ。

 そろそろ行くぞ、とハルの背中をバンッと叩くと立ち上がり、一人でそそくさと歩き出した。ヒリヒリする背中をさすりながら、ハルも笑顔で後に続く。

 

  それから、また結構な距離を歩き、大きな山の麓に辿り着いた。さっきの湖が半分だと言っていたけど、この後半はもっと距離があったように感じる。

 少しだけ前を歩いていたサクは、麓に立っていた小さな立て看板に肘をかけて、そこに書いてある文字を指差した。

 【キジーのお家はこちら】と書いてある。

 「ねぇ、もしかして……」

 「よし、登るぞ」

 (やっぱり……。)

 「嘘でしょ、この山登るの?」

 もう日も落ち始めている頃だ。いまから登っていたら明日の朝になりかねない。

 「嫌なら俺は帰ってもいいんだぞ?行きたいって言ったのは誰だったかな、俺だったかな?あれ?」

 (くっ。よくもここまで嫌味たらしく言えるものだ。分かってますよ私ですよ。私が言いましたよ。はい。でも……。)

「なんか楽に行ける方法ないの?空飛ぶとか異世界ならそういうのあっても……」「無い」

 即答。

 「まあ、例えば。例えばだけどな、導の門とかがありゃ一瞬で行けなくも無いが、そう都合よく出てくるもんでも無いしな。諦めて登れ」

 (この人は、何故こんなにも元気なのだろう。疲れている様子もない。普段あんなダラけた生活送ってるくせに。実はひっそりと運動でもしてるんだろうか。)



 サクが足を進めようとすると後ろから、あ!とハルが大きな声を出した。何だと声をかけようとするやいなや、突然腕を引っ張られ後ろによろめく。

 「ほら、サクあれでしょ!やった!」

 突然元気になったハルの指差す方には導の門と思われる光のゲートがあった。以前のように壁に対してではなく、何もないくうを切るようにそれはあった。

 ハルはサクの腕を引き、門に向かって走り出す。

 「ちょっと待て!ハル!そう簡単に__」

 引き止めようするサクだったが、態勢を崩したまま引っ張られ、抵抗虚しく二人は導の門をくぐった。



 前回、門を潜った時と同様に視界を激しい光が覆い、しばらくして目が慣れ始める。

 「え?」

 ハルが驚くのも無理はなかった。

 「サクの家……?」

 目の前に広がる見慣れた光景は、間違いなくサクの家の中だった。

 「ねぇサクこれって」

 振り返り、またも驚きの表情を浮かべる。

 そこにサクの姿はなかったのだ。

 「サク!?」

 ハルは家の外に飛び出して辺りを見渡すも、やはり姿はない。

 家の中に戻り、状況を整理してみる。

 (一緒に門をくぐったはず。潜る瞬間まで腕を掴んでいる感触があったから間違いない。サクの少し焦った様子からして、二人で通ってはいけない決まりでもあるのだろうか……。そもそも何故この場所に導かれたのだろう。そしてサクはどこに導かれて……。)

 (うーん。まあ、でも……。いっか。疲れたし。)

 「異世界って難しいな」

 今までに理解できないことが何度もあったせいで、あまり深く考える気は起こらなかった。考えても無駄だということを知っている。この世界は思考の範疇を超えているから。

  (……もう何でもいいや。サクも時期に帰ってくるだろう。今日はもう疲れた。明日また行けばいいや)。

 立っているのもしんどく、床に寝転がる。

  「サクもどうせ怠そうに帰って来て、おい!飯!とか言って……あ!」

  ここでハルはある事に気がついた。

 「今日のご飯がない!」

 しまった。向こうの世界に帰るつもりだったので、今日の夕飯を作るだけの食材が無い。

 疲れているのでこのまま寝てしまっても良かったのだが、今日はサクも頑張ってくれた。

 何より、自分の危機を救ってくれたのだ。

  帰ってきたらきっと勝手に門をくぐった事に文句を言われるだろうけど、美味しいご飯くらい作って待ってていてあげよう。

 ハルは疲れきった体を起こすと買い物をしに街へと出た。



 「そういえば、サクは何が好きなんだろ」

 いつも行く商店街へ足を運びながらふと、そんな事を考えていた。思えば聞いたことがない。何でも食べるからなあの人。

 「うーん、カレーでいいかな」

 (一番自信のある料理だし。いいよねカレーで。美味しいって言ってくれるかな。)

 そうと決まればまずは。行きつけの八百屋へ足を運ぶ。



 「こんばんは」

 「あら、ハルちゃんいらっしゃい。今日は珍しく遅い時間だね」

 お婆さんが暖かく出迎えてくれる。

 「今日は少し外に出てまして」

 そうかいそうかい、と和かに相槌を返してくれる。

 「それにしても今日は人が多いですね。なんか催し事でもあるんですか?」

 「……人?」

 お婆さんが眉間に皺を寄せ、少し怖い顔で聞き返してくる。

 (あ……。しまった。)

 「いや、あの、今日は非人が多いですね」

 危ない危ない。人って言葉は気にして、なるべく使わないようにしていたが、言葉は同じなので、ついつい発音を間違える。

 「ああ、今日は月に一回の安売り市だからね。うちの野菜も安くなってるのよ。ジャンジャン買って行ってちょうだいね」

 お婆さんは、いつもの優しい笑顔で勧めてくれるが明日には、もうこの世界にはいないし一日分でもと思ったが、あのサクが二日も連続で外に出てくれるだろうかと考え直した。

 「じゃあ、四、五日分買って行っちゃいます!」

 (きっと四、五日あれば、あのニートも出る気にもなってくれるだろう。)

 サクに対するハードルが知らず知らず下がっていた。もう少し下げなければいけないかもしれないけど。

 「ありがたいわ!そうだ!」

  お婆さんはハルに近づくと小声で話し始めた。

「今日ね、とっておきの食材が入ったんだけど、どう?すっごい美味しいわよ。安売りの間は出すつもりなかったんだけど、ハルちゃんになら特別ね」

  みんなには内緒よ、とウインクで合図されたので、思わずこちらも、わかりましたとウインクで返す。

 「ありがとうございます!」

 なんていい人……いい非人なんだ。

 (サクも喜んでくれるかな?)

 自然とサクの喜ぶ顔を想像してしまい頭をブンブンと横に振る。

 (何考えてんのよ私は……。)

  「きっと旦那さんも喜んでくれるわよ」

  「だっっ旦那じゃないです!ただの同居人ですよ!」

  いつも二人分の食材を買うので、お婆さんは、どうやら勘違いしているらしい。

 「ただちょっと、まだ蔵にしまっていてね。申し訳無いんだけど、運ぶの手伝ってもらってもいいかしら?」

 「もちろんです!」

 
  ハルは、お婆さんについて店の裏の蔵に入る。

 蔵というより倉庫だった。壁も石造りになっており、中は結構な広さがある。積まれた箱には大量の野菜が入っているようだ。

 「多分その辺にあったと思うんだけどねえ。ちょっと見てくれるかい?」

 お婆さんが指差す方向を探し始める。

  (ん?そういえば。)

 「あの、私その野菜がどんなのかわからないんですけど特徴とかありますか?」

 なんて名前の野菜なのか聞いてなかった。聞いても向こう世界と名前が違えばわからないのだが。

 しかし、お婆さんからの返答がない。

 「あれ?お婆さん__」

 振り返ろうとした時……


 
 ゴンッ────



 自分の右半身に、とてつもない衝撃が走った。硬い金属の塊で思いっきり殴られたような、いやそれ以上の衝撃を。

 ハルの体は一瞬にして吹っ飛び、いくつも積んである箱の山を突き抜け、壁に勢いよく激突する。


 「うぅぅゔぅぅゔぁぁぁ!!!よぐもっっよぐも、私の可愛い息子をぉぉぉぉぉぉ」

 ハルが元いた場所の少し後ろ、お婆さんが立っていたはずのその場所に目をやる。

 
その場所には……


 丸太のような太い筋肉に覆われた手足に、身長三メートルはあろうかという恐ろしい怪物が立っていた。
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