Last Smile

神坂ろん

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第0章:Prologue

プロローグ

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「ごめんな、湊…」



いつもならきっちりと着こなしている筈の父、朋也のスーツが少しよれていたのは、
この降り続いてる雨の所為だと幼かった俺、月嶋湊は思った。



俺と父さんは、閑静な住宅街の一角にあるマンションに二人で暮らしていた。

母親は体が弱く、俺を生んだと同時に亡くなったと父さんから聞いた。

寂しくないと言えば嘘になるが、朝から夜まで仕事を頑張ってくれて、
家に帰宅すれば家事全般をこなす父さんにそんな事は言えるはずがなかった。





大変な筈なのに。



辛いはずなのに。



一番泣きたいのを我慢してるのは父さんの筈なのに。



父さんは俺の前でいつも笑顔だった。

明るくて、面白くて、一緒に遊んでくれて…。

俺にとって、最高なとても大好きな存在だ。



でも俺は知ってるよ。

俺が寝た後1人で声を殺し、肩を震わせて泣いてたことを。





それなのになんで?

なんで謝るの?

なんでそんなに辛そうな顔をするの?



マンションのすぐそばにある公園に連れてこられた俺は、大雨の中愛用していた紺色の傘を差し、
立ったまま辛そうに謝る父さんを真っ直ぐ見つめた。



「父さん、どうして謝るの?」

俺の問いかけに父さんは更に辛そうな表情を浮かべて黙りこんだ。



そしてもう一度『ごめん。』と呟くと、俺の目線に合わさるようにしゃがみ、
雨のせいで冷えつつあった俺の手を取り、持っていた傘を握らされた。

いつもは暖かかった父さんの手は冷たくなっていて、渡された傘を落とさないように
握りしめながら不安気に父さんを見た。



「ごめんな、湊。父さん…これから少し、出掛けなきゃいけないんだ。だからここにいるんだ…わかったな?」



絞り出すような声で告げた父さんは、傘を俺に渡した所為でびっしょりと濡れていた。

いつもワックスで固めている髪の毛も雨でしっとりとしており、スーツは大量の水を吸い込んだせいか重そうだ。



「うん。」



父さんを真っ直ぐ見つめながら頷いた。

今まで一度だって見た事ない父さんの切なそうな表情、そして目尻に溜まった涙は
行き場を無くしたように静かに流れ落ちた。

同時に立ち上がった父さんは、俺の方に背中を向けるとゆっくりと歩き出す。



とう…さん…?



「とうさっ…」

「湊。…頼む、何も聞かないでくれっ…。」



歩いていた足がピタリと止まり、振り返らずに父さんは俺の言葉を遮った。

寒さなのか、涙を堪えてる為なのか見上げた先の大きな背中は震えており、
発した声色にも震えが混ざってると子供の俺ですら理解できた。



「ごめんな湊、父さんこれから仕事に行かなきゃ行けないんだ。」


背中越しに話していた父さんが振り返ると、その優し気な目元にはもう涙はなかった。

変わりにいつもと変わらない笑顔の父さんがいた。

ついさっきまでのあの表情はなんだったんだろう
そんな思いを抱くと同時に、変わらない父さんの笑顔にほっとしている自分がいることに気づいた。



「湊、出かける時に相手にかける言葉はなんだ?」



いつも言ってるだろう?
そう言いたげな視線を向けられ微笑んだままの父さんは、ネクタイを整えるような仕草を始めた。



―!いつも父さんが出かける前やること…っ!



ルーティンと呼ばれる行為とまではいかないが、会社に出勤する時に必ずやる父親の行動を
覚えてない訳がなかった。

さっきのは気のせいだろうと自分に思い聞かせると、俺は傘を持ってない方の手を頭上まで上げると
大きく手を振る。





「父さんいってらっしゃいっ!」





少し離れた先に立つ父さんに向かって、音が出そうなほど手を振りながら満面の笑みを浮かべた。

少しだけ先に立つ父さんは俺の答えを聞くと一瞬目を大きくし、「正解。」とだけ言うと
俺に答えるように満面の笑みを浮かべる。





父さんはいつも言っていた。

笑顔を忘れなければ絶対に幸せになるって。良いことがあるって。

だから俺は笑顔でいる。

いつだって笑顔で父さんを送り出すって決めたから。

母さんの代わりになんてならない事位自分だってわかってる。



でもそれでも良かった。



一生懸命育ててくれた父親だから俺が我儘言って泣いたりしたら駄目だから。





「…じゃあな。――さよなら」



再び背中を向けた父親は持っていたビジネスバッグをぎゅっと握るとコツ、と革靴独特の音をたて歩きはじめる。



しかし、最後に放った雨でかき消されそうなほど小さな言葉はしっかりと湊の耳に届いた。















「まったく父さんってば。出掛けるときは“行ってきます”だよ!」





次第に小さくなっていく父さんの背中越しに言い放つと、まるで父親が子供に言いつけるような言い方になっている自分に気づき噴出した







それから









―――俺の元に父さんが帰ってくることはなかった





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