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8.ヒイラギナンテンは、激しい感情を伝える

幸せにしたい

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 ◇◆◇


「――香乃!」

 突然名前を呼ばれて、わたしは振り向いた。
 そこにいたのは、この近くにある、お金持ちの子供が通うという有名私立学校。確かこのデザインは中等部のはず。高校二年生のわたしにとっては年下の男の子だというのに、どこかわたしより年上のような、大人びた雰囲気がある。
 ハーフなのだろうか、その瞳が蒼く、神秘的で惹き込まれてしまった。
 なぜだろう、彼を見ていると胸がぎゅっと苦しくなる。

「ようやく、見つけた!」

 彼は泣き出しそうな顔で、わたしを抱きしめてくる。
 あまりの驚愕に口をぱくぱくさせたまま体が固まってしまったけれど、彼から漂う……わたしが大好きな花の匂いに、目を細めた。
 それは、勿忘草の香りだ。彼の瞳の色の花のような。
 しかし、じろじろとした通行人の視線に気づいたわたしは、はっとして彼を突き放した。

「突然なにするの!? 初めて会うのに」

 すると彼の目が大きくなる。

「初めて? 香乃……俺だよ。穂積だ。真宮穂積だ」
「知らないわ!」

 本当に知らないのに、知らないと言った途端に、胸が締め付けられそうになる。
 彼がなぜわたしの名前を知っているのかかわらない。
 だけど、わたしは彼を知らない。
 だから、無性に怖かった。



 ある日、下校時の高校の校舎がざわついていた。
 なにやらイケメンがいるらしい。
 わたしは、テスト結果一点差で男友達に負けてしまったために、彼にアイスを奢るため一緒に門を潜ったところ、ひとだかりが出来ていた。
 野次馬根性でどんなイケメンがいるのか背伸びして覗くと、そこには穂積と名乗った中学生がいた。目が合ってしまった瞬間、わたしは別に悪いことをしたわけでもないのに身を縮めてこそこそと逃げようとした。訝る男友達の手を引こうとした瞬間、わたしの手の方が引かれる。
 それは――穂積だった。

「そいつと行かないで」

 彼は男友達をキッと睨み付ける。すると怯んだ男友達は、わたしを残してさっさと退散してしまった。
 なんなの、やっぱりこの子、怖い。



「また来たの? あのね、だから人違いなんだって」

 下校時、気づけば穂積がいつも傍にいる。
 ストーカーかと思うのだけれど、最近なんだかんだと居心地いいことに気づく。

「人違いでもいいんだ。少しでも香乃と一緒にいられれば」

 彼は上品で控え目で、決して威張らない。
 いいところのお坊ちゃまみたいだけれど、なぜか花に詳しい。
 花の先生がいたんだって、過去系で笑った彼の顔が、ひどく悲しげだった。
 ……きっと死んでしまったんだね。
 だからわたしは、路肩に咲いていた勿忘草を摘んで彼にあげた。

「きっとそのお花の先生も言っていると思う。『私を忘れないで』って」

 すると彼は花を受取り、蒼い瞳から涙を零した。
 ……初めてだったの。男の子が泣く姿は。
 だからだと思う。胸を掻き毟りたくなるほどの衝動と罪悪感が芽生えたのは。
 その瞬間から、彼は……穂積は、私にとって忘れられない男の子になった。



 冬の寒い日、家にまで送ってくれた穂積に貸したマフラーが戻って来た。
 ふわりと勿忘草のいい香りがする。
 紙袋の中に、折りたたんだ手紙が入っていた。
 この勿忘草の便箋は、文具コーナーで一目惚れしたわたしに、穂積が買ってくれたもの。自分も気に入ったから買っただけだってお金を受け取ってくれないから、一枚あげたの。
 それをもう使うなんてと思いながら開いてみる。
 『明日、話したいことがある。六時にあの公園で待っている』
 ドキドキしながら翌日となり、そういう時に限って司書の先生が本の整理を頼んでくる。図書委員だから仕方がないとはいえ、本当に今日だけは勘弁して欲しい。
 時刻は七時。その日は雪が降っていて、さすがにもう待っていないだろうと落胆して一応公園に行ってみると、穂積が赤いほっぺをして待っていた。
 わたしを見た時の彼の笑顔に、心臓が鳴り止まない。
 遅れたことを謝ると、彼は緩やかに頭を横に振る。

「大丈夫。香乃を待つことには慣れているから」

 わたしそんなに遅刻魔じゃないよと怒ったら、彼は笑ってわたしの手を握った。
 そして笑いを消した真剣な顔で言ったの。

「俺、香乃が好きです。俺と……付き合って欲しい」

 ……わたしもいつの間にか彼を好きになっていた。
 だから嬉しくて、頷きながら泣いてしまったら、彼が困ったように抱きしめてきた。
 わたしの大好きな勿忘草の香り。
 顔を上げると、彼はじっとわたしを見つめていて……その日、ファーストキスを経験した。



 何度もキスをした。
 彼はその先に進みたがっていたけれど、わたしの方が怖くて。彼はわたしの頭を撫でてわたしのペースでいいよって諦める。
 わたし年上なのにお子様で、穂積が大人の顔を見せるたびに逃げ出したくなるの。
 可愛い穂積、格好いい穂積、妖艶な穂積。
 どれが本当のあなたなの?
 可愛い穂積だけでいいのに。
 こんなに拒んでいたら、嫌われちゃうかな。
 いやだよ、こんなに好きなのに。



 付き合って一年。穂積にピアスを買ってみた。
 大好きな勿忘草色した、彼の瞳と同じ色の。
 すると穂積もわたしに誕生石のピアスを用意してくれていた。
 お互い、ファーストピアス。
 いつだってわたしの初めての相手は、穂積がいい。
 ……覚悟を決めよう。わたしだって穂積とひとつになりたいもの。
 そう思い、彼を旅行に誘った。
 日帰りだと思っている穂積に、泊まりたいと小声で言う。
 可愛い下着、つけていくからと言ったら、穂積がわたしのピアスよりも赤くなってしまった。



 わたしは初めてお母さんに、友達の家に泊まると嘘をついた。
 彼氏が出来た話はしていたけれど、名前を聞いた途端、顔色を変えた。
 お母さんが言うには、そんな大きな家の御曹司と釣り合うわけないのだから、傷が浅いうちに別れなさい、とのこと。どれだけ好きなのか言ったけれど、とりあってくれなかったから。
 だけど旅行当日、お母さんにばれてしまった。
 そして部屋に閉じ込められたから、わたし……窓から外に出たの。
 穂積に会いたい。穂積と一緒にいたい、その一心で。
 待ち合わせには穂積がいた。
 彼は浮かない顔をして、わたしに冗談交じりに言った。

「このまま、駆け落ちしようか」

 問い詰めれば、彼は彼で親に交際を反対されているみたい。

「俺、香乃以上に大切なものなんてない。香乃と幸せになりたい」

 彼は、震える声でそう言った。
 大人からみれば、世間知らずな子供のままごとだと思うかもしれない。
 だけどわたし達は本気だ。

「香乃が見つかったのなら、もう真宮なんていらない。俺、学校を辞めて働くから。子供のうちは貧乏かもしれないけれど、絶対香乃に苦労はさせない。だから……」

 わたしは穂積の手を握った。

「わたし、穂積についていく。駆け落ちしよう」

 本気なの。心の底から穂積を愛している。
 大人に言われて諦められる恋じゃない。
 穂積は、わたしの運命のひとだって信じている。


 信じていたのに――。


 碧眼と真紅の血がわたしを恐怖に狂わせる。


「来ないで、来ないで! いやああああああああ!!」


 ◇◆◇


「――香乃?」

 香乃は泣きながら目を覚ました。

「怖い夢でも見た?」

 隣には、香乃が渡したピアスをつけた、大人になった穂積がいる。
 ……あの時間軸の延長に、彼はいてくれた。
 
「……あなたと付き合った時の夢を見たの。高校時代の。わたし……思い出したみたい、あなたとのこと、全部」
「え……」
「勿忘草の便箋、穂積からのプレゼントだったんだね。どうしてわたし、自分で買ったなんて思ってたんだろう。その便箋で大学時代、あなたにラブレター書くなんて、どれだけ記憶をなくしているわたしの心に、穂積がいたんだろう」

 穂積は体を起こして香乃を見る。

「高校時代、わたし本気であなたについていくつもりだった。それなのに……自分の恐怖から逃げ、そしてあなたからも逃げてしまった。記憶まで無くして……どう謝っていいのか」

 涙を滲ませると、穂積は吐息をついて自分の胸に香乃を引き寄せた。

「今、香乃はここにいる。それでいい」
「だけど……」
「俺は同じ女性に何度も恋をした。何度忘れられても、そのたびに香乃は、新たに思いを返してくれた。そして今、俺の腕の中にいる」
「……っ」
「俺は幸せだよ」

 穂積は優しく微笑んだ。

「穂積……」
「だけどひとつ。きちんとしたプロポーズはまたさせて欲しい」
「え……」
「今の俺は、愛のために突っ走って中学中退して働こうとしていた、向こう見ずだったあの頃の俺じゃない。ちゃんと香乃が幸せになる舞台を整えて、迎えにいく」

 香乃は嬉しそうに微笑むと、穂積の胸に頬をつける。

「わたし、高校時代も切なくなるほど、あなたが好きだった。我慢させてごめんね」
「……そんなことはいいんだよ。俺は……香乃がいてくれればそれでいいから」
「じゃあもうしない?」

 上目遣いで聞いて見ると、穂積が唇を尖らせた。

「する。香乃の味を知ってしまったら、もう俺……無理」

 そんなことを言いながらも、彼はまた待っていてくれたのだ。
 母との約束のために。

 我慢ばかりを強いてしまった分、今度こそ穂積を幸せにしたい。
 そう言うと、穂積は笑った。

「幸せにしたいと口にするのは、男の俺にさせて。俺はもう十分、幸せなんだ」
「……っ」
「全部思い出して、体は大丈夫? 気分悪くなったりは?」
「……苦しいかも」
「え? 胸? 頭?」

 本気で心配する穂積に、香乃は微笑んで言った。

「わたしの心。欠けていたピースが嵌まったら、今まで以上にあなたが愛おしい。好きで好きで苦しいの。どれだけあなたのことをその都度好きになっていたんだろう。これだったら記憶を無くしていた方が楽だったかも」

 すると穂積は泣いているように笑い、香乃に口づけた。
 どこまでも優しい口づけだった。
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