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7.ダチュラは、偽りの魅力で陶酔させる

形勢逆転

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「理人、なぜだ!! 私はお前にずっと言い聞かせていたではないか! お前は穂積の監視役だと。来たるべき時、お前が私と共に仕えるべき存在は奥の院に居ると」

 執事が騒ぐ。
 すると河原崎は、小指で耳を穿って見せた。

「あ~、昔にそんなことを言われたような気もしますねぇ。だけど奥の院に何が居るかも教えてくれないようなそんな状況では、仮に忠誠心があったとしても偽り。そんなものなど、家を出る時は綺麗さっぱりなくなってましたよ」
「理人!!」
「ここにいるのが高貴な御方であろうとなかろうと、真宮を使って日本に革命が起きようが起きまいが、俺にはどうでもいいんですわ。いいですかね、親父殿。あんたは親の思考そのものを継承するのが、子供の当然の義務で尊い信念と思っているようだが、それをどう受け取って動くかは子供の自由。子供は、親の意のままに動く人形じゃない」

 ……香乃には、河原崎と執事が、この屋敷でどんな関係を築いていたかはわからない。
 だが、何かが瓦解したような執事の顔を見れば、河原崎が面と向かって辛辣な意見を述べたのは、初めてのことなんだろう。

 そして河原崎の言葉は、奥の院の碧眼女を母と信じ、母の教えを香乃に押しつけようとした香乃の母親にも言えることだ。
 子供にも、子供なりの意思があることをわかって貰いたい。
 それはきっと穂積も同じ想いだろうと思う。

「あんたは自らの意思で作り上げた誇大妄想に浸り、それを現実にしたいがために他人を犠牲にしたにしか過ぎない。それを受け継げって? 冗談じゃねぇよ。あんたは聞こえないのか? あんたがアナスタシアだと信じる女の体から、あんたに切り刻まれて貼り付けられた女達の恨みの声が」
「そんなもの……」

 しかし執事の顔色が突如変わる。

「なんだ、この声は……」

(声? なにも聞こえないけど……いや、ちょっと待て。なにか……)

 しんと静まり返った中から、微かに声が聞こえたのだ。

『痛い、痛い……助けて……』
 
「ひっ!?」

 香乃は思わず穂積にしがみついた。
 穂月だろうか。
 しかしその口も表情もなにひとつ変わっていない気がする。
 そんなことをするような雰囲気にも思えない。

(支配人が言っているんだわ。きっとそうよ)

『返して……ワタシノ、カラダ……』

 またか細い声が聞こえると、香乃以上に大仰なほど、執事が恐怖の声を上げた。

「やめろ、やめろ、やめろー!!」

 香乃の視界の中で、執事の体にぴしりぴしりと皹が入ったような気がした。

 そして執事は――。

「あんたの使命とやらからいけば、穂積とあんたの愛する女とを掛け合わせて、子供を残さないといけない。それを俺に使命だと強制するのなら、そんなことはまっぴらごめんだ」

 執事は両膝をつき、だらしなく開いた口から声を漏らす。
 それは、不可解な笑いだ。

「穂積を、俺のような……あんたの欲の犠牲にさせてたまるか!」

 あははは――執事は力なく笑う。
 もう彼の耳は誰の声も届かず、その目には誰の姿を映していない。

 怖がっているような愉快そうな、そんな笑いをする執事は、今どんな幻想を見ているのか。
 彼の信念は、我が子かも知れない存在に揺らぎ、我が子だと断定していた存在に壊された。
 彼が大切にしている、尊き血筋を持つ我が子達にて。

 やがて口を開いたのは、穂月だった。

「……リヒト。お前はオレを謀っていたのか?」
「謀るもなにも、さっき初めて会ったばかりじゃないですか。忠誠心を持てと言う方がおかしな話だ」

 河原崎は鼻で笑う。

「お前はオレに、傅いて言ったじゃないか!」

――今まで、〝監視〟を疑われないよう振る舞っていただけ。……それがなにか?

「ええ、言いました。穂積から、俺の親父を監視しているように申しつけられてましたので」
「え!? いつ!?」

 平然と言い除けた河原崎に、思わずそう尋ねてしまったのは香乃だった。

「明確な指示はないが、あえて言うのなら……当主を待って控えの間にいた時。監視カメラを探せと穂積に転がされ、見つけたと合図した時から、穂積から命を受けたのさ。あそこで話している計画はわざと聞かせるためだけのもので、実際のところは監視している人間を監視するようにと。いわば二重スパイ?」
「監視、カメラ……合図……」

(初耳なんだけど!)

「外部の者を極端に奥の院に近づけさせたくないために、監視カメラを置いている真宮の家で、外部の者が出入りする場所になにもない方がおかしいだろ。それに間取り図が二種あることを認めながら、次期当主がいるのにわざわざフェイクのものを持って来て、すぐにひっこんだあたり、触れられたらいけねぇものがあるんだって宣言されたようなもんだ。監視され、俺達の動きは筒抜け。詳細はわからなかったから、当主がどう親父に絡むのかを確認するためにも、穂積がその監視を利用して二重計画を企てた。すると、この期に穂積をなんとか出来ると調子に乗った輩が、表に出てくる出てくる」

 河原崎がにやりと笑うと、穂積も同じようににやりと笑う。

 彼らと同じ場所にいたのに。誰よりも穂積の近い場所にいたのに。
 どうして、自分にはわからない意思疎通がなされていたのか。
 香乃が愕然としていると、穂月が僅かに怒気を含ませて言った。

「ならば、お前がみーと戦い、簡単にみーを制したのも……」
「無論、手加減してくれた穂積に勝っただけ。悔しいことに、穂積は俺よりずっと強いんですわ。だから戦う前に目で合図していたんですよ。いやあ、久しぶりに穂積に勝って気分はよかったですがね。しかし……こんなに近くにいて、そんなやりとりもわからないということは、随分と節穴な碧眼をしていらっしゃいますな。本当に高貴なんですかね?」

(いやいや、碧眼じゃなくてもそんなやりとりがあったことなんて、誰もわからないから!)

「ではお前は疑われないために、わざわざ仲間であるその娘を差し出したというのか!?」

 その娘とは、圭子のことだ。

「手土産なければ信じないでしょう? 仲間かどうかは微妙ですが、あれは妖怪なんで。ほら、見て下さい。噛みつかれて大変だったんですよ」

 河原崎は肘のところに巻いていたハンカチを取ると、くっきりと歯形がついている。
 血が滲んでいて、痛々しい疵痕だった。

「おかげで女中部屋や、かっぱ娘や志帆が入っていた座敷牢に血がついてしまいました」

 河原崎は意味ありげに笑う。
 
(穂積は血痕に反応していた。もしかしてわざと支配人は血をつけて、メッセージを送っていたんじゃ? ……しかし穂積は通じるかもしれないけど、普通は赤い血を見たところで、誰のものかも、どんな意味かもわからないから! それより……)

「志帆さんは……生きているんですか!?」

 すると河原崎は頷いた。

「どこに!?」
「かっぱ娘に任せた。妖怪技で、うまくここのどこかに隠しただろう。ダチュラにあえてやられたのも、志帆がいなくなったことを気づかせないためだ。とはいえ、さすがは妖怪。あんなダチュラ如きではビクともしねぇがな」
「え……」
「おい、かっぱ娘! キュウリやるから元に戻れ! さっき念のために、正気になるツボを押したんだから、おめめぱっちりいい気分だろうが!」

 河原崎がパチンと指を鳴らすと、ゆらりと立ち上がった者がいる。
 わさわさの髪。怜悧な瞳。

「圭子ちゃん!?」

「キュウリなんていらないですわ。ふぅ、『痛い、体を返して~』ぐらいで、わたくしの出番が終わってしまうかと思いました」

 香乃を震え上がらせた謎の声は、河原崎ではなく圭子の声だったらしい。
 つまり、皆は元からまともだったのだ。

 圭子はにっこりと笑って香乃に言う。

「ごきげんよう。わたくし、名取川に生まれた子女として、あらゆる危険回避に、幼き頃より毒全般に対する耐性を鍛えられたんですの。無論この朝鮮朝顔如きに、やられたりしませんことよ」

 すると河原崎が呵々と笑った。

「あははは、よく言うな~。へらへらしていて、あれは演技じゃなかったぞ? やられたんだろ、ちびっとは。それを俺に助けられたんだろうが。俺は恩人だろう?」
「違いますわ! すべては演技です!」

 香乃はへなへなとその場に座り込んだ。

「よかった……。でもわたしにも教えてくれてもよかったのに、皆して……」

 すると穂積が香乃を立たせて、美しく微笑してみせる。

「香乃はそのままでいいんだよ。皆の演技を際立たせるものは、リアルな普通の反応。それが相手を興奮させて、油断へと繋がる。それに香乃は、嘘がつけない性分だ。だから俺、言っていただろう?」

――香乃の役目はちゃんとあるから。

 ……確かに言われた。言われたけれど、このもやもやとした気持ちをどうすればいいだろう。
 香乃は潤んだ目で、穂積の胸をぽかぽかと叩いて八つ当たりする。
 そんな香乃を穂積は笑って頭を優しく撫でると、ゴホンゴホンと河原崎が咳払いをした。
 無言で促す先にいるのは、怒りに顔を赤くさせる穂月と、逆に無表情となった当主だ。
 執事は壊れたまま、へらへらと笑っている。

 穂積は悠然とした口調で、穂月に言った。

「この場にいる七人のうち、お前の手駒は、父さんひとり。お前のなにが強いって?」
「オレよりみーが強いって言いたいわけか? お父様は真宮の力を使えるんだ。お前達はここから一生出られない。社会からも忘れ去られ、ここで枯れ果てるまで、仲良しこよしをしているしかないのに」

 それは気丈なのか虚勢なのか。
 
「――いい加減、穂月の真似はよせ。反吐が出る」

(真似? え、でもきーくんだから、穂積のことをみーと呼んでいるんじゃないの?)

「だったら、皇女らしき振る舞うか? 寝着をドレスのように摘まんで、お辞儀でもして」

 冷ややかに、嘲るように穂月は笑う。

「お前は執事が惚れたアナスタシアではない。そして俺の片割れの穂月でもない。父さんが作り出した、ただの妄執のカタマリだ」
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