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7.ダチュラは、偽りの魅力で陶酔させる

執事の正体

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(どうしよう……。穂積がおかしくなっちゃった……)

「ひととしてのモラルを逸脱してまで、奥の院の碧眼女に魅せられましたか、父さん」

(違う、彼はおかしくなってなどいない)

 その証拠に、勿忘草の瞳はどこまでも澄み、冴え冴えしい。
 反対に当主の目は曇っている。

「父さん。そちら側はひとの住まうところではない。今ならまだ間に合う。戻って来て下さい。俺にあなたの罪を糾弾させないで下さい」

 当主の唇が僅かに戦慄いた気がした。
 だが穂月の手が、当主の頭を自分の胸に掻き抱いた。

「お父様。あなたの居場所は、私のところでしょう? 私に永遠の愛をくれると約束したじゃないですか。私はあなたを愛していますのに」

 それは穂月から出た、色香を滲ませた淑やかな口調。
 香乃にとって違和感でしかないその言葉を受け、当主は嬉しそうに目を瞑る。
 穂積に対する返答は……拒否だった。
 それを見た穂積は、唇を噛んだ。

「わかりました。では俺は……すべきことをします」

 低く呟いた穂積は、なんの迷いもない顔を当主と穂月、そして傅いたままの河原崎父子に向ける。

「……父さんが香乃のお母さんを追いかけて奥の院に初めて足を踏み入れた時、交わったかもしれない碧眼女を父さんは忘れられなかった。しかし香乃のお母さんが奥の院に行かなくなり、奥の院の扉は開かない。しかし一度だけ、見たはずだ。河原崎に連れられて」

 穂積は河原崎執事を見る。

「そこにいたのは、老化した彼女の姿。父さんが恋しく思っていた姿とはかけ離れていた。絶望に声を上げた父さんに河原崎はこう囁いたはずだ。『彼女を救う方法がある。うまくいけば彼女はずっとあなたのものだと』」
 
 河原崎執事はゆっくりと顔を上げた。

「それは、古くなった部分や要らなくなった部分を新しい他の部分と取替えること」

 しかしその目は澱んでいて、表情を読み取れない。

「つまり、穂月にとっての俺、スペアの存在。それは香乃のお母さんがその役目を担っていた。しかしダチュラから離れた姉は、子供を奪われ実験台にされた怒りで出て行ってしまった。仕方がなく、同じ真宮の女性を使っていた。真宮には宿下がりをした女と、カースト最下位に思われる碧眼女性の消息が不明だ。恐らくは、彼女達を使っていたのだと俺は推測している」
「つか、使ってって……」

 香乃の脳裏に、母親の疵痕が思い浮かぶ。
 そして、穂月の言葉。

――ここだよ。

(だったら、そのどちらでもない志帆さんもまた……)

――志帆はオレに合ったからよかったよ。だからまだ色々と、鮮度を維持出来るようにして保存はしている。まぁ、志帆にしてみたら、初めて体を見られて触れられるのが恋しいお前ではなく、メスを持った老齢の河原崎というのが哀れだけどね。仕方がないよな、それが弱肉強食の真宮なんだから。恨むなら、自分を産んだ親を恨めばいい。

 ようやく意味を理解した。
 香乃に込み上がるものを抑えきれず、思わずその場で胃液を吐いてしまう。
 穂積に大丈夫だと制止ながら。

「きっと香乃が真宮にいれば香乃の体が狙われただろう。父さんが出て行った香乃にそこまで執着していなかったのは、香乃以上のいい器が手に入ったからだ。碧眼の女性の体、しかも真宮の直系の」

 穂積は穂月を見る。

「父さんは穂月を当主になど考えていなかった。あくまで穂月は、愛する女性の肉の器になる存在だった。思いがけず事故となり、碧眼は愛する彼女と穂月のふたつになった。それを俺に移植したが、穂月の肉体がどうなったのか。俺は……きっと香乃のお母さんは知ってしまったんだと思う。ハリボテの肉人形を、父さんが作ろうとしていることを。だから自分のことも思い出しながら、いずれ香乃も材料にされるのではないかと、頑なになった。真宮は香乃のお母さんにとっては、娘の命を脅かし、他人の命を食らうものを作り出そうとしている家だと」

――ええ。食らわれたら、誰かを食らって生きるしかない。……あなたの妹のように。

「香乃のお母さんは、碧眼が魔性だからだと言った。しかしそれには俺は異論がある。まずそう考えるに至った過程において、真宮から遠ざかっていた香乃のお母さんが、父さんが秘密裏に作ろうとしているものをどこでなぜ知ることが出来たのか。状況が見えてこない」

――私が真宮から駆け落ちしたのは、なにも恋愛のせいだけではない。抜け出したかったのよ、こんな気持ち悪い家から。そして私は娘を守りたいの、真宮から。

「彼女は、もしかして家を出る前から薄々とでも気づいていたのかもしれない。少なくとも、碧眼が元凶というように、奥の院から遠ざかりたくなることを。となれば、父さんを唆した第三者が動いていた線が濃厚ではないか、俺はそう考えた」

 穂積の視線の先には、無表情のままの河原崎執事。

「なあ、河原崎。香乃の母親に、奥の院の碧眼の女性は母親だと吹聴したのもお前だよな。そういいくるめながら香乃の母親に喜んで体を捧げさせた挙げ句、父さんを導く役目が終われば、碧眼は魔性だと今度は遠ざけて父さんを使って老化にて死ぬ寸前だった彼女を救わせた。それだけじゃない。穂月が彼女のスペアになりえなかった時のために、香乃を真宮に来させたのもお前の差し金だろう。その上に、香乃のお母さんに父さんがしていることを具体的に告げるか見せるかして、今度は父さんを使って俺と香乃の間を引き裂こうとしていたな」

(な……)

 くつくつ、くつくつ。
 歪んだ笑いを見せるのは――河原崎執事だ。

「左様です。何事も無理なく無駄なく進めるためには、使い道と引き際を見定めるのが大切。特に特殊な血を持つ菊香様には、色々とお世話になりました。僅かながらも病気が見つからなければ、その骨までいただきたいくらいでした。お子様に期待しましたが、上手くいかぬもの。ならば真宮から退散していただこうと思っても、これまた難航して現在に至るわけでございます」

 悪びれた風でもなく。
 そして裏にいた執事に魂胆があることを知っても、当主も河原崎も穂月ですらなにも言わない。
 それは許容範囲なのだろうか。それともどうでもいいことなのだろうか。

「……父さんの邪恋を利用したのは、使命によるものか。それともお前の妄執か?」
「穂積様にはおわかりになりますまい。我ら一族がどれだけ、忠誠心を見せて一心にお仕えしてきたのか。尊き高貴なる血を絶やさぬために、低俗な日本人になどにならねばならぬ屈辱がいかなるほどか」
 
 執事は揚とした声を響かせた。穂月という名前の――香乃の母が一部を分け与えた、当主が恋した女を……、穂積の片割れの記憶を持つ女を見つめながら。
 穂月は感情がないようで、すべての感情が入り混ざっているような複雑な表情をしている。

「お前の主は誰だ」

 その問いに、河原崎は迷いなく答えた。

「そこにいらっしゃる御方ただひとり。最後のロシア皇帝が第四皇女。アナスタシア姫君のみ!」

 香乃の頭に、アナスタシアという名前の白い大輪の菊が咲いた。
 母が好きだったという、奥の院に持ち込んだあの花が。

 だが――。

「ええと……すみません。その方がどんなに偉大な方なのか、わからず……」

 どうだと言わんばかりの声を受けても誰もなにも言わないため、香乃がおずおずと説明を求めた。すると河原崎執事は怒りに顔を真っ赤にさせて、飛び跳ねる。
 穂積が苦笑して説明してくれた。

「香乃、アナスタシアはロシア皇帝ニコライ2世とアレクサンドラ皇后の間に生まれ、1918年ロシア革命で滅んだロマノフ王朝最後の皇女。当時十七歳だったというが、その死については謎が多い。前にも話したけど、元々真宮はロシア相手の貿易で栄えた家柄だ。王家にも謁見した記録があるくらいだ。そして奇しくも真宮が屋敷を改装した大正期が、ちょうどロシア革命が起こった時期に重なる」

 つまり――。

「アナスタシア皇女の亡命を真宮が助け、屋敷を改装までして皇女をここで匿ったということ?」
「俺はそう思っている。皇女の部屋として奥の院を作り、隔離したのだと。その頃から瞳の認証機械はあった。当時のものがどんなものかはわからないけれど、異国の技術があるのなら、精度は別にして威嚇としては、それなりの物々しい厳重さの演出は成功していたと思う。実際の日本の技術を注ぎ込んだのは、かなり後になってからのものだろう。恐らくは奥の院を自分のものにしたがった父さんの代だ」

 それが本当であるのなら、大国の皇女をこんな小さな島国の屋敷のこんな部屋に、延々と閉じ込めていたことにもなる。

 河原崎執事が興奮気味に言った。

「我らの先祖は代々、ロマノフ王朝の王族にお仕えした侍従。皇帝の密命を受けアナスタシア様と共に海を渡ってこの家に来た」

(ということは支配人は異国の地が交ざっているのか。お父さんはイケメンかどうかはわからない外見だけれど、支配人は成程って思うわね。彫り深いもの) 

「真宮は、ニコライ2世の慈悲で栄えた家柄、大恩ある王国の愛娘であられる皇女を庇護するのは当然のこと。偉大なるロマノフ王朝の血統を残していくために尽力するのは自明の理!」
「血統?」

 思わず香乃は聞き返してしまった。

「アナスタシア様には世継ぎを産む力がなかった。だから真宮の女の胎が必要なのだ。それにより、血統が維持される。それは代々の真宮当主に口伝され、当主の種が怖れ多くもアナスタシア様の血と混ざる。そして胎以外もアナスタシア様の血となり肉となり、高貴なアナスタシア様になる……こんな名誉にあずかれるのだ!」

 ちかちかと、香乃の脳裏に当主の話が思い浮かぶ。
 碧眼女性の子供だと言っていたという、身ごもった香乃の母親。
 当主と碧眼女性の子供を、代理母として出産しようとしていたのではないか。
 仮に子宮が不全でも卵子が正常であるのなら、借り腹での子供は誕生出来る。
 それは手術なり第三者の手が必要となるが、きっとこの執事がなんとかしたのだろう。

 真宮家全体で推奨された妊娠であるから、母親は堕胎されることもなく真宮家で秘匿されたのかもしれない。
 ……だったら、真宮家に生まれた女性はなんだと言うんだ。
 胎を使われ肉にされるというのなら。

(それでいけば……真宮家の、特に直系で真の母親は、ひとりだけなの?)

 全員ではないだろうが、近親婚よりも混沌だ。
 ただ自分は、母親が真宮から出た後に出来た父親との子供だから、穂積と姉弟にはならないことだろうことだけにほっとする。
 
 そんな間も、河原崎執事の熱弁は続いた。

「アナスタシア様の碧眼を受け持つ為政者が、やがて日本を統治するだろう。アナスタシア様は母胎として、その頂点にて君臨される。新ロマノフ王朝の幕開けだ! 今度こそ、その栄華は永遠に続く!」

 それは狂信。
 香乃がぞくりとするほど、執事の目は現実を見ていなかった。

 穂積が冷ややかに尋ねる。

「河原崎、もう一度聞く。父さんの邪恋を利用したのは、使命によるものか。それともお前の妄執か?」
「使命! これぞ我が一族の悲願!」

 上擦った声は、狂気に満ちて聞こえる。
 それとは裏腹に、穂積の声は静かで怒りを湛えている。

「……そのために、他人を犠牲にして、皇女の体を継ぎ接ぎをしていると?」
「当然! 皇女を生きながらえさせる最善策だ。皇女以上の価値ある人間などおらぬ」

 どこかで聞いたことがある、と香乃は思った。

 ああ、これは……これこそ、真宮だ。
 真宮の、真宮の住人の軸だ。

 ひとの体を部品と考え、その価値を重んじるために、命を軽んじる考え方は。
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