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4.アネモネは、あなたを信じて待つと約束をする
牧瀬の吐露
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◇◇◇
「……事故を起こしたのはお父様、ですね?」
圭子の声に、牧瀬は盛大なため息をつくと、小さく頷く。
「では課長がご存知な情報は、お父様から聞いたもの、と考えてもよろしいでしょうか」
「……ああ。大概は」
牧瀬はセットしている髪を乱すように、頭を掻いた。
それは、鋭い指摘を繰り返した圭子に、降参したという様子でもあった。
「……俺の家は、平々凡々な家庭だった。両親の仲も凄くいいっていうわけでもねぇけど、決して悪くもなく。本当にどこにでもいるような一般的な家族だった。ただ親父には頬に大きな痣があって、それのせいで客相手の仕事に就くのは苦労したらしい」
牧瀬は天井を仰ぎ見ながら続ける。
「家族崩壊が訪れたのは、俺が中学初期の時だ。小さな配送会社の社長をしていた親父が、仕事途中に子供をはねてしまった。それも大金持ちの跡取り息子らしい。業務上過失致死罪……それが生温いと、その死んだ子供の父親は、個人的な報復をしてきた。いわゆる、社会的抹殺だ。それにより親父は、会社を失い、借金を抱え……返済しようにも職につけなくなり破産。酒に溺れ……暴力を振るい、荒れた」
圭子はじっと耳を傾けて聞いている。
「お袋は親父の八つ当たりの犠牲になり、俺を庇うようにしていつも殴られ、血を流していた。お袋のパート代は親父に奪われ、競馬に注ぎ込まれた。やがて親父はサラ金に手を出し、お袋は風俗に売られ、若い男と逃げた。さらに荒れ狂う親父の暴力をまともにうけた俺は……近所の通報で保護され、結果、祖父母の元に預けられた。平和になっても思春期真っ盛りだったから、思うところはあった。親父のようなクズ人間になって世間から爪弾きにされないよう、愛想のいい自分を演じて」
自嘲気味に口元を吊り上げて、牧瀬は笑った。
「俺が成人した頃、いないものとしてきた親父が、人様に迷惑をかけて俺の名前を口にした。警察経由で連絡が来て、渋々親父の身元引受人として再会したよ。親父は昔以上のクズ人間になっていて、俺からも金をせびろうとしてさ。だけど背を向けると、泣くんだ。昔のことを口にして。そして決まっていつも言う。あの事故がなければと」
牧瀬の声が震えた。
「自分は、金持ち一家に騙されたんだって」
圭子は目を細めて聞き返す。
「騙された?」
「ああ。親父の言い分では、その金持ち一家は親父の会社の上得意で、その子供にも頭を下げて愛想をしていたらしい。それで子供に頼まれたようだ。ちょっと驚かせたいことがあるから、トラックをゆっくり走らせてくれと」
圭子は目だけを剣呑に光らせて、静かに言った。
「……確かに、お父様が痣のせいで就職をご苦労なされたと仰っていたのに、客相手の運送会社の社長をして、さらに社長自らがトラックを運転していたのが、なにかおかしいと思っておりましたが……」
「言われてみればそうだな。だけど俺にはそんなところに気が回らなくて、『また愚痴かよ』ってずっと流して聞いていたんだ。それがこの前、その金持ち一家が真宮だと口にしたんだ」
「なぜ突然? 普通、愚痴ならもっと前に口にしてもよさそうですが」
「それはわからねぇな。箝口令でも出ていたのか。でもそうと考えれば、なぜ真宮によってすべてを奪われた親父が、黙っていなくちゃならなかったのか謎だが」
「そうですわね……」
圭子も同意した。
「では、真宮家の子供に頼まれてトラックをゆっくり運転していたところ、なぜか子供を轢き殺してしまったということでしょうか」
「ああ」
圭子は首を傾げながらさらに尋ねる。
「頼んだという子供とは、死んだという真宮の跡取りなんですか? 即ち、真宮穂積と?」
「ああ。碧眼に黒髪と言っていた。頼んだ本人が死んでしまったということらしい」
「なにを、誰に驚かせたかったのでしょう」
「さあ、それは」
圭子は深く考え込む。
「ただ親父は跡取り息子が倒れて、血まみれになっていたのを見たという。それ以外の女の子ふたりは無事だったと。だけど、病院から出て来たのはその息子で、死んだのは少女だったと後で知ったようだ」
「それはどちらの情報で?」
「病院。親父も一応は、病院で検査をしていたらしいから、看護師あたりが口を滑らせたのだろう。跡取りが生きているのだとすれば……、親父はなぜそこまで社会的抹殺をされねばならなかった? なぜ俺達家族は、ここまで離散しないといけなかった!?」
牧瀬が声を荒げる。
「当然親父は真宮家に、そのことを訴えにいったそうだ。だが門前払い。どこで待ち伏せしてもSPに痛めつけられ、腹が立った親父がマスコミにリークすれば、真宮の力がすべてを消していく。権力の前に為す術もなく、それで親父は荒れていったと……」
「……課長。お父様は、その跡取り息子が蓮見係長の背中を押して、トラックで轢き殺そうとしたのを目撃されていたのでしょうか」
すると牧瀬は僅かに目をそらして、否定する。
「それはわからねぇ。俺がそう言ったのは、蓮見が真宮に叫んでいたのを聞いていたからだ」
「だとすれば、忌まわしきその事故に、蓮見係長が関わっているのだと課長が知られたのは、いつ頃で?」
「……つい最近だ。親父の話を聞いて、蓮見の話を聞いて、状況が似ていると思って」
「牧瀬課長」
圭子は、牧瀬の名前を呼ぶ。
その凛とした声に、僅かに牧瀬がたじろいだ。
「では、蓮見係長に今まで告白しなかったこと、そして蓮見係長のご実家に出入りなされてきた理由はなんなのです?」
「……こけ嬢。そこのところはお前がいつもボロクソに……」
「ええ、今まではトロトロ菌のせいだと思って参りました。しかし今は別の疑念がわくのです。お父様の立場で考えれば、死に物狂いで壊れたものの修復をなさりたいでしょう。お父様が轢き殺したと思われるのは誰なのか。なぜ跡取り息子が生きているのに責任を負わせられるのか。真宮家が取り合わないのなら、その場にいた少女達に証言させたいと思うのです」
「……っ」
「課長がお仕事で真宮の名前に反応しなかったことから、真宮家の名前を聞いたのはつい最近のことであるのは確か。お父様は今まで故意的に真宮の名前を言わなかったのだとして、蓮見香乃の存在はどうだったのでしょう。係長が真宮家とどんな関わりをしていたかは不明ですが、お父様が係長を探し当てられなかったとは思えませんわ」
牧瀬は唇を引き結んで、答えない。
だが圭子はそれを無視して続ける。
「お父様がその昔、蓮見係長……もしくは蓮見家に接触したことがあったのを、課長はご存知だったのでは? そして係長の当時の記憶がなにか曖昧なこと、そしてお父様が廃れてしまった事実を思えば、恐らく蓮見係長は当時の記憶がなかった。それを理由に、蓮見家からも門前払いを食らい、お父様は決定打をなくしてしまった。それは即ち、課長のご家族が離散する原因でもある」
「……」
「……同時に、怨恨の対象にもなりえる。それが、逆恨みというものに属していても」
圭子は、天井を見つめている牧瀬に問いかける。
「でしたら牧瀬課長。あなたが蓮見係長に抱いていた想いというのは――」
「……本気で好きだったよ、俺。苦しいくらいに」
牧瀬は天井を仰ぎ見たまま、ぼそりと言った。
「正直俺は、蓮見香乃という名前に記憶はなくて、今まで直接的な関わり合いはなかった。だけど蓮見の実家の花屋『ロータスフラワー』は何度か聞き流していたことがあった。入社して一年も経たないあたりで、親父から再度その名前と、花屋が潰れるようにと悪評を触れ回っているというゲス話を聞いて、蓮見が事故に関わっていることを知った。その頃俺はもう、あいつを好きでたまらなくて……あいつをクズ親父の陰湿さに悲しませたくない一心で、俺の親父のツケを払うような形で、実家に近づいた。これは嘘じゃねぇ」
圭子はこくりと頷いた。
「……安心したかったんだ、俺が。俺の家族は壊れても、せめて惚れた女の家族は壊れていないことを確認したかった。そうすれば俺は、あいつのせいで滅茶苦茶にされたと恨まずにすむと思ったから。せめてあいつは守れたのだと、そう思いたくて」
「……」
「だけど正直、仲がよくて温かなあいつの実家に触れる度、親から愛されているあいつを見る度に羨ましくて、壊してやりたいとも思った。トロトロどころかドロドロを抱えている俺が、あいつに好きだと言えるわけねぇだろ。だから友達以上の位置に甘んじることしか出来なかった。何年も」
「しかし課長は直接の当事者ではないですわ。むしろ被害者で……」
「被害者なら、あいつだってそうだ。記憶失うほど、怖い思いをさせられたんだぞ? その犯人が俺の親父だ。だけどお前のことが好きなんだって、どの面下げて言えるよ。血が繋がっている以上、子供が責任負わないと駄目だろ。どんなに嫌でも。でも……俺も我慢の限界だったんだ」
牧瀬の目尻から、涙がこぼれ落ちた。
「そんな時、真宮と会った。初めて見た時、こいつは蓮見を奪う人間だと、本能的に悟った。ああ、とうとう来たるべき時が来てしまったと、震撼すると同時に、蓮見を渡したくねぇと強く思った」
「課長……」
「諦める側ではなく、俺も幸せになりたいと……、思ってしまったんだ。馬鹿みたいに真宮と張り合って、いや……張り合えると思ってしまったんだ。あんなクズ男の血を引いている俺が!」
牧瀬は頭を掻きむしった。
「蓮見が真宮に惚れていることは一目瞭然だった。俺なんか及びじゃない本能のレベルで、互いに強く惹かれあっている。恐ろしいくらいの吸引力で」
「……」
「だから真宮がなにかありそうな証拠を掴んで、あいつと真宮を引き離す材料にしようとした。どんな手段を使っても、あいつに選ばれたいと思った。あいつが恐れている『殺されそうになった』ということを利用すれば、あいつは怖がって俺の元に来る。俺からすべてを奪おうとした真宮から、蓮見だけは奪える。蓮見への想いは確かなのに、真宮への意地と俺のエゴであいつを追い詰めていたことに気づかずに」
その声は震えて。
「そして結果――失っちまった」
乾いた笑いが響く。
「あいつは、真宮がどんな男であろうといいんだ、真宮でありさえすれば。そしてわかっただろう、俺の悪意を。悪意を持った時点で、友達も失格だ。……俺にとっては、賭けだったんだ。俺への信用を利用して、あいつを真宮の元に行かせまいとした。断片的な証拠だけで、真宮を悪者に仕立て上げて、あいつを束縛しようとしていた。それなのに……まさかこけ嬢にやられるとはな」
「……」
「……俺、最悪だろ。最低だろ。こけ嬢、罵れよ。あいつの分も」
しかし、いつも辛辣な圭子からは、慈愛深い声音が戻ってくる。
「……いいえ。そういうことは、蓮見係長に直接、許しを請うて下さいまし。そういう弱さも見せられてこそ、恋人を超えた真の友達になれるのではないでしょうか。牧瀬課長は、ずっとひとりが長すぎて……色々と抱えすぎたのです。いつでも傍に、蓮見係長という頼もしい親友がいたというのに。切れない絆があるのだと信じていないのは……課長の方なのかもしれません」
「だから、もう遅いんだよ……。なにを言ってなにを後悔しようとも……」
牧瀬がそこまで言った時だった。
「卑屈になるんじゃないわよ!! 牧瀬は、とってもいい男なんだから!!」
そう叫んで大泣きして現れたのは……、去ったはずの香乃だった。
「……事故を起こしたのはお父様、ですね?」
圭子の声に、牧瀬は盛大なため息をつくと、小さく頷く。
「では課長がご存知な情報は、お父様から聞いたもの、と考えてもよろしいでしょうか」
「……ああ。大概は」
牧瀬はセットしている髪を乱すように、頭を掻いた。
それは、鋭い指摘を繰り返した圭子に、降参したという様子でもあった。
「……俺の家は、平々凡々な家庭だった。両親の仲も凄くいいっていうわけでもねぇけど、決して悪くもなく。本当にどこにでもいるような一般的な家族だった。ただ親父には頬に大きな痣があって、それのせいで客相手の仕事に就くのは苦労したらしい」
牧瀬は天井を仰ぎ見ながら続ける。
「家族崩壊が訪れたのは、俺が中学初期の時だ。小さな配送会社の社長をしていた親父が、仕事途中に子供をはねてしまった。それも大金持ちの跡取り息子らしい。業務上過失致死罪……それが生温いと、その死んだ子供の父親は、個人的な報復をしてきた。いわゆる、社会的抹殺だ。それにより親父は、会社を失い、借金を抱え……返済しようにも職につけなくなり破産。酒に溺れ……暴力を振るい、荒れた」
圭子はじっと耳を傾けて聞いている。
「お袋は親父の八つ当たりの犠牲になり、俺を庇うようにしていつも殴られ、血を流していた。お袋のパート代は親父に奪われ、競馬に注ぎ込まれた。やがて親父はサラ金に手を出し、お袋は風俗に売られ、若い男と逃げた。さらに荒れ狂う親父の暴力をまともにうけた俺は……近所の通報で保護され、結果、祖父母の元に預けられた。平和になっても思春期真っ盛りだったから、思うところはあった。親父のようなクズ人間になって世間から爪弾きにされないよう、愛想のいい自分を演じて」
自嘲気味に口元を吊り上げて、牧瀬は笑った。
「俺が成人した頃、いないものとしてきた親父が、人様に迷惑をかけて俺の名前を口にした。警察経由で連絡が来て、渋々親父の身元引受人として再会したよ。親父は昔以上のクズ人間になっていて、俺からも金をせびろうとしてさ。だけど背を向けると、泣くんだ。昔のことを口にして。そして決まっていつも言う。あの事故がなければと」
牧瀬の声が震えた。
「自分は、金持ち一家に騙されたんだって」
圭子は目を細めて聞き返す。
「騙された?」
「ああ。親父の言い分では、その金持ち一家は親父の会社の上得意で、その子供にも頭を下げて愛想をしていたらしい。それで子供に頼まれたようだ。ちょっと驚かせたいことがあるから、トラックをゆっくり走らせてくれと」
圭子は目だけを剣呑に光らせて、静かに言った。
「……確かに、お父様が痣のせいで就職をご苦労なされたと仰っていたのに、客相手の運送会社の社長をして、さらに社長自らがトラックを運転していたのが、なにかおかしいと思っておりましたが……」
「言われてみればそうだな。だけど俺にはそんなところに気が回らなくて、『また愚痴かよ』ってずっと流して聞いていたんだ。それがこの前、その金持ち一家が真宮だと口にしたんだ」
「なぜ突然? 普通、愚痴ならもっと前に口にしてもよさそうですが」
「それはわからねぇな。箝口令でも出ていたのか。でもそうと考えれば、なぜ真宮によってすべてを奪われた親父が、黙っていなくちゃならなかったのか謎だが」
「そうですわね……」
圭子も同意した。
「では、真宮家の子供に頼まれてトラックをゆっくり運転していたところ、なぜか子供を轢き殺してしまったということでしょうか」
「ああ」
圭子は首を傾げながらさらに尋ねる。
「頼んだという子供とは、死んだという真宮の跡取りなんですか? 即ち、真宮穂積と?」
「ああ。碧眼に黒髪と言っていた。頼んだ本人が死んでしまったということらしい」
「なにを、誰に驚かせたかったのでしょう」
「さあ、それは」
圭子は深く考え込む。
「ただ親父は跡取り息子が倒れて、血まみれになっていたのを見たという。それ以外の女の子ふたりは無事だったと。だけど、病院から出て来たのはその息子で、死んだのは少女だったと後で知ったようだ」
「それはどちらの情報で?」
「病院。親父も一応は、病院で検査をしていたらしいから、看護師あたりが口を滑らせたのだろう。跡取りが生きているのだとすれば……、親父はなぜそこまで社会的抹殺をされねばならなかった? なぜ俺達家族は、ここまで離散しないといけなかった!?」
牧瀬が声を荒げる。
「当然親父は真宮家に、そのことを訴えにいったそうだ。だが門前払い。どこで待ち伏せしてもSPに痛めつけられ、腹が立った親父がマスコミにリークすれば、真宮の力がすべてを消していく。権力の前に為す術もなく、それで親父は荒れていったと……」
「……課長。お父様は、その跡取り息子が蓮見係長の背中を押して、トラックで轢き殺そうとしたのを目撃されていたのでしょうか」
すると牧瀬は僅かに目をそらして、否定する。
「それはわからねぇ。俺がそう言ったのは、蓮見が真宮に叫んでいたのを聞いていたからだ」
「だとすれば、忌まわしきその事故に、蓮見係長が関わっているのだと課長が知られたのは、いつ頃で?」
「……つい最近だ。親父の話を聞いて、蓮見の話を聞いて、状況が似ていると思って」
「牧瀬課長」
圭子は、牧瀬の名前を呼ぶ。
その凛とした声に、僅かに牧瀬がたじろいだ。
「では、蓮見係長に今まで告白しなかったこと、そして蓮見係長のご実家に出入りなされてきた理由はなんなのです?」
「……こけ嬢。そこのところはお前がいつもボロクソに……」
「ええ、今まではトロトロ菌のせいだと思って参りました。しかし今は別の疑念がわくのです。お父様の立場で考えれば、死に物狂いで壊れたものの修復をなさりたいでしょう。お父様が轢き殺したと思われるのは誰なのか。なぜ跡取り息子が生きているのに責任を負わせられるのか。真宮家が取り合わないのなら、その場にいた少女達に証言させたいと思うのです」
「……っ」
「課長がお仕事で真宮の名前に反応しなかったことから、真宮家の名前を聞いたのはつい最近のことであるのは確か。お父様は今まで故意的に真宮の名前を言わなかったのだとして、蓮見香乃の存在はどうだったのでしょう。係長が真宮家とどんな関わりをしていたかは不明ですが、お父様が係長を探し当てられなかったとは思えませんわ」
牧瀬は唇を引き結んで、答えない。
だが圭子はそれを無視して続ける。
「お父様がその昔、蓮見係長……もしくは蓮見家に接触したことがあったのを、課長はご存知だったのでは? そして係長の当時の記憶がなにか曖昧なこと、そしてお父様が廃れてしまった事実を思えば、恐らく蓮見係長は当時の記憶がなかった。それを理由に、蓮見家からも門前払いを食らい、お父様は決定打をなくしてしまった。それは即ち、課長のご家族が離散する原因でもある」
「……」
「……同時に、怨恨の対象にもなりえる。それが、逆恨みというものに属していても」
圭子は、天井を見つめている牧瀬に問いかける。
「でしたら牧瀬課長。あなたが蓮見係長に抱いていた想いというのは――」
「……本気で好きだったよ、俺。苦しいくらいに」
牧瀬は天井を仰ぎ見たまま、ぼそりと言った。
「正直俺は、蓮見香乃という名前に記憶はなくて、今まで直接的な関わり合いはなかった。だけど蓮見の実家の花屋『ロータスフラワー』は何度か聞き流していたことがあった。入社して一年も経たないあたりで、親父から再度その名前と、花屋が潰れるようにと悪評を触れ回っているというゲス話を聞いて、蓮見が事故に関わっていることを知った。その頃俺はもう、あいつを好きでたまらなくて……あいつをクズ親父の陰湿さに悲しませたくない一心で、俺の親父のツケを払うような形で、実家に近づいた。これは嘘じゃねぇ」
圭子はこくりと頷いた。
「……安心したかったんだ、俺が。俺の家族は壊れても、せめて惚れた女の家族は壊れていないことを確認したかった。そうすれば俺は、あいつのせいで滅茶苦茶にされたと恨まずにすむと思ったから。せめてあいつは守れたのだと、そう思いたくて」
「……」
「だけど正直、仲がよくて温かなあいつの実家に触れる度、親から愛されているあいつを見る度に羨ましくて、壊してやりたいとも思った。トロトロどころかドロドロを抱えている俺が、あいつに好きだと言えるわけねぇだろ。だから友達以上の位置に甘んじることしか出来なかった。何年も」
「しかし課長は直接の当事者ではないですわ。むしろ被害者で……」
「被害者なら、あいつだってそうだ。記憶失うほど、怖い思いをさせられたんだぞ? その犯人が俺の親父だ。だけどお前のことが好きなんだって、どの面下げて言えるよ。血が繋がっている以上、子供が責任負わないと駄目だろ。どんなに嫌でも。でも……俺も我慢の限界だったんだ」
牧瀬の目尻から、涙がこぼれ落ちた。
「そんな時、真宮と会った。初めて見た時、こいつは蓮見を奪う人間だと、本能的に悟った。ああ、とうとう来たるべき時が来てしまったと、震撼すると同時に、蓮見を渡したくねぇと強く思った」
「課長……」
「諦める側ではなく、俺も幸せになりたいと……、思ってしまったんだ。馬鹿みたいに真宮と張り合って、いや……張り合えると思ってしまったんだ。あんなクズ男の血を引いている俺が!」
牧瀬は頭を掻きむしった。
「蓮見が真宮に惚れていることは一目瞭然だった。俺なんか及びじゃない本能のレベルで、互いに強く惹かれあっている。恐ろしいくらいの吸引力で」
「……」
「だから真宮がなにかありそうな証拠を掴んで、あいつと真宮を引き離す材料にしようとした。どんな手段を使っても、あいつに選ばれたいと思った。あいつが恐れている『殺されそうになった』ということを利用すれば、あいつは怖がって俺の元に来る。俺からすべてを奪おうとした真宮から、蓮見だけは奪える。蓮見への想いは確かなのに、真宮への意地と俺のエゴであいつを追い詰めていたことに気づかずに」
その声は震えて。
「そして結果――失っちまった」
乾いた笑いが響く。
「あいつは、真宮がどんな男であろうといいんだ、真宮でありさえすれば。そしてわかっただろう、俺の悪意を。悪意を持った時点で、友達も失格だ。……俺にとっては、賭けだったんだ。俺への信用を利用して、あいつを真宮の元に行かせまいとした。断片的な証拠だけで、真宮を悪者に仕立て上げて、あいつを束縛しようとしていた。それなのに……まさかこけ嬢にやられるとはな」
「……」
「……俺、最悪だろ。最低だろ。こけ嬢、罵れよ。あいつの分も」
しかし、いつも辛辣な圭子からは、慈愛深い声音が戻ってくる。
「……いいえ。そういうことは、蓮見係長に直接、許しを請うて下さいまし。そういう弱さも見せられてこそ、恋人を超えた真の友達になれるのではないでしょうか。牧瀬課長は、ずっとひとりが長すぎて……色々と抱えすぎたのです。いつでも傍に、蓮見係長という頼もしい親友がいたというのに。切れない絆があるのだと信じていないのは……課長の方なのかもしれません」
「だから、もう遅いんだよ……。なにを言ってなにを後悔しようとも……」
牧瀬がそこまで言った時だった。
「卑屈になるんじゃないわよ!! 牧瀬は、とってもいい男なんだから!!」
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