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3.ブーゲンビリアは、あなたしか見えないと咽び泣く

離したくない 離れたくない

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 小刻みに震える長い睫毛。
 高い鼻梁。
 薄く開いた形のいい唇からは、苦しげな呼吸が止まらない。
 時折眉間に皺を寄せ、目を薄く開いては真宮は香乃を探して手を彷徨わせる。

「大丈夫。わたしはここにいます」

 その手を掴んで、香乃の頬に触れさせれば、真宮は儚げに微笑み、静かに意識を薄れさせる。

 薬の力ですぐに真宮の熱も下がるかと思ったが、そう簡単にはいかなかった。
 真宮の身体は燃えるように熱いまま、寒いと呟きながら震え、香乃を強く抱きしめる。
 それだけでは暖をとった気にならなかったのか、香乃の服の下から手を忍ばせると、香乃の背中に直に指を滑らせてきたのだ。

(ひぃぃぃ……)

 蕩けるようなキスを何度も交わして、もう既に香乃の身体は熱く濡れてしまった。
 そのまま放置プレイに持ち込まれ、さらには真宮の指の動きがやけに官能的に動いて、香乃を追い詰める。
 ……そのくせ、真宮にはまるで意識がない。

(相手は苦しんでいる病人よ。やましいことを考えるのはよくないわ)

 そう思い耐えていた香乃だったが、真宮の指先がカリカリと背中の一点を弄っていたかと思うと、妙に不機嫌そうに呻き――直後、香乃の胸元が緩んだ。

(ブ、ブラ外した!?)

 どう見ても真宮には意識がなく、苦しげに喘いでいる。
 これが演技だったら、人間不信に陥るレベルの苦しみ方だ。

(本当の本当に魔法使い予備軍!?)
 
 慌てて下着をつけようとしたが、真宮は滑らかになった香乃の背に満足したように、熱い手のひらを滑らせると、香乃の身体をさらにぎゅっと抱きしめた。
 足もさらに絡みつかせてくる。

(下着をつけるどころか、さらに密着してしまった!)

 自分の胸を真宮に押しつけているのが気恥ずかしい香乃は、僅かにみじろぎをする。

(向きをずらせば……)

 しかし体術に長けた人間は、寝ていても相手を拘束出来るように出来ているのか、香乃は動くことは出来なかった。

 耳元には、苦しみに喘ぐ真宮の息。
 苦しいなら同情を誘うようなものにしてくれればいいのに、どうしてこの男は色気を溢れさせて苦悶するのだろうか。

「はぁ、はぁ……」

 香乃に映る真宮のすべてが妖艶で、扇情的に誘われているようで、たまらない心地になる。
 さらには香乃を襲う高い熱が、真宮への恋情と入り混ざってヒートアップし、看病を忘れて真宮を襲いたくもなってくるのだ。

(病人を襲ってどうするの! わたしは肉食でもないし、淑女のたしなみはどこに!?)

 ……セフレを作っておいて、淑女もなにもないと香乃の頭のどこかで突っ込みも聞こえてきたが、そうした声を完全無視して、香乃は香乃なりに必死に戦う。
 だが――。

「ちょ……やっ、総……支配人っ」

 真宮の手が、下着をつけていない香乃の胸を包み、そして反対の手が香乃の尻から太股に滑り落ちる。

「ね、ねぇ……実は意識あるんじゃないんですか!?」

 ……声をかけたが、どうみても彼は無意識だ。

 寒いのだろう。
 それは、わかるが……なぜこんないかがわしい格好の湯たんぽにならないといけないのだろう。
 どうして彼は、濡れた身体をさらに蕩けさせることばかりするのだろう。

「そ……う、支配人っ、そこは駄目。ん……ぁっ、ねぇ、駄目……っ」

 太股を触る真宮の手が、内股に滑り込んでくる。
 そしてさらに香乃の足をぐいと持ち上げるようにして、内股の熱を追い求めた。

 真宮の熱が移動する度に、触れられない秘処がきゅん疼いて、さらに熱いものが溢れる。
 しかし真宮の手はそんな香乃などお構いなしに、内股の際どく柔らかな部分だけを撫でてくる。

「ちょ……やっ、ね、ねぇ……っ」

 放置プレイの次は焦らしプレイだ。
 
 加えて、胸を包んだ手ももどかしく動くだけで、鋭い快感は与えられない。
 香乃の身体が深層までより蕩けるようにと、弱火でじっくりことこと煮込まれている気分だ。

 経験値がないのなら、こうしたテクニックはどこで身につけているのだろう。
 ハイスペックの本能は、勝手に覚えていくものなのか。

「は……ん、ふ……っ、そ、総支、配……人っ、い、いっそ、ひ、ひと思いに……っ」

(なにをせがんでいるの、香乃! 耐えるの、快楽に流されては駄目! 病人よ!?)

 ……それからたっぷりと二時間。
 意識ない病人相手に、香乃の忍耐は続いたのであった。



「え、ええと……」

 ようやく薬の効果が出て、高熱が次第に落ち着かせた真宮が、目覚める。
 そしてかなり至近距離に香乃がいることに気づくと、困惑したような顔をした。

「……お目覚めいかがですか? 寒くはありませんか? 痛いところとか苦しいところとかは?」

 心配はしているのだが、香乃の声は憮然としている。

「か、かなり楽になりましたが……。あ、あの……」

 真宮は、両手がどことどこを撫でているのか、察したらしい。
 まだ気怠げながらも、焦点が合うようになった碧眼を見開き、慌てて両手を離した。

「お、俺……、まさかあなたに、いかがわしいことを? ……意識ない時に、抱いてしまった……んですか!?」

 香乃は恨み言の代わりに、「酷いことをされた」といじめてやろうと思っていた。
 だが、勝手な妄想における真宮の驚きようと、絶望的なまでの落ち込みようを見ていたら、今にも心臓発作でも起こして救急車を呼ばないといけなくなりそうな気がして、断念することにした。

「いえ、未遂です。総支配人は、ただ暖をとりたかっただけのようです。なので、薬だけではなくて人肌効果もあって、熱が落ち着いてきたんでしょうね」
「……ほ、本当ですか? 無体な真似はしていませんか?」
「…………はい」
「なぜ長い間が……」
「気のせいです」
「俺、責任なら……言われなくても喜んでとりたいですし、むしろ、それを利用出来るなら……積極的に利用して、あなたを……俺のものにしたいくらいなんですが」

(……怠そうに、なにさらりと言っているのかしら)

「その必要はありませんので、お気遣いなく」

 すると真宮は微妙に落ち込んだように見えた。

「それと。この足も離して頂けると嬉しいのですが」
「……な! す、すみません、なぜ足固めのようなことを……」

 真宮は慌てて絡んでいた足を外した。
 香乃は、自分が頼んだこととはいえ、やはりキスをしたりと濃厚な交わりをしたのは、真宮の理性がきいていなかったからなのだと、少し悲しくなる。

(熱のせい……だものね)

 熱は夢のようなものだ。
 現実に戻れば、その間の出来事はなかったことにされる。

「では、水枕を替えてきます。汗を拭くタオルを……」

 急いで服の乱れを直し、香乃はベッドから降りようとした。
 しかし、真宮の手が伸び、また抱き寄せられ……離れることは叶わない。

「熱のせいにされたくない……」
「え……」

 まだ微熱ぐらいはあるのだろう。
 火傷しそうな時期は過ぎたが、それでも真宮の身体は熱い。
 そして、香乃の身体も――。

「離したくないです、あなたを……」

 香乃の頭を撫でながら、切なそうに真宮は言った。

「離れたくないです。あなたから……」

 勿忘草の匂いが、強まった気がする。

 吸い込まれそうな勿忘草の蒼。
 その奥に、真宮の熱が見える。

 否応なく彼に惹き込まれるのは、何度目だろうか。
 彼が愛おしいと、彼に触れたいと、そう思ったのは。

 どんなに背を向けても、何度も繰り返す。
 どんなに意志の力で封じても、何度も蘇る。

 勿忘草は、どんなに踏みにじられても、枯れることはなく――咲き続けている。

「俺を、見て」

 囁くように真宮は言う。

「俺だけで、あなたの頭をいっぱいにして」

 香乃に暗示をかけているかのように。

「俺は……あなたで頭がいっぱいです。狂いそうなほど」
「……っ」
「想い続けていました。ずっと……気が遠くなりそうな昔から」

 切なげな声音に、心が締め付けられるようだ。

「わたし達は、九年前より昔にも、会っていたんですか? わたしはなぜ……そのことを忘れているんですか?」

 唇が触れそうな距離で、香乃もまた囁くように言う。

「……どうして、そう思うんですか?」
「あなたがそう言ったから」

 真宮は悲しげに目を細める。

「……だったら。明日、来て頂けますか?」
「……っ」
「俺のものに、なって貰えますか?」 

 行きたい。
 彼のものになりたい。
 ……今すぐにでも。

 香乃は静かに……唇を真宮の唇に押し当てた。

「まだけじめをつけていませんので、これがわたしの答えです」

 熱が出ていたからと、もう言い逃れは出来ない。
 自分の意志で決めたのだ。
 明日、行きたい。

「けじめを……つけてきます。遅くなっても、待っていて貰えますか?」

 香乃の返答に、真宮の顔が泣き出しそうなものになる。

「……っ、言ったでしょう? 俺、待つのは慣れているって。何時間でも、待っています」

 今度は、真宮から香乃に触れるだけのキスがなされた。
 すぐに唇が離れたが、真宮は名残惜しそうにして、もう一度啄むように唇を重ねた。

 しばし無言のまま、熱い視線が絡み合う。
 そして――。
 
「ごめん……俺……っ」

――これだけじゃ……我慢、出来ない……。

 掠れた声で言い捨てた真宮が、噛みつくような口づけをしてくる。
 気持ちをぶつけるような性急な口づけを、香乃は嬉しいと思って甘受した。

 心が、昔に戻る。

 あの時の至福感。
 あの時の高揚感。
 彼の唇の柔らかさに、その情熱に、嬉しくてたまらなかった気持ちが、今ここにある。

「あっ、んぅ、んっ、ふ……」

 ああ、気持ちよくて身体が甘く痺れている。
 熱のせいではない彼の気持ちがここにあり、ふたりの気持ちが重なっているからだろう。

 九年前のように――。

 少し温度を失った舌がおずおずと香乃の唇から忍ぶ。
 ぬるりとした舌先が触れあうだけで、果ててしまうそうになる。

「ん、んぅぅ、は……ふぁ……っ」

 甘い声が止まらない。
 気持ちよくてたまらない。
 
(彼に伝えたい……)

 愛していると。
 あなたが好きだと。
 キスをしたかったのは、あなただけだったのだと。

「ん……可愛……い、もっと……」

 真宮の手は香乃の頭を弄り、身体を密着させ、ひとつになろうと揺れる。
 ふたりでいるのが、もどかしいくらいだ。
 
 ああ、このひとが欲しい。
 このひとと、ひとつになりたい。

 角度を変えながら、縺れるように絡まる舌。
 どちらかが引こうとすれば、どちらかの舌が追いかけた。
 ふたりから漏れる甘い声は、艶めいていく。

 やがて息が切れたのは、熱を出している真宮ではなく香乃だった。
 名残惜しそうに真宮は唇を離すと、香乃の顔に唇を落としてから、頬を擦りつける。

「あなたが可愛くて、愛おしくて……たまらない」

 また熱が上がったように発火した。
 香乃の脳裏にぱちぱちと火花が散る。

「今、熱のせいにして……必死に我慢してます。あなたを……俺の腕の中で乱れさせたい気持ちを」

 限界点なのか。
 これ以上は、自分が壊れてしまうのか。

「明日は覚悟して下さい。俺……もう、止まれる自信、ないので」

 それでもいい。
 彼とすべてを繋ぎたい。
 彼のすべてが欲しい。

 ちゃんとけじめをつけてから、あなたに好きだと言うから。
 だから明日、あなたの腕の中に飛び込みたい――。
 
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