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0.プロローグ
初恋は勿忘草とともに ②
しおりを挟む彼の顔が傾き、躊躇うような唇が触れた瞬間、その柔らかい熱を感じた身体が歓喜に奮えた。
触れあった時間は、一秒にも満たない。
啄んだだけのような短い口づけに、どこか名残惜しい心地を堪えて、彼女はそろそろと彼を見遣る。
彼の碧眼は、朝露を帯びたように濡れていた。
絡み合う視線には次第にしっかりとした熱が籠もり、吐き出すふたりの息が震える。
もう一度、そっと……唇が重なった。
角度を変えて、三回。
やがて戦慄くように震えた彼の唇が、薄く開いた。
「ごめん……。これだけじゃ……我慢、出来ない……」
熱っぽい声でそう言い捨てた彼は、堰を切ったかのように荒々しく彼女の唇を奪った。
「んんっ」
声を殺さねばならないと思うのに、思わず出てしまう……彼女の甘ったるい声。
ぬるりとした舌が彼女の唇から忍び、逃げる彼女の舌を捕らえる。
触れあう舌の初めての感覚に、彼女はぶるりと身震いして、彼に縋りながら控え目に甘い息を漏らした。
すると彼は舌を絡ませながらふっと小さく笑い、彼女の後頭部を優しく撫でる。
「……ん、ふ……ぅ」
「ん……、俺の舌に……絡めて。……もっと……」
沈黙の図書館で、洩れる水音と囁かれる睦言。
舌が大胆に絡み合うと、彼との距離も近づいたような気がして、彼女は至福感に酔いしれる。
蕩けるように気持ちがいいキスは、淫靡さを強めて、初心者の彼女を翻弄していく。
「ん、は……んぅ……っ」
無意識に摺り合わせている、スカートから伸びた彼女の足。
秘処までもが蕩けて、切なく疼いていた。
それに気づいた彼の手が、スカートを捲り上げるようにして太股を撫で上げ、内股に滑り込む。
びくん、と彼女の身体が跳ねた。
舌を絡め合わせたまま、内股をなぞる彼の指が、ショーツのクロッチの上を指先で優しく往復する。
「ん……」
彼の指が、中心を揉み込むように円を描き始めると、くちくちと粘着質な淫らな音が響き渡る。
「ん、んんっ、ふぅ……んぅ、んっ」
彼女は真っ赤な顔で、キスの合間に急いたように喘いだ。彼が施す快感に耐えるように、眉間に皺を刻んた顔を緩く横に振っていたが、漏れ出す吐息はどこまでも甘美なものだ。
彼は切なそうに目を細めると、クロッチの横から指を忍ばせた。そしてうっとりとした息をひとつつくと、くちゅくちゅと音をたてて、直接、彼女の蜜に濡れた花園を掻き乱していく。
「ふ、ふぅっ、は……んん、ふぅっ!」
びりびりと痺れるような快感に、彼女は焦る。彼の指から逃れようともがくほどに、彼を煽るように腰が艶めかしく揺れた。彼の指の動きは一層に執拗に、そして激しくなり、同時に彼女の口腔内の舌も獰猛に彼女を蹂躙してくる。
「んん、んぅっ、駄目、んん、駄、目っ」
なにかが迫り上がってきて、急に不安になる。
自分はどうなってしまうのだろう――。
そんな彼女を宥めるかのように、彼のキスは優しくなり、彼女を押し上げてくる。
「――っ、――っ!!」
勿忘草の色を纏った彼の熱。
勿忘草の香りを纏った彼の匂い。
それらは彼女の身体を潤していくのに、それでもまだ足りないと彼女の心は彼を焦がれる。
こんなに近くにいるのに、まだ満足出来ない。
もっともっと、彼が欲しい。
もっともっと、彼で激しく満たして欲しい。
理性と本能の狭間で揺れる身体に、快楽の衝動が脳天まで突き抜けた。
「――っ!!」
生理的な涙を目尻から流しながら、弾け飛んだ彼女の叫びは彼の口の中に吸い込まれ、何度も何度も角度を変えた優しいキスがなされた。
「可愛い。とても……」
ぼんやりとした彼女の視界に、嬉しそうに煌めく勿忘草の瞳が優しく細められたのを見て、胸の奥がとくとくと鼓動を早めた。
「乱れるこの黒髪も、たまらない……」
彼の指が、頬に張り付いた彼女の長い黒髪を掬い取る。
彼は彼女をじっと見つめながら黒髪に口づけた。
誘惑しているかのような、挑発的な眼差しで。
「止まらない。あなたが欲しくて……」
そして精悍な首筋を見せながら、彼は彼女の耳朶を口に含んだ。
「ん……っ」
甘い快楽に、彼女は思わず彼の体に手を回してしまう。
身悶える彼女の耳に、熱く囁かれた。
「俺の家に……来ませんか?」
彼女は、その言葉が意味するところを察した。
ドクドクと心臓が鳴っているが、嫌だと思わなかった。
彼に触れたい。
彼に触れられたい。
ひりつくような渇望に、彼女がこくりと頷こうとした――その時、彼のスマホが震える音がした。
彼はしばしそれを無視していたが、際限ない呼び出しに小さく舌打ちすると、応答する。
「今? 図書館。なに?」
ぶっきらぼうなその声に彼女は我に返った。
僅かの間に冷静になると、自分が彼の前に曝け出したはしたない姿が無性に恥ずかしくなる。
そして、名前も知らない状態で、気軽に誘いに乗じようとしている自分の軽率さに泣きそうになった。
立て続けに起きた出来事は、完全に彼女の許容量を超えてしまっていた。彼女は耐えきれず真っ赤になってその場から逃げ去った。そうしなければ、火を噴いて爆発しそうで――。
自席に戻り荷物をまとめると、彼の声を振り切るようにして早々に図書室を出たのだった。
……ただ、これだけで終わりにしたくないと、彼のノートの上に、いつも渡せずにいた手紙を置いた。
『いつも席をとってくれてありがとうございます。わたしは、法学部四年の蓮見 香乃といいます。あなたのお名前、知りたいです。あなたのことをもっと知りたい。お話したい。……明日も、図書館で待っています』
もう自分の気持ちはバレバレだろうけれど、それでも先に彼の心に触れさせてほしいのだ。
どうかこの手紙で、嫌いで逃げているわけではないということをわかってほしい。
明日。
明日こそ。
ただ隣に座るだけのもどかしいこの関係を、変えたいから。
明日は、逃げないでいるから。
お気に入りの勿忘草の便箋にしたためた文字に、そう……祈りを込めて。
――俺は、あなたを……。
彼との仲を深めたいと……期待に胸が膨らみすぎて、その夜は眠れぬほどに。
……彼女の体からは、彼の感触が消えずにいつまでも火照り続けた。
しかし次の日……彼は図書館に来ず、代わって、芯の強そうなお嬢様風の美女が現われた。
「あなたが、四年の蓮見さんですか? 私は大学一年のマミヤって言います。あなたより三歳も年下のホズミは、私の長年の彼氏です。お互いの家族も公認で、卒業したら彼と結婚する予定です。なので今後一切、ホズミに色目を使わないで下さい。ホズミ、すごく困ってました。こういうの、やめて下さい。迷惑です」
彼に渡したはずの勿忘草の便箋が、見知らぬ女の手の中にあった。
「これが、ホズミの返答です。ホズミが来れなくて恐縮ですが、恋人のわたしが代行します」
目の前で、ちりぢりに破かれていく、勿忘草の便箋。
「ホズミ、モテるしちょっと意味ありげなところがあるから、もしも先輩を勘違いさせていたなら、ゴメンナサイ。ホズミは、全く先輩に気持ちなんてないと言っていました。綺麗さっぱりホズミのことなど忘れて、就活頑張って下さい。これ、ホズミからの伝言でもありますので!」
かさり、かさりと音をたてているのは、一体なにか。
それは少なくとも、仄かに甘い懐古的な記憶ではなく、辛辣な現実なのだ。
勿忘草が、好きだった。
勿忘草を纏う彼が、好きだった。
興味がいつしか恋心に育っていたのだと、気づいた時には遅すぎて。
どんなに重ね合わせても、触れあっても、始まるものなどなにもなかったのだ。
……最初から。
――お互いの家族も公認で、卒業したら彼と結婚する予定です。
なぜ小指を絡めてきたのか。
なぜキスをしてきたのか。
なぜ。
なぜ。
――ホズミは、全く先輩に気持ちなんてないと言っていました。
……わかるのは、ひとときの遊びにされたということだ。
――これが、ホズミの返答です。
遊びに慣れていない自分だけが、勝手にのぼせ上がっていただけのこと。
そして、彼の心を求めてしまったから、彼から疎まれてしまったのだ。
調子に乗るなと。
彼女の目は潤み、やがて雫となって……、勿忘草の切片と共に、風に乗って消えた。
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