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第1章 追憶
終焉、そして 3.
しおりを挟む「そういえば副隊長、サクを連れて揺籃の色街に行かれたんですよね?」
「ああ……まぁ。サクは嫌がったけどよ、女を癒やせるのは女だと言い聞かせて渋々。ここだけの話、姫がリュカ様と寄り添う日は、色街に駆け込むようになったらしい」
「しかしサクが、姫以外を抱いたのは心外というか……」
「まあ、男というのは、心と体はばらばらに行動できるものだが」
「それがな、女達曰く……あいつ最後まではしてねぇんだと。いざとなると、萎えて使いモンにならなくなっちまってるらしい。女達は色々してるらしいが、一切反応なし」
全員が口を揃えて嘆いた。
「サク……まだ童貞なのか」
「おい、俺の話の核はそこじゃないだろ。それくらい、心だけではなく体にもすげぇ痛手を負っているんだということだ!」
「しかし副隊長。隊長に結婚が決まったという噂、聞いてますか?」
警備兵のひとりが聞いた。
「ああ、俺も聞いた。だけどどう見ても、サクに他の女に見向きできる余裕はねぇだろう? だから直接サクに聞いてみたんだ」
――姫様が結婚すれば……遠すぎる未来に、そうなるのかな。
「つまり、いるってことですか!? 姫以外に、嫁候補が!?」
「ん~、そこが微妙なんで、ハン様に聞いてみたんだ」
――家の近所にな、昔からサクを好きで仕方がねぇっていう少女がいるんだ。そいつがサクが振り向くまで、ばあさんになっても待っているってサクに言ったらしい。
「無理でしょう、サクが振り向くことは」
「だけどじゃあなんでサクは、〝そうなるかも〟なんて副隊長に?」
シュウは苦笑した。
「それがよ、ハン様曰く……その少女っていうのが、うちの姫にそっくりらしい。だから姫に甘いサクの態度が、今までその子に過剰な期待をもたせてしまったんだろうよ。サクとしちゃあ、その子の奥に姫を見ていただけなんだろうが。ちなみにそいつは、サクが姫に片思いしている事実を知っていて、姫の身代わりでもいいと言っているらしい。そして向こうの親もサラ様も、結婚に乗り気で早くまとめたがっているようだ。問題は、外部の干渉をサクが拒みきれるか、だな。姫の次にサクに近い年頃の女はその少女で、気心しれてるだけではなく、淑やかで性格もよくて妻としては申し分ないらしい」
その場の誰もが頭を抱えて悲痛な表情を見せた。
「うわ……」
「誰も幸せになれない予感ひしひし……」
「女として完璧でも、他の女の代理にされている時点で、その子の努力は報われないな」
「その子と結婚なんてすれば、サクは生涯、姫の残像に捕らわれ続けて、もがき苦しむだけだろ……」
「究極の現実逃避だな」
「だけどサクが姫以外の相手と結婚しないのなら、一生独身ってことになるぞ?」
「それは……ダメだろう。武神将の血筋が潰えてしまう。祠官命令が出て、それこそ馴染みない女と結婚させられるかもしれないぞ?」
「だったら、姫似の女選ぶ方が、サクには幸せか?」
「………」
誰も幸せだと思う者達はいなかった。
むしろ――。
「サク……どこまで不憫なんだよ……」
サクに強い好意を持てばこそ、士気が落ちてどんどん暗くなる部下であり仲間である警備兵達を見て、シュウは突如パンと両手を叩いた。
「さて、お前達に質問だ。サクとリュカ様、ともに俺達がやっかむほどに女にモテる。リュカ様の家柄はよくわからない。サクは姫が懐いている武神将を父に持つ。だが姫はサクを選ばなかった。サクのどこがリュカ様に劣ると思う?」
シュウの言葉に、皆が顔を見合わせる。
「それは……なぁ?」
「うん、勿論それは……」
「やっぱお前らもそう思うよな、うんうん。俺もそう思う。一番の敗因は」
腕組みをしたシュウが、頷きながら言い切った。
「……悪すぎる頭だ! ……く、くくっ」
そういうと、彼は堪えきれないというように腹を抱えて笑い始める。
それに対して、否定の言葉は誰からも出てこない。それは皆が肯定しているのではなく、固まっていたのだ。突然現われた、副隊長の背後の影に。
「あははは、あいつは途方もない馬鹿だから……あはは、いいい!?」
笑い声が悲鳴に変わる。
「よう、副隊長さん。特別厳戒体制の重大任務中に、随分と楽しんでいるみたいだなあ。飲んでいるのか?」
シュウの背後に立つのは、黒髪で長身の男。
野生的に整った精悍な顔立ち。髪と同じ色の黒い双眸は、獲物を捕える肉食獣のような鋭さを宿しており、彼がただならぬ者であることを窺わせた。
「サ、サク……」
コメカミに青筋を浮き出した男、サクは……シュウの致命傷となりえる延髄を強く揉んでいた右手を、今度はその喉もとに巻き付け、ぐいと締め上げた。
「ぐぐぐ……サク、死ぬ、死ぬ……っ」
「こんなことぐれぇで根を上げないで下さいよぅ、せ・ん・ぱ・い?」
「ぐぇぇぇぇぇぇっ」
それを見ていた男達は冷や汗を垂らしながら、
「我々は任務に戻ります、隊長っ!!」
サクに向けて、頭を垂らした。
「どうしたんだ? 話を続ければいいじゃないか。随分と興味深い面白い話をしていたじゃないか。俺がどうとか、俺がどうとか、俺がどうとか」
両耳の白い牙の耳飾りを揺らしながら向けるその笑顔は、冷ややかすぎた。
「女でもあるまいし、人のこと面白おかしく噂するのはよせ。今は任務中なんだってことを……」
不機嫌そうに説教を始めようとしたサクに、シュウが口を挟む。
「……お前なんでここにいるんだよ」
「あ? お前……一応俺は隊長なんだぞ? あちこち見回りして、部下を」
「見回りなんてどうでもいいだろうがっ!! そんなの俺に任せておきゃいいんだよ。なんのための副隊長だ」
シュウの怒声に訝しげに目を細めたのはサクだけではない。
「シュウ、忘れたのか? 今夜は厳重警備が必要なんだ。ただの見回りじゃねぇんだぞ?」
「わかってるよそんなことは。警備兵としては今夜が大変な時だってことは十分にわかっている。だけどサク……。今夜はもう巡ってこねぇんだぞ!?」
「は? なに当然のことを……」
「ぐがぁぁぁぁっ、このボケ!!」
そしてシュウはサクの胸倉を掴んだ。
……サク以外、シュウの言いたいことに気づいていた。そう、サクにとって今夜は特別なのだ。
「姫のところへ行ってこいっ!!」
「……は?」
「明日別の男のものになっちまうんだぞ? 今日しかねぇんだぞ、お前の想いを伝えるのは!! なんなら無理矢理でも姫を奪って、駆け落ちでもなんでもしてみろ!! 俺達は警備兵として、快くお前を見送ってやるから!!」
サクは、ぽかんとした顔をして口を開いたままだった。
「シュウ……。この赤い月にやられて、狂ったか?」
「違う!! 俺は……俺達はっ!! お前を応援してきてたんだよ!! お前が姫と結ばれることをずっとずっと望んでいたんだよっ!! お前、苦しいんだろ? 姫が忘れられねぇんだろ? 格好つけんなよ、お前の友はリュカ様だけじゃねぇんだぞ? お前が辛い時、肩を叩くのは……俺達だって出来るんだ!!」
皆が口々にそうだそうだと声を揃えて頷く。
「お前達……」
「行けよ、サク。今夜が最後の機会だ!! 姫のところに……」
「行かねぇ」
サクは悲しげに微笑んで、頭を横に振る。
「俺は……姫様とリュカの幸せを願っているんだ。俺のあきらめの悪さで、ふたりの傷つく顔は見たくねぇ。そんなものを望んで、俺は身を引いたわけじゃねぇんだよ」
「だけどそれならお前……っ」
サクは笑った。
「ありがとな。俺の心配してくれて。俺を思ってくれるなら……明日の姫様の婚儀、祝ってやってくれよ。リュカを好きになってくれよ。あいつ……本当にいい奴なんだよ。俺が姫様を譲ってもいいほどに」
「サク……」
「よぉし、無駄口はここまでだ。頑張って今日を乗り切……」
そんな時だった。
屋敷の中から、男の悲鳴が聞こえたのは。
サクとシュウは、警戒に満ちた顔を見合わせた。
「今の悲鳴はだれのだ!?」
「そんな……っ。この異常にばかでかい外壁を乗り越える侵入者などありえねぇし、今夜は祠官の結界が外部の者を一切弾いている。俺達が中に出入り出来るのは、祠官から配給されたこの〝玄武の護り袋〟を持っているからだ」
それは警備兵数十人に渡された、赤い小さな袋。祠官自らの術が施された符が入っており、今夜の祠官の結界はその符を持たぬものだけに反応する。
「唯一の通用門たるここは、俺達が目を光らせて警備してんだ。今までに怪しい人影など、俺達は一切見ていなかったぞ!? 仮に侵入者がいたとしても、ここから中に行く方法は罠だらけの、あの凄惨すぎる結末しかねぇ迷路しかないんだ。それを抜けきることはありえねぇって!!」
シュウは悲痛な声を上げた。
「だったら、屋敷内の警備兵に怪しい奴がいたのかもしれねぇ。シュウ俺、屋敷の中に行ってみる。お前は外に居てくれ。これは陽動の可能性もある。なにが攻めてくるのかわからない時に、お前の腕は役に立つ」
「わかった。サク、気をつけろよ。なにかあれば呼べよ」
「ああ。屋敷の内部に、俺が知る抜け道を使って入る。念のために迷路の方も怪しい痕跡がねぇか調べておいてくれ。もしかすると事前に罠が解除されていたのかもしれねぇ。頼むぞっ!!」
そしてサクは走って行く。
「……なにが起きてんだ、屋敷の方で」
そうシュウが強張った顔で、サクの背中が消えるのを見ていた時だった。
「――っ!?」
突然目映い光が差し込んだのは。
本能的に危機を察知したシュウは、咄嗟に光から逃れるように身を翻して宙に舞い、防御姿勢をとりながら地面に足を着けた。
生温かい風が、不自然に吹く。
光が消えた夜景。
静けさはいつも通りだったが、明らかな異変があった。
それまで地面になかった物体が、ごろごろと散乱している。
それは、今までシュウと話をしていた――
「え!?」
警備兵達の頭だった。
シュウの顔になにかが落ちてくる。雨滴かと思い、頬を指で拭ったシュウは、その指を見て顔を険しくさせた。
「赤……血!?」
あわてて見上げたシュウの目には、丸く大きな赤い月から、まるで雫が零れ落ちるかのように、落下してくる細やかな肉片が映った。
手。
足。
臓物。
それは、頭部のない……部下の切り刻まれた胴体だった。
狂気に満ちた赤い月。
それを背負うようにして、静かなる足音響かせて人影が現れる。
風に靡く長い金髪。
恐ろしいほど整いすぎた顔。
夜なのに光を纏う、長身の男の姿。
「まさか――」
シュウの唇がわなないた。
「まさか、予言の……〝魔に輝けし者〟……!?」
現れたのは、それだけではなかった。
男の背後から聞こえる、がやがやとした喧噪。
それは動物や赤子の泣き声にも似てはいるが、それとも違う。
高低定まらぬ不安定な声音は、やがてひとつの単語を紡いだ。
「ひもじぃ……」
膨らんだ腹部。痩せ細った体。
それはひとつふたつのものではない――
「餓鬼!?」
そう、百は下らぬ餓鬼の群れだった。
そしてそれらは、それらはシュウに狙いを定めると、
「きぇぇぇぇぇ!」
奇声を上げてその動きを早め、シュウに襲いかかってきた。
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