吼える月Ⅰ~玄武の章~

奏多

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第1章 追憶

 一年前の三人

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 ■□━━━・・・・‥‥……
 倭暦四九七年。
 倭陵大陸北方の黒陵、西方の白陵、東方の蒼陵、南方の緋陵の四国の国主たる各祠官を従える、倭陵全域の総支配者である皇主に、倭陵随一の術者一族〝星見〟が警告として献上した書に記された、〝赤き満月〟の到来を一年後に控えていた。
『赤き満月、其は倭陵四聖獣の封印破れし前兆なり。魔に輝けし光を持つ者によりて、倭陵暗黒の時代に入る』
 赤い満月の夜、異端者の出現によって、倭陵の滅びの時が始まる――。
 それを予言ではなく訓戒に留めるために、古くから代々の四国の祠官及び彼らに仕える各武神将達は、事前に策を投じてきたものの、過度に弱気な現皇主の命あって、この時期、各祠官及び各武神将は再度綿密に協議し合った。
 そして、不吉な赤い月夜を無事にやり過ごすため、各神獣の力を借りた術にて、まずは各祠官が住まう居城に外敵を弾く強い結界を張り、それを四国繋ぎ合わせ、総じて皇主と倭陵全体の護りとなすために。
 四国の連携が必須の大がかりな結界強化と、赤い月に関わる異端者の滅殺に、祠官と武神将達は心血を注ぐことになった。
 
   ~倭陵国史~
 ■□━━━・・・・‥‥……


「最近、お父様もハンも忙しいのか、全然顔を見ていないわね」

 ユウナは十五歳になった。
 勝気な性格を示す、凜とした強さを見せる黒曜石のような黒い瞳。 
 飾り紐で束ねられた、腰まである艶やかな黒髪。
 黒が神色とされるこの黒陵国において、ユウナの容貌は決して珍しくはないものの、その可憐さと無垢な笑み、そしてといまだ変わらぬお転婆ぶりは、人々に親しみを与え続け、民衆から愛される姫のままに成長していた。

「今では揺籃にも遊びに行けない……。うぅ……」

 堅固に閉められた正門。
 それを窓の奥に見届けたユウナは、窓枠に乗せた両手の上に顎を乗せ、何度目かの大きなため息をつきながら、窓硝子を黒水晶の指輪をつけた指の爪で引っ掻き、今の心境を音で示す。
「ひーめーさーまー。キーキーすんげぇ、うるせぇんですが!」
 
 そのすぐ横の壁に背を凭れさせ、眉間に皺を寄せながら両耳に手をあてて喚くのは、十八歳になったサクだ。
 腕と首にはユウナの指輪と同じ黒水晶の装飾がつけられ、両耳からは幼い頃から外したことがない白い牙の耳飾りがゆらゆらと揺れている。
 切れ長の目。通った鼻梁。薄い唇。
 男らしく実に端正に整った顔は、常に威嚇めいた鋭さがあり、一見近寄りがたさを感じさせるが、心を打ち解けたものにはあどけなく笑う。
 ユウナ同様に、黒髪と黒い瞳を持っているものの、ユウナよりも濃厚な闇色である漆黒色である。
 声音はぐんと低く落ち着いたものとなり、ここ数年で身長が大いに伸びて今では父を僅か越し、その体つきは逞しく、より一層野性的な精悍さを強めた美青年となっていた。

 ユウナの護衛の任務は変わらぬものの、武神将である父の指揮のもと、サクは十六歳になった時から本格的な武官としての活動をも始めた。
 その腕はまだハンには至らぬが、現役武官よりはよほど強く、その活躍ぶりに羨望の眼差しを一身に浴びてはいるが、ハン同様にそれを気にせずマイペースを貫き、実に飄々としている。

「あら失礼。サクの耳は動物並みにいいものね。だったらもう一回」

 再び窓を引っ掻けば、耳を押さえるサクの目が潤む。

「ひーめーさーまーっ!! なんで俺が、姫様に八つ当たりされなきゃいけねぇんですか! だったらってなんですか、俺なにかしましたか!?」
「あら、別にあたしは、あたしはここで閉じ込められているのに、サクは上官命令という名目や、帰宅という名目で屋敷の外に自由に出られて恨めしいとか、昔はあたしの後をちょこちょこついてきて可愛かったのに、いまじゃあたしを見下ろすその身長が気にくわないとか、親子ともどもふてぶてしい態度で口が悪いのに人気者なのが解せないとか、まったく思ったりしていないわ」
「……つまり、全部それら思ってるということですか?」
「思ってないって言ってるでしょ!?」

 またユウナが爪をたてて、窓を引っ掻く。

「ひめさまーっ!」

 そんな時、くすくすと控えめな笑い声がした。

「リュカっ!」

 ユウナはそれまでの鬱屈した表情をいっぺんさせて、後ろで微笑みながら立っているリュカに無防備に抱きついた。
 横目でその場面を追うサクの顔が、ひどく翳ったのを知らずに。

「会議、終わったの!?」
「ああ、たった今ね」

 サクと同じ十八歳になったリュカは、声変わりしたために昔よりも声調は低くはなったものの、まるで睦言でも囁いているような甘い声音を出すのは相変わらずだった。
 柔らかく細められた、どこか愁えた涼しげな瞳。
 胸元でひとつに束ねた長い髪。
 その黒みがかった赤銅色は、光に当れば金より白銀色に煌めく。
 中性的に綺麗に整っている顔立ちは昔と変わらぬものの、初々しい可憐な美少女というよりは、どこか扇情的な色香を纏う妖艶な美女を彷彿させるリュカは、見る者を惹き込ませる妖しい魅力があった。
 サクには頭ひとつ低いものの、そのすらりとした体躯は完全に男の持つものであり、麗しく微笑み続ける……いまだ乳白色の服を好んで身につける白皙の美青年は、サクの対照的な美貌の持ち主として、世の女達の注目を浴びていた。
 彼は抱きついてきたユウナを両手で抱くと、静かに微笑んでユウナの首筋に顔を埋める。
 そしてユウナと同じ指輪をした手で、ユウナの背をポンポンと叩くと、依然微笑んだままでユウナから体を離した。

「元気そうだね、ユウナ」
「体は元気だけど、心はあまり元気じゃないわ。外に遊びに行きたいのに」
「ああ、それはもう少し辛抱だ。予言の時……来年の月夜を乗り過ごすためには、この国の姫である君は、ここで護られていないと」

 父の祠官が片時も離さず、今では討伐三昧のハンより側に置く、若き文官。
 そのため、リュカにもまた、昔ほど頻繁に会うことはできない。

「別にあたしはサクがいるからいいもの。サクは去年の武闘会の時、成人の部初挑戦で武神将相手に互角に闘ったんだから。ね、サク?」
「……それは、ジウ殿に負けた俺への嫌味ですか」
「ひねくれ者!」
「異常に強すぎるハン様がいるからこそ、ジウ様は毎年準優勝どまり。あのふたりは凄まじい双璧だ。そのジウ様に青龍の力使わせただけでも、サクは凄いよ?」
「そうよ。初めてなのよ、ジウ殿がハンとの決勝戦以外で、神獣の力を出すのは」

 援護するふたりに、サクはじとりとした目を向けた。

「でも負けは負けだし。姫様の前で無様なところ、見せたのは変わらねぇし」
「あらいやだ。サクの無様すぎるとこなんか、あたし昔から散々見てきてるもの。いつもハンに怒られて泣きながら素振りしてるとことか。なに今さら。ね、リュカ」
「そ、そうだね」
「……いつの話だよ。今は違うだろ!」

 サクは不機嫌そうに声を荒げた。
 ユウナにいじられれば、今でも途端に幼くいじけてしまいがちなサクではあるが、彼女が知らぬところでサクは、十八歳とは思えぬ貫禄を見せることを、リュカは知っていた。
 ハンが倭陵を飛び回っていられるのも、サクが警備隊長代理としてきちんと荒くれた兵士をまとめ上げられることをわかっているからで、その任をこなしつつ、ユウナの護衛もできているのは、ひとえにサクの人望と実力だった。

 リュカは、サク共に十六歳を過ぎた頃の、ユウナの十三歳の誕生会が開かれた夜を思い出した。
 あれは煌煌とした、金色の満月が眩しい夜だった。
 屋敷の内外ユウナの祝賀ムードで、祠官もハンも文官も武官も、無礼講として大いに酔っていたその時、山賊に攻められたのだ。
 鉄壁のはずの外壁に這い上る輩達。
 外壁の向こう側にある山の高い位置からは、大量の火弓。
 異変に真っ先に気づいたのは、静寂すぎることを奇妙に思ったサクだった。
――見張り台が燃えている。敵襲だっ!
 強固な護りを誇る玄武殿とはいえ、内にいる要の者達は酒に溺れており、動けるのはユウナの部屋で遊んでいた、サクとリュカだけだった。
――どうしよう、どうしよう!!
――んだよ、使えねぇ親父はっ!
――サク、僕達でなんとかしよう!
 不安がるユウナを護るために、若干十六歳のふたりは立ち上がった。
――サク。昨日までは大雨で地盤が緩んでいるはずだ。僕が外で待機している者達の半分は、屋敷裏の崖に誘い込もう。僕は馬ぐらいは乗れる。 
 天候地形から、荒くれ共を討とうとするリュカと、
――だったら俺は、頭領を狙う。こっちは数が少ねぇんだ。中に侵入される前に上の首獲り、戦意を喪失させる。恐らく表門の一番いいところでふんぞり返っているだろう。
 武術で敵を散らそうとするサク。
――サク!? あの頭領はハンですらずっと捕まえ損ねている奴よ!? 正面から乗り込んでうまくいくはずないじゃない。
 そしてユウナは――。
――いい案が浮かんだ。あたしが囮になる。
――姫様なにを!?
――そうだ、ユウナ!
――あたしはこの国の姫よ。武術だって囓っている。国の一大事に指を咥えて見ていることは出来ないわ。それにサク。あたしが頭領を惹き付ければ、サクなら一撃で討ち取れるでしょう?
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