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第1章 追憶
五年前の武闘大会 2.
しおりを挟む「昔は『父上~』ってそりゃあ可愛かったのに、今じゃ『親父』。まったく誰に似たんだろうな、その口の悪いふてぶてしいところは」
「親父だよっ!」
びしりと人差し指を突きつけ、サクが怒鳴る。
「ハン様。この度は武闘会、優勝おめでとうございます」
リュカが礼儀正しく頭を垂らして挨拶をすれば、ハンは片手を上げる。
「ありがとうよ。お前もこんなとこに閉じ籠もってねぇで、見にくればよかったのに」
「僕は……いいんです。少しでも色々な知識を得て、黒陵国のお役に立ちたいですし。平穏に暮らしていられる今があるのは、あなた方のおかげですから」
儚げにリュカは笑う。
今から八年前――。
揺籃にて三人が助けた少年がリュカだった。
あの後一度は別れたものの、数ヶ月後に彼は、単身で黒陵の仕官志願に黒陵国の中枢であり、ユウナが住まう玄武殿を訪れた。
当然の如く門前払いを食らったところを、偶然に通りかかったユウナとサクが見つけたのだった。
――恩返しをしたいんだ。本当に僕は嬉しかったから。僕に、人間の優しさを教えてくれて、本当にありがとう。
真摯な表情を見ただけで、ふたりはぐっとくるものを感じた。
偶然見つけて偶然助けただけなのに。
今まで助けた人間は多くいるけれど、こんなところにまで来て恩返しをしようとする者はなく、その行方すらわからずじまいなのだ。
――僕には還る場所はない。だから僕は、優しい君達に。その君達を育てたこの国のために、救われたこの命を捧げたいよ。
玄武殿に仕官するためには然るべき筋からの身元保証と、最低限の教養や体の鍛練がなされていなければならない。
そのどれもがなされておらず、栄養失調で痩せ細った孤児のリュカを後押ししたのが、ユウナとサクから泣きつかれたハンだった。
――ハン、あたしとサクのお友達を、また助けてあげて。
――父上、俺……リュカと仲良くなりたいよ。
仕方が無く、まずは警護兵の見習いの見習いのそのまた見習いという、とにかくもその場で思いついたような任務を与えて、サクに最低限の基礎体力作りから生活の面倒を見させ、リュカの背中の烙印を徹底的に隠させた。
そしてまたユウナは、部屋を訪れる識者との勉強の際に、密やかにリュカを呼び……そこには勉強嫌いのサクまで引き摺られて、三人で勉強した。
リュカは虐待の傷によって、ハンの力を持ってしても足の引き摺りが残ったために、ハン率いる武官になることはできない。
だが代わりに、知略にて国を護る文官になろうと、早くからその才覚を徐々に発揮し始めた。
やがて――。
美少女と見間違うほど見目麗しかったせいもあり、ユウナの父の目にとまったリュカは、警備兵舎ではなく屋敷の離れに住まうこと、まだ見習いだが将来有望な次期文官候補として仕官することを許された。
さらにはユウナとサクの親友という公の立場も得て、玄武殿を白昼堂々と歩けるほどにまでなったが、足のこともあり彼は、あまり人前に出たがらない。
空いた時間をユウナやサクと共に外を走り回るよりも、書庫で読書をする方が好きらしく、いつもユウナとサクが書庫に来ては、リュカを太陽の元に連れ出している。
武闘術に長けたサクと、知性に溢れたリュカ。
正反対な美貌の幼なじみに挟まれながら、祠官の娘として何不自由なく美しく育ちながら、愛くるしい無邪気さで誰をも魅了するユウナ。
この三人は互いを認め合い、笑いあい、心を許しあってずっと一緒に育ってきたのだ。
ユウナとサクがリュカを助けたのは成り行きだったとしても、そこに恩義を感じていまだ思慕する情をわかればこそ、ユウナに報われぬ恋心を抱くサクとて、リュカを恋敵とみなして苛つきながらも、憎むことが出来ない。
サクも穏やかで優しいリュカが好きなのである。だからこそ、恋と友情に板挟みになり、サクはいつも悩むのである。
だがいつも通り、考えることが苦手な彼に妙案が出るはずはなく、ひたすらじとりとリュカに懐くユウナを見ていることしか出来なくなって、もう数年。それをハンがせっついて笑いの玩具と、幾度なってきたものか。
三人の関係を微笑ましく思い、ついつい茶々を入れて引っかき回したくなるハンは、リュカに対して一抹の不安を抱えていた。
頭のいいリュカ。
忠誠心を見せるリュカ。
しかしその背中にある烙印のことは、三人にも語らない。
もしも烙印が公に知られてしまえば、どんな扱いになるのか。
リュカを傍に置くようになった祠官は気づいているのだろうか。
もしも祠官が気づいて断罪を口にするのなら、ハンはなんとしてでも思いとどまらせようと思う。特例中の特例である恩赦にせよと。
リュカにはサクのようなずば抜けた運動能力はないが、大人顔負けの知性がある。
間違いなく、このふたりは未来に活躍する逸材。
このふたりに、未来の黒陵を託そうと――。
ただ問題は、リュカはどうであれサクにはユウナ以外に興味がない。
だからサクを動かすには――。
「なあに、ハン、あたしの顔をじろじろと」
「ん~。問題は姫さんだよな」
「あたしがなに?」
黒陵の美姫。
この先、山のように来るだろう縁談の中からでも、生涯の伴侶を見つけてサクの手を離したらどうなるのか。
サクは、この三人はどうなるのか――。
「ああっと、女官が呼んでるわ。またね、リュカ! サク行くわよっ!」
「姫様っ! だから俺の胸倉掴んで走らないで……ぐえっ」
触れるものを即座に叩きつけることが出来るくせに、ユウナ相手にはまるでその力を見せないサク。
惚れた弱み。
仕官の弱み。
か弱い姫に引き摺られることを、男として情けないと恥じるならまだしも、あの幸せそうな顔。
「ああ、我が息子ながら、なんと腑抜けなんだ……」
ハンはため息をついて片手で顔を覆い隠す。
ハクのぼやきに、くすくすとリュカが笑う。
「サクは腑抜けではありませんよ。腑抜けであればユウナはとうに手放しているはずです。僕にはサクが眩しく、羨ましい。あのふたりはいつも一緒で、ユウナは決してサクを離そうとしませんから」
その寂しげな顔に横切ったのは、男の情。
「だけど姫さんはお前に会いに来るじゃないか。うちの馬鹿息子が妬くほどに」
「ええ、そして僕が妬くほどに、ユウナはひとりで僕には会いに来ない。会いに来てもいつもいつも顔を上気させて、サクのことを語るんです。彼の偉業も彼の失敗談も、うっとりとした顔で」
「へぇ、お前さん……妬くのかい」
「そりゃあ、男ですからね」
にっこりと微笑むその顔には、まるで真情を見せない。
大した少年だとハンは内心舌を巻く。
「うちの馬鹿息子を退けて、姫さんを娶りたいとは思わないのか? サクもそうだが祠官は、姫さんを嫁がせるのに身分は関係ないと仰っている。姫さんが愛した男であるのならばと」
ハンは腕組みをしながら、表情を変えずにいるリュカを見つめる。
「サクも今は護衛とはいえ、武神将ともなれば肩書きにハクがつく。お前だって未来の智将候補だ。しかも祠官のお気に入り。お前達は女にも騒がれる、将来の有望株なんだ。反対者はいまい。どうだ?」
リュカは涼しい面差しのままに答えた。
「僕がユウナの相手に相応しくないのは、貴方が御存知のはず」
ハンは訝しげに目を細めた。
「貴方が武神将であるのなら、十年前の〝遮煌〟を忘れてはいないでしょう?」
「――っ!! お前は……」
ハンの顔が驚きに満ち、自然と腕組みは解かれる。
「ええ、背中の烙印はその時のものです」
赤銅色の前髪から覗くのは、煌めきを纏った暗澹とした闇色の瞳。
「僕は、生きていてはいけない者なんです。別に恨んでいるわけではありません。十年前があったからこそ、今の僕がいるのですから」
それは達観したようにも思える、淡々とした口調で。
「ただ……この世は、いつまでも僕には残酷すぎる」
静かに伏せられた目。
長い睫毛が微かに震えた。
「……なぜ、俺に話した?」
固い口調でハンが問う。
「貴方に……知っていて欲しいと思いまして。祠官をよく知る倭陵最強の武神将であり、僕の命の恩人であり、そしてユウナを守るサクの父である貴方には」
リュカはどこか遠い目をしてハンに尋ねた。
「ねぇハン様、倭陵に伝わる……何でも願いが叶う禁忌の箱。女神嫦娥が4人の祠官に開ける鍵を託したという箱は、本当にあるのでしょうか」
唐突に転換された話題に、ハンの顔が警戒に満ちた。
「……刹那の快楽との代償に、永遠の苦痛をもたらすという禁忌の箱を、お前は開けたいのか」
ハンの眼差しが、咎めるように鋭さを増す。
「お前が書庫で本を読み漁っているのも、ひとりでどこかにふらりと出かけるのも、それに関係があるのか?」
しかしそれにはリュカはなにも答えず、再び話題を戻した。
「……ハン様。ありえないんです。こんなに汚い僕を、綺麗なユウナが好きになることは。友情だけでもありがたいものなんです」
まるでそうでなければならないと言い聞かせているかのように。
かつての汚らしい身形を払拭し、どこまでも清潔な服を着て神々しいほどの美貌をさらしているというのに、それでもリュカは己を汚いと……現在進行形で表現する。
そこに表からは窺い知れなかったリュカの葛藤がある気がして、ハンがその正体を看破しようと目を細めた時、リュカは言った。
「僕は、大好きなふたりが結ばれる未来を心から渇望し、ふたりを祝福したい。僕はユウナと同じくらい、サクが好きだから。だからサクを願うユウナの心に素直に従います」
柔らかな微笑みはいつものものながらも、弱々しく。
「だけど、サク以外の男は僕は認めない」
寂しげな眼差しにすっと流れたのは非情なまでの冷酷な光。
そして冷ややかな光は燃えるような炎に変わる。
「サク以外の男が彼女に触れることも、僕は許さない」
そこにリュカという少年の本質を垣間見たハンは、思わず息を飲む。
いつも礼儀正しく、穏やかに笑ってばかりいるリュカ。
誰からも人受けはよく、お人好しなくらいに彼は優しい。
しかし実のところは違い、激情家なのかもしれない。
彼はいまだその心の内を隠し続け、謎めいた行動をしている。
微笑みの仮面の内で眠っているのはただの野良猫か、それとも獅子か。
〝生きていてはいけない〟リュカを助けた時点で、賽は投げられたのかもしれない。
彼はこの国にとって、吉か凶か。
――貴方が武神将であるのなら、10年前の遮煌を忘れてはいないでしょう?
そのリュカが願う、ユウナとサクの未来。
サク以外の男にリュカが非情になれるというのなら、聞いてみたくなる。
「ではもし、姫さんがお前を相手に選んだら?」
リュカもまた、〝サク以外の男〟であるのだから。
「ありえない」
「もしもの話だ」
リュカの瞳が揺れた。
「……その時は……」
だが――。
リュカの口から、そこから先の言葉は紡がれることはなかった。
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