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第6章 儀式
息子の試練
しおりを挟む■□━━━・・・・‥‥……
神獣玄武――。
その昔、月の女神嫦娥と共に、魔に穢れし倭陵を救いたる四獣がひとつ。
その姿は甲羅を背負う亀にも似て、体には蛇を巻きつかせていると言う。
支配する色と姿を名で現わす四獣のうち、玄武のみ、その名に獣の文字を持たぬ。
宛てられているのは「武」――。
〝矛を止める〟ほど堅固な甲羅、或いは体に巻きつかせた蛇の鱗が鎧のように強固ゆえに、様々な憶測はあるが、一方では防御力に秀でて、温厚そうに思えるこの玄武こそ、一番に獰猛であり常に好戦的でより強い武力を渇望しているから、という説もある。
玄武が操るものは「水」。
よって古より玄武が認める武神将は、どんな試練にも耐えうるだけの堅固さを備えると同時に、水の流れのように、時に緩く時に激しく、捉え処のない者達が多いとされている――。
~倭陵国神獣縁起~
■□━━━・・・・‥‥……
・‥…━━━★゜+
黒崙の片隅に、ハンが子供のために開いていた、小さな稽古場がある。
晩餐にふたりが家に戻ってこなかったのは、既にこの場で儀式を行うつもりで準備をしていたからだということに気づいたサラは、自分を弾いて深く繋がる父子の関係に軽く嫉妬を覚えて苦笑した。
儀式の場となる広間からほど近い小部屋にて、怪我をした子供達の治療のために用意されていた簡易的な寝台にユウナは寝かせられ、サラはユウナの額においた氷嚢《ひょうのう》を取替え汗を拭きながら、夫と子供が出てくるのをひたすら待っていた。
ユウナはまだ目覚めないが、うなされているかのような所作が大きくなり、苦しげな声を漏らしているのを思えば、覚醒はまもなくだろう。
あれから半日が過ぎた――。
サラが居る部屋には窓がないが、もうあたりは十分に明るくなっているのは、部屋の外にある廊に差し込んだ光でわかったが、街の様子はどうなっているのかはよくわからない。
街長やユマはどうなったのか。
タイラはどうなったのか。
街の民はもう移動を始めたのか。
すべてを投げ捨てるようにしてこの稽古場に入り、この屋敷の玄関は勿論のこと、すべての窓を閉めた上で、ハンは儀式の場とした広間も内から栓をして、サラすら弾いた。
「うあああああああああっ!!」
断続的に続く、息子の絶叫がまだ続いている。
恐怖と苦痛を訴える凄惨なその声は、いまやもう掠れきっていた。
この稽古場は防音に優れた造りになっており、外に音は漏れにくくはなっているが完全ではない。そこにハンとサクは既にふたりで、稽古場の隣にある納戸から布団や毛布などを引き出して、広間の内に貼り付け、より暗く密封された空間を作っていたらしい。
明かりは、ハンが持参した蝋燭ひとつ。
外と遮断された暗闇は、集中力は増すが恐怖心を煽る。
「があああっ、ああ、あああああっ!!」
ハンの声は聞こえない。
サラには、サクの前に胡座をかきながら厳しい面持ちをしているだろうハンの様子が、容易に想像ついた。
見守っているはずだ。自分も経験したことがない、例外的な儀式を行わせた者の責任として、そして父として。
息子のすべてを、その目で見届けようとしている。
サクの最期ではなく、〝変貌〟を見届けるために。
「ああああああああ!!」
見届けられるのだろうか。
あんなに声を上げている息子は、本当に無事に戻ってこれるのだろうか。
サラの試練においては、あんなに声を上げることはなかっただけに、余計サラの胸は不安に押し潰されそうになる。
玄武は堅固の神獣だが、攻撃性はかなりのものだと昔ハンから聞いたことがある。サクの身がどれほどの強靱さがあるのか、試されているのだろうか。
それとも――。
暴れているのは神獣ではなく、サクの中にいるという〝なにか〟であり、またはそのふたつの力のぶつかりあいに、サクの体が悲鳴を上げているのだろうか。
何度目かのサクの絶叫に、サラは両耳を手で塞いで震え上がった。
母としては、女としては、息子の悲鳴は辛すぎた。
ぽろぽろと目から涙を流しながら、早く儀式が無事に終ることを願う。
武神将の試練というものは、神獣の特性により異なり、武神将は自分がどんな試練を受けたのか他に漏らすことは許されない。
だから元武神将であるサラがどのような試練を経たのかは、ハンにも知らぬところだし、ハンの試練がどんなものだったのか、サラにも知らされていない。
同じ神獣の力を乞う前後代武神将ですら、同じ試練を経たのかと口に出して確かめ合うこともなく、ただ想像するのみだ。どんな死に目に合わせられたのかと。
「サク、頑張れ。頑張るのよ!! 姫様を助けるんでしょう!? そのためには、ここは最低限乗り切らないと駄目なの、まだまだ大変なのはこれからなのよ!?」
ユウナの額の汗を手布で拭い取りながら、せめてユウナの存在が、苦しんで耐え続けるサクの生きる指標となってくれることを強く願った。
「うああああああああっ!!!!」
「頑張りなさい、サク――っ!! くじけるんじゃない、闘いなさい――っ!!」
サラもまた、サクに負けじと声を上げ続けた。
蝋燭の灯が消え、暗くなった場で、ハンはただじっとサクを見つめ続けた。
暗闇の中でもサクの絶叫は続いている。
暗くとも、サクの様子はハンには見えている。
ハンは儀式によってサクに玄武の力を移したが、それはすべての量ではない。様子を見ながらサクに徐々に力を移していかねば、サクの肉体が衝撃に耐えきれずに一気に破裂する危険性があった。
あと四分の一というところで、サクは血を全身から一斉に吹き出したため、ひとまず移譲を断念したのだった。
サクの異変はそれだけではなかった。体が反り返り、バキバキと全身の骨を砕かれた音が鳴り響く。手足がありえない方向にねじ曲り、見えぬなにかに玩具のようにいたぶられているような有様だった。
サラが見ていたら、卒倒するほどの凄惨な息子の姿だった。
それでもサクは生きていた。
それでも彼は闘っていた――。
声を上げようと、肉体がどうなろうと、必死に戦い続けていた。
武神将という神獣の力を武力に行使できる特殊な肉体になるためには、普通の人間の器を超えねばならない。
一度体の組織を殺して、それ用の堅固なものに蘇生させる必要がある。
つまり、一度死なないといけないのだ。
ハンは、自らの試練の時に玄武に言われたことを思い出す。
強靱な肉体に勝る精神性を認めた時、玄武はその者の肉体を回復させるのだと。そうしてハンも、試練の終焉に生まれ変わった。
だからこそ、玄武の力は体に馴染み、使うことが出来たのだ。
だが、サクの場合は勝手が違う。
予想通りとはいえ、無理に契約させようとしたために憤り、サクの中で最初から予告なしで暴れ始め、最早サクの意識はない。
それでも彼の意志ゆえか、それとも魔との契約が功を奏しているのか、傷つけられた肉体は順次勝手に、確実に再生されていくのだ。
苦痛を刻まれて機能をなくした肉体は、自動的に蘇る。抗し続けるサクの体に苛立ってでもいるのか、サクの中の玄武の力は、内から新たなる苦痛を与え続けているようだ。 二度と再生できないようにと。
永遠に苦痛だをけ刻みつけられる、まるで無間地獄――。
その中にサクはいた。
まさか魔がここまで玄武の力に負けじと再生力をサクに授けるとは、ハンは想定していなかった。雑魚であれば、玄武の力に触れただけで風塵と化してしまう。サクと契約した魔は、小物ではないのだ。
魔に護られているからこそ、サクは生きていられる。そして魔がいるからこそ、玄武はサクの体に閉じ込められまいとして、獰猛に暴れる――その悪循環。
サクの体がもしも玄武の力を拒絶するか滅ぼされれば、閉じ込める器をなくした玄武の力は今まで以上の凶暴性をもって、残り四分の一の力に合流しようとして、それを持つハンに返ることになる。
そしてハンとて、四分の一の力のみで、勢いを増した四分の三の力が一気に戻る衝撃を凌げるはずはない。相手は人間ではないのだから。
サクに許容量がなければ、ここで父子は玄武の力に潰える。
……ハンもまた命の覚悟をしていた。
やがて、サクの絶叫が聞こえなくなってきた。
「サク……?」
動かないサクの姿を見て、ハンはさすがに顔色を変えた。
外見上、四肢の異常や流血もなく、肉体の再生はなされているようだが、サクからの生体反応がない。
ハンは慌ててサクの頸動脈を触れた。
冷たい身体に触れる脈は、あまりに弱々しく消え入りそうなものだった。
「サク!? しっかりしろ!!」
ハンがサクを片手で引き寄せると、サクからなにか声が聞こえた。まだ生きていることに安堵しながら、ハンはサクの唇の至近に、耳を近づけた。
「………の違い……」
「なんだ? なにが言いたい?」
「……四獣……違い……らねぇよ」
「四獣の違い?」
「……武だけ……い、も……」
〝玄武だけないもの〟と、ハンには確かにそう聞こえた。
「四獣の違い……? 朱雀、青龍、白虎にあって、玄武にないもの?」
ハンは怪訝な顔をした。
四獣の違いなど聞いたこともない。
しかも玄武だけにないものなど。
色々ハンも考えてみるが、さっぱりわからない。
逆にわかったことといえば、本当にサクは今危ない状態なのだということ。だからおかしなことを口走っているのだと、ハンが強ばった顔をした時。
「わかった!!」
突如叫んだのは、サクだった。
瞬間、暗闇だった場は、明るい水色に満ちた。
その目映い光が収ってきた頃、虫の息だったサクは――、
「これで文句ねぇだろ!? 約束、守れよっ!?」
……驚くハンに、びしりと指をさして、元気に立っていた。
「や、約……束……?」
「あ、親父じゃねぇよ。そいつだよ、そいつ」
そいつと言われているところにはなにもない。
いや、居た。
ハンの足下に、片手に乗るくらいの――。
「親父、そいつが逃げないように見張っててくれ。腹減ってるらしいから、ネズミでも食わせてやればおとなしくしてると思う。俺は、姫様の様子を見てくる!」
ダダダダ。
少し前まで瀕死状態だったサクは、元気よく走っていく。
「なんだ……?」
そして残されたのは、ハンと、その掌の上にいる小さな亀。
「まさか、玄武とか言わねぇよな?」
亀はなにも言わず、のそのそと小さな首を動かしただけだった。
「見張れ……って? しかも腹減っているこの小せぇ亀は、ネズミを食うのか?」
ハンの、困惑したような声が静まり返った空間に響き、やがてそれは大爆笑へと変わっていった。
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