36 / 53
第3章 帰還
ハンの謝罪
しおりを挟む
サクとユウナによって別部屋に入った瞬間、ハンは表情を悲痛さ漂う真摯なものへと変え、突如その場に座り片腕の拳を床につけると、ユウナの前で頭を垂らした。
「――ユウナ姫。ふたつ、貴方様に謝罪したい」
それはいまだかつてない、従者としての振る舞い。
直前まで、サラとの熱い場面を見せつけていたというのに、一体どんな心境の変化なのかと、ユウナは怪訝な面持ちでハンを見下ろした。
「ひとつ――。遠方に仕事とはいえ、玄武の武神将の名を戴きながら、祠官と姫の一大事に傍に駆け付けられず、お守り出来ず!! 今までなにも知らぬがまま、のうのうと帰ってきてしまったこと、本当に……、本当に申し訳ございませぬ」
「ハン……」
ハンの口調には、やりきれないというような、忸怩たる強い思いが込められていた。
「そしてふたつ――。街の民を平和的に移動させるためとはいえ、サクを護るために!! 姫に、辛いことを民衆の前で、晒させてしまい! 本当に申し訳ございませぬ」
ハンがサラに求愛したのは、別室に早く移動するためだとユウナは初めて気づいた。一刻も早いユウナへの謝罪と、彼女の銀髪をこれ以上見世物にしないためだと。
サラもまた目を潤ませながら、ハンの横に座ると、両手を床についた。
「姫様。その身を犠牲にして、我が息子をお救い頂き、まことに……まことにありがとうございました!!」
ユウナは慌ててふたりの前に座り込む。
「サラ、頭を上げて。ハンも……っ」
ユウナ目から熱い涙が頬を伝う。無理矢理に笑いながら、ユウナは床につけられている夫妻の手に触れた。
「やめてよ、ふたりとも。あたしはなにもしていないわ。ただ事実を言っただけよ。そんな風にかしこまれてしまったら、あたしこれからどうすればいいの?」
「しかし……」
ハンは、ぎりと奥歯を軋ませる。
「ハンは闇雲にあたしを追いつめることはしない。だから訊いたでしょう? その目は曇っていないわねと。ハンは意図があってああいう態度をとっていたのだと、あたしにはわかったから。……ハンは味方だと思えばこそ心強かった。だから謝らないで、ハン」
その言葉に驚いたのは、サクだった。
「え……。姫様、わかってたのか? 俺は、俺はまた……、親父が敵になるのかと」
「ふふふ、ハンがサクを見捨てるわけはないでしょう? ハンはサクが可愛くて仕方がない父親なんだから」
そしてユウナは顔から笑みを消し、痛ましい表情を作った。
「ハン。謝るのならあたしの方よ。あたしがリュカを抑えずに逃げてしまったから、だからハンは片腕を失うことになってしまった。左とはいえ……」
ユウナは、上腕しかない左腕を手で触れる。
「最強の武神将として、黒陵に仇なす無法者を取り締まり、今まで幾多の戦績を残した……偉大なる腕だったのに」
ユウナもまた、ふたりの前に床に手をつく。
それは華麗な舞のように、見事な姿だった。
「姫!」
「ユウナ姫!?」
「姫様!!」
「あたしのせいでご子息を窮地に陥らせてごめんなさい。サクを苦しませてごめんなさい。あたしさえ、いなければ。あたしの護衛さえしていなければ。あたしがサクを頼っていなければ。サクは、黒崙で笑っていられたはずなのに。ハンは腕を無くさず、サラも家の財産を投げ出さずにすんだはずだったのに」
ユウナは深々と頭を下げて、嗚咽を漏らす。
「優しいサクの家族を、巻き込んでしまって本当にごめんなさい。サクを愛する街の民を巻き込んでしまってごめんなさい。あたしが弱すぎてごめんなさい。サクに護られてばかりで、ごめんな……」
それ以上は、ハンが言わせなかった。
「サク、サラ……ここは目を瞑れよ」
ハンの胸に、ユウナは引き寄せられていたのだ。
ハンの大きな手が、ユウナの頭を撫でる。
「姫さん。あんたは俺の娘みたいなものなんだ。俺はサクが可愛いが、同じくらいにあんたも可愛い。その姫さんを……」
ハンは、銀色に染まった髪を握りしめると、悔し涙を零した。
「美しい……黒髪だったのに……っ!!」
「ハン……」
「辛かったろうな……姫さん。あんたは、幸せになるべき存在だったのに。本当は今日、一番の笑顔を見せて皆から祝福されていたはずなのに!」
「……っ」
ユウナは込み上げるものを堪えることが出来なくなってしまった。ハンの服を掴んで、泣きじゃくった。
実の父よりもずっと長く、近くで見守っていてくれたハンという男の存在は、ユウナにとっては育ての父にも等しかった。
臣下のくせに口が悪く、だけど面倒見がよく。からかいながらも遊んでくれたと思えば、サクと共に小さいユウナの尻を平気で叩いて、思いきり叱りとばす。その〝育て方〟は、容赦なかったけれど。
そのハンの片腕がない――。
小さかった自分の体をよく摘まみ上げた、あの腕がない――。
それなのにハンは、自分に謝罪する。
なにひとつ悪くないハンが、妻と共に頭を下げる。
欲しいものは謝罪ではない。同情でもない。
サクのような、温かさだ。
ハンは生きていたという、確固たる証拠だ。
「ハンが生きてて……よかった……っ。ハンもサクも……生きていてくれて、それだけであたし……救われる。この世にはまだ救いがあると……神獣玄武のご加護があるのだと……信じていられる……」
仕舞い込んでいた感情が流れ出て止まらない。
ハンがぎゅっと小さな体を抱きしめた。涙を零すサラがユウナの手を握り、涙を堪えるサクはユウナの背を撫でる。
「まだ優しい人達はいるのだと……、信じていられる……っ」
ハンがぽんぽんとユウナをあやすように頭を軽く叩く。
「本当は、その場でリュカをぶった斬ってやりたかったよ。だがな、そうなればサクや姫さんの追討を止める者がいなくなり、速やかに攻め込まれる。だから……引き受けざるをえなかった。リュカのいるあの場では」
「親父は……わかっていたのか? まやかしの玄武殿ということに」
ユウナがハンを信じて、実の息子が信じていなかったその事実に衝撃を受けながら、サクがぼそぼそと聞いた。
「……正直、まやかしだと断言出来る要素はなにもねぇ。俺の目にはいつも通りの玄武殿だった。ただ玄武殿に入った途端、玄武の力がざわめいたんだ。これ以上ないというほどに」
「玄武の力……か」
その力に触れられるのは祠官と武神将のみ。
祠官は玄武の力に触れることが出来るが、自らの意志で操り使用出来るのはせいぜい結界止まり。
武神将だけがそれを武力に展開することが出来るという。
それは攻撃だけではなく、防御も然り。
さらには神獣玄武は、四神獣で一番防御に厚いと言われているから、危機察知能力も高いのだと、サクは聞いたことがあった。
「その前にもざわめきはあった。多分、祠官が死んだ時なんだろう。俺の中の玄武の力がざわめき、体内の力が弱まった。不吉な予感に囚われ、早く帰ろうとした時……これ以上ない餓鬼が押し寄せたんだ。警備兵の精鋭隊は数人しか残らねぇほど凄惨な戦いとなり、なんとか凌いで玄武殿に戻れば、リュカから玄武の力を感じるじゃねぇか。祠官になってもいねぇリュカからそれを感じるのはおかしい。して、見せられた祠官の遺体の……胸の陥没見れば自ずと答えが出る」
「陥没……? 抉られていたことがなにかあるの?」
ユウナはリュカが祠官の心臓を口にして、その力を取り入れただろう残酷な事実を知らない。
それを察して、ハンはリュカが玄武の力を移行する儀式を行ったのだろうと曖昧に終え、そして顰めっ面で続きの言葉を紡ぐ。
「ああ。そしてリュカの後方から感じた、なにか邪悪な視線と、リュカの髪がいつも以上に銀色に見えたこと。しかも俺に証言してくる奴らの顔が皆、同じ表情だったこと。ありぇねぇだろ、沢山の人間が一様に同じ表情しているなど。それに目は虚ろで異様すぎて、玄武の血が騒いだ。警戒しろと」
そこまでの玄武の力を、リュカは知っていたのだろうか。どんな方法かはわからないけれど、まやかしの玄武殿をハンに見せるだけで、ハンを丸め込めると、本当にそう思っていたのだろうか。サクはそこが腑に落ちなかった。
「そして近衛兵が、例の出立ちでやってきた。近衛兵とリュカら玄武殿の奴らの証言をあわせて、俺はサクは嵌められたのだと推測した。ありえねぇよ、サクはそんなことはしない。サクが嵌められたと根底にあれば、あとは外野の騒音にしかすぎねぇ。サクと姫さんが生きているかどうかだけが、憂いだった」
「親父……」
思っていた以上に、ハンは自分を信じてくれていたのだと思うと、サクの胸が熱くなる。目を潤ますサクに、ハンは言った
。
「俺はお前の親だ。お前が姫さんと駆け落ちしただけの話なら、俺は純粋に信じたかも知れねぇが」
「親父までお袋みたいなことを言う! 信じなくていいから!」
「なんであたしがサクと駆け落ち?」
純粋に訊いてくるユウナを見て、ハンは大笑いして話を戻した。
「サクが祠官を殺して、姫さんを凌辱などしまい。お前は、必ず姫さんを連れて黒崙にいると踏んだ。だとすればあとは黒崙の被害をできるかぎり食い止めることが命題となる。幸い街長も俺の話に乗ってくれて、民を移動しようという話になった」
ハンの声は続く。
「だが、ただ移動しろだけでは、黒崙の民は簡単には黒崙を捨てはしない。移動時間だって時間がかかる。移動できたとしても、なにか困難なことがあるたびに、サクのせいだと怨恨が根強く残ってしまう。それでは駄目だ。だからそれを解決するには、姫さんの切実なる訴えが必要だった」
ハンは一度言葉を切ると、ため息をついて再び続ける。
「各々が納得した移動を完了させねば、サクは民の個々の保身でいずれ売られる。黒崙の民のひとりひとりが、刺客となる。……正直、お前達がそこまでの凄惨な体験をしていたとは、俺自身想定していなかった。リュカやリュカの傍にいた奴や餓鬼を相手に、よく無事に姫さんを護れたな、サク」
息子を褒めた後、その顔は怪訝なものへと変わった。
「だがお前、そこまで強かったか?」
正体不明のものと契約をした事実を看破されそうで、サクの心臓は跳ね上がった。
「……俺は……」
すべてを見透かすような鋭い視線を受け、サクはどもるようにして口を閉ざしたまま、その視線を外すように斜め下を向いた。
僅かハンの目が細められる。
「……まぁ今はいい。サク、旅立つ支度をしろ。黒陵はお前達にとって鬼門となる。蒼陵のジウ殿を頼れ、俺が手紙を書くから。玄武の祠官が死んだことで、倭陵の結界が崩れた事実は変わらない。あっちもこっちも大騒ぎ状態かもしれんが。ジウ殿は、お前も知っての通りに情に厚い。力になってくれるだろう。……船はもう出た後だな。明日の早朝、急いでここを出ろ」
「……っ」
「サク?」
苦しそうに唇を噛むサクの仕草を訝しげに見ながら、ハンはサクの耳飾りがひとつしかないことに気づいた。
ハンは眉間に皺を寄せるようにして一度目を瞑ると、サラに向いた。
「……サラ。姫さんを風呂に入れて、髪を洗ってやれ。それから晩餐の宴を。精のつくものをたっぷりな」
「勿論よ! さあ姫様……」
「あ、あのね。ハン、話があるの。あたし……」
「姫さん、悪い。後にしてくれ。ちょっとサクと至急話がある」
なにか言いたげだったユウナは口をつぐみ、サクはこくりと唾を飲み込んだ。
あまりにサクを見つめるハンの眼差しが、鋭利なものであったからだった。
「――ユウナ姫。ふたつ、貴方様に謝罪したい」
それはいまだかつてない、従者としての振る舞い。
直前まで、サラとの熱い場面を見せつけていたというのに、一体どんな心境の変化なのかと、ユウナは怪訝な面持ちでハンを見下ろした。
「ひとつ――。遠方に仕事とはいえ、玄武の武神将の名を戴きながら、祠官と姫の一大事に傍に駆け付けられず、お守り出来ず!! 今までなにも知らぬがまま、のうのうと帰ってきてしまったこと、本当に……、本当に申し訳ございませぬ」
「ハン……」
ハンの口調には、やりきれないというような、忸怩たる強い思いが込められていた。
「そしてふたつ――。街の民を平和的に移動させるためとはいえ、サクを護るために!! 姫に、辛いことを民衆の前で、晒させてしまい! 本当に申し訳ございませぬ」
ハンがサラに求愛したのは、別室に早く移動するためだとユウナは初めて気づいた。一刻も早いユウナへの謝罪と、彼女の銀髪をこれ以上見世物にしないためだと。
サラもまた目を潤ませながら、ハンの横に座ると、両手を床についた。
「姫様。その身を犠牲にして、我が息子をお救い頂き、まことに……まことにありがとうございました!!」
ユウナは慌ててふたりの前に座り込む。
「サラ、頭を上げて。ハンも……っ」
ユウナ目から熱い涙が頬を伝う。無理矢理に笑いながら、ユウナは床につけられている夫妻の手に触れた。
「やめてよ、ふたりとも。あたしはなにもしていないわ。ただ事実を言っただけよ。そんな風にかしこまれてしまったら、あたしこれからどうすればいいの?」
「しかし……」
ハンは、ぎりと奥歯を軋ませる。
「ハンは闇雲にあたしを追いつめることはしない。だから訊いたでしょう? その目は曇っていないわねと。ハンは意図があってああいう態度をとっていたのだと、あたしにはわかったから。……ハンは味方だと思えばこそ心強かった。だから謝らないで、ハン」
その言葉に驚いたのは、サクだった。
「え……。姫様、わかってたのか? 俺は、俺はまた……、親父が敵になるのかと」
「ふふふ、ハンがサクを見捨てるわけはないでしょう? ハンはサクが可愛くて仕方がない父親なんだから」
そしてユウナは顔から笑みを消し、痛ましい表情を作った。
「ハン。謝るのならあたしの方よ。あたしがリュカを抑えずに逃げてしまったから、だからハンは片腕を失うことになってしまった。左とはいえ……」
ユウナは、上腕しかない左腕を手で触れる。
「最強の武神将として、黒陵に仇なす無法者を取り締まり、今まで幾多の戦績を残した……偉大なる腕だったのに」
ユウナもまた、ふたりの前に床に手をつく。
それは華麗な舞のように、見事な姿だった。
「姫!」
「ユウナ姫!?」
「姫様!!」
「あたしのせいでご子息を窮地に陥らせてごめんなさい。サクを苦しませてごめんなさい。あたしさえ、いなければ。あたしの護衛さえしていなければ。あたしがサクを頼っていなければ。サクは、黒崙で笑っていられたはずなのに。ハンは腕を無くさず、サラも家の財産を投げ出さずにすんだはずだったのに」
ユウナは深々と頭を下げて、嗚咽を漏らす。
「優しいサクの家族を、巻き込んでしまって本当にごめんなさい。サクを愛する街の民を巻き込んでしまってごめんなさい。あたしが弱すぎてごめんなさい。サクに護られてばかりで、ごめんな……」
それ以上は、ハンが言わせなかった。
「サク、サラ……ここは目を瞑れよ」
ハンの胸に、ユウナは引き寄せられていたのだ。
ハンの大きな手が、ユウナの頭を撫でる。
「姫さん。あんたは俺の娘みたいなものなんだ。俺はサクが可愛いが、同じくらいにあんたも可愛い。その姫さんを……」
ハンは、銀色に染まった髪を握りしめると、悔し涙を零した。
「美しい……黒髪だったのに……っ!!」
「ハン……」
「辛かったろうな……姫さん。あんたは、幸せになるべき存在だったのに。本当は今日、一番の笑顔を見せて皆から祝福されていたはずなのに!」
「……っ」
ユウナは込み上げるものを堪えることが出来なくなってしまった。ハンの服を掴んで、泣きじゃくった。
実の父よりもずっと長く、近くで見守っていてくれたハンという男の存在は、ユウナにとっては育ての父にも等しかった。
臣下のくせに口が悪く、だけど面倒見がよく。からかいながらも遊んでくれたと思えば、サクと共に小さいユウナの尻を平気で叩いて、思いきり叱りとばす。その〝育て方〟は、容赦なかったけれど。
そのハンの片腕がない――。
小さかった自分の体をよく摘まみ上げた、あの腕がない――。
それなのにハンは、自分に謝罪する。
なにひとつ悪くないハンが、妻と共に頭を下げる。
欲しいものは謝罪ではない。同情でもない。
サクのような、温かさだ。
ハンは生きていたという、確固たる証拠だ。
「ハンが生きてて……よかった……っ。ハンもサクも……生きていてくれて、それだけであたし……救われる。この世にはまだ救いがあると……神獣玄武のご加護があるのだと……信じていられる……」
仕舞い込んでいた感情が流れ出て止まらない。
ハンがぎゅっと小さな体を抱きしめた。涙を零すサラがユウナの手を握り、涙を堪えるサクはユウナの背を撫でる。
「まだ優しい人達はいるのだと……、信じていられる……っ」
ハンがぽんぽんとユウナをあやすように頭を軽く叩く。
「本当は、その場でリュカをぶった斬ってやりたかったよ。だがな、そうなればサクや姫さんの追討を止める者がいなくなり、速やかに攻め込まれる。だから……引き受けざるをえなかった。リュカのいるあの場では」
「親父は……わかっていたのか? まやかしの玄武殿ということに」
ユウナがハンを信じて、実の息子が信じていなかったその事実に衝撃を受けながら、サクがぼそぼそと聞いた。
「……正直、まやかしだと断言出来る要素はなにもねぇ。俺の目にはいつも通りの玄武殿だった。ただ玄武殿に入った途端、玄武の力がざわめいたんだ。これ以上ないというほどに」
「玄武の力……か」
その力に触れられるのは祠官と武神将のみ。
祠官は玄武の力に触れることが出来るが、自らの意志で操り使用出来るのはせいぜい結界止まり。
武神将だけがそれを武力に展開することが出来るという。
それは攻撃だけではなく、防御も然り。
さらには神獣玄武は、四神獣で一番防御に厚いと言われているから、危機察知能力も高いのだと、サクは聞いたことがあった。
「その前にもざわめきはあった。多分、祠官が死んだ時なんだろう。俺の中の玄武の力がざわめき、体内の力が弱まった。不吉な予感に囚われ、早く帰ろうとした時……これ以上ない餓鬼が押し寄せたんだ。警備兵の精鋭隊は数人しか残らねぇほど凄惨な戦いとなり、なんとか凌いで玄武殿に戻れば、リュカから玄武の力を感じるじゃねぇか。祠官になってもいねぇリュカからそれを感じるのはおかしい。して、見せられた祠官の遺体の……胸の陥没見れば自ずと答えが出る」
「陥没……? 抉られていたことがなにかあるの?」
ユウナはリュカが祠官の心臓を口にして、その力を取り入れただろう残酷な事実を知らない。
それを察して、ハンはリュカが玄武の力を移行する儀式を行ったのだろうと曖昧に終え、そして顰めっ面で続きの言葉を紡ぐ。
「ああ。そしてリュカの後方から感じた、なにか邪悪な視線と、リュカの髪がいつも以上に銀色に見えたこと。しかも俺に証言してくる奴らの顔が皆、同じ表情だったこと。ありぇねぇだろ、沢山の人間が一様に同じ表情しているなど。それに目は虚ろで異様すぎて、玄武の血が騒いだ。警戒しろと」
そこまでの玄武の力を、リュカは知っていたのだろうか。どんな方法かはわからないけれど、まやかしの玄武殿をハンに見せるだけで、ハンを丸め込めると、本当にそう思っていたのだろうか。サクはそこが腑に落ちなかった。
「そして近衛兵が、例の出立ちでやってきた。近衛兵とリュカら玄武殿の奴らの証言をあわせて、俺はサクは嵌められたのだと推測した。ありえねぇよ、サクはそんなことはしない。サクが嵌められたと根底にあれば、あとは外野の騒音にしかすぎねぇ。サクと姫さんが生きているかどうかだけが、憂いだった」
「親父……」
思っていた以上に、ハンは自分を信じてくれていたのだと思うと、サクの胸が熱くなる。目を潤ますサクに、ハンは言った
。
「俺はお前の親だ。お前が姫さんと駆け落ちしただけの話なら、俺は純粋に信じたかも知れねぇが」
「親父までお袋みたいなことを言う! 信じなくていいから!」
「なんであたしがサクと駆け落ち?」
純粋に訊いてくるユウナを見て、ハンは大笑いして話を戻した。
「サクが祠官を殺して、姫さんを凌辱などしまい。お前は、必ず姫さんを連れて黒崙にいると踏んだ。だとすればあとは黒崙の被害をできるかぎり食い止めることが命題となる。幸い街長も俺の話に乗ってくれて、民を移動しようという話になった」
ハンの声は続く。
「だが、ただ移動しろだけでは、黒崙の民は簡単には黒崙を捨てはしない。移動時間だって時間がかかる。移動できたとしても、なにか困難なことがあるたびに、サクのせいだと怨恨が根強く残ってしまう。それでは駄目だ。だからそれを解決するには、姫さんの切実なる訴えが必要だった」
ハンは一度言葉を切ると、ため息をついて再び続ける。
「各々が納得した移動を完了させねば、サクは民の個々の保身でいずれ売られる。黒崙の民のひとりひとりが、刺客となる。……正直、お前達がそこまでの凄惨な体験をしていたとは、俺自身想定していなかった。リュカやリュカの傍にいた奴や餓鬼を相手に、よく無事に姫さんを護れたな、サク」
息子を褒めた後、その顔は怪訝なものへと変わった。
「だがお前、そこまで強かったか?」
正体不明のものと契約をした事実を看破されそうで、サクの心臓は跳ね上がった。
「……俺は……」
すべてを見透かすような鋭い視線を受け、サクはどもるようにして口を閉ざしたまま、その視線を外すように斜め下を向いた。
僅かハンの目が細められる。
「……まぁ今はいい。サク、旅立つ支度をしろ。黒陵はお前達にとって鬼門となる。蒼陵のジウ殿を頼れ、俺が手紙を書くから。玄武の祠官が死んだことで、倭陵の結界が崩れた事実は変わらない。あっちもこっちも大騒ぎ状態かもしれんが。ジウ殿は、お前も知っての通りに情に厚い。力になってくれるだろう。……船はもう出た後だな。明日の早朝、急いでここを出ろ」
「……っ」
「サク?」
苦しそうに唇を噛むサクの仕草を訝しげに見ながら、ハンはサクの耳飾りがひとつしかないことに気づいた。
ハンは眉間に皺を寄せるようにして一度目を瞑ると、サラに向いた。
「……サラ。姫さんを風呂に入れて、髪を洗ってやれ。それから晩餐の宴を。精のつくものをたっぷりな」
「勿論よ! さあ姫様……」
「あ、あのね。ハン、話があるの。あたし……」
「姫さん、悪い。後にしてくれ。ちょっとサクと至急話がある」
なにか言いたげだったユウナは口をつぐみ、サクはこくりと唾を飲み込んだ。
あまりにサクを見つめるハンの眼差しが、鋭利なものであったからだった。
0
お気に入りに追加
94
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。
でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。
けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。
同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。
そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる