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Lovely Moon 12
しおりを挟む「違うぞ、三上」
専務は顔を上げた。
「俺は自分のエゴで、向島社長の毒牙が三上を襲ったら、向島が悲しむと思っただけだ。すべてを知った上で、シークレットムーンに入れることを決定したのは月代さんだ」
そこには、社長にも似た温かな笑みが浮かんでいる。
「それでも……」
「なあ、三上。俺はなにも大したことはしてねぇんだよ、本気に。それだったら、色々な面での問題児を集めて、ひとつの家族を作ろうとした、月代さんに感謝しろ」
あたしの頭には、社長が言っていた言葉が蘇る。
社長はあたし達社員の父親であり、あたし達社員は社長の子供で。社長は子供が作れないから、代わりにあたしも結城も、衣里も杏奈も、そして多分千絵ちゃんですら、下手をすれば社会に適合できずに居場所をなくしていたかもしれないあたし達に、社長はひとつの家を作って守ろうとしてくれたんだ。
なにも問題がないように見える木島くんだって、他の社員だって、もしかすると目に見えないだけで、なにか問題があるのかもしれない。
あたし達は、助け助けられてここまで来た――。
「俺が月代さんにして貰ったことを思えば、俺がお前にしたことはあまりに小さすぎることだ。俺を神みたいに決して思うなよ、三上。月代さんに笑われちまうよ、俺」
そして社長が守った宮坂専務もまた、社長の精神を受け継ぎ、その慈愛の精神で朱羽を守ってくれた。沙紀さんだって、かつての社長の部下として専務にも影響されながらも、専務と共に朱羽の家族となった。
そうやって人間は、見えないなにかで繋がっている。
「あたし達は、ひとりじゃないよ、杏奈」
孤独だと思うのは、差し伸べる手が見えないということ。
あたしの周りには、沢山にあたしを、そして杏奈を守ろうとしてくれる手がちゃんと出ている。
今度はあたしから杏奈へ――。
「生きていてくれて、ありがとう……」
朱羽に貰った言葉を、今ならあたしは杏奈に言えるから。
「鹿沼、ちゃん……っ」
「三上……」
社長が弱々しく病床から呼んだ。
社長の発声が弱くても、ちゃんとあたし達の声は聞こえる。
杏奈が社長のベッドの脇に立つ。
社長が上げた手で、専務がなにをしようとしていたのか気づいたようだ。
「三上、屈め」
「え?」
「いいから」
膝立ちをした杏奈の頭に、社長の手が置かれる。
「負けるな」
病気と必死に闘っている社長の言葉に、
「復縁するのもしないのも、お前の未来だ。……このままの状況が辛いのは、お前だろう? 今度は逃げずに、自分の気持ちと戦え」
「しゃ、ちょ……っ」
杏奈は社長に縋るようにして泣いた。
杏奈があの奇抜な格好をするようになったのは、向島に見つからないようにというのと共に、本当に杏奈の趣味でもあったらしい。
社長に"飼育"されて育った彼女は、『玩具人形』というタイトルの、パソコンで見たロリータ系のネット小説に影響を受けたそうで、あの格好をしている時向島のことを忘れていられたそうだ。
専務の声が響く。
「俺は単純に、三上を向島の父親の手から守るつもりだった。向島から、惚れた女がいて父親の手に戻らないか心配だと、酒の席で聞いていたから、三年前の向島の変貌に驚いた俺は、事態を察知して調べ上げて三上を庇護した。それはあいつからではなく、あいつの父親からのつもりで」
「渉さんは、向島専務にそのことを話したんですか?」
朱羽の声に、専務は薄く笑う。
「俺が話した時、もうあいつは三上がいなくなったことで、おかしくなっていてな。幾ら保護をしたと言っても、俺が三上に惚れたから奪ったのだと邪推した。幾ら沙紀がいると言っても、信じなかった。だから俺は、あいつがまともに話せるようになるまで、とりあえずは三上を忍月所有のマンションに入れた」
「だけど……宗司が調べて押しかけてきて、窓硝子を破って中に入ろうとしたり、ドアをがんがんと長い時間蹴り飛ばしたり」
杏奈が弱々しく語る。
「あいつは三上への愛がこじれて憎悪になっていた。このままだと、三上がついた『好きな奴が出来た』という嘘は真実になって、そのために三上は、今度はあいつに向島社長より酷いことをされるかもしれない。それでも1年、三上は逃げ回った。だが追いかける向島の手から逃れるためには、俺もあいつより大きな権力が必要だった。そのために三上をシークレットムーンに入れた。丁度、シークレットムーンを立ち上げるためには、実力者がいないといけないと重役に言われていてな。それが二年前――」
どうして、朱羽を入れなかったのだろう。
彼をそこまで忍月が必要としていたのか。
「そうして、忍月の力で三上は今まで守られてきた。まあいつもの格好もカモフラージュになっただろうが」
向島専務は、愛するひとがあんなピンクのふりふりを着ているとは思っていなかっただろう。
朱羽が言った。
「そんな三上さんの格好を知ってか知らずか、それでも向島専務は諦めていなかった。渉さんに憎しみを飛ばして、渉さんを忍月の重役の席から堕とそうと、渉さんの反対派である副社長に接触した」
「おい、朱羽……」
「渉さんが話してくれないから、気づくのに今までかかってしまいました」
「なんで今だ?」
結城の疑問の声に、専務と朱羽は顔を見合わせ、お互い同じ意見に行き着いたのか頷いた。
「それは多分、母体である忍月財閥の事情かと」
朱羽の冷ややかな顔が気になった。
なぜ彼はそうはっきり言える?
「忍月財閥の次期当主であった、現当主の息子が病気で倒れて、とうとう亡くなった。そこで正当な後継者がいなくなり、その後継者問題で揺らいでいたので、その隙を突いて、あわよくば渉さんだけではなく、忍月も堕とそうとしていたのだと思います」
後継者問題――。
なんだか最近聞いたことがある。
確かあれは……。
あたしは専務を見た。
専務が確か初めて会った食堂で、彼がそんなことを言い出したのだ。
忍月財閥に関わる、このビルに漂う噂を。
それは、噂ではなかったのか。
それでこの時期に、向島専務が動いたというのか。
「……冗談じゃないわよ」
衣里が呟いた。
「私情で会社がなんで危機になるのよ。大体、杏奈が逃げているのならそこで終わったとどうして納得しないのよ。どうして宮坂専務の言うことに耳を貸さないのよ、どうして……社長を苦しめるのよ」
「衣里……」
「本当に冗談じゃないっす。忍月財閥の事情も向島財閥の事情も、俺達には関係ないっす。なんでシークレットムーンが、勢力争いの道具になるっすか!」
「木島くん……」
「だったら余計、きっちりケリつけてやらないとな」
結城はそう不敵に笑うと、社長の傍に立って言った。
「社長を俺にやらせて下さい」
社長は手を伸ばして、結城の手首を掴んだ。
「こんな時に、すまないな」
哀れんだような、だけど少し嬉しそうな表情を顔に浮かべて。
「こんな時だからこそ、だ。俺だってあんたに助けられた。皆あんたに居場所を作って貰った。だったら今度は俺達が、社長が……親父がちゃんと帰って来れて、笑っていられる家を作らなきゃ」
初めて結城は、意識ある社長を親父と呼んだ。
「なに驚いた顔してんだよ、親父。俺は子供だろ。そしてあんたの子供は俺の他にもたくさんいるだろ。あんたが大黒柱なんだよ、だから早く元気になってくれ。親父は俺の上に立つ会長なんだから。俺、色々と聞かないといけねぇこともあるんだから、まずその声をもっと元気にしろよ」
「ん……」
社長の目尻から涙が零れる。
社長の手をぐっと握りしめたまま、結城は専務に言った。
「――ということで、社長やらせて下さい。まだまだ至らぬ点があるところが不安ですが、仲間に助けて貰おうと思います。
まずはひとつ。三上を守って向島を叩きつぶすこと。
それともうひとつ。忍月のお偉方を黙らせて、専務に敵対する勢力を押さえること。
それをひとまずの課題に掲げたい」
「はは、なに簡単に言うんだよ、相手はそこらへんの大企業ではなく、政界にも進出している向島財閥と言っても過言じゃねぇぞ?」
専務は笑う。
「それでも、俺は最後まで戦います。このままただやられているわけにはいかない。俺は、親父が建てた自分の"家"を守ります」
専務がぐるりとあたし達を見渡した。
あたし達は強く頷き、結城に賛同していることを専務に告げた。
「……向島が退けば、それだけで副社長の力は弱まる。それは俺にとっては願ったり叶ったりだが、本当にお前、社長をやりきれる自信はあるか?」
結城は強張った顔のまま直立して、専務に頭を下げた。
「俺、根性だけは誰にも負けません。だからどうか……ご指導よろしくお願いします」
その横で杏奈も頭を下げた。
「今まで守って下さってありがとうございます。私も戦います、今度こそ隠れていないで正々堂々と、シークレットムーンの一員として。結城社長の下に」
「――っ!!! 月代さん。もうこうなれば大丈夫です、信じましょう」
専務がもう泣きそうな顔で、身体を屈ませて社長に言うと、社長は……唇を震わせて、ぽろぽと涙を零しながら、専務の腕をぽんぽんと叩いて言った。
「俺の子供達を、信じる……」
負けないよ、シークレットムーンは。
あたしの横に朱羽が立っていた。朱羽がひとに見られないように、あたしの手を握り自分の背中に持っていく。
「陽菜、俺……頑張るから」
「……うん、あたしも」
「向島だけじゃない、すべてに」
「え?」
見上げた朱羽の横顔は厳しく。
「キツいのは俺だけじゃない。それをバネにして、俺は絶対……あなたを離さないから」
「朱羽?」
「……あなたに、三上さんと同じ選択は絶対させない」
朱羽はなにを考えているのだろう。
あたしが、朱羽から逃げるのだと思っているのだろうか。
朱羽は、あたしの手をさらに強くぎゅうっと握った。
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