アムネシアは蜜愛に花開く

奏多

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第4章 歪んだ溺恋と束の間の幸せ

勇気が欲しい

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「今のペースなら来月には出来上がるよ? それだったら、せめて再来月の口紅の披露……」

 しかし巽は譲らない。

「却下。口紅が完成したら! それ以上は待てない。お前俺の理性をなんだと思ってるわけ? 二十年以上惚れ続けた女が俺を好きだと言っているのに、黙って見ているなんて俺、神様じゃねぇぞ!?」

 その気持ちは身体が熱くなるほど嬉しい。
 わたしだってなにもなければ、迷うことなく巽のところにいきたい。

 しかし、父と義母だけではなく、怜二さんと由奈さんまでもを傷つけた上で、選んだ巽との恋を進めていくには、かなりの覚悟が必要なのも事実だ。
 わたしはまだ、ひとの目が怖くて、一歩を踏み出す勇気が持てない。
 そうなった原因が自分にあると思えばこそ、余計に。

「……なにが不安なんだよ」

 巽が口を尖らせる。

「言ってみろ。俺達は両想いなのに、なにがお前を踏みとどませる?」
「……大体、巽だって由奈さんと婚約したままだし。三嶋元社長がどう出るか……」
「それなら大丈夫。元々ルミナスを組み込むためだけの建前の婚約だと、由奈の親にも宣言していた。統合が達成出来た今、週明けにでもすぐに由奈の親のところへ行って婚約は破棄する。予定調和だ」

 本当に建前だけの婚約だったのか。
 それなのに、わたしに見せつけるためだけに、あんなにいちゃいちゃしていただなんて。

「他には? まだあるだろう」
「だ、だって、たった一ヶ月で、すべてをリセットして始めるなんて……」
「それは、広瀬や由奈に対する罪悪感? それとも世間体の話? お前の覚悟の話?」
「そのすべてというか……」
「ったく、この〝いい子チャン〟は。本気でジジババになったら、OK出す気かよ。それともあの世でか? 時間がたてば解決する問題でもないだろうが。周りを傷つけたと引き籠もるくらいなら、周りもドン引きするほどお前が幸せになって、〝運命の恋〟を証明すればいいだろう。そしたらきっと、周りも納得するって」
「それは……開き直りというものじゃ……」

 巽は、いらっとしたようだ。
 不機嫌そうに目を細めたが、ため息をついて言った。

「まあでも、お前がうだうだするのは俺のせいでもあるし……わかった。迷えるお前の背中を押してやる。一ヶ月後に俺と付き合わないと、ルミナス社員全員クビ。付き合ったら全員をアムネシア社員とする辞令をすぐにでも出す」
「それは脅迫、職権乱用よ!!」
「うるせーよ。職権使わないでいつ使うよ。さあ、どうする?」
「う~」 

 わたしはぷるぷる震えて、言葉が出てこない。

 巽の強引さは、再会して色々と思い知った。
 この男は、やると言ったら必ずやる。
 本気でルミナス社員を盾にする気だ。

 〝お姉ちゃん〟と慕ってくれた可愛い巽は、わたしの妄想だったが如く消え去った。
 
「はい、決まりね。杏咲ちゃん、俺と頑張って一日でも早く、俺を欲情させる口紅を作ろうな」

 駄々っ子に、頭を撫でられて宥められたのが悔しくて堪らず、キッと睨む。
 すると、巽は小さく舌打ちして、頭をがしがしとかき、わたしの腕を掴んで真顔で言った。

「俺を……アズが愛した過去の男にしないでくれ」
「え……?」
「怖いんだよ、お前が理由をつけて俺から離れたり、勝手に思い出にされそうで。もういやなんだよ、こんなにお前が好きでたまらないのに、もう制約はなくなったのに、指を咥えて見ているだけなのは。ようやく、お前に会えたんだ。遠回りはしたけれど、今度こそお前と堂々と愛し合える、ただの男と女になりたい」
「……っ」

 その悲痛な声に、わたしは言葉が出なかった。
 ただ、その真っ直ぐな気持ちを受けて、心臓がドクドクと早い。

「お前は俺の女だって公言したい。お前にも、お前の男だって公言されたい。……お前が抱える罪も後悔も、すべて俺が背負う覚悟は、とうに出来ている」

 懇願めいたその眼差しが熱くて……わたしの胸の奥に火を灯す。

 ずっとずっと好きだった巽。
 諦めないといけないのが苦しくて、相手がいるのが辛くて。
 報われなくていいから、巽を想い続けたいために、怜二さんと別れを決意した。

 巽を思い出になんかしたくない。
 巽は目の前にいるのに。
 巽から嫌われていたわけではないのに。

 巽は自分のものだと……わたしも堂々と口にしたいよ。
 巽こそ、わたしが生涯かけて愛していきたいひとだと、周りにも言いたいよ。
 
「だからぐだぐだ悩まず、俺が好きなら、問答無用で……俺のところに来い。傷ついた分、俺の元で幸せになれ」

 わたしの胸の奥で、かさりと音がした。
 それは、散り重なったアムネシアの花弁の隙間から、新たなアムネシアが芽吹いたような音だ。

「――っ」
 
 ああ、もう……持って行かれた。
 まるでプロポーズみたいな、俺様発言に。

 父さん、お義母さん、怜二さん、由奈さん――。
 わたし、どうしても巽じゃないと駄目なんです。
 巽のところに、行きたいんです。
 わたしに必死になってくれる彼が、どうしても愛おしくて欲しいんです。
 わたしもまた巽を傷つけてきた分、彼に色々なものを背負わせてしまった分、わたしも巽を幸せにしたいんです。

 罪は背負います。
 だから――わたしに、勇気をください。
 巽と生きていくための一歩を――。

「俺はお前だけは諦めねぇから。一ヶ月で覚悟を決めてくれ。一ヶ月後、俺にすべてを奪われ囚われる覚悟を」

 既に囚われていることを知らない巽の発言に、思わずくすりと笑ってしまった。

「……あれ? もう、無理矢理はしないんじゃなかったの?」

 わざと意地悪なことを聞いてみる。

「……だから覚悟を決めてくれってお願いしてるんだろう?」
「え、お願いだったの?」
「当然だろう? 俺……お前から嫌われるのだけは、本当に堪えるから。今度こそ間違いなく死ぬ」
「そこで、死を持ち出すのは、卑怯なんじゃ……」

 すると巽が爆ぜた。

「なりふり構ってられねぇんだよ、お前を俺のものにするためには。ガキだって言われても、本気で余裕がないくらい、お前が好きで好きでたまらねぇんだって。いい加減、俺に心底〝溺恋〟されている自覚をしろよ! なにお前だけ余裕ぶっているんだよ! もう姉でもねぇ、恋人もいねぇ状態なのに、また俺に辛い片想いをさせるなよ。俺に転がり込めよ、こっちはいつだって準備万端なのに一ヶ月でも不服だなんて、お前は鬼か!」

 怒鳴るだけ怒鳴ると、今度はいじけてむくれてしまった。

 ああ、もう。可愛くて愛おしくて、たまらなくなる。
 いつものあの、強引で不遜な専務の姿はどうしたの。

 拗ねてばかりの巽を、笑顔にさせたくてたまらない。
 伝えてもいいのかな、この気持ちを。

「一ヶ月後、ね。わたし達の再スタートは」
「そうだ! ……え?」
「巽が不安にならないよう、ちゃんとわたしも気持ちを伝えるようにするから。それで一ヶ月、口紅完成するまで、綺麗な関係で我慢してくれる?」

 覚悟を決めて、前に進んでみよう。
 罪を背負って、巽と生きていけるように。
 過去ばかり見て後ろ向きにならないように、わたしが出来ることからしてみよう。

「え? え?」
「なんで驚くの? いやなら別に、上司と部下や、義姉と義弟の関係でもいいけど……」
「そんなこと、ひと言も言ってねぇだろう!?」

 そして、巽は顔を綻ばせた。
 わたしが昔によく見ていた、少しあどけない……無防備な笑みだった。
 どんなに巽が成長しても、巽は巽、変わらないものもあるんだと思うと、とても嬉しい。

 そして巽はそのままの顔で言った。
 
「来月まで、また男作るなよ? それともう怪しいグッズは買わないこと。定期的に家の中チェックするから」
「……は!?」
「俺は、お前以外には勃たねぇっていうのに、お前は他の男のために濡らそうとするエロい女だし」

 極上の笑顔で、なにを言う。

「でも巽、由奈さんにいろいろされてたじゃない」
「あれは……!」

 わたしは巽の唇にちゅっと自分の唇を重ねた。

「消毒」

 すると巽は、ぼっと顔を真っ赤にさせるものだから、わたしの方が驚いた。

「な、なんで赤くなるの。いつもは凄いことしてきてるくせに」
「うるせーよ。お前からは初めてで嬉しいんだよ、くそっ」

 アムネシアの専務をするほどに大人びているのに、まるで中高生のようなストレートな反応をして、わたしをきゅんとさせるなんてずるい。
 もしもあの頃、わたし達が仲良ければ、こんな可愛い巽をたくさん見れたのだろうか。

 愛おしいと思う。
 巽のすべてをもっと感じたいと、切に思う。
 巽以外を考えられなくなりたい。
 ……せめて今日は。

「だったら、もうひとつ、初めてのことをさせて?」
「ああ、なに?」
「……由奈さんが舐めたところ、わたしも舐めたいの」
「は!?」
「由奈さんが舐めたままのものを、わたし自分の中に入れたくない」

 そう赤い顔を背ければ、巽は言う。

「入れさせてくれるわけ?」
「……ん。ちょっとだけ」
「ちょっとって、お前……。でも口紅出来たらと、約束しちまったしな……」

 巽は頭を掻きながら大きなため息をつく。

「まあ、今までなんとかなったんだから、なんとかなるだろ。だけど、本気に舐めるの?」
「舐める。巽だって舐めていたじゃない。されっぱなしは」
「なんでそこで挑むんだよ、俺に。だったら……」

 巽はわたしの身体を持ち上げて歩き出す。

「せめて身体洗ってからにしてくれねぇ? さすがに俺、あいつに舐められて気持ち悪いし、それをお前に舐めさせたくねぇんだよ。間接キスされたら、たまったもんじゃないし」

 わたしは、声をたてて笑ってしまった。

 
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