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第4章 歪んだ溺恋と束の間の幸せ
理解しがたい歪んだ恋
しおりを挟む「なんで巽くん、私の杏咲ちゃんに手を出そうとするのよ、そんなの約束してないじゃない!! 広瀬くんの牽制なんでしょ、なんで由奈の杏咲ちゃんを取ろうとするのよ」
由奈さんの金切り声が響く。
そこにわたしの名前が出てくるのに、理解が出来ないため、わかっているらしい巽に説明を求めた。
「え? 巽……なに?」
すると巽は不愉快そうな顔で、頭をがしがしと掻いて言う。
「由奈はお前を好きなんだよ、恋愛感情として。お前にGPSをつけてしまうほど」
「わたしにGPS?」
「ああ。お前のスマホを弄らせたことあるだろう、由奈に」
由奈さんは、わたしのスマホで遊ぶのが好きだった。
――ねぇ、杏咲ちゃん。杏咲ちゃんのスマホ、弄らせて?
ごく自然に、言われるがままにスマホを由奈さんに渡し、トイレに立ったときもそのスマホを取り返さず、由奈さんに預けたままだった。取り戻す必要性を感じなかったからだ。
その時に、GPSをつけたと……巽はそう言うの?
そして巽はさらに、衝撃的なことを言い出した。
「由奈はお前が好きだから、お前の代償として広瀬とセックスをしていたんだ」
「――は?」
頭が回転してくれない。
「女だから、お前と繋がれねぇから。広瀬をけしかけて、お前の中に入った広瀬のものを自分の中に入れ、広瀬からお前がどうよがったか聞きでもしながら、お前の感覚を共有することで、お前とセックスをして繋がった気になって悦に入っていたんだろう」
わたしはパニックを起こす頭を必死に宥めて、巽の言葉の意味を懸命に考える。
でもよくわからない。
「言わば、広瀬はバイブとかの愛玩道具。お前と共有して使うことで、お前と一体化している気分に浸っていたんだ」
つまり――。
由奈さんと怜二さんがセックスをしていたのは確定で。
由奈さんが怜二さんとセックスをした理由は、由奈さんが怜二さんを男として好きだからとか、セックスを楽しむセフレだからというのではなく、わたしと怜二さんがセックスをしていたから、同じことをして怜二さんの感覚を共有することで、わたしと繋がっているように倒錯していた……ということ?
……なんですか、それ。
「え、でも……わたしと怜二さんが付き合う前からだったら……」
ふたりがセックスをしている時期が早すぎるのでは?
すると巽は、なんでもないような顔で答えた。
「片想い同士の欲求不満の解消じゃね? 大方ふたりでお前の名前でも呼んで達していたんだろうさ」
「な……にそれ」
「由奈に寝取られ趣味があるのなら、理解者のふりをして広瀬にアズを抱かせて悶々としながら、その広瀬に宥めて貰っていたんだろうよ。お前の影を手繰り寄せながら」
理解しても信じがたく、その真偽を求めた先――由奈さんは、涙でぐしゃぐしゃな顔をして、巽の言葉を否定せずにわたしに必死に訴える。
「杏咲ちゃん、好きなの。杏咲ちゃんが好きでたまらないの」
狂気じみた激情の迸る由奈さんの眼差し。
わたしの喉奥から、ひゅうとおかしな音がした。
「私が幸せにする。だから、ね? 由奈と付き合おう? セックスしよう? 本物じゃないけど、由奈、杏咲ちゃんといつかしたくて、双頭バイブを持っているの……」
由奈さんは転がっていたバッグを手に取り、中から取り出したものを組み立てて見せた。
しわしわで筋張ったような長い軸の両端には、ピンク色の男性器の先端を模したものがあり、あまりにも異様だった。
なにこれ。
一体なにに使うのよ、これ。
わたしは恐怖に青ざめ、完全に引いてしまう。
「ほら、可愛いでしょう? これをふたりの中に入れてスイッチを入れると、両方がブルブルして一緒にイケるの。ねぇ、由奈と一緒にイこう? ね、男なんかやめて、由奈に杏咲ちゃんのイキ顔を見せて?」
それは哀願というより狂気だった。
どこまでも歪んだ、愛という名の深い闇。
わたしを初めての友達だと言う、優しい由奈さんを好きだった。
だけどわたしは、由奈さんに期待させる素振りをしてしまったのかもしれない。
女性同士は恋が成り立たないと、最初から甘く見ていたために。
由奈さんが求めていたのは、性別のしがらみを超えて、自分に溺れてくれるような激情だったのだろう。
わたしが巽に、巽がわたしに求めるような……特殊ではない、普通の恋情。
……それがひとには理解を得られず、気持ち悪いと思われるとわかっていればこそ、恋は激化する。
そう、歪んだ恋の形は、わたしも巽に抱いていたではないか。
義弟に禁断の恋情を抱き、欲情してセックスをして、周囲を滅ぼしたのだから。
わたしは由奈さんを責めることは出来ない。
「ねぇ、杏咲ちゃん。由奈と……」
「由奈さん、気持ちはありがたいけど、ごめんなさい。わたし……好きなひとがいるんです」
わたしは由奈さんの伸ばした手を取らずに、まっすぐと由奈さんの目を見て言った。
わたしなりの誠意が伝わればいいと思う。
由奈さんは……歪んだ笑いを見せる。
「広瀬くんはわたしとしていたんだよ? 杏咲ちゃんが変なものを入れて濡れたふりをしているのが辛いって、自分が下手で杏咲ちゃんにお泊まりを断られて辛いから慰めて欲しいって」
「……っ」
「由奈の中をたくさん擦って奥まで突いて、たくさん出していたんだよ? 動物のように吼えながら。杏咲ちゃん、そんな広瀬くん、見たことないでしょう」
胸がきりきりと痛む。
「わたしの、せいです。わたしが、嘘をつかなければ……よかった」
怜二さんを悩ませたくないから、偽りの蜜で誤魔化そうとした。
それが怜二さんを苦しませていたことに気づきもせず。
「わたしは……巽が好きです」
「巽くん? なんで巽くんなの!?」
「巽は……学生時代の頃から、わたしが好きだった男性なんです。初めて会ったわけじゃない。彼にすべての愛を捧げてしまっていたから、巽を忘れることが出来ずにいたから、わたしは怜二さんに濡れることが出来なかったんです。それは怜二さんのせいではない。わたしはきっと、巽以外のひとには濡れることは出来ないんです」
背後から声がする。
「杏咲……、なにを……」
怜二さんは目覚めていたようだ。
わたしは後ろを向くと、怜二さんに土下座をした。
「……苦しませてごめんなさい、怜二さん。わたしと別れて下さい」
――藤城さん。俺と、付き合って……くれないかな?
――皆に報告! 俺は藤城杏咲さんと付き合うことになりました!
――杏咲、おいで?
優しいひとだった。
穏やかな幸せをくれたひとだった。
彼の苦しむ顔は見たくなかった。
――俺と結婚、して欲しいんだ。
出来るならば、普通の女性として、彼との幸せな結婚を夢見たかった。
だけど、わたしは夢見ることは出来なかった。
「杏咲っ、俺……もっとうまくなるから。だから別れるなんて言うな!」
いつもわたしを包んでくれた彼の、弱い姿も見たくなかった。
……元凶のわたしが泣いては駄目だ。
「もしも怜二さんなら。わたしが怜二さんを好きだから巽に抱かれていたと知ったら、理解して許すことが出来ますか?」
「そ、それはっ。杏咲、違う。それは……」
怜二さんは、由奈さんとセックスをしていたことをわたしにばれたことに気づいたようで、狼狽えた。
「お互いが好きだからじゃない。セックスをしたかったからじゃない。俺達は、きみが好きでたまらないから――」
ああ――。
怜二さんの言葉がじりじりと蝉の音になる。
「そうよ。私も広瀬くんも好きなのは杏咲ちゃんなの。同志なの。お互い愛情なんてまったくないわ」
由奈さんの声も、蝉騒となる。
「だから好きでもない奴と慰め合ってセックスしていましたって? 杏咲が好きだからと言えば、杏咲に理解されて許されるとでも?」
巽がぶすっとした顔で言った。
「無理矢理はひとのこと言えねぇけど、顔を叩いて暴力を振るったこと、杏咲以外の女を抱いていたこと、……いや、その前に杏咲を濡らすことがデキねぇ時点で、完全にアウトだろ」
「お前になにがわかる! 外野は引っ込んでろ!」
怜二さんは怒鳴るが、巽は引かなかった。
「俺にもわからないお前らの事情を、杏咲がわかると思うか!? どんな理由であれ、お前がとった行動は杏咲への裏切りだ。俺が杏咲にキスをしてお前が怒った……あれ以上の怒りを、どうして杏咲が持たないと思えるんだ。俺を詰ったお前のように、杏咲が由奈に怒りをぶつけて、セックスをしていたお前は無罪放免になるとでも!?」
「黙っていろよ、お前は! 杏咲と恋人なのは俺だ。杏咲から愛されているのも、杏咲を愛しているのもこの俺だけだっ!」
「……違うわ、由奈の方が……」
ああ、蝉が騒いでカオスになっている。
じりじり、じりじり。
あの日の夏は、まだ続いている。
否、もう終わらせないといけない――。
頭を抱える巽を横目にしながら、わたしは深呼吸をひとつして、怜二さんに向き直った。
「……杏咲、俺が悪かった。きみが好きなんだ。好きで、好きで……」
怜二さんの愛情がねじくれて拗れてしまったのは、わたしのせい。
怜二さんをきちんと愛することが出来なかったから。
それを隠すために偽りを纏ったから。
「ごめんなさい。わたしは昔から巽が好きで、忘れることが出来ずにいました。わたしは今でも巽が好きです。怜二さんより由奈さんより」
わたしの中の怜二さんと由奈さんとの思い出が、蝉の羽のように震える。
「ひとりの女として、巽を愛しています」
じりじり、じりじり。
わたしも、あの煩わしい声を放つ蝉になる。
「わたしは怜二さんを裏切りました。だからどうか……わたしを憎んで下さい。憎んで打ち捨てて、今度こそ怜二さんのことを愛し、怜二さんが愛せる女性を見つけて下さい」
せめて、この冷酷な女にすべての禍根を向けて欲しい。
それを罰として、わたしは生きるから。
「杏咲!!」
自惚れていいのなら、怜二さんは本当にわたしを好きでいてくれたのだろう。
彼もまた、彼との恋に溺れきれなかったわたしに不満を抱き、由奈さんを代用にして恋情を歪ませた。
きっと怜二さんにとって、由奈さんの方が彼の劣情の理解者だ。
怜二さんのすべてを、由奈さんの方が知っている。
……わたしではなく。
「……アズ、出るぞ。荷物を持て」
「うん……」
「杏咲、行くな!」
「杏咲ちゃん、ねぇ杏咲ちゃん!!」
「ごめんなさい。もう無理です」
手にしたバッグの中から、怜二さんから貰った指輪を箱ごと置いた。
これを受けようか、本当に悩んだ時があったことを思えば、少し手は震えたけれど。
「今までありがとうございました。これはお返しします」
そしてふたりに背を向けて階段を下りて一階に行き、ドアノブに手をかけた時、聞こえていた由奈さんの泣き声が嬌声に変わり、怜二さんとともにわたしの名前を叫んでいた。
……ふたりがわたしの名前を呼んで狂乱じみた情交をしていても、わたしには最早蝉騒としか思えず、不思議と涙は出なかった。
彼らは今までも、わたしに対して嫌なことがあると、ああやって睦み合って、幻のわたしで自分を慰めて現実逃避をしていたのかもしれない。
その歪んだ感覚はわたしには理解出来ないけれど、きっとふたりの中では理解出来る正常なものなのだろう。
あのふたりは、わたしを理由にして本当は互いを必要としているからセックスをしていたのかもしれないとも思うけれど、それは彼らを裏切り傷つけたわたしが思うべきことではない。
ただ、心が痛かった。
もしもわたしが巽に靡かなければ、こんな歪んだ結果にはならなかったはずだ。
ふたりと笑い合って、毎日を幸せだと思えていたはずだ。
たとえ偽りの、仮初の平穏であろうとも――。
もう、後ろは振り返れない。
この先、どんなに振り返りたく思う時が来ても。
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