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第3章 突然の熱海と拗れる現実
由奈という女性
しおりを挟む「じゃーん。私が早く着いたので、切符を四枚買っておきました!」
揚々とした由奈さんが、熱海行きの列車に乗るための切符四枚を見せてくる。
「三嶋は案だけで、切符は俺が買ったんだろう? 窓口に向かう二歩目ですっころんだの誰だ?」
「あははは。それは言っちゃ駄目よ、広瀬くん」
いつも通り仲がいいふたり。
……そう、いつもこんなにふたりは仲がよかったということを、わたしはほんの少しも疑うこともせず、微笑ましく思っていたのだ。
「ということで、広瀬くんが切符を、私はすぐそこにある駅弁とお茶を買っておきました」
「お茶は俺が買いにいったじゃないか」
「広瀬くん、うるさい~」
いつもの会話なのに、なぜ今はこんなにも空々しく聞こえるのだろう。
ふたりに向けるわたしの笑顔も、引き攣っているような気がする。
「由奈は、広瀬さんと仲良しですね」
笑う巽は冷ややかな仮面を被っている。
由奈さんと怜二さんを疑っているのだろう。
「違うわよ、巽くん。私が仲良しなのは、大好きな杏咲ちゃんとだものねー!」
「そ、そうですよねー」
由奈さんはわたしの腕にしがみついてくるが、いつもの応対が出来ずに、顔が強張ってしまっていた。
「えへへへ、杏咲ちゃん大好き~!」
白くて、触り心地がよさそうな滑らかな肌、控え目だけれど整然と並べられた顔の造作。
二十代と言われても違和感ない由奈さんは、わたしから見てもとても可愛くて可憐だと思う。
清楚なお嬢様風美女である由奈さんは、かなりの天然であわてんぼうのドジっ子だった。
昔からそれが男の目を引くためにわざとしているだろうと言われて、同性から虐められてきたそうだ。
合コンに行けば必ず男性は由奈さんを守ってあげたいと思うだろうし、だからといって由奈さんはモテている自覚がまったくないようで、いつもの口癖が〝いつか白馬の王子様が来ないかしら〟だったのだ。
怜二さんにも由奈さんも他に三人の女性の同期がいるけれど、彼女達は由奈さんを嫌ったために、怜二さんが仲裁のように間に立ち、必然的に危なっかしい由奈さんの世話役となっていたようで、由奈さんと怜二さんがデキていると、一部では噂をされていたらしい。
怜二さんがわたしを選んだのは意外だった、とも飲み会で言われたことがある。
それを気にしていなかったのは、怜二さんが由奈さんに手を出したくなる気持ちが見ていてわかるからだ。
飲み会でも暑い中を遅れてきた社員に冷たいおしぼりですと雑巾を渡したり、いつも転んだりぶつかったり落としたりしているのを見ていれば、わたし自身も自然と、わたしを可愛がってくれる由奈さんをフォローする側に回ってしまう。
――由奈嬢、宝塚とかにハマりそうなタイプだよね。杏咲ちんは見た目は愛らしいけど、潔いところは男役っぽいから。
香代子は線を引いて今時珍しい天然記念物を観察しているようだが、香代子の方が男役スターだと思うのに、わたしのことをそう形容したことがあった。
――ねぇ、杏咲。もしかすると由奈嬢、あざといかも知れないぞ?
しかしわたしは、そうは思わない。
由奈さんに本当に可愛がって貰ったから。
――はは。だから由奈嬢と友達ごっこができるのかもしれないね。広瀬氏と付き合っても。
辛辣な香代子の言葉を思い出した時、わたしの隣は怜二さん、巽の隣は由奈さんが座り、四人向かい合わせになった状態で、電車は走っていた。
「うわあ、景色が綺麗だねー」
はしゃぐ由奈さんに、巽は微笑んだ。
巽と由奈さんは、本当に絵になる美男美女だ。
現役専務と、専務夫人になる女性であるし、もしも由奈さんが怜二さんと今でも浮気をしているというのなら、こうした恵まれた環境を作る巽のなにが不満なのだろう。
巽ほどではないが、怜二さんだってイケメンだし、異質なのはわたしだけ。わたしだけが、この麗しい絵図に入れないと思えば、疎外感を感じる。
今まで卑屈になどなったことがないのに。
「杏咲、海老フライあげる。好きだろう? 代わりに卵焼きをちょうだい?」
「広瀬くんいいなあ、じゃあ巽くん、由奈にも卵焼きくれる?」
怜二さんの爽やかで優しい笑みと由奈さんの無邪気な笑顔は、本物なのだろうか。
わたしは巽の言葉を否定しながら、猜疑心を持って眺めるしかできず、そして巽の肩に頭をつけて、無防備に眠る由奈さんを微笑ましいと見ることも出来ずに、ずっと唇を噛みしめ、窓の奥の景色を睨み付けるようにして見つめていた。
巽と怜二さんは〝溺愛〟と化した企画の話をしたりと、ふたりはにこやかに会話をしていて、初日巽に怒鳴り込んだという怜二さんはどこにもいない。巽の能力を信頼しているようだが、時折わたしに話を振ってきたり、頬を触ってくる回数が多く、その度に巽の無感情な目も向けられるから、正直やめて欲しかった。
怜二さんが浮気をしていないのなら、わたしのぎこちない様子や、ちらちらと巽を見てしまう目線で、わたしの心が巽に向いているとわかってしまうかもしれない。わたしが、怜二さんと別れようとしていることも。
今日のこの旅行が、怜二さんの恋人としての最後の努めになる……と思うと悲しく心が晴れないのは、怜二さんに対しての気持ちも、まだあるからなのだろう。
それなのにわたしは、怜二さんを裏切り、巽を好きになってしまった。
別れたい理由を、怜二さんと由奈さんへの疑いにだけはしたくない。
わたしの心は、怜二さんのことなど関係なしに、遅かれ早かれ巽に奪われてしまっていただろうことは、変わらない気がするから。
熱海駅からタクシーで向かった熱海のホテルは、保養所と言うには大きすぎて、CMでもよくみかける高級旅館として有名なところだった。
熱海港の海上に浮かんでいるような、リゾート的な大きな白亜のホテルだったが、問題がすぐ勃発した。
予約していた部屋が二名二室ではなく、一室になっていたらしい。
男女が二組のわたし達を見て、着物姿の女性スタッフが狼狽し、コンピューターで予約状況を照会する。
「生憎、一般室も隣の特別室も満室でございまして、増築したばかりの四名様用のスイートなら空いておりますが。中に仕切り戸がございまして、それを挟んで二組の布団と二台のベッドをご使用になることが出来るのですが……」
わたし達が顔を見合わせていた時、支配人らしき男性が大慌てで現われ、深々と頭を下げて謝罪する。
「専務、申し訳ありません。お代は要りませんので、スイートにお泊まりにはなれませんでしょうか。誠心誠意のサービスをさせて頂きますので!」
スポンサーの専務だ。機嫌を損ねてしまえば、ホテルの面目も立たない。
支配人から数人の着物姿のスタッフから、一列に並んで頭を下げる。
「ねぇ、巽くん。グレードアップして無料なんだし、いいんじゃない? どうかな、杏咲ちゃん、広瀬くん」
由奈さんは巽の腕を引いてから、わたし達に尋ねる。
怜二さんは困った顔をして、ちらちらとわたしを見ている。
怜二さんがあまり乗り気ではないのは感じたが、わたしはあえてホテルの提案に乗った。
「いいんじゃないかしら。スイートで皆で泊まれるって素敵だと思います」
「そうよね、杏咲ちゃん!」
賛同した女二人に、男性陣は逆らうことなく、四人ひと部屋のスイートに宿泊することになった。
わたしは思ったのだ。
壁ではない、ただの戸で仕切られているだけなら、誰もセックスをすることはないだろうと。
誰かと誰かとが愛し合う行為であるセックスが、今のわたしには辛いものでしかなかったから――。
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