アムネシアは蜜愛に花開く

奏多

文字の大きさ
上 下
15 / 53
第2章 誘惑は根性の先に待ち受ける

それはご褒美? それとも…

しおりを挟む
 

 ***

 アムネシアの甘い匂いに包まれたような心地がして、気分良く目覚めたわたしは、ソファの上で巽の膝を枕にしていた。
 ぎゃっと品のない悲鳴を上げて飛び退くと、わたしの身体にかけられていたらしい巽の背広がはらりと落ちる。

「僕は、ゴキブリかネズミかですか?」
「す、すみません。驚いてしまって……。ご迷惑をおかけしました。上着もありがとうございます」

 巽の背広を手で汚れを払って、ソファに静かに置いた。

「そんな色気のない悲鳴をする女性に、男が欲情する口紅は作れますかね?」

 嫌味たらたら、まだねちねちと皮肉気に嗤う専務様は、わたしがボツ確実で提出した百の企画書を読んで、また赤字でなにかを書き込んでいた。

「な、なんでわたし、専務のお膝で……」
「眠かっただけでしょう、お気にせず」

 ……巽は、わたしと接触していても平気らしい。
 もしかして由奈さんに膝枕をしたりされたりして、慣れているのだろうか。
 膝枕ではなくて、もっといやらしいことを由奈さんにして貰っていたり?

 そんなことを思いながら、巽の際どいところに涎の跡と思われる染みを見つけたわたしは、ぼっと瞬間沸騰した。あのままなら、巽がおねしょをしたと思われる。いや……もっと性的な粗相に思われるか。

 なんにせよ、わたしの涎があんな場所についているのは、衝撃的だ。
 ひとりわたわたと慌ててながら、しかし今は落ち着くことが先決だと悟り、すーはーすーはーと深呼吸を繰り返す。

「わっかりやす……。それより、こっちの身にもなれってんだ」

 なにやら巽が、じと目を向けていた。

「はい? なにか仰いました?」
「なんでもありません」

 なんでもないという巽は、素の悪態をつく巽の顔に戻っているようだ。

「あ、見て頂けているんですね、企画書。ありがとうございます」
「ええ、一応は命じた身として、クソ面白くもない企画書ですが。よくこんな下らないものばかり集められたものだと思いますが、まあでも、花札では最低の札でも数さえ集めれば、カスという役にもなりますしね」
「……専務、お言葉がお下品です」
「はは、つい本音が」

 ……神様。
 一度は胸が痛むほど好きだった男性ですが、思いきり、きゅうと奴の首を絞めてもいいですか?

「その赤字はなんでしょう」
「疑問点と改善点です。これをクリア出来れば、単発でも面白い企画になる。まあ、ほとんど僕の企画になってしまいますが、発案権はあなたに譲りますよ。なんと言っても落ちこぼれさんなら、功績は喉から手が出るほど欲しいでしょうし。あはははは」

 ……神様。
 きゅうっと殺りたいです、きゅうっと!

 それでも――。

「改善点とか、考えてくれたんですね」

 百の企画書はあと数案で終わる。
 どれだけ寝ていたのだろう、わたしは。

「それが礼儀じゃないですか? どこが悪いのかも具体的に言えずに再度考えろと頭ごなしに言うのでは、伸びないでしょう、あなたが」
「……そういう、上司もいらっしゃるんですね」

 本音を吐露してしまえば、巽は不思議そうに首を傾げてわたしを見た。

「広瀬さんはそうしないんですか?」
「彼は……ここまで親切には教えてくれません。気づくことが成長だと、そう思うひとですから」
「はは。そうやってあなたの才能を閉じ込めてきたのか、広報という体の良い裏方で」
「え?」
「なんでもありません。ただ……クズだなと思っただけです」
「わたしがですか?」
「いいえ。広瀬さんが、です」

 わたしはむっとする。

「なぜそう思われるんですか?」
「今日、飲みに行きませんか」

 巽がわたしの言葉を遮り、本当に唐突に笑顔で言った。

「の、飲み?」

 思わず拍子抜けしてしまうほど、それは予想外で自然な切り返しだった。

「はい。あなたは僕の予想以上の働きをしてくれた。そのご褒美に」
「別に専務個人の仕事を請け負ったわけではないですが」
「ではこう言いましょうか。新たにアムネシア入りしたあなたと親睦を兼ねて。僕達ひとつのものを仕上げるのに、いがみ合いは善くないと思うんです」

 ……正論だ。
 だけど、いがみ合うように怜二さんを悪く言ってきたのはそっちで、親睦もなにも十年前の記憶はその優秀な頭の中に残っているのかと不安になる。

 正直、別に飲みたくない。
 今の巽は会社の上司というだけの存在なのだから。

 巽はさらりと女子社員を誘えるのかもしれないけれど、わたしは慣れていない。
 なによりふたりきりということならば、由奈さんにも怜二さんにも悪い。
 どうすれば飲み会案を断ることが出来るだろう。

 そう考えながら言い淀んでいると、巽はくすりと笑った。

「広瀬さんもどうぞ」
「え?」
「たとえ上司命令だとしても、彼氏に悪いと思っているのでしょう?」
「命令なんですか、飲み会。わたし潰すことを考えていたんですが……って、あ」
「はは。潰すのはなしです。なんならあなたのお友達も誘って構いません。あくまで親睦会なので。勿論僕の奢りですので、料金などは考えずに。高いお店でも構いません。あなたが行きたいと思うお店を、予約しておいて頂けますか?」

 だからわたしは――。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

離婚した彼女は死ぬことにした

まとば 蒼
恋愛
2日に1回更新(希望)です。 ----------------- 事故で命を落とす瞬間、政略結婚で結ばれた夫のアルバートを愛していたことに気づいたエレノア。 もう一度彼との結婚生活をやり直したいと願うと、四年前に巻き戻っていた。 今度こそ彼に相応しい妻になりたいと、これまでの臆病な自分を脱ぎ捨て奮闘するエレノア。しかし、 「前にも言ったけど、君は妻としての役目を果たさなくていいんだよ」 返ってくるのは拒絶を含んだ鉄壁の笑みと、表面的で義務的な優しさ。 それでも夫に想いを捧げ続けていたある日のこと、アルバートの大事にしている弟妹が原因不明の体調不良に襲われた。 神官から、二人の体調不良はエレノアの体内に宿る瘴気が原因だと告げられる。 大切な人を守るために離婚して彼らから離れることをエレノアは決意するが──。 ----------------- とあるコンテストに応募するためにひっそり書いていた作品ですが、最近ダレてきたので公開してみることにしました。 まだまだ荒くて調整が必要な話ですが、どんなに些細な内容でも反応を頂けると大変励みになります。 書きながら色々修正していくので、読み返したら若干展開が変わってたりするかもしれません。 作風が好みじゃない場合は回れ右をして自衛をお願いいたします。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

甘過ぎるオフィスで塩過ぎる彼と・・・

希花 紀歩
恋愛
24時間二人きりで甘~い💕お仕事!? 『膝の上に座って。』『悪いけど仕事の為だから。』 小さな翻訳会社でアシスタント兼翻訳チェッカーとして働く風永 唯仁子(かざなが ゆにこ)(26)は頼まれると断れない性格。 ある日社長から、急ぎの翻訳案件の為に翻訳者と同じ家に缶詰になり作業を進めるように命令される。気が進まないものの、この案件を無事仕上げることが出来れば憧れていた翻訳コーディネーターになれると言われ、頑張ろうと心を決める。 しかし翻訳者・若泉 透葵(わかいずみ とき)(28)は美青年で優秀な翻訳者であるが何を考えているのかわからない。 彼のベッドが置かれた部屋で二人きりで甘い恋愛シミュレーションゲームの翻訳を進めるが、透葵は翻訳の参考にする為と言って、唯仁子にあれやこれやのスキンシップをしてきて・・・!? 過去の恋愛のトラウマから仕事関係の人と恋愛関係になりたくない唯仁子と、恋愛はくだらないものだと思っている透葵だったが・・・。 *導入部分は説明部分が多く退屈かもしれませんが、この物語に必要な部分なので、こらえて読み進めて頂けると有り難いです。 <表紙イラスト> 男女:わかめサロンパス様 背景:アート宇都宮様

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

【改稿版・完結】その瞳に魅入られて

おもち。
恋愛
「——君を愛してる」 そう悲鳴にも似た心からの叫びは、婚約者である私に向けたものではない。私の従姉妹へ向けられたものだった—— 幼い頃に交わした婚約だったけれど私は彼を愛してたし、彼に愛されていると思っていた。 あの日、二人の胸を引き裂くような思いを聞くまでは…… 『最初から愛されていなかった』 その事実に心が悲鳴を上げ、目の前が真っ白になった。 私は愛し合っている二人を引き裂く『邪魔者』でしかないのだと、その光景を見ながらひたすら現実を受け入れるしかなかった。  『このまま婚姻を結んでも、私は一生愛されない』  『私も一度でいいから、あんな風に愛されたい』 でも貴族令嬢である立場が、父が、それを許してはくれない。 必死で気持ちに蓋をして、淡々と日々を過ごしていたある日。偶然見つけた一冊の本によって、私の運命は大きく変わっていくのだった。 私も、貴方達のように自分の幸せを求めても許されますか……? ※後半、壊れてる人が登場します。苦手な方はご注意下さい。 ※このお話は私独自の設定もあります、ご了承ください。ご都合主義な場面も多々あるかと思います。 ※『幸せは人それぞれ』と、いうような作品になっています。苦手な方はご注意下さい。 ※こちらの作品は小説家になろう様でも掲載しています。

幸せの見つけ方〜幼馴染は御曹司〜

葉月 まい
恋愛
近すぎて遠い存在 一緒にいるのに 言えない言葉 すれ違い、通り過ぎる二人の想いは いつか重なるのだろうか… 心に秘めた想いを いつか伝えてもいいのだろうか… 遠回りする幼馴染二人の恋の行方は? 幼い頃からいつも一緒にいた 幼馴染の朱里と瑛。 瑛は自分の辛い境遇に巻き込むまいと、 朱里を遠ざけようとする。 そうとは知らず、朱里は寂しさを抱えて… ・*:.。. ♡ 登場人物 ♡.。.:*・ 栗田 朱里(21歳)… 大学生 桐生 瑛(21歳)… 大学生 桐生ホールディングス 御曹司

クリスマスに咲くバラ

篠原怜
恋愛
亜美は29歳。クリスマスを目前にしてファッションモデルの仕事を引退した。亜美には貴大という婚約者がいるのだが今のところ結婚はの予定はない。彼は実業家の御曹司で、年下だけど頼りになる人。だけど亜美には結婚に踏み切れない複雑な事情があって……。■2012年に著者のサイトで公開したものの再掲です。

小野寺社長のお気に入り

茜色
恋愛
朝岡渚(あさおかなぎさ)、28歳。小さなイベント企画会社に転職して以来、社長のアシスタント兼お守り役として振り回される毎日。34歳の社長・小野寺貢(おのでらみつぐ)は、ルックスは良いが生活態度はいい加減、デリカシーに欠ける困った男。 悪天候の夜、残業で家に帰れなくなった渚は小野寺と応接室で仮眠をとることに。思いがけず緊張する渚に、「おまえ、あんまり男を知らないだろう」と小野寺が突然迫ってきて・・・。 ☆全19話です。「オフィスラブ」と謳っていますが、あまりオフィスっぽくありません。 ☆「ムーンライトノベルズ」様にも掲載しています。

処理中です...