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第2章 誘惑は根性の先に待ち受ける
それはご褒美? それとも…
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アムネシアの甘い匂いに包まれたような心地がして、気分良く目覚めたわたしは、ソファの上で巽の膝を枕にしていた。
ぎゃっと品のない悲鳴を上げて飛び退くと、わたしの身体にかけられていたらしい巽の背広がはらりと落ちる。
「僕は、ゴキブリかネズミかですか?」
「す、すみません。驚いてしまって……。ご迷惑をおかけしました。上着もありがとうございます」
巽の背広を手で汚れを払って、ソファに静かに置いた。
「そんな色気のない悲鳴をする女性に、男が欲情する口紅は作れますかね?」
嫌味たらたら、まだねちねちと皮肉気に嗤う専務様は、わたしがボツ確実で提出した百の企画書を読んで、また赤字でなにかを書き込んでいた。
「な、なんでわたし、専務のお膝で……」
「眠かっただけでしょう、お気にせず」
……巽は、わたしと接触していても平気らしい。
もしかして由奈さんに膝枕をしたりされたりして、慣れているのだろうか。
膝枕ではなくて、もっといやらしいことを由奈さんにして貰っていたり?
そんなことを思いながら、巽の際どいところに涎の跡と思われる染みを見つけたわたしは、ぼっと瞬間沸騰した。あのままなら、巽がおねしょをしたと思われる。いや……もっと性的な粗相に思われるか。
なんにせよ、わたしの涎があんな場所についているのは、衝撃的だ。
ひとりわたわたと慌ててながら、しかし今は落ち着くことが先決だと悟り、すーはーすーはーと深呼吸を繰り返す。
「わっかりやす……。それより、こっちの身にもなれってんだ」
なにやら巽が、じと目を向けていた。
「はい? なにか仰いました?」
「なんでもありません」
なんでもないという巽は、素の悪態をつく巽の顔に戻っているようだ。
「あ、見て頂けているんですね、企画書。ありがとうございます」
「ええ、一応は命じた身として、クソ面白くもない企画書ですが。よくこんな下らないものばかり集められたものだと思いますが、まあでも、花札では最低の札でも数さえ集めれば、カスという役にもなりますしね」
「……専務、お言葉がお下品です」
「はは、つい本音が」
……神様。
一度は胸が痛むほど好きだった男性ですが、思いきり、きゅうと奴の首を絞めてもいいですか?
「その赤字はなんでしょう」
「疑問点と改善点です。これをクリア出来れば、単発でも面白い企画になる。まあ、ほとんど僕の企画になってしまいますが、発案権はあなたに譲りますよ。なんと言っても落ちこぼれさんなら、功績は喉から手が出るほど欲しいでしょうし。あはははは」
……神様。
きゅうっと殺りたいです、きゅうっと!
それでも――。
「改善点とか、考えてくれたんですね」
百の企画書はあと数案で終わる。
どれだけ寝ていたのだろう、わたしは。
「それが礼儀じゃないですか? どこが悪いのかも具体的に言えずに再度考えろと頭ごなしに言うのでは、伸びないでしょう、あなたが」
「……そういう、上司もいらっしゃるんですね」
本音を吐露してしまえば、巽は不思議そうに首を傾げてわたしを見た。
「広瀬さんはそうしないんですか?」
「彼は……ここまで親切には教えてくれません。気づくことが成長だと、そう思うひとですから」
「はは。そうやってあなたの才能を閉じ込めてきたのか、広報という体の良い裏方で」
「え?」
「なんでもありません。ただ……クズだなと思っただけです」
「わたしがですか?」
「いいえ。広瀬さんが、です」
わたしはむっとする。
「なぜそう思われるんですか?」
「今日、飲みに行きませんか」
巽がわたしの言葉を遮り、本当に唐突に笑顔で言った。
「の、飲み?」
思わず拍子抜けしてしまうほど、それは予想外で自然な切り返しだった。
「はい。あなたは僕の予想以上の働きをしてくれた。そのご褒美に」
「別に専務個人の仕事を請け負ったわけではないですが」
「ではこう言いましょうか。新たにアムネシア入りしたあなたと親睦を兼ねて。僕達ひとつのものを仕上げるのに、いがみ合いは善くないと思うんです」
……正論だ。
だけど、いがみ合うように怜二さんを悪く言ってきたのはそっちで、親睦もなにも十年前の記憶はその優秀な頭の中に残っているのかと不安になる。
正直、別に飲みたくない。
今の巽は会社の上司というだけの存在なのだから。
巽はさらりと女子社員を誘えるのかもしれないけれど、わたしは慣れていない。
なによりふたりきりということならば、由奈さんにも怜二さんにも悪い。
どうすれば飲み会案を断ることが出来るだろう。
そう考えながら言い淀んでいると、巽はくすりと笑った。
「広瀬さんもどうぞ」
「え?」
「たとえ上司命令だとしても、彼氏に悪いと思っているのでしょう?」
「命令なんですか、飲み会。わたし潰すことを考えていたんですが……って、あ」
「はは。潰すのはなしです。なんならあなたのお友達も誘って構いません。あくまで親睦会なので。勿論僕の奢りですので、料金などは考えずに。高いお店でも構いません。あなたが行きたいと思うお店を、予約しておいて頂けますか?」
だからわたしは――。
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