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第1章 突然の再会は婚約者連れで
なに、この慇懃無礼な鬼は!
しおりを挟む「頭を上げて下さい、専務!」
彼に仕事の熱意は感じられる。
心に思うことがあってもそれを穏やかな仮面で隠して、いい商品のためにならどんな相手にも頭を下げる……そうやって専務になったのだろう。
ある意味、熱血。ある意味、貪欲。
……それは、無難にこなすことだけを考えていたわたしに、決定的に欠けているものだ。
専務としての彼を見習おうと思った。
わたしもまた、ステップアップのために変わりたいとすら思う。
元ルミナスのお荷物社員になりたくない。
全社員の命運を賭けられるに値する、そんな社員になりたい。
「わたしも誠心誠意を尽くします。こちらこそ、よろしくご指導下さい」
わたしも、わたしを蔑み、同時に火を着けた彼に頭を下げる。
十年後のわたし達は、こういう大人の関係なのだ。
それはちょっぴり寂しく思うけれど、そんなものだろうという諦観もある。
「ところで藤城さんはどんな口紅を作りたいと思われていますか?」
「若返る口紅を」
「ほう? 即答なさいましたね」
「はい。専務が先ほど仰っていました。唇は大切な器官なのに、ケアを疎かにする方が多い。OLなどは何度も重ね塗りをしたりするので唇の皮膚が痛んでしまう。それを防ぐ美容的な口紅がいいのではないかなと。そのひとの人柄を表わす、美しい唇になれる口紅を作りたいと思いました」
巽の口紅ついての熱弁に、感化されてしまったのは事実だ。
蔑ろにしやすい口紅を美容品として開発してみたいと思わせたのは、巽の言葉なのだ。
「はは。斬新ではない無難な答えですが」
……ひと言、余計だと思う。
そして巽は続けてこう付け加えた。
「では、まずはそれを含めて、百の企画書を作って来て下さい」
「ひゃ、百!?」
「はい。三日後までに。話は以上です」
待て待て待て。
なんだそれは。
穏やかな専務になっても、口にしていることは無謀で強引な巽と変わらないではないか。
こんな慇懃無礼で無謀な注文、厳しい怜二さんだって香代子にも課したこともないのに。
「あ、あの……せめて、十あたりに」
情けなくも縋ってみる年上部下に、年下上司は一笑にして一蹴する。
「百でお願いします。アムネシアの企画部は、常にそれくらいの提案が出来るように教育されていますので、差分はつけません。差をつけるときは、アムネシアから追放する時だと思って頂きたい。瑞々しい感性を、アムネシア本社専務室にてお待ちしております」
話を切り上げるようにして巽がソファから立つから、不承不承それを受けざるをえなくなったわたしも立つ。
「では、これで。広瀬さんによろしく」
彼が振り返ってそう言うから、百の企画書を命じられたわたしは、半ばやけくそになって自虐的に言った。
「はい、わかりました。それと専務、ご婚約おめでとうございます。由奈さんとお幸せになって下さいね」
すると彼の表情が急に曇る。
泣き出しそうなほどに悲痛な翳りを感じたのは、気のせいだろうか。
「……幸せ、か。あなたは広瀬さんと結婚なされるんですか?」
「え? さ、さぁどうでしょう」
巽の切り返しに、わたしはそう誤魔化すことしか出来ない。
すると巽は、皮肉げな笑みを見せて静かに言った。
「結婚は、女性より男性の方が乗り気だと、結婚して双方幸せになれる、そんな気がします。だから僕は……きっと、パートナー共々幸せになれないでしょうね、あなたとは違って。……では」
巽は、謎の言葉を残して応接室から出て行った。
「え……。巽が由奈さんを押しまくったんじゃないの?」
だからこその2ヶ月のスピード婚約。
巽が急いていたからこそ、成り立った統合話ではなかったのか。
――再来月、アムネシアは十周年を迎え、僕達の結婚式があります。
結婚すると、彼は皆の前で堂々と宣言したではないか。
――だから僕は……きっと、幸せになれないでしょうね、あなたとは違って。
……わたしは、そう言った巽の痛ましそうな顔を思い出し、その意味するところがわからず、ただ首を傾げることしか出来なかった。
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