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第1章 突然の再会は婚約者連れで
再会した元義弟に、欲情して
しおりを挟む大会議室は全社員の二倍くらいを収容出来る椅子が楕円形の机の周りに置かれている。
怜二さんに言われて、それぞれの課ごとにまとまって集まる。そして全員が集合して五分くらい経ってから、三嶋社長を含めた重役全員と、由奈さんと影に隠れるようにして背の高い男性が立っている。
常務のかけ声で皆椅子から立つ。
そして社長が話し出した。
「皆さんも耳にしていたと思いますが、本日付で我がルミナスはアムネシアに吸収される形となる。明日からは虎ノ門にあるアムネシアビルに行ってくれ」
あまりの急な話に、社員達はざわめいた。
「皆の席は用意されているんですよね?」
怜二さんの声に応えたのは、由奈さんの隣に居る男性だった。
「はい、今月は」
由奈さんが邪魔でよく見えない。
「今月?」
「はい。今月の働きぶりで、切るか切らないか決めたいと思います」
……ねぇ、まさかこの声。
この深く艶やかな声は……。
ううん、そんなはずはない。
ここに、巽がいるはずがない。
「アムネシアには有能な社員しか必要ありません」
男性から視線を受けた気がする。
そして彼はゆらりと揺れるようにして、社長達が並ぶ壁の前に立った。
ふわりと、わたしが好きな懐かしきアムネシアの香りがしたように思えた。
「でもご安心を。退職金は出しますので」
艶やかな黒髪。
射るような切れ長の目。
通った鼻梁、肉厚の唇。
冷ややかにも思える、彫り深い端正な顔。
黒い背広を着てネクタイをしめた、凄絶な美貌に輝くその姿は――。
「申し遅れました。僕はアムネシアで専務をしております、氷室巽と言います。社長より、社長代理として指導役を申し使っております」
……巽だ。
巽じゃないか。
巽がいる――!?
これは、巽という同じ名前の別人?
いや、そんなはずはない。
どんなに成長していても、わたしが見間違えるはずはない。
あの顔は――巽本人だ。
足がカクカクと震える。
巽もわたしが誰か、そして、わたしが気づいていることもわかっている。
だから視線が外れない。
時が巻き戻る。
かさりと落ちたアムネシアの花弁が花芯に戻り、瑞々しく芳香する。
じりじりと、蝉の音がした。
巽は硬直するわたしを見ながら、嘲るようにして言う。
「そして、ここにいる三嶋由奈さんの婚約者で、ルミナス社長は僕の義父になります」
ぎりぎりと胸が締め付けられる心地がした。
全身からさぁぁぁっと血が引いていく。
……既に怜二さんから聞いていた。
専務は由奈さんにベタ惚れして、結婚にこぎつけたのだと。
どう見ても、巽と由奈さんは美男美女だった。
巽は、怜悧な黒い瞳を向けたまま、彼女の肩を抱く。
わたしに見せつけるようにして、彼女だけに優しく蕩けるような微笑みを向けて。
あれは、巽……?
巽は、由奈さんと結婚するの?
嫉妬という、マグマのような灼熱が胸を焦がす。
わたしはまだ、巽を思い出になんて出来ていない。
愛しかった義弟を、忘れることは出来ていなかった。
全身に貫くのは……、巽が身体を貫いたあの痛み。
わたしの記憶に、痛烈に刻み込まれていたのを知る。
十年会っていなかった。
わたしは携帯電話を変えたが、彼の番号を知っているのに、繋がるかどうかすら試してみなかった。
彼との完全な別離こそが、贖罪だと思っていたから。
それが今、こんな形で邂逅するなんて。
誰かがなにかを言っている。
だけど十年前に返ったわたしの耳には、深く艶やかな巽の声しか聞こえない。
巽以外の声は、あの日の蝉の音としてしか認識出来ない。
「……ではこうしましょう。再来月、アムネシアは十周年を迎え、僕達の結婚式があります。それを記念して、アムネシアの口紅を開発することにします」
ふわりとアムネシアの、儚くも甘い匂いが巽の周りから漂い、意識が朦朧となってくる。
会いたかった。
会いたくなかった。
じりじりと、蝉の音。
耳障りな蝉がたくさん鳴いている。
「今度のアムネシア十周年の特別企画の口紅は、藤城さんと僕とで開発をします」
――再来月、アムネシアは十周年を迎え、僕達の結婚式があります。
今までどうしていたの?
ねぇ、わたしのこと、思い出すことはあった?
「アズ」とあなたが呼んだ、あなたと仲が良かった義姉のことを。
あなたが避けるようになった、苛立つような義姉のことを。
思春期で爆ぜたあなたが初めての男になったことに、嬉しいと感涙していた愚かしい義姉のことを。
「コンセプトは、禁断の愛。藤城さんの開発力に、ルミナス全社員の命運をかけることにしましょう」
ねぇ、巽――。
胸を掻きむしりたいくらい、切なくてたまらないよ。
あなたをもう、忘れたはずなのに。
忘れなきゃ、わたしの初恋は。
忘れなきゃ、巽に疎まれていたことを。
忘れなきゃ、あの甘美な繋がりを。
「おい、どうした!? 杏咲!?」
じりじり、じりじり。
殺伐とした蝉時雨がわたしを急き立てる。
「広瀬さん、どいて下さい。僕が運びます」
じりじり、じ……。
蝉の音が静まり、そして胸が絞られるほど愛おしい声が耳に届く。
「……忘れさせはしないよ、アズ――」
その甘く優しい声音は、わたしの子宮をダイレクトに疼かせ、枯れ果てていた花園に潤いを与えた。
彼の声音だけで、身体が熱くなって蕩けたわたしは、内股に幾つもの淫らな蜜を垂れ流す。
十年前に義弟だった、久しぶりに会った男に――わたしは、あってはならぬ欲情をしたのだった。
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