エリュシオンでささやいて

奏多

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第10章 Darkness Voice

 12.

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 お袋ってお母さんのことよね?

 え、だったら。
 遥くんのお母さんは須王のお母さんでもあるっていうことは――。

「さっちゃんおばさん、だったら須王さんと遥は兄弟ってこと!?」

 裕貴くんの家族からさっちゃんと呼ばれている女性は、恐ろしいものでも見たかのように頭を横に振りながら、後退る。

「知らない、私は知らない!」

「へぇ、捨てた子供はなかったことにしていたのか」

 須王は仮面でも張り付いたかのような面持ちで、口元だけ嘲るように吊り上げて言った。

「俺を組織に売ってお前は金を貰ったんだろう? 今度は遥を人体実験をさせた金で悠々自適生活か。はっ、これ以上ねぇってくらい鬼畜だな!」

「知らないって言っているでしょう!?」

 さっちゃんはヒステリックな声を出した。

 ……普通に考えて、アカの他人であるのなら、穏やかにかわせるはずだ。
 それは須王の勘違いなのだと、諭せるはずなのだ。

 それなのにこの真っ白な顔色。
 動揺に裏返った声。

「ねぇ、早瀬さん。勘違いではないの?」

 勘違い?
 この女性の狼狽を見ていながら、裕貴くんのお母さんは、須王の勘違いだと言えるの?

「悪いですが、お母様」

 そう冷ややかな声を出したのは棗くんだった。

「親はどんなに子供を忘れることが出来ても、子供は親を忘れられないものです。親から身勝手な、血の呪縛を受けていますので」

 棗くんから、静かな怒りを感じた。
 彼もまた、須王と似た境遇なれば、自分勝手な親に捨てられて、地獄を生きてきたのだ。

「親だって子供を忘れないわ、可愛い我が子なら」

 しかし、その地獄が存在することを知らない裕貴くんのお母さんは、一般論を口にする。

 そう、親に愛されないあたしからも、縁遠い言葉で。

「だとしたら、須王を知らないと言っているその女性は、須王がよほど可愛くなかったのかしら。そうでなければ、脳疾患かなにかで記憶障害が出ているのなら、今すぐ入院なさった方がよろしいんじゃ?」

「なっ!」

 さっちゃんは、棗くんの毒の刃に、恐怖から怒りの表情に面持ちを変えた。

「さっちゃんおばさん、違うなら違うと須王さんにはっきりといいなよ。なに狼狽えているんだよ。傍から見たら、さっちゃんおばさん、図星さされているようだぜ?」

「裕貴くん……っ、裕貴くんからも……」

 須王が苛立ったようにして叫んだ。

「ひとを頼らねぇと、自分のしでかしたこともロクに説明できねぇのかよ。そうやって我が身可愛さで、どれだけの奴が泣いて怒って、人生狂わせられてきたと思ってるんだよ!!」

「だから、私じゃないっ!!」

「お前じゃなかったら、誰だと言うんだ!!」

 ここまで他人に激高する須王を見たのは初めてかもしれない。
 いつもクールな王様は、過去……組織のことを語った時に感情的だった。
 弟を作っている元気な母親の出現によって興奮しているのは、惨憺たる過去を持つ彼にとっての琴線だからか。

「どうせ遥の父親も適当な金持ち男を引っかけたんだろうが! 子供の存在で父親から金でも強請って、金にならなくなったら子供を闇の人身売買に売ってポイ。お前はひとの母親なんて名乗る資格はねぇよ!!」
 
「違うって言っているでしょう!?」

 ――痛い。
 聞いているあたしの心ですら、さっちゃんが否定する度にこんなに心が痛むんだ。須王だったら、どれほどの痛みを刻まれているだろう。

 ここは組織ではないんだ。
 自由になった須王を、過去に繋がる痛みから解放してあげてよ。


「ああそうかよ、捨てた子供は他人だものな。それならそれでいい、だけどそう言うのなら、俺に残した血の責任を取れよ!! お前が俺の中の血を否定するのなら、お前があのジジイにそう言えよ!」

「え……」

「なんだのその初めて聞きましたっていう顔は! はっ、俺に付加価値が出来た金の卵だって!? 金や血が欲しいならくれてやるから、さっさといなくなれよ。なんで生きているんだよっ!!」

 須王は財布を取り出してさっちゃんにぶつけ、そして袖を捲り上げると、傍の棚の上に置かれていたはさみを突き立て、下に引いた。

「須王、駄目ぇぇぇぇっ!!」

 あたしは全力で須王からハサミを奪い取って遠くに放り、どくどくと血が流れる須王の腕に抱き付くようにして全身で血を止めようとした。

「あなたが誰の母親でもいい」

 あたしは顔を捻るようにして、声を上げた。

「だけど子供を産んだのなら、子供の命を守って下さい! どんなに気にくわなくても、それでも……っ、子供は親を選べられないんですっ!」

 須王の血よ、止まれ、止まれ!

「子供は親の玩具じゃないっ、モノじゃないっ! あたし達子供は生きているんです。その存在を否定しないで!!」

 あたしは両目からぼたぼたと涙を落として言った。

「あなたが彼の母親であったのなら、あなたが知らないと言う度に彼の寿命が縮まっていっているような気がしませんか? あなたが母親なら、どうして須王の心の痛みから目をそむけるんですか。どうして彼の人生を狂わせて地獄に落としたその責任から、逃れようとするんですか!」

 あたしは涙が流れる目で、さっちゃんを睨み付ける。

「逃れようと思うくらい後悔が残る子供なら、どうして手放したんですか! どうして向き合わないんですか! それが大人のすることですか!」

 須王の反対の手が、あたしを宥めるように背中を撫でる。
 それが優しくて、あたしは嗚咽が止まらず、激しく泣いてしまう。

「どうして親は、どんな子供でも愛してくれないの? 愛してくれないのならどうしてこの世に産んだの? 無視されるのは……辛いよぉぉぉ!」

 姉と兄ばかり可愛がるあたしの母親と父親。
 ピアノが弾けなくなった途端に、あたしの声は届かなくなった。

 あたしは、そういうものだと諦めなくてはならなかった。
 自分が悪いのだから、愛されなくても当然と。
 親子でもギブアンドテイクなのだと。

 だけど、裕貴くんの家は違った。
 きっと女帝の家もそうなんだろう。

 無条件で子供を愛する親を見ていると、どうしてあたしは無条件に愛されないのだろうと思ってしまう。
 あたしは家族が嫌いだ。
 だけど愛されるのは羨ましい。

「須王を、愛してよぉぉぉぉっ!!」

 それは須王の心の共鳴だ。
 ……そう思うから。
 
「彼の苦しんだ過去を返してよっ!!」

 欲しいのは愛されているという証拠。

「あたし達を産んだ責任をとってよぉぉぉぉ!!!!」

 ただひと言でいい。
 どんなに傷つけられても子供は、親の愛情で頑張れるから。

 それなのに――。

「私は、遥しか産んでいません」

 ひとの親だというそのひとは、非情な声を出した。

「幾ら言われても私は――」

 あたしの声は届かないのだろうか。
 愛されたいと思う子供の気持ちは、届かないものだろうか。

 須王があたしの手を握った。
 冷たいその手は震えている。
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