エリュシオンでささやいて

奏多

文字の大きさ
上 下
100 / 153
第9章 Changing Voice

 6.

しおりを挟む

 *+†+*――*+†+*


 スタジオに戻るのは平日の金曜日だ。

 あたしと須王は先に会社に行くことになり、女帝は金曜日まで有給予定を変更して、スタジオに小林さんを無事送り届けられたのを確認してから、棗くんに会社まで送って貰うことになった。

――だって、美保が私が出る月曜日に休むかも知れないじゃない? だから私出て、あいつを締め上げる!

 恐らくは須王もそれを懸念して、一日早く女帝を出させたのかも知れない。
 
 後から来た女帝は、エリュシオンのあまりのひとの少なさと暗さとやる気のなさに、ここは墓場だと嘆くよりも怒り出し、皆に発破をかけた。

「ねぇ、この状態でいいわけありませんよね!? もっと死に物狂いで着実な仕事をしないと、会社潰れますよ!?」

 それは皆が思っていても口に出さなかったこと。
 それを口にした女帝は、無反応な社員達を見て、裏で悔しいと泣いた。

「私だってひとのこと言えないのはわかっている。私だって早瀬さんを追いかけて、この会社に来たんだもの。音楽が好きだったわけでもない、愛社精神に溢れていたわけでもない。与えられた仕事だけを淡々とこなしていただけ」

「奈緒さん……」

「だけど、それなりに培ってきたものはあるわ。新人に負けないわよ、私。そりゃあ柚の知識には負けるかもしれないけど、柚の知らないこともやって来た。だから頑張ろうね、柚。お互いフォローしあって!」

「うん! あたしは細やかな気配りは慣れてないし、仕事の顧客のフォローしか出来ないの。だから奈緒さんを見習わせて貰う。あたしに出来ることはなんでも言うから、気軽に言ってね」

「さんきゅ。心強いわ!」

「あたしも!」

 やる気がある社員とエリュシオンを守れるのは非常に心強い。
 あたしも頑張れる気持ちになる。


 午前中は各自引き継ぎの仕事をした。
 あたしは統合されたイベント課に、やってきたすべてのことを引き継がないといけない。

 寂しいな、育成課がなくなってしまうのは。
 企画の育成オンリーで昔からやってきたのに。

 須王のプロジェクトに参加出来て嬉しいけれど、長年の通常業務をイベント課に引き継いで、プロジェクトが終わったらまたいつも通りの仕事が出来るかわからない。その時はイベント課の仕事になったものを、少し回して貰う程度になるかもしれない。

 不安を抱えながら、あたしの場合はイベント課の課長に引き継ぐ。
 こちらも仕事があって忙しい、と、育成課の仕事をするのがとても嫌な顔をされてあたしは心苦しかった。

 一番危惧するところは、顧客フォローだ。
 担当が変わろうと顧客はエリュシオンを信頼してくれている。
 それを裏切ってしまっていたから、エリュシオンは今の崩壊寸前になっているのに、同じ轍を踏まないで貰いたいのだけれど。

 あたしが担当したものだけでも、顧客を裏切ったり失望させたりはしたくない。いい音楽を届けるために、それを奏でられる人材を育成して欲しい――。

 ……そんな憂慮の心地で引き継ぎをしている間も、女帝が美保ちゃんに怒鳴る声が二階にも届く。

 女帝はもう完全に猫を被るのをやめたみたいで、そのストレートさで美保ちゃんを追い詰めているようだ。
 美保ちゃんも癇癪を起こすようにしてわあわあ泣いている中で、電話が鳴れば女帝は途端に今までの優しい営業用の声で対応し、美保ちゃんの口を押さえながらそつなく業務をこなすのが凄いと思う。

 やがて会議室に籠もって曲を考えているらしい須王がうるさいから鎮めてこいとなぜかあたしに言い、あたしは修羅場と化した受付にびくびくしながら訪れた。

「だから、あんたひとりの判断で社長に電話かけられるはずがないでしょうが! 誰に言われたのか、それを言えと言っているの!」

「だから、私の判断だと言ってるじゃないですか! 美保が悪かったと謝っているのだから、もうそんなにキーキー怒鳴らないで下さい!」

「それは逆ギレというの! あんたはそれだけのことをしでかした自覚があるの!?」

「どうして牧田さんの病名を間違って伝えただけで、そこまで怒られないといけないんですか」

「問題は間違ったことじゃないの! あんたが規律を乱したことよ!」

「それは奈緒さんの勝手なルールで……」

「あら、あんただって勝手なルールをしているでしょう?」

「なんですか、それ」

 ……なんだろう、美保ちゃん、女帝が怒鳴る度に目をそらしている。
 後ろめたいから?

 あたしはその視線が妙にひっかかった。
 足元にある、床にある延長式の六つ口の白いテーブルタップ。パソコンや電話など色々とコードがささっている。
 どうしてそこばかり?
 まさか、盗聴器……あのタップとか?

 あたしは棗くんから借りた、盗聴器の探索機を起動させて美保ちゃんの背後を通るようにして屈み込んで、タップに探知機を向けた。

 すると、大音量で歌声が流れ始めたのだった。

『ここよ、ここここ、そこはいやん』

 あまりにはっきりと聞こえる……誰かの女声だったために、フロアがしーんと静まりかえる。

『ここよ、ここここ、そこはいやん』

 皆あたしを見るから、あたしは身体を強張らせながらも、探知機を消してそっと袖の中に隠した。

 ……いやまあ、須王のプライベート用のスマホの着メロを笑点に変えてしまうお茶目な棗くんだから、ありえない事態ではなかったけれど、だけどあたしは、そのありえない事態を想定していなかった。

 さらに探知機の存在を隠してしまえば、音がして消えた方向にいるあたしが、蹲りながらそんなおかしな歌を歌ったと勘ぐられる……いや、もう勘ぐられていることに気づいて青くなる。

「ち、違……あたしじゃないっ」

 だが、皆の頭には、きっちりと節をつけた声が再生しているはずだ。
 あたしの頭の中にも、リピートしているもの。

『ここよ、ここここ、そこはいやん』


 ……棗くんの馬鹿。


「ぶははははは」

 あたしの危機に、いつの間にやら立っていた須王が笑った。

「お前、幾ら喧嘩を止めたいとはいえ、それはないわ」

 笑いながらもダークブルーの瞳は怜悧さを失っていない。

 くそ、この男。
 わかっているくせに、あたしを犯人に仕立てるつもりか!

「それともスマホかなにかの音楽なわけ? そういう趣味?」

 あたしはぎりりと歯軋りをして、スカートをぎゅっと握りしめ、須王を睨み付けて言った。

「……あたしが歌いました!」

 きっと事態を把握していなかったのだろう女帝が、残念な子を見る眼差しを向けている。

「ああ、それと。ビルの電圧点検に業者が来るそうだから、午後はちょっとパソコンストップな。はい、各自業務につけ!」

 須王がパンパンと手を叩き、女帝とあたしを呼ぶ。

「会議室集合」

 怒ってやる、怒ってやる!
 モグモグの歌をおかしなものにさせた須王に、怒ってやる!

しおりを挟む
感想 13

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんなのにお兄ちゃんじゃない!?

すずなり。
恋愛
幼いころ、母に施設に預けられた鈴(すず)。 お母さん「病気を治して迎えにくるから待ってて?」 その母は・・迎えにくることは無かった。 代わりに迎えに来た『父』と『兄』。 私の引き取り先は『本当の家』だった。 お父さん「鈴の家だよ?」 鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」 新しい家で始まる生活。 でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。 鈴「うぁ・・・・。」 兄「鈴!?」 倒れることが多くなっていく日々・・・。 そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。 『もう・・妹にみれない・・・。』 『お兄ちゃん・・・。』 「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」 「ーーーーっ!」 ※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。 ※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 ※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。 ※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)

大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。 でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。 けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。 同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。 そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?

先輩に退部を命じられた僕を励ましてくれたアイドル級美少女の後輩マネージャーを成り行きで家に上げたら、なぜかその後も入り浸るようになった件

桜 偉村
恋愛
 別にいいんじゃないんですか? 上手くならなくても——。  後輩マネージャーのその一言が、彼の人生を変えた。  全国常連の高校サッカー部の三軍に所属していた如月 巧(きさらぎ たくみ)は、自分の能力に限界を感じていた。  練習試合でも敗因となってしまった巧は、三軍キャプテンの武岡(たけおか)に退部を命じられて絶望する。  武岡にとって、巧はチームのお荷物であると同時に、アイドル級美少女マネージャーの白雪 香奈(しらゆき かな)と親しくしている目障りな存在だった。  だから、自信をなくしている巧を追い込んで退部させ、香奈と距離を置かせようとしたのだ。  そうすれば、香奈は自分のモノになると思っていたから。  武岡の思惑通り、巧はサッカー部を辞めようとしていた。  しかし、そこに香奈が現れる。  成り行きで香奈を家に上げた巧だが、なぜか彼女はその後も彼の家を訪れるようになって——。 「これは警告だよ」 「勘違いしないんでしょ?」 「僕がサッカーを続けられたのは、君のおかげだから」 「仲が良いだけの先輩に、あんなことまですると思ってたんですか?」  甘酸っぱくて、爽やかで、焦れったくて、クスッと笑えて……  オレンジジュース(のような青春)が好きな人必見の現代ラブコメ、ここに開幕! ※これより下では今後のストーリーの大まかな流れについて記載しています。 「話のなんとなくの流れや雰囲気を抑えておきたい」「ざまぁ展開がいつになるのか知りたい!」という方のみご一読ください。 【今後の大まかな流れ】 第1話、第2話でざまぁの伏線が作られます。 第1話はざまぁへの伏線というよりはラブコメ要素が強いので、「早くざまぁ展開見たい!」という方はサラッと読んでいただいて構いません! 本格的なざまぁが行われるのは第15話前後を予定しています。どうかお楽しみに! また、特に第4話からは基本的にラブコメ展開が続きます。シリアス展開はないので、ほっこりしつつ甘さも補充できます! ※最初のざまぁが行われた後も基本はラブコメしつつ、ちょくちょくざまぁ要素も入れていこうかなと思っています。 少しでも「面白いな」「続きが気になる」と思った方は、ざっと内容を把握しつつ第20話、いえ第2話くらいまでお読みいただけると嬉しいです! ※基本は一途ですが、メインヒロイン以外との絡みも多少あります。 ※本作品は小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しています。

教え子に手を出した塾講師の話

神谷 愛
恋愛
バイトしている塾に通い始めた女生徒の担任になった私は授業をし、その中で一線を越えてしまう話

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

鬼上官と、深夜のオフィス

99
恋愛
「このままでは女としての潤いがないまま、生涯を終えてしまうのではないか。」 間もなく30歳となる私は、そんな焦燥感に駆られて婚活アプリを使ってデートの約束を取り付けた。 けれどある日の残業中、アプリを操作しているところを会社の同僚の「鬼上官」こと佐久間君に見られてしまい……? 「婚活アプリで相手を探すくらいだったら、俺を相手にすりゃいい話じゃないですか。」 鬼上官な同僚に翻弄される、深夜のオフィスでの出来事。 ※性的な事柄をモチーフとしていますが その描写は薄いです。

処理中です...