エリュシオンでささやいて

奏多

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第8章 Loving Voice

 15.

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 会社に呼び戻された彼は、エリュシオンのドアを潜る前に足を止めて言う。
 
「俺、お前の男だって言って貰えるよう、頑張るわ」

「……っ」

「だからお前も、頑張れ?」

 その眼差しは、まるで悪戯っ子のように。

「え……」

 なにか不吉な予感を感じて、彼を追いかけるようにして慌てて中に入ったら、社内がざわめいていた。

 二階に居るはずの社員も、皆一階に降りてきているようだ。

「どうしたの?」

 声をかけると、皆が口々に言った。

「長谷耀が来て、早瀬先生をと応接室に」

 長谷耀って言ったら、須王とウマが合わない〝天の奏音〟のCM曲を作った音楽家だ。

 女子社員の顔を見ていれば、かなりのイケメンらしい。

「え、なんでうちに来たの?」

 長谷耀がうちと接触するのは、初めてのことだ。
 それなのに――。

「ああ、俺が呼んだ。エリュシオンに来いと」

「へ?」

 原因は須王らしい。
 嫌っていた相手を呼びつけて、そして長谷耀もその言葉に素直に従って、うちに来たというわけ?

「ちょっと打ち合わせをしてるから、しばらくは俺に取り次ぐな」

 本日女帝がお休みのため、美保ちゃんが立ち回らないといけない。
 ……げっそりしているように思えるが、考えてみれば女帝はどんなに忙しくても、疲れた顔を見せていなかった。

 ああ、それはきっと、化粧力というより、夜露死苦の賜なのね。

「あいつが来たことで驚かせて悪かったな。大丈夫だから各自仕事に戻れ」

 須王のひと声で、皆がそれに従う……前に須王は、応接室に赴く足を少し止めて、こちらを振り返りながら言った。 

「それとひとつ。俺と上原柚チーフは付き合っているから」

 場がシーンと静まり返る。

 ……この男。

 衆人環視の中、悪びれた様子もないままに、さらに須王は続けた。

「俺は前から柚一筋で、思いきり溺れてる。悪ぃが、この先もどんな色仕掛けも効かねぇから。それと、柚に手を出す奴は俺の敵だと見なす。以上!」

 そして彼は颯爽と応接室に赴く。
 背筋を正し、長い足を動かして毅然と闊歩する様は、さすがに王様。

 ……この痛いくらいの好奇な視線の中、あたしを置き去りにして。

 ああ、穴を掘ってしばらく引き籠もりたい。

 やだよ、怖いよ。
 あの王様、爆弾を投げていなくなるなんてあまりに酷いじゃないか!

 静けさが破られるのは一瞬――。

「チーフ、早瀬先生の恋人だったんですか!?」

「いつから付き合ったんですか!?」

「馴れそめを教えて下さい!!」

 そんな野次馬的な反応と、

「うわ……、私上原チーフにいろんなこと言っちゃったよ」

「……俺も。うわ……」

 我が身の置かれた立場を嘆く者。

「上原チーフ、LINEしません?」

「今度美味しいもの食べにいきましょうよ」

 これからの立場を確立しようとする者。

 エリュシオンは様々な人種で溢れる。
 
 ひとつ言えることがあるとすれば――。

 あの男は、あたしが否と言わせない環境を作ったということ。
 もう二度と、須王と付き合っていないなど言わせないよう、外堀を埋めたのだ。

「っ!!!」

 ……これが本当の意味での、あたしに対するお仕置きだと気づくのは、それからすぐのことだった。



 *+†+*――*+†+*


 せっかく、なんとか落ち着いてきていたあたしの環境が、須王のひと言で騒々しいものとなる。

 どう客観的に考えてみても、あたしと須王は不釣り合い。
 王様が雑巾がけをしている侍女に手を出しちゃいました、の図だ。

 遊びから情けに移って……の説明の方が信じて貰いやすいかしら。

 せっかくのティラミス効果も半減。視線と噂話とで居たたまれないあたしは、積極的に鳴り響く電話を取り応対する。

 育成課には、あたし以外誰もいない。

 牧田チーフに言われて動いていた茂も藤田くんも。
 朝霞さんの妹と交流があった水岡さんも。

 あたしと須王が話した会議室には、誰もいなかった。

 あたしは、頭を抱えて席についていた今村部長に声をかけた。

「部長、すみませんよろしいですか?」

 彼は企画部自体の部長だから、茂の上司となる。

 須王が信頼していた彼は、実際のところどうなのだろうか。

 敵か、味方か。

 わからないままに、育成課の社員がどうなったのか聞いてみる。

「皆が辞職を申し出た。一応は保留にしている」

 彼は疲れた顔で笑った。

「全員ですか?」

「ああ。全員、揃って一身上の都合らしい。一応今日は帰らせた」

 部長の顔が疲労に翳って、今にも倒れそうだ。

 彼らはあたし達が席を外している間、自ら告解して罪を償う道ではなく、隠蔽して放棄する道を選んだのか。

 ……エリュシオンは、そんな簡単にやめられる会社だったのか。
 
 あたし、頑張ってきたのにな。
 でも彼らは、頑張れないのか。

 再生したいと思わないのか。
 

「育成課で、なにかトラブルでもあったのかね?」

「……い、いえ別に」

「じゃあなぜ、きみ以外の社員がこぞって辞表を出すんだ……」

 答えられるわけがない。
 彼らがオリンピアに情報を流していたからなんて。

「万が一、渡部が育成課を辞めたら、上原チーフは課長、大丈夫かね?」

 最初なにを言われたのかわからず、きょとんとしてしまった。

「きみさえやる気があるのなら、課長に推薦するが」

「あ、あああ、あたしはまだまだ、仕事の勉強中です。上に立つよりも下で働いている方が性に合います。課長職には、もっと適任者がいると思います」

「……たとえば?」

「たとえば……」

 わからない。
 いつもあたしは育成課でしなくてはならない自分の仕事だけでいっぱいいっぱいで、周りに目を向けていなかった。

「育成課を取りやめてどこかと統合するか、どの方法をとるかはまだわからないが、育成課をひとりではやらせない。課長も部下もいないきみひとりの状態であるのなら、きみがどこかに転属になることを覚悟していてくれよ」

「はい……」

 あたしはエリュシオンでずっと企画をしてきた。
 それが今さら音響とかライセンスとかであったら、勝手がわからない。

 また足手まといになるんだろうな。

 課長を連れてくるか、課長になるか。
 部下なんていうものに、誰かなってくれるのかなぁ。
 凄くシビアな選択を突きつけられた気がする。

 課長……、須王がしてくれないだろうか。
 だけど須王は、今それどころじゃないし、そういう肩書きは枷になりそうな気がするから言い出せない。

 育成課が、消えるのは嫌だ。
 担当している顧客もいるのに……。

 エリュシオンからこうしてひとつ、またひとつとなくなっていくのは寂しくて。

 宮坂専務の言うとおり、社長が膿出しをしているのだとしたら、育成課がその膿にされてしまうと思ったら、悲しくてたまらなかった。

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