エリュシオンでささやいて

奏多

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第8章 Loving Voice

 4.

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 *+†+*――*+†+*


 あたしは平和的に話を聞き出そうとしていたのだけれど、チーフとしてのあたしの存在は、かの有名な早瀬須王の一喝には敵わなかったらしく、特にあたしを舐めきっていた藤田くんは怯み上がり、めそめそと泣きながら須王に許しを乞うている。

 うん、いいよ。あたしはエリュシオンの背後霊。
 チーフとしてここに二年居たって、まるで存在感がないからね。
 それに一番辛い思いをしたのは須王だしね。
 
 慣れきった諦観であろうとも、面白くないあたしが先に会議室から出て自席につくと、なにか二階が騒がしい。

 なにがあったのか聞こうと思っても、育成課は誰もおらず、女帝がいなければあたしが気軽に尋ねられるのは須王しかいないが、誰も不在の今、ひとりわたわたしていても仕方がないと、となりのイベント課で聞いてみた。

「オリンピアが、うちが進めていたのと同じポスターや、雑誌の広告を出しているんです。それがオリンピアのものに差し替えろと今村部長からの指示があったと広告代理店は言い訳していて、部長はそんなこと言っていないと、広告代理店の担当者と責任者を呼びつけて、今下で大喧嘩しているようです」

 イベント課の篠塚さんにはまだティラミス効果があったらしく、そう答えてくれた。

 今村企画事業部部長は、須王のプロジェクトに参加していて、須王を全面的にサポートしてきた立場にいる。
 だから須王も、部長には気軽に話をしているようなフシがある。

 エリュシオンのHADESプロジェクト敢行の旨は、先週には広告代理店に通告がなされているはずだ。
 それを仮に部長がオリンピアに差し替えろと指示したのなら、本当にそれでいいのか、エリュシオンの話はどうなったのか、こちら側の担当者に確認の電話が来てもいい。
  
「……っ」

 こちら側の担当者は、営業の谷下くんと牧田チーフだ。
 
 だけどこちら側だけではなく、もしかしたら広告代理店側にもスパイがいたのかもしれない。勝手に仕事を推し進められる立場にいる――。

 うわ、つまり誰も信用出来ないということ?
 なんでHADESプロジェクトがそこまで狙われているの?

「ねぇ、牧田チーフは?」

「はい、今日は風邪でお熱が出たって、ガラガラの声で電話がかかってきました」

 つまりいないということは、須王は牧田チーフが藤田くんと茂に指示したのかわからないまま、完全にはったりを通したということね。

「それは篠塚さんが直接話したの?」

「はい。まるで男性のような低い声で、あれなら可哀想でした」

「……っ」

 本当に牧田チーフだったのだろうか。
 
 男のような声ではなく、本当に男の声だったら?

 とにかくは、内部の情報は簡単に外部に漏れ、勝手に指示がなされている。
 それはきっと育成課と牧田チーフだけの協力者の暗躍ではないはずだ。

 その時会議室から、須王が思いきり不機嫌そうに頭をガシガシ掻いて、耳をその手で掴むような仕草をして出てきた。よほど頭にきていたのか、顔が赤い。

 あたしは須王に、資料庫に来るように促した。
 資料庫に誰もいないことを確認して、棗くんから貸して貰った……盗聴器の探索機のスイッチを押したが、棗くんが言う高い音はせず、低いブーンという音だけが響き、あたりに盗聴器はないことを確認した。

「どうした?」

「今日、牧田さんお休みだって。男みたいな声で、風邪で熱出したからって電話がかかってきたみたい」

 ダークブルーの瞳が鋭利な光を放つ。

「男みてぇな声?」

「ええ。本人かどうかはわからないわ」

「牧田のところに行くぞ」

「え、仕事……っ」

「育成課の連中には辞表を書くかマスコミに知らせるかどちらかを選べと言ってある。仕事になんねぇだろう。それにHADESプロジェクトもそうだ。やはり壊す」

「………」

「今のままではすべて筒抜けだ。誰も信用出来ねぇよ。今村さんまでもが疑わしく思っちまう。俺がメンバーを選び直す」
   
「でも、エリュシオンの事業なら……」

「社長との取り決めで、俺をエリュシオンが引き留める条件のひとつに、俺がすべての企画の人事権があることを認めさせた。これを使う。もし反対されたら独立してやる」

「……っ」

 須王の目は、完全に怒りに満ちたものだった。

「HADESプロジェクトはお前と三芳だけを入れる。本当はお前だけでいいけど、そうしたらお前が負担がかかりすぎる。それに三芳とふたりがいいだろう?」

「それは……」

「すげぇきつくなるぞ。二十人の仕事を三人で分けるんだ。この状況の中で、お前も営業に回るんだ」

 この状況。つまり銃で狙われている状況という意味だろう。

「それでも俺は、お前をひとりにしねぇし、なにがあってもお前を守る。どちらもミスはしねぇよ」

 須王の眼差しは痛いくらいに真剣で。

「お前だから信用出来る。お前が三芳を信じているから信用する」

「女帝、今でも信用出来ないの?」

「棗を信用させられたら、俺も信じる」

 あたしは笑ってしまった。

「あたしと女帝を使ってくれてありがとう。営業だろうとなんでもする」

「柚……」

「嫌なの。あなたが作ろうとしている音楽を、こうして少しずつ奪われていくのが。だったらあたしも、一度作ったものを壊して、また考えた方がいいなって思った」

「………」

「裕貴くんと小林さんと棗くんを入れて、あたしもボーカル見つけて。それで広告とかプロモーション活動も頑張る。これでもあたし通算六年、この道に携わってきたんだもの。能力はなくても、経験値は負けない」

「ん」

「ただ……」

「ただ?」

「……ん、なんでもない」
  
 ……思ってしまったんだ。

 プロモーション的な手腕は、朝霞さんが飛び抜けていた。
 彼が説明して推した企画は、どんな相手の心も溶かした。

 言えるはずがない。
 諸悪の根源、オリンピアの社長であり、自分も動いている朝霞に協力して貰おうなんて。
 この事態を造りだしたのは、朝霞さん本人なのだから。

「エリュシオンの援助が駄目なら、瀬田さんのところに頼みにいこうと思っている」

 棗くんの養い親でもある、瀬田さん――。

「ねぇ、あなたはなんでHADESプロジェクトを立ち上げたの?」

 須王は単発に仕事をしていて、なにかのイベントに依頼されて関わることはあったが、こうした大々的なプロジェクトを自ら企画率先することは、今までしてこなかった。

「ん……」

 須王は天井を仰ぎ見て言った。

「俺が作る最後のものに、出来たらと思ってる」

「え、でもHADESは一曲だけではなく、その後も曲作り続けるんでしょう!?」

「HADESだけはやるつもりだが、今まで我武者羅に突っ走ってきたから落ち着きてぇんだ」

「音楽、辞めるってことじゃないよね!? 少しお休みするってことだよね!?」

「……どうだろう。わからねぇけれど、裕貴のプロデュースもあるし、プロデュース業に専念して、いずれ音楽から足を洗うことになるかもしれねぇな。……時間は無限にはねぇから」

 ……須王は遠くを見つめていた。
 まるで既に音楽界からの引退を覚悟しているような目で。
 
 HADESプロジェクトを立ち上げたのは、音楽を創出するのを終わりにしたいから?
 そのために、必死になっていたというの?

 あんなに嬉しそうにピアノ弾いていたじゃない。
 あんなに素敵な曲を作ってくれたじゃない。

 そんなの――。

「嫌よ。あなたには、音楽を作っていて欲しい。あたしにずっと、あなたの心を聞かせてよ」

 ぽかぽかと彼のワイシャツ越しの胸を叩く。

「ん……そうだな」

 彼は泣きそうな顔で笑い、顔を傾けて屈むようにして、あたしにキスをした。

「誤魔化さ……ん、むぅっ」

 彼とのキスは涙の味がした。

 あたしは泣いていない。
 泣いていたのは彼だ。
  
 だけど彼は誤魔化すようにして、あたしの口を塞ぐ。
 彼にとって音楽は、辞められるものであったとふざけたことを言う。

 あたしを抜きにしても、誰よりも音楽を好きなくせに。
 音楽に対する敬意は誰よりもあるくせに。

 辞めるの前提でプロジェクトを立ち上げたなら、どうしてあたしを入れたの? どうしてあたしにボーカルを探せなどと言ったの?

「そんな顔するな。冗談だから」

 冗談には思えない顔で笑ってあたしを抱きしめる須王。

「お前と、ひとつの音楽を作りてぇからHADESプロジェクトを立ち上げたんだよ。そう言ってきたろう、俺」

「で、でも。音楽を終わりにする可能性もあるんでしょう?」

「……ちょっと、疲れちまったんだ。音楽を軽んじる奴らが多いことに。俺は音楽に対しては誠実にしてきたつもりだ。それが……こいつらには俺の音楽は届かねぇと思ったら、ここで作っている意味あるのかなって」

「………」

「俺から、音楽ができなくなったら、俺の生きる意味あるのかなとかさ」

「あるよ! 須王は王様だもの!」

「王様じゃねぇよ。暗闇にまた引きずり込まれることを怯えている、ただの弱い脇役のひとりさ。俺の音楽が否定されればなにもねぇんだ。……多才な棗とは違う。そう思ったら、ちょっとだけ……お前に愚痴ってみたくなったのさ」

「……須王からすべてがなくなっても、あたしがいる。須王が大怪我して寝たきりになっても、醜くなっても、傍にいるから」

「はは……。すげぇ最高の口説き文句だな」

 須王はぎゅっとあたしを抱きしめた。

「お前が傍にいれば、俺から音楽がなくなってもいい……」 

 ……今回の裏切りに相当こたえているのはあるだろう。
 だけどそれならなぜ彼は、HADESプロジェクトを立ち上げた理由で、音楽から遠ざかるようなことを言ったのだろう。

 あれは本当だったんじゃない?
 それとも本当に冗談だったの?

 それでもあたしは、縋ってくるこの温もりが愛おしくて、それを聞けずにいたのだった。

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