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第6章 Overture Voice
15.
しおりを挟む「ん……ぅんん」
堰を切ったかのような荒々しい須王のキスは、どこまでも情熱的なもので、あたしはその奔流に身を委ねるしか出来なくて。
身も心も甘く蕩けるように感じるのは、そこに須王の心があるからなのだろう。須王の愛を感じて、また涙が流れた。
須王が好き。
泣きたくなるほど、切なくなるほど須王が好き。
須王は舌を絡ませるキスを続けたまま、あたしを抱っこするようにして、枕元にオレンジの常夜灯がついているだけの寝室に移動する。
広いベッドに置かれると、スプリングにあたしの身体が跳ねた。
唇が離れて、須王が首を傾げるようにして言う。
「抱くよ?」
彼の髪がひと束、頬から滑り落ちた。
まっすぐで熱い眼差しは、あたしの心を射るかのように。
ドキドキして照れてしまったあたしは、横を向いて言った。
「……お風呂」
「却下。そのままの柚を抱かせて」
「でも……」
「もう待てねぇ」
顎を摘ままれ正面に戻され、また濃厚なキスが落とされた。
「……っ」
甘いのか、意地悪なのかわからない。
だけどあたしも、お風呂に入るより……須王の肌に触れたかった。
……早くひとつになりたかった。
東京の夜景が見える須王の寝室で、まだ満月になりきらない月明りを浴びて、須王がシャツを脱いだ。
スローモーションに見えるその仕草は、どこまでもセクシーで。
露わになってくる身体の輪郭に、青白い燐光がまぶされたように幻想的に思えて。
やがて筋肉の盛り上がりが見える、逞しい上半身が見えると、あたしはその傷がついた身体に驚いた。
思わず四つん這い状態で、傷跡に手で触ると須王は笑う。
「何度も死にかけてきたからな」
いつも後ろで抱かれていたのと、須王のことに興味がなかったから、気づかなかっただけ。九年前もきっと傷跡があったのだろうけれど、初めてのあたしは与えられる刺激に精一杯だったから。
……気づいていたら、あたしと須王の仲は進んでいたのだろうか。
常人ではない須王の肉体に、そこに刻まれた凄惨な傷跡に、あたしはなにを感じたのだろうか。
「気持ち悪くねぇ?」
「どうして? 生きている……勲章だもの。須王のものなら愛おしいよ」
彼の傷跡にキスをしていくと、須王はぴくりと跳ねた。
「痛いの?」
「いや……。お前に、名前で呼ばれて愛おしいと言われたから、ちょっと」
須王の顔は仄かに赤い。
「……嫌だった?」
「嫌なわけねぇだろ。どれだけ夢見ていたのか」
早瀬の手があたしのシャツのボタンにかかる。
器用な指が震えているのを見た。
「あ……ちくしょ。初めての時みたいに、緊張して」
「自分で外そうか?」
「嫌。なんでお前、余裕なの?」
ぷくりと膨れた須王が可愛い。
肉体は鍛え抜かれたものなのに、どうしてこんな可愛い仕草をするんだろう。いつもそうだったのだろうか。それとも今、心が近いからだろうか。
「余裕じゃないよ。ドキドキしてるもん」
須王はなんとかボタンを取り外して、キャミ姿にすると、肩にキスをしながら、
「ふぅん? ドキドキ? どれくらい?」
片手をあたしの胸の下に置き、反対の手をキャミの下の素肌に伸ばして、あたしの唇にキスをしながらブラのホックを外した。
衣擦れの音がやけに大きく響く室内。
まるで初めてのように、こんなに心臓がどくどくと脈打っているというのに、
「……ああ、お前の心臓の音、聞こえねぇ」
それをわかっているはずの須王は、キャミを脱がせた。
あたしの身体に、肩でぶら下がっているブラが月に照らされて。なんだか恥ずかしくて、胸を隠す。
「お前……なに煽る下着つけてるんだよ」
胸を隠した手は、彼の力に敵わなくて。
須王の視線は、あたしのブラに注がれている。
「これ……棗くんのプレゼント。あなたが好きな色だからと」
それは、赤みかがったワイン色の……まるでベリーで染めたような色の下着のセットで。
せっかくのブラが、あたしの胸の前に中途半端に揺れているのも哀しければ、彼の反応もないのも哀しくて。
「その……、嫌だった?」
「そんなわけねぇだろ」
須王はあたしを膝立ちにさせて、そのままあたしの腰に両腕を緩く絡めさせると、あたしを見上げるようにして言う。
そのダークブルーの瞳の奥に、ゆらゆらと情熱の炎を揺らしながら。
「だから……お前がそんなのをしてくるなんて、反則なんだよ。それに、提案した棗がお前の胸の大きさを知っているって……。お前、棗に抱かれてねぇだろうな」
苛立たしげに、切れ長の目が細められて。
「そんなはずないでしょう。棗くんは棗ちゃんみたいなものだし」
いまだ思い出せない棗くんの昔の顔。
「だけどあなたが、そんなにベリーが好きだとは思わなかった」
「別にベリーが好きなわけじゃねぇよ。お前がベリーが好きだったからだ。だから俺は……」
須王の顔がブラの生地の上から、あたしの乳房に噛みついた。
「……ベリーよりお前の方がすげぇ好き」
「……っ」
胸の谷間から、こちらを見上げる須王の瞳が妖しく揺れる。
「食わせて?」
須王があたしを見ながら、胸の頂きをブラの上からもぐもぐと口を動かし、挑発的な眼差しであたしを見ているだけで身悶えるのに、ブラが外され、直接須王が乳房に口をつけているところを見ると、はしたない声を出してしまい、手の甲を口にあてる。
「柚。今夜からそれ、禁止。俺に、お前の感じている姿、すべて見せて?」
「……っ」
「柚」
おずおずと手を離したあたしだが、須王が顎を斜めに持ち上げるようにしながら、あたしの顔を見つめての乳房にキスに、いつも以上に敏感に感じてしまうあたしは、いつものくせで手で口を押さえて、声を殺そうとしてしまう。
感じれば感じるほど、頑なにあたしはそれを須王に見せられなくて、なにか怖さまで感じてくるのだ。
初めてではないのに。
何度も抱かれているのに。
ああ、いつもは姿がないまま、後ろから抱かれていた。それが今、こんなに男の顔であたしに触れるから、須王じゃないみたいで、怖いのか。
あたしは――後ろからでも、須王に抱かれているということに安心して、須王とは思えない男を目の前にして怯えているんだ。
あたしの戸惑いを感じたのか、須王はあたしの身体をぎゅっと抱きしめた。
触れあう肌が、燃えるように熱くて。
だけどそれは、あたしの心を宥めるような心地よさがあった。
「そう、だよな。九年、俺はお前を苦しめてきた。お前に好きだと言われて浮かれていたけど、お前の身体は……お前の言葉より正直かもな。お前の身体が一番、お前の傷ついた心を知っている」
「違……拒んでいるわけじゃないの。くせというか……」
「拒んでいるんだ、お前の心は。そう簡単に、俺を許せねぇのは道理。むしろ、好意を口に出して貰えただけで、奇跡的なものだ。調子に乗りすぎていたな、俺は」
胸のあたりに、須王の熱いため息を感じた。
面倒だと思われてる。
飽きられている。
そう思ったら、胸がぎゅっと絞られ、涙がぽろぽろ零れて、嗚咽までが漏れてしまったのを、須王は肌から感じたようで。
「泣く!? 泣きたいのはこっちの方なんだけど! 泣くほど俺に抱かれたくねぇの!?」
「違う、そうじゃなくて!」
「じゃあなんで泣くんだよ」
須王の向かい側に座らせられたあたしは、ぐすぐす泣きながら言った。
「面倒だって思われたから。ヤレない女はいらないと……」
「誰が言ったよ、そんなこと!」
須王は焦ったように声を荒げた。
「ため息、ついたから……」
須王は、腕の中にあたしを入れた。
ベリームスクの匂いが、熱と共に溶けて。
「ため息ついたのは俺に対してだ。お前じゃねぇよ」
「なんで自分に……」
「………。あれだけお前が傷を晒してまで、俺と前に進もうとしてくれたのに。俺は……そこで満足すりゃあいいのに、身体を繋げることしか考えてねぇから。今夜はいつもと違うとわかっていたくせに、半ば断定的に、今日は抱くという予定をそのまま断行した自分の浅はかさに、うんざりしてさ。……お前に、自分勝手だと言われたばかりなのに」
「別に須王のせいじゃない。あたしが……」
「いや俺のせいだ。お前をもっとデリケートに扱うべきだった。そう言われたばかりだったのに」
「いや、だからあたしが……っ」
須王はあたしを抱きしめたまま、あたしごとベッドに転がった。
そして優しくあたしの頭を撫でながら言う。
「ゆっくりでいい。ゆっくり……お前の心を繋がせてくれ。身体だけじゃなく、心も欲しい。お前に愛されていると思わせて欲しい」
「……っ」
「ごめんな、柚。俺、九年もお前に押しつけすぎた」
須王が、少し身体を離すと、寂しげな顔で笑う。
「九年苦しませて悪かったな。そのすべては取り戻せねぇけど、少しずつでも俺はお前に……」
そう、真摯ゆえに泣き出しそうに言うから――あたしは、須王の唇にキスをした。
「どうした?」
再度キスをして、須王の唇を、あたしの唇でもぐもぐと甘噛みするので精一杯で。
「今夜……あたしも楽しみにしていたの」
「え……?」
ベッドに横になりながら、その距離は二十センチ。
心をひとつにしたはずなのに、身体は距離が開いている。
「あたしも、須王と……繋がりたいの。身も心も。……もう、苦しい抱かれ方はしないのだと、幸せだと……思いたくて」
震えるあたしの唇から出る素直な言葉に、須王の目がやるせなさそうに細められて。
「嫌とか拒絶しているとかじゃないの。その……いつもはあなたの姿が見えないから、それが目の前にいて……怖いというか」
「俺、怖い顔してた?」
「そうじゃなく……なんというか……意識しすぎて別人というか。肉食な男の目をしているというか」
「………」
「……なにか言ってよ!」
「いや……、お前時々……というか、結構直球だよな」
「いやいや、あなたには敵いませんけど?」
何度言葉の羞恥プレイを食らったことか。
「……俺も怖いよ」
「え?」
「今まで後ろから抱いていたのは、俺なりの逃げ道だった。お前に嫌われても嫌がられても、後ろからならその顔が見えないから」
「……っ」
「だけど……お前が感じている顔も見えなくて。……俺はお前の名前を呼んでるのに、お前は俺の名前を呼んでくれねぇのも、お前の心だと思って……自業自得とはいえ、結構キツくて」
「………」
「実は俺、今夜お前と両想いになるとは思ってなかった。色々あって僅かに好感度が上がっても、今までが極端に好感度がマイナス過ぎたから、幾ら上がってもプラスにはならねぇだろうし、プラスがどうすれば愛になるのかもわからなければ、そもそもどうやれば好感度って上がるのか、俺にはわからねぇし」
……このひと、王様のくせにそんなこと考えていたんだ。
「……笑うなよ。自分でもダセェと思うくらいには、お前を相手にどうしていいのかわからなかったんだ。だから強引にいくしか出来なくて」
「………」
「だから今、前から抱こうと決めても、やはり今までのことを思い出せば怖いよ? やっぱり嫌だと言われたらどうしようとか、お前が感じなかったらどうしようとか……。緊張しているよ、俺も。初めての時みてぇに」
あたしは――声をたてて笑ってしまった。
「そんなに大声で笑うなよ。自分でもダセェと思ってるって。なんでスマートに出来ないのかと……」
自分も同じなのだと、わざと恥を晒す須王が、愛おしくて。
「本気にお前相手になると、どうしていいかわからねぇんだ」
……愛おしいひとに、もっとあたしを見て貰いたくて。
もっと、距離を縮めたくて。
このひとなら。
あたしを命をかけて守ろうとしてくれた、須王なら……。
正直、心の傷は完全にはなくならない。
ただ、須王の言葉によって止められていた時間が動き出し、前に進めるような気分になっただけ。
須王も守るためとはいえ、もっと方法はあったはずだとは思うけれど、そんな凄惨な環境で、あたしだって正しい答えを導き出せたとも思わなかったから。
この九年、彼にも葛藤や苦しみがあった。
それを感じさせた須王の告解だったから、あたしは言葉に込められた須王の心という旋律を大切にしたいと思うんだ。
今のあたしは、それだけでいい。
あたしひとりが苦しんでいたわけじゃないのだと。
須王も同じだったのだと、思うことが出来たのなら。
あたしはもう苦しみたくない。
過去に囚われずに、前に進みたいの。
だからこそ――。
あたしは、ちゅっと啄むようにキスをした。
「……須王、好き」
「……っ、だからそういう不意打ちは……」
またちゅっとキスをする。
「あたしも、あなた相手になにをどうしていいのかわからないけど……、だけど、少しずつ……一緒に行こう?」
「柚……」
「九年の傷は消えてなくならないかもしれないけど、痛みを感じないようにするのは、須王しか出来ない。痛みを感じないように……あたしを愛して」
ダークブルーの瞳が揺れた。
「あたしの痛みは、須王だけしか消せないの。だからあたしの九年の苦しみの分、いっぱい愛して。……今度はちゃんと正面から」
「……いいのか?」
「うん……」
須王の目は細められ、その両手があたしの後頭部を抱えるようにすると、身体を密着しあうようにして、唇を重ね合わせた。
須王の身体に包まれながらのキスは、とても甘くて。
お互いの唇を食むようにしあい、舌を吸いあい絡ませ合えば、須王への愛情が溢れて泣きたくなってくる。
角度を変えて音をたててキスをすると、須王が漏らす甘い声に同調したように、あたしの口からも鼻にかかったような甘い声が出て、合奏を始めた。
好きだと伝え合うようなキスは、次第に激情に身を任せたかのように深く激しくなり、ぬるりとした舌が互いの口腔内で暴れて。
その激しさに共鳴したように、きつく抱きしめ合うあたし達の身体もひとつのリズムを刻み、足を絡め合うようにして、キスに溺れて。
須王のあたしの顔を弄るその手のひらの熱が、あたしの肌に溶けていく。
情熱を秘めた須王の眼差し。
こんなに優しいのに、どうして怖いと思ったんだろう。
身体が、須王が欲しいと言っている。
須王が好きだと、言っている。
「ん……」
あたしを下にするようにして、須王の唇があたしの耳に行き、耳殻や耳朶を甘噛みされる。
「ひゃ……んんっ」
須王の舌は耳から首筋へと移動し、肌に這われる度にあたし身体が仰け反るような動きを見せて、快感を訴えると、須王はぎゅっと抱きしめて直に触れあう彼の身体であたしの身体の震えを感じ取ろうとしていた。
須王のしなやかな身体は舌を這わせながら、下に移動して、あたしの手に指を絡ませて握りながら、あたしの乳房を反対の手で揉む。
「ん……」
ため息のような甘美な声があたしの口から自然に漏れる。
「柚。すげぇ綺麗だ……」
うっとりとしたような声が聞こえて、あたしは身体を震わせながら、乳房に頬をつけている須王を見た。
「すげぇドキドキしてるけど、怖くねぇ……?」
「ん……。恥ずかしいだけ……」
やはり須王に、愛撫されているところを見るのは恥ずかしくて、羞恥に身悶えるが、須王は微かに笑うと、胸の頂きに吸い付き、胸の頂きを舌で転がしては、また吸い付いた。
その舌と唇でキスを翻弄されていると思えば、身体が熱くなり下腹部が熱く蕩けてくる。
「ラズベリーよりこっちの方がやみつきになりそう。ここ、噛んだら噛むほど、甘くなるのお前?」
「い、や……ぁ……っ」
ふるふると震えたら、須王が笑う。
「ふ……なにお前、言葉責めに弱いの?」
「違……っ」
須王が、勃ちあがった胸の蕾を甘噛みしているところを見せると、あたしの身体が刺激に弾んだ。
「甘いな、お前の。やっぱり俺、ベリーよりお前の方が好きだわ。よく味わわせろよ」
そう言うと、口や舌を使った念入りな蕾の刺激が始まってしまった。
捏ねられる蕾の形や刺激より、須王の眼差しに感じてしまって。
彼はこういう顔で、後ろからあたしを愛撫していたのだろうか。
こんな蕩けたような顔で、どこまでも妖艶にどこまでも男を見せて。
九年前のように、愛されていると思えるような眼差しで――。
そう思ったら余計にぞくぞくと身悶え、ピアノを弾くように胸を強く弱く愛撫する須王に、自然と喘ぎ声が大きくなって、胸に頭を埋める須王の頭を抱きしめるようにして啼いてしまう。
恥ずかしいけど、好きなひとに愛撫されるのは幸せで。
今まで嫌悪感しか持ち合わせていなかったあたしは、あの時以上の幸福感に満ちた快楽を刻まれていく。
「ぅ……ん、はぁ、は……ぅうん」
……あたしの悶える姿を、須王はじっと見ていた。
目が合うと、それだけで上り詰めそうになる。
冷ややかにも思えるダークブルーの瞳。
それが熱を帯びて蕩けて、あたしに熱を植え付けようとしている――。
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