エリュシオンでささやいて

奏多

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第6章 Overture Voice

 2.

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「いやいやいや。さらりと車の上で戦って、隣の車で敵をやっつけてくるあたり、ただの音楽家ではないでしょう!」

「……ふぅん? じゃあお前の目には、俺はなんだと思うわけ?」

「え?」

「クイズしてやろう。俺の正体あてクイズだ。外れたら怖い怖いお仕置きつき」

「へ?」

「A.ヤクザ B.武器商人 C.ヤクの売人 D.臓器販売者 E.暗殺者 F……」

「ストップストップ! あてる自信もなければお仕置き勘弁! なんでそんなのばっかりなの!? あなたはただの音楽家でしょう?」

「そう言ってるだろうが」

 なにか恐ろしくて、ぐすぐす泣くあたしの頭を撫でて早瀬は笑う。

「俺はただ音楽家だ。な、棗?」

「そうそう。須王はただの音楽家……ぶぶぶっ」

「なんでそこで吹き出すの、棗くん!!!」

「いえいえ、こっちの……ぶぶぶっ」

「棗くん!!」

 いまだ顔を思い出せない棗くんだけれど、戸惑いもすべてないまま、いつの間にか昔ながらの友達のように話していた。

 それが棗くんの話術なのか、早瀬が仲いいというだけのものなのかわからなかったけれど。
  
「あ、裕貴からLINE……」

 早瀬が仕事用のスマホを取り出した。

 そういえば、自由が丘の喫茶店で早瀬が取り出していたスマホはプライベート用だったなあなどと思っている横で、早瀬が顔を曇らせた。

 そしてあたしに画面を見せる。

 〝店員、昨日の奴はいないみたい〟

 〝付近は、両隣の店含めてまるで記憶にないらしい〟

 〝なにかおかしい〟

「どういうこと?」

「ネットは書き換えるハッカーがいるとして。だけど目撃者が記憶にねぇと言うことは、脅されたか本当に記憶がねぇかのどちらかだ」

「本当に記憶がなくなるわけないでしょう。だったら脅されたか……朝霞さんに、ということか」

「朝霞ひとりでそんなことはできねぇだろうし、裕貴がおかしいと言っているのがひっかかる。あいつの直感的観察眼は卓越しているからな」

「だったら、たくさんのひとから記憶がなくなったということ? ありえないでしょう、それは。そんなホラーみたいなこと」

「ああ……」

 早瀬は険しい顔で考え込む。

「いや、あるかもしれない」

 棗くんの声に、あたしも早瀬も驚いた顔を向けた。

「今、私が追っているのが、Amnesia of the Pomegranate(ポムグラネイト)……通称AOP」

「訳して……柘榴(ザクロ)の記憶喪失、か」

 早瀬が和訳してくれた。
  
「そう。不可解な事件が起きているの。日本に限らず世界にも。突然集団で記憶がなくなるの。そして必ずそこには、柘榴の甘い香りが漂っているという……」

「あの……棗くん」

「なに?」

「あなた何者なんですか?」

「あ、私も正体あてクイズする?」

「い、いやいいです。嫌な予感しかしないので」

「上原サン、勘がいいわね。まあ、探偵とでも思っててよ、世界を股にかけた……美女探偵ね」

 ……絶対探偵じゃないんだろうな。

「裕貴に聞いてみた。なにか臭いはしてたかと」

「返事は?」 

「〝甘い香りがしてた〟だそうだ」

「AOPの可能性が高いわね」

「え、朝霞さんなにか関係あるの?」

「あるかもしれないわね。AOPはまったく予測不可能なの。誰が作ってどうやってばらまいているのかわからないし、記憶が失った後の記憶の合成方法もよくわかっていない。……海外から輸入されたものか、日本から海外に逆輸入したものか、それすらまったく」

「だけどなにもわからない状態でお前が動くわけはない。帰国したということは、なんらかの情報は掴んでいるんだな」

「ちょっぴりね」

「流せ」

「ギブ&テイクよ、須王」

「……朝霞と会わせる」

「………。財閥が動いている」

「どこの! 忍月か!?」

 早瀬は声を荒げた。

「違うわ。あんたが入っている協会の長」

「一之宮か」

「なんだかあの御曹司、汚いことを裏でしているみたいね。彼がAOP制作に資金を出しているのでは……という話」

 協会はオリンピアを助けた。
 そこで朝霞さんは、AOPに関わってしまったの?

「……黒幕は一之宮ではねぇんだろ? 少なくともお前の考えでは」

「なぜ?」

「付き合い長いんだ。それくらい見抜けなくてどうする」

 棗くんは愉快そうに笑った。



 棗くんは男の声で言った。


「……復活だ」

「は……?」


「〝我らは永久の闇より汝を求めん〟」


 あたしにはわからない呪文で、早瀬の表情が凍り付いた。

「お前もその可能性を疑ったから、俺に連絡したんだろう?」

 早瀬の声より低い、男の声の棗くんの声音が、とてもおどろおどろしくて怖くて、ざわっと悪寒を感じた。

「それは間違いないのか?」

「ああ。彼女が狙われているとなれば、〝ザクロ〟なんだろう。AOPと関係なくとも」

 その時の早瀬の眼差しをなんと表現すればいいだろう。

 悲哀であり憤怒であり悲嘆であり。

「あの……?」

 早瀬は苦しそうに唇を噛みしめると、眉間に皺を寄せて目を瞑り、そのままシートに背を凭れさせて、喉元をさらすようにしてなにか考え込んでいる。

「それだけじゃない。お前、〝天の奏音〟って知っているか?」

「ああ。宗教だろう、胡散臭い」

「あの教祖に見覚えないか?」

「よく見てねぇな、デブハゲだったろう」

「あれ、大河原だぞ」

「あ?」

「幼女趣味に屍姦趣味で、無期懲役の判決食らった」

 あたしは飛び上がった。

「大河原って、まさかあの大河原ですか!? 連続幼女誘拐と強姦と殺人を引き起こして、一時有名になった。確かあれ、あたしが大学行ってた時だから……」

 亜貴がテレビを睨み付けるようにして見ていたのを覚えている。
 いつも温和なのに、もの凄く怖い顔をしていたから。

「そうそう、それよ上原サン。よく覚えてるねぇ」

 棗くんの口調はまた元に戻った。

 否、素を隠した……とでも言えるか。
  
「でも無期懲役ということは、刑務所にいたんでしょう? 脱走した、ということ?」

「あははは、凶悪犯が脱走して今まで捕まえられずに行方不明となったら、警察の沽券に関わるわね」

「つまり……法の上層部に、大河原を逃がした奴がいるということか?」

 早瀬が恐ろしいことを言った。
 疑問系の割には断定的だ。

「恐らくは。上層部を動かせる人物かも知れないけど」

「〝天の奏音〟を作らせた奴の可能性もあるということか。宗教自体は確か数年前の創立だったはずだが、匿っていたと」

「そうじゃないと凶悪犯が顔を変えて堂々と出来ないでしょう。それに性癖というのは治らないもの。性欲を抑えるために女宛がうか、案外少女誘拐して餌にしているかもしれないわね。警察がくっついているのなら、冤罪の犯人を挙げて檻の中に入れればいいことだし」

 棗くんの口調には、警察をどこか小馬鹿にしたようなものがあった。

「……棗くんは警察が嫌いなの?」

「うん、嫌いよ。権力志向だから。上原サンは?」

「……あたしも好きではないわ。あたしの訴え、聞いてくれなかったから。好きではないというか、頼りにしていないというか」

「なにかあったの?」

 あたしは、窓の外の流れる景色を見て昔語りをした。

「昔……、仲良くなった女の子が目の前で拉致されて。頭だけの状態で後日、別の公園のゴミ箱で発見されたの」

 早瀬の視線を感じる。

「それで交番にあたしが見たことを話したんだけど、取り合ってくれなくて」

「犯人を目撃したということ?」

「うん。サングラスをかけた黒服の……」

 あたしの脳裏になにかがチカチカと点滅して、記憶が早送りに再生される。

 歌う天使。
 泣くあたし。
 現われる黒服。

 走馬灯のように流れる記憶の中、黒服の男がアップになった。

 どこをどうとも言えない平凡な顔が特徴的なその顔を、最近見たような気がして。

 確か、それは――。
  
「あ!!!」

 ゴォォォン!

 思わず立ち上がったら、天井に思いきり頭をぶつけて蹲る。
 
「おい、どうした?」

 頭をさすりながらあたしは答えた。

「昨日喫茶店で、銃を持って入ってきた黒服の男……、九年前に拉致した男のひとりにそっくりなの! だから、見たことがあると思ったんだ!」

 つまり――。

「あれ? じゃああの黒服、九年前も九年後も同じ格好して、今度はあたし拉致に来ているというわけ? まさか目撃したからとか? ……時効だよね」

 ……色々と無理がある。
 
 あれから十年近く時間は流れている。
 男も老けるだろうし、十年後の目撃者封じにしてもなにか説得性がない。

「……お前、そいつが拉致された時、お前は連れられずに置いて行かれたの?」

 早瀬の目が怖いほど真剣で。

「うん」

「縛られるとか、脅されるとかなにかされて?」

「ううん、そのまま公園でポツン」

「……その後、自分の足で帰ったのか?」

「多分ね」

「そんなの見て、歩けたのか?」

「……多分。お金も持ってなかったしチャリに乗ってきたわけでもないし、歩いて帰るしか手段ないし」

 ……実際のところ、どんな状態で帰ったのか、記憶は曖昧だ。

 その後は、日を改めて公園で天使を待っていた記憶から、天使の死亡を知った記憶に変わる。

 そう言ったら、早瀬はあたしがどうやって死亡を知ったのかと訊いた。

 そう改めていわれると……。

「あれ、なんで知ったんだっけ。新聞見ただけでは、きっとあの子だとわかるはずがないだろうし。そう言われれば、どうしてあの子の頭だと思ったんだろう」

 屍体の写真が載っていたわけでもあるまいし、人づてにしてもよく天使だとあたしは思えたよね、今考えれば。

 死んだとわかってからも、公園には行ってみたけど、天使は現われることはなかった。それでやっぱり、死んだのは天使なんだと思って。
 ……あれ、その記憶は死亡の前の記憶?

 強烈だったくせになにかあやふやな記憶。

 もしかして、生きている可能性もあるの、あの子は?
  
「頭部の身元は?」

「戸籍がなかったから、わからなかったみたいだけど……」

「お前が会った奴の特徴は?」

「髪が長くて白いネグリジェ着ていて、赤い首輪をつけていて、滅茶苦茶可愛いの。喋らないけど歌が上手くて、声帯模写も出来て。名前とかもよくわからない。その日にあったばかりだったから」

「……屍体は首を切られていただけか?」

「頬に〝Elysion〟と刻まれていたみたい。それであたし、会社に運命感じたの」

 そのエリュシオンで早瀬と再会したから、これも運命的とも言えるのかもしれないけれど。

「……棗」

「……なに」

「お前も同じこと考えてるだろう」

「あらよくわかるわね、須王と同じこと考えているって」

「はは」

「ふふ」

 ……笑う割には、ふたり刺々しい……殺気に満ちた空気を纏っていて、それから先、あたしは……ごくりと唾を飲み込みながら、居心地悪く座っているしか出来なかった。

 一之宮財閥が柘榴の匂いがするという……AOPというものを作っていて、朝霞さんがそれに関係しているのかな。

 あたしは、早瀬と棗くんとの会話を頭の中で反芻してみたが、いまだあたしを拉致……或いは殺そうとしている者の正体がわからない。

 プロの犯行ではないとすれば、黒服はどこで増産されて派遣されているのか。

 それはAOPを作っているという一之宮財閥なのか(一体なにに使うんだ?)。 それとも、ロリコン犯罪者が教主をしている〝天の奏音〟なのか(あたし、成人女性だけど!)。はたまた別のものなのか(まだあるのが怖っ!)。

 もしかすると元麻薬取締官で今は自称探偵という嘘つき棗くんと、音楽家のくせに銃をも怖れずやっつけられる……やはり嘘つき早瀬は、なにか思い当たることがあるのかもしれないけれど、馬鹿で定評のあるあたしは、頭を目一杯フル回転させて考え込んでいる最中に夢の中。

 ……オーバーヒートからくる現実逃避。

 そんなあたしの身体が、温かなもので包まれた気がした。
  


「あ~、本当に、あんたは昔から彼女一筋ね。高校の時も、私ダシにしてよく会いに来てたものねぇ。知らないのは彼女だけ。……あんた今の顔、鏡で見てみる?」

「……いらねぇよ」

「自覚ある? 緩みまくって好き好きオーラを出しまくってる、王子様の顔」

「……でもこいつには通じねぇから、もっと強くしねぇと」

「あはははは。須王相手に、これは強敵ね。手強いわね~」

「……ゴホン。それより棗。〝エリュシオン〟と協会のメンバーを照合してみてくれ」

「あらん、簡単にいうこと」

「ふん、マトリから内調に引き抜かれたんだろ、引き抜き料を上乗せして、せいぜいあいつらを活用してやれ」

「あははは。須王も来ればいいでしょう。功績も残していて声かけられているんだし、あんたなら大歓迎されると思うけど」

「別に功績じゃねぇよ。……俺はただの音楽家でいい」

「ふふふ、彼女のためか。きっと彼女、あんたが必死になって音楽やって大成している意味を知ったら、あんたに頭上がらなくなるわね」

「……言うなよ。そんなことで縛りたくはねぇから」

「はいはい。ところで忍月財閥情報いる?」

「いらん!」

「あはははは」

「笑うな! 柚が起きる」

「ねぇ、私も柚チャンと言ってもいい?」

「駄目だ! 柚は俺のもんだ!」

「本人には言ったの?」

「……っ」

「おーい」

「……だよ」

「聞こえないよー」

「金曜日に言うんだよ!」

「あーら、そうだったの。フラれたら慰めてあげるからね。こっぴどく嫌われておいで、長く拗らせてる初恋よ、サヨウナラ~! 須王の新しい恋、カモーン!」

「な・つ・め――っ!!」


 ……などと、盛り上がっていることにも気づかずに、あたしはひたすら寝ていた。


 
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