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第5章 Invisible Voice
12.
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前日早瀬が宣言していた通り、班行動はふたつに別れた。
裕貴くんはタブレットとスマホに、ネット仲間からの情報が入るようになっているらしく、それら文明の利器を持参して、女帝と共に小林さんの運転する車に乗り込んだ。
――素知らぬふりをしながら、付近の店とかからも事情聴取してくるわ。物事をずばっと見抜ける裕貴と、私の営業モードの顔をみせれば、楽勝よ。なにかあれば、ガーディアンがいるしね。
ガーディアン……小林さんは、空手・柔道・レスリング・ムエタイ……などなどかなりの種類の格闘技の黒帯も黒帯、もう少しで師範代になるくらいの実力の持ち主だったことが判明。
――だけど俺、早瀬には勝てなかったんだわ。まあ姉ちゃんのような、瞬殺ではなかったけどな。
豪快に笑う小林さんは、体格を比べる限りにおいても、あまりに信じられないことを豪快に笑って言った。
ただの音楽家だよね?
どう見ても、格闘技と無縁な涼しい顔をしているし、楽器を弄る手は、小林さんのようにごつごつしていないで、綺麗なものだ。
謎めく早瀬が運転する車は、あたしを乗せて、青山から木場方向に消える小林さんのランクルとは別れて走って行く。
振動の少ない高級外車の上に、早瀬のブレーキの踏み方がゆっくりなのか丁寧で上手いせいなのか、信号などで停まる時は、あたしが運転した時のようにガックンという衝撃がない。
「………」
「………」
心地よい運転。座り心地のいい高級車。
流れる景色と狭い空間。
隣には眼鏡をかけた、クールな早瀬の横顔。
いつも背広姿しか見ていなかったけれど、今は初めて見るカジュアルファッション。
ネイビーともっと濃い青色が模様のように混ざったロング丈のニットカーディガンから、僅かにドレープ状になって大きい襟ぐりとなった白いカットソーを覗かせ、首にある黒革のチョーカーから、シルバーの模様が彫り込まれた長方形のペンダントヘッドがぶら下がっている。
あの首元を見せるカットソーでセクシーさと、あのアクセサリーで男らしさを演出?
さすが、敏腕プロデューサーは違うね。
別に緑ジャージでもいいのにさ、あれを自分に似合うと思って買っちゃうわけ?
それを作ったひとが期待した以上に、美しく着こなしてしまうのが憎いね。
どうせどれもお高いんだろうね、王様の選ぶお洋服だものね。
今度王様ブランド立ち上げればいいのに。
などと、横目でちらちらと称賛よりも悪態をついているのは、これ以上早瀬の魅力を狭い空間で受け取りたくなかったから。
そしてあたしは、早瀬とふたりきりになったのは、昨日のあの中庭以来だということに気づいた。今さらながら。
「………」
「………」
本当に今さらなんだけれど、昨日は女帝と裕貴くんと話してすぐ寝てしまい、今日は朝から皆で賑やかに過ごしていて、忘れてしまっていたけれど。
……あたし昨夜、早瀬に胸触られ、舐められた。
「……っ」
お外でなんたること!!
お酒って怖い。
その上で、あたし……早瀬に告る決意をして、当たってぶつかって砕ける決意をしたんだ。
……だとしたら、金曜日早瀬に当たって砕けたら、もしかして興ざめした早瀬に、永遠に背を向けられる可能性だってあるわけで。
もしかすると、セックスまがいなことは、昨日の胸への戯れが最後になってしまうかもしれない――そう思ったら、実に複雑で。
早瀬に抱かれたいというよりは、あたしを愛してくれる早瀬に抱かれたいというのが正解で、今までのように愛のないセックスはもうしたくないのだけれど、だけど好きなひとに抱かれるだけいいのかもしれないとか思ってしまうと、今までをなにひとつ変えられないじゃないか、と、出口なき迷路に迷い込んだかのように途方に暮れてしまう。
ああ、くそっ。
身体の関係が先の愛情の自覚というのは本当に厄介で、早瀬のように気持ちがなくてもセックスしてすっきり……としないところが、やけに恨めしい。
「……どうした?」
無言のままで色々と考え込んでいたら、早瀬が不意に訊いてくる。
「いいえ」
……それに、守りたいと言われたのは純粋に嬉しかったけれど、そういえば今日はキスがないよな……なんて、一瞬でも思ってしまった自分を殴りたくなる。
「おいこら。なにやってるんだよ」
本当に自分の頬をぐーで殴ってしまっていたら、早瀬に手首を掴まれやめさせられた。
「それは俺に殴りたいという意志の現れか?」
「いいえ。弛んだ自分への喝です」
せっかく鹿沼さんがパソコンに喝を入れてくれたのに、それを使う人間が腑抜けでどうする。
しっかり、柚!!
きりりとしなさい!!
「……まだ、俺の車に慣れねぇの?」
「へ?」
「そんなに背筋正して、どこに連れ込まれるのかと睨み付けるようにして前を見ているから。別に取って食いはしねぇから。……金曜日まで待つからさ」
「その、金曜日なんですけど……」
「なしは却下。確定」
「確定でいいんですけど……もしも。もしもの話で、思いきりあなたを怒らせてしまう事態になったら」
「なに、お前俺を怒らせたいの? アキや朝霞や裕貴や小林に、操立てるとか言い出すつもりか!?」
「ち、違いますよ。亜貴は従兄だし、朝霞さんは元上司だし、裕貴くんは弟みたいだし、小林さんはおじさんですから、そういう対象にはなりえません!」
「……。じゃあどんなのが、お前の対象なんだよ」
「は?」
早瀬はむっつりとして唇を噛みしめるようにして、フロントガラスを睨み付けている。
「あのですね、あたしはあなたみたいに、色とりどりの異性の中から、自分の対象はこれだと選べる立場にはないんですが」
そうだ。選べるのは早瀬ぐらいだ。
……そう思ったら、たくさんの美女の中から、あたしを選ぶなんてことはありえないことだろうし、選んで欲しいなんていうこと自体がおこがましい気がしてきて、あたし何様よとずぅぅぅんと落ち込んでしまう。
「は? なに言ってるのお前。あんなにモテてたくせに」
「いや、あなたこそなにを言い出すんですか? へんな夢か幻覚でも見てません? それとも、そういういじめですか?」
鼻でせせら笑うと、早瀬は眉間にくっきりと皺を刻んだようだ。
「お前、高校で色々な男に告られてただろう?」
「ないですよ、そんなの。それならあなたでしょう?」
「俺はいいんだよ、お前の話だ」
……そこは否定しないわけね。
「お前、難攻不落の高嶺の花だったんだぞ」
ナンコウフラクノタカネノハナ。
なんの呪文かしら。
「誰かと間違ってません? あたしがそんなわけないでしょうが」
言っていて、虚しくなってくる。
「なんでお前、自覚ねぇの? 呼び出されてただろう、いつも」
「あ、家族のサインを求められはしましたよ? 何人かから」
「そんなの口実じゃねぇかよ!」
「なんの?」
「お前を落とすための。だから俺、必死に……」
「必死に?」
するとはっとしたようにして、早瀬は言う。
「いいんだよ、俺の話は!! 今はお前の話だろ!?」
言ったの自分じゃないか。
「あのですね……」
「言葉遣い!」
「あたしの家族を知っているのならわかっていると思うけど、あたしは醜いアヒルの子なの。あたし以外は綺麗な白鳥なのよ。碧姉と比べたら、あたしの顔不細工すぎて……言ってて哀しくなってくる」
「それは上原碧と比べてだろう? あんなのと一緒にするな」
「あんなのって……」
「あんなのだよ、男に狙いを定めている肉食だろう。あれに比べれば、三芳はまだ可愛いものだ」
「そうは感じたことはないけど。美人だから、恋の遍歴は多いだろうけど」
「あんなのが美女の代表格じゃねぇから! 誰も喜んで生餌になる男はいねぇから!」
「そ、そう?」
……で、あたしはなんで怒られているの?
「お前は不落な高嶺の花だったんだ。上原ファミリーの娘ということ以外にも」
「あたし、そこら辺に咲いている雑草よ? アスファルトの間にぼそぼそと生えているような「高嶺の花なんだ!」」
早瀬はどうしても高尚なものに格上げしたいらしい。
ちょっとそれは、本当の高嶺の花さんに悪いよ。
こんなのが高嶺の花さんだったら、本当の高嶺の花さんはなんと言えばいいのよ。
「買いかぶりすぎ」
「違う……けど自覚ねぇならそれでいい。うん。お前の環境はよかったのかも知れねぇな、俺にとっては。アキや朝霞が邪魔だけど」
……なに突然早口で、ぶつぶつと。
「そういや朝霞から、LINE返ってきたか?」
「いいえ。……うん、今でも既読になってないわ」
「……そうか」
早瀬は厳しい表情の横顔を見せた。
「朝霞さん、あの銃のひと達に拉致されているとかは……」
「ねぇだろうな、まず。拉致されるようなアホではねぇだろ」
「あたしより朝霞さん知ってるね」
「……匂うんだよ、あいつから俺と似た匂いが。……地下の匂いが」
「地下?」
早瀬は答えなかった。
東京都目黒区自由が丘――。
江戸城の城下町の南側……いわゆる城南地区とされる地域にあり、西洋風の家並みが続き、お洒落な雑貨や洋菓子店が並ぶことで有名な場所である。
車は自由が丘につき、高級外車でも難なく受け入れてくれそうな、駅からほど近い大きな駐車場に停められた。
ファン避けにまた眼鏡をして降り立ったが、やはりどう見ても顔隠しにはならないと思う。
女の子が多い地域だろうし、なによりモデル真っ青の姿態。どこからでも見つかるように思うけれど、本人はまるでその危惧はないらしい。
「お前、自由が丘に来たことあるのか?」
「初めて」
「そうか。……ところでお前、ケーキとか洋菓子好き?」
「うん、大好き」
「……ふっ、女だな」
早瀬は口元を綻ばせて笑う。
「女だもの!」
そうムキになって言ったけれど、早瀬の目が優しくて。甘く思えて……吸い込まれてしまいそうに惹き込まれて。
「時間があるから、食べて行くか」
「へ?」
早瀬に見惚れていたあたしは、裏返ったような声を出してしまった。
「スイーツ。好きなんだろう? 俺のも選べよ」
「え、あなたも食べるの?」
「ああ」
あの早瀬須王が、スイーツ!?
自由が丘のお洒落な喫茶店で、優雅にケーキとか食べちゃうわけ?
思わず引き攣りながら仰け反れば、早瀬は少々機嫌を損ねたようだ。
「一時間も時間があるんだから、寄ってみてもいいだろう!? どうせ有名店なんか列を作って待たされるのなら、ちょうどいいじゃねぇか!!」
早く出たのは、次の予定がわかっている早瀬だ。
どう考えても、一時間も早くここに着いたということは、早瀬が並ばずにスイーツを食べたかったからとしか思えない。
そんなに自由が丘のスイーツ食べたかったの?
今はネットでも買える時代なのに。
「俺が食ったら駄目か!?」
「いや、いいんだけれど……あたしと食べるの?」
なんていうミスマッチ。
超絶イケメンが、こんな冴えない女と、可愛くスイーツ?
「お前しかいねぇだろ!? それとも俺と別々に入って、ひとりずつ席に座って食えって?」
「なんというか……ことごとく絵にならないなと」
「絵にしなくてもいいんだよ、お前と食えればそれで!」
「……へ?」
すると早瀬は、顔を赤くさせてぶっきらぼうに言った。
「お前、裕貴と一緒に食えるのに、俺は駄目なのか?」
「だ、駄目じゃないけど……」
「じゃあ問題ないだろ? ん!」
早瀬が片手を出した。
なんだろう、握手でもしたいの、こんな道端で……と思って、おずおずと握手をしたら、思いきり怒られた。
「なんで握手なんだよ、そっちの手じゃねぇよ!」
そして奪いとられた手は、指を絡ませて握られ、そのままカーディガンにあるらしいポケットの中に突っ込まれた。
「……っ」
「なんだよ」
「いや、その……」
「ニヤニヤすんなよ。俺は寒いんだ」
なんでこうなったのかわからないけど、なんだか……。
「どこ行く? 調べておけばよかったな」
ごめん。
スイーツより、この手の方が気になって仕方がないの。
手も握ったことはあるし、それ以上の……もう行き着くところまで行き着いているのに、初々しい初デートのようなこの手が、気になって仕方がないの。
女性が好む小綺麗な場所に、いつも見る以上の数の『神の啓示の調べを聴け!』となどと書かれた〝天の奏音〟のポスターが貼ってある――そのアンマッチな違和感も感じずに。
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