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第5章 Invisible Voice
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朝、五時に目覚めたあたしが、男性陣が寝ている居住部にあるキッチンでお米を研いで炊飯器のセットをしていると、ドスドスと音がして、出かけていたらしい小林さんが帰ってきた。
手にはたくさんの新聞。
「おはよう、嬢ちゃん。今日は休みなのに、働き者だな」
「おはようございます。厄介者になっている身だから、せめてあたしが出来ることをしたいなと……」
「がははは、気を遣わなくていいんだぞ。ここは須王の家だから、好き勝手にやっても大丈夫だ」
……いつも好き勝手にやっているんだな、小林さん。
「しかし朝一番に、エプロンつけた嬢ちゃんがあいつのために食事を作っているのを見たら、感激で泣き出すんじゃないかな。そのうちあいつの家に行って作ってやってくれや」
「え、そんなに自炊してないんですか、あのひと」
驚きのあまりに唖然としていると、小林さんが愉快そうに笑った。
「そうくるか。がはははは」
対面キッチンカウンターに座った小林さんは、新聞を広げて見ている。
「どうですか? 載っているようですか?」
「ん……ねぇな。コンビニだけじゃなく、新聞の販売所に行っていろんな新聞取り寄せてみたが、今のところ東京は平和すぎるようだ」
「そうですか……」
あたしはおたまで味噌汁をかき混ぜながら、嘆く。
「うわーいい匂い。おはよう、柚。あ、くまのおっさんも」
裕貴くんが欠伸をしながら起きてきたようだ。
冬に近い季節でも、裕貴くんは半袖Tシャツにハーフパンツに裸足。
さすが現役高校生、若い!
「早いね、裕貴くん。もうちょっと寝ててもよかったのに」
「いや、元々俺、朝の五時前から持参タブレットでSNS駆け回って、仲間と連絡取ってたんだ」
「どうだったんだ?」
「収穫なし。いやあったというのかな?」
「どういう意味?」
「情報を求める旨の書き込みすら、瞬く間に消えてしまうんだって。報道規制というより、その対処が早すぎるから、なにかネットを巡回しているプログラムみたいなものが、指定した禁忌ワードみたいのにひっかかる記事を、自動的に消すようにしているんじゃないかって」
「そんなこと出来るものなの? ネットって広いじゃない? 世界まで広がっているのに、そこから、書き込みしたひとのパソコンを使ってもいない第三者が、勝手に改竄のようなものをしているってことでしょう?」
「そりゃあ素人は無理さ。仮にプログラムみたいのを作れたとして、洪水のように流れてくる、ネットの全世界の情報を監視して措置をとれるのは、動かす機械も超優秀じゃないといけないだろうし、それぞれのサイトにも対外的な攻撃に対してブロックするような対処もなされているだろうし、それをいちいちクリアしていくプログラムを組まないといけないし」
「……裕貴。お前やけに詳しいじゃないか。機械オタクだったのか?」
「オタクじゃないけど、俺の専攻学科は情報メディア学科で、SNSの構築とかを始めとして、サイバーテロとかを勉強している最中なわけよ」
「へーすごーい」
「柚、棒読み! まあ、普通のひとは、柚みたいにパソコンではネットみたりメールしたり。書類作成で、ワープロとか表計算ぐらいしか使わないよね」
「あ、表計算はしないよ。書類で表を作らないといけない時は、電卓叩いて出てきた数字を入れてるし」
「柚……。今度教えてやるから。それ、手間かかるだけだって。マイクロソ○トだろ、入ってるの」
「うん、そうそう。教えてくれるの、本当!? 実は面倒だったのよね、大きい表になると、後で訂正があったら、すべてのマスにまた電卓たたき直した数字を入れないといけないから。間違いやすいから、それから何度も確認でまた電卓叩かないといけないし」
「うんうん、ひとつ訂正するだけですべて数字は、自動的に変わってくれるから」
「凄いね、裕貴くんのパソコン!」
「いやいや、柚のパソコンでも同じこと出来るから!」
喜んでいる最中に、女帝が起きてきた。
眠そうなのに、化粧バッチリおめめぱっちり。
「おはよ。早いわね。……なに盛り上がってるの?」
「え、裕貴くんがパソコン詳しいみたいだから、表計算ソフトの使い方を教えて貰うことにして」
「え、裕貴、使い方わかるの!? 私も、私も!!」
「……社会人になって、会社勤めをしていて、いるんだ……表計算も出来ないの」
「あたし、参考書は買ったのよ。こんな分厚いの。だけど、あたしがしたいのが何頁にあるのか、それを探すだけで疲れるというか。だったら、電卓叩いた方が早かったの」
「それ、言える。私は専ら、色を着けるだけね」
「あ、綺麗だものね、奈緒さんの選ぶ色。自分で作っているんでしょう? テンプレートにないものね」
「そうそう! 結構気を遣っててね、目がチカチカしないようにちょっと灰色を……」
「……色より、計算しようよ……」
「ぶははははは」
小林さんが大笑いしたら、皆で顔を見合わせて笑ってしまい、そこに御殿の主がやってきた。
「朝っぱらからなんだ、大声で……」
王様はふらふらしてて、今にもばったり倒れそうだ。
「え、どこか具合悪いんですか?」
「がはははは、須王は低血圧なんだ。だからそこのソファで転がしておけば適当に復活するから」
そう言いながら、小林さんが早瀬の背を押すようにして、白い革張りのソファに倒すと、早瀬は動かない。
「須王さんの弱点は、朝!!」
「裕貴、写真撮っちゃえ!」
「ラジャ、姐さん!! やべ、なにこの無防備な可愛い生き物!」
「どれどれ……うわ、私の胸にずっきゅーんって」
「姐さん、傷が開くからあっちに行ってて!」
パシャパシャと写真をとる裕貴くんを見ながら、あたしは昨日の朝のことを思い出していた。
……低血圧、か。
早瀬と泊まった朝は、いつもあたしがすぐ帰ってしまうことが多いからわからなかった。
朝、弱いのに朝三時から起きてあたしの家の前で張っていてくれたんだ。
そう思うと、じーんと感動してしまった。
午前七時――。
小林さんにおぶられるようにして、そのままシャワー室に運ばれたらしい早瀬が、水も滴る麗しの王子様となって戻ってくる。
見事なまでに……ぐでぐでしながら起き上がっては、生まれたての仔牛のように手をぷるぷるさせて、ソファに埋もれていた姿がまるでない。
それどころか、髪が濡れているだけで、どこから色香が出てくるのかよくわからないけれど、とにかくこの場は、妖しいピンク色に染まっていき、裕貴くんと女帝がやられてへろへろとなり、あたしはガラス戸を開けて空気の入れ換えをして言う。
「ごはん、食べましょう」
「ぶはははは。嬢ちゃんは大丈夫なのか」
「……はい」
見慣れてますとも言えないし、実はぐらぐらしてのぼせたような感じだったので、冷たい空気で火照りを冷ましていたんです……とも言えず。
「俺の嫁、なぜに俺にはいつも食わせない豪勢素材ばかりを、持たせるんだ? こんなの買う余裕があるのなら、俺の小遣いあげろー!!」
高級素材――。
小林さんの荷物は多くて、その中にとても大きなクーラーボックスがあったため、昨夜皆で蓋を開いたら、ぴかぴかの銀の鱗をした大きな鮭が一匹。
一緒に入って居た説明書らしき紙には「鮭児(けいじ)」とあった。
何でも、一万ほどの捕獲量の中に、数匹しかいない幻の鮭らしい。
……魚を持たせる奥様って凄いなと思いながらも、まだまだ奥様から持たされたという食材はたくさんあって。
南魚沼産コシヒカリ(米)、シンデレラ太秋柿、恐らく松茸と思われるキノコ、針木産新高梨……と書かれた、多分産地は日本だけれどどこのどんなものなのかまったくわからないものもたくさん現われた。
どういう食べ方がいいのか説明がなかったため、ネットで調べたところ、庶民は絶対買わない凄まじい高級さ。
1個四千円以上の柿や梨ってなに!?
鮭児なんて、十万近くなんだけれども!
……これも早瀬への貢物とは思えども、そんなものが市場に出ていて、それを買う客がいるという驚きの事実に、震え上がったあたし。
生ものは早く食べた方がいいと、昨夜のうちに……魚を捌ける小林さんにより作って貰った、鮭児のお刺身を食した。会食で食べれなかった早瀬のために、朝食からルイベ(凍ったままの刺身)を堪能。
早瀬様様だ。
こんな貢物を貰っていても、王様の顔の表情は変わらない。
優雅にお箸を使って食べている。
お箸の使い方で、そのひとの人となりがわかるというが、実はあたしのお箸の使い方は意識しなくともばってんになり、亜貴に徹底的に直された。
亜貴とは年に数回会っていたけれど、亜貴もおばさんもそこまで優雅さを見せてはいなかったと思うが、亜貴が一人暮らしをした時には既に、料理も礼儀作法もきちんとしていたという不思議。
まあそんなで、亜貴を師匠にして育ったあたしとしては、ひとのお箸の使い方を見てしまう癖がついてしまっているけれど、早瀬の箸の持ち方は本当に素晴らしいと思う。
育ちが特別にいいというわけでもないのだろうけれど。
ひたすら黙々と食べ続ける早瀬は、美味しいとも不味いともなにひとつ感想を言わず、ただご飯粒ひとつ残さずに綺麗に食べた。
煮麺程度で喜んでくれた早瀬を思い出せば、とても寂しい気分ではあったけれど、その代わりに、小林さんと裕貴くんが美味しいと喜んでくれたから、いいことにしようか。
「裕貴、もう一度」
洗い物もすべて終わった時、リビングルームで打ち合わせ。
脱線して中途半端になってしまった裕貴くんの話を聞いていたら、ひとり用のソファにどかりと腰掛け、長い足を組んでいた早瀬がストップをかけた。
「SNS仲間の見解はなんだって?」
「え、あ、うん。上から情報規制が敷かれているにしては、記事を消すのが早いし、サイトのブロック関係なく簡単に記事が消えるから、パソコンをよくわかっている誰か……ハッカーとかが、サイトの防衛くぐり抜けて自動削除するプログラムでも置き土産をしているんじゃないかって」
ハッカー!!
パソコン音痴のあたしでも、洋画によく出てくる……パソコンをカタカタして、アメリカ政府とか巨大組織とかのコンピューター内に入り込み、機密情報を参照したり、書き換えたりするひとのことを、ハッカーというくらいは知っている。
「つまり、相手にはハッカーが含まれる可能性もある、ということか」
皆が怖い顔をして唸るから、どうしてそこまで深刻な顔をしているのかわからないあたしが尋ねると、裕貴くんが教えてくれた。
「つまり、誰が死んでも、事件にならない可能性があるということだよ」
「え?」
死ぬ?
「今はコンピュータら機械が情報を管理する時代だからね。その情報すら書き換えられてしまったら、俺達は戸籍すら消されてしまう可能性だって出てくる。ハッカーは、人間を社会から抹殺してしまえるものなんだよ」
あたしは、ぞっとしてしまった。
「でも、警察が……」
「警察なんて、事件が起きないと動かないからね。遥(はるか)の時だって、警察は動かなかった。遙を変人扱いしたし」
「遥って?」
「あ、入院中の俺のダチ。男なんだけど。遙の姉貴が五年前に行方不明になってさ。でも事件性がないからって、探してくれなくて。あいつ身体弱かったのに、凄く探して探して……面会謝絶になるほどには、あいつの心身がボロボロになったと思う」
「そんなことがあったの……」
「うん。だから遙を勇気づける意味もあるけど、俺が有名になれば、テレビから遙の捜索も訴えられるかなって。五年前のことだけれど、時効はないと思うから」
「そうだね。見つかるといいね」
頭の中に、行方不明となって屍体で発見された、天使が過ぎった。
あれも事件があったことは明らかなのに、証拠がないからと……あたしの訴えは何度も却下されて、事件そのものが消えてしまった。
だから、警察をあてにしないで、自分で動いた遙くんの気持ちはよくわかる。わかるんだけど……どうしてあたしは、自分の訴えの正当性……つまり証拠を自分で見つけようと、努力しなかったのだろう。
どうして、交番に訴えることしか出来なかったんだろう。
確かに怖かった。
異常なほどに震え上がりながらも、あたしは勇気を振り絞って交番の警察官に訴えた。
交番のひとはあたしの話を聞いてくれて、どこかに電話をかけて。
――初めまして、捜査一課の○○警部補といいます。
背広を着た、名前はもう忘れてしまった、警部補とかいう男性がその交番にきて、それであたしの訴えをすぐに却下して。
でもあたしは何度もその交番に行って。
名刺をもらったはずなのに、交番に行って……。
「……ず?」
……なにか、おかしくない?
だけどなにがおかしいのか、よくわからない。
事実がそうだったのだから、おかしいはずはないのに。
でも、九年後の今は、なにかおかしいと思える。
どうして、今さら?
記憶が古すぎて、曖昧だから?
怖すぎた記憶の方が、あまりにも強いから?
「柚?」
気づいたら、皆があたしを見ていて、あたしは謝りながら笑った。
そうか、夢で久しぶりに天使を見たからだ。
内容は思い出せないけど、夢というものは大抵思い出せないものだから、当然と言えば当然なんだけれど。
だけど、なにかひっかかった。
まるで小魚の骨が喉に引っかかったような――。
「――つまり、新聞にもネットにもねぇということは、元々闇に隠す事件だったんだろう、上原を拉致することは」
早瀬の声に意識が集中し、夢の追求は後回しにした。
「拉致の理由は、向こうだけが一方的にわかっている……理不尽のものとしかいえねぇな」
皆が頷いた。
「そこでだ。そんな連中が絡んでいるとなれば、安全が保証できなくなった。ここには、音楽をやるために、裕貴と小林を呼んだ。そして三芳も巻き込んだ形になる。音楽は別の形で必ずやる。だからここは引いて、日常に帰れ」
そうだ。
相手がどんなひと達なのかわからないけれど、彼らだって平穏に暮らす権利がある。
なにもあたしのために、危険を冒さなくたって……。
いや、絶対的に冒すことはないのだ。
もうこれは、彼らの善意に頼れる問題ではない気がする。
あたしは、善意に甘えちゃいけない。
あたしが出来ることは、彼らを少しでも日常に帰すことだ。
「――早瀬さんもです」
あたしが毅然とした態度でそう言うと、早瀬の目が細められた。
「ここで解散しましょう。気をつけないといけない相手だということはわかりました。どうするのかちょっとまだ決めてませんが、あたしは大丈夫だし、なんなら亜貴のいるアメリカにいけばいい」
「上原」
「本当に十分過ぎるほど、善意と優しさを頂きました。だから」
「上原」
怒りを帯びたような、早瀬の視線が突き刺さってくる。
「ひとりでなんとか出来ると思うな、アホ」
「……出来ます」
「強がるんじゃねぇよ」
「強がりじゃなくて、本心です」
「……ふぅん? そんなに手、震えてて?」
……あたしの手が震えていた。
「これは……っ」
「俺は、もっと最悪な事態を想定してる。情報操作ぐらいでこうなら、この先生きてられねぇぞ?」
「……っ、亜貴のところに……」
「病人にお前が守れるか!」
早瀬が語気を荒げた。
「もっと現実を見ろ!」
「そ、そんなこと言ったって……。非日常的な銃を突きつけられて、ただの音楽家のあなたがそれに対処出来ると言うんですか?」
「……出来る」
「嘘」
「出来るんだから、俺を頼れよ。誰が銃如きに怖じ気づいて、お前から離れたいと言ったよ!? 俺が傍にいるのは基本だろう!? 俺、嫌な顔をしてたか!?」
「し、してないけど……あなたの顔は元々そういう……」
「あ゛!?」
「ひぃぃぃぃっ!!」
「……俺、もっと言い方があると思うんだけどな」
「ぶははははは」
「あたしはあなたを、あたしのためにおかしな危険に巻き込みたくないんです! あなたにはあなたの人生があるでしょう!? あなたは皆のために、素晴らしい音楽を作り続けて下さい!!」
「誰が平和に生きてぇって言ったよ! そこで音楽持ち出すなよ!」
「だってあなたは音楽家でしょう!?」
「お前、音楽とお前を天秤にかける気か!?」
「はああああ!?」
なぜだ。
なぜあたしの意向が、まるでこの男に通じない。
なんでこんなに怒らないといけないんだ、あたし!!
「……本当に、世話が焼けるわね。もうそろそろ出番かしら。さあ、出動よ」
「がはははは!」
奈緒さんがあたしに抱きついて言った。
「柚。私は、柚を守りたいの。私、柚の友達でしょう!? 私の意志で柚のそばにいたいから、拒まないで! 一緒に頑張ろうよ!」
「奈緒さん、でも……」
裕貴くんが、あたしの腕を掴んで言った。
「水くさいよ、柚! 俺、柚の友達だろう!? 俺も姐さんも柚の力になりたいんだよ。善意じゃなくて、俺達の意志! ひとりで出来ないことも、皆で考えれば、乗り切れると思うんだ!」
「裕貴、くん……」
小林さんが豪快に笑いながら言う。
「嬢ちゃん。もう俺も友達でいいんだよな? 俺は年食ってる分、役に立てると思うぞ? 家に戻っても、嫁に閉め出されるわ。どうして、逃げ帰ってきたのかってさ」
「小林さん……」
皆が早瀬を見た。
ドヤ顔をしている気がするけれど、なぜ?
早瀬は皆を睨み付けるようにした後、俯き加減で頭をガシガシ掻いた。
苛立っているように、思いきり掻いている。
そして――。
「俺が守りたい」
上げられたその顔の、強い意志が宿るその目にぞくっとした。
「どんな事態になってもお前を守りたいから、ここに呼んだ。俺は、相手がなんだろうと、逃げる気は元からねぇから。だから……どんなことがあろうと、このまま守らせてくれ。……これは俺の意志だ」
胸の奥がきゅっと絞られる。
「姐さん、合格?」
「いやいや、まだでしょ。〝友達〟のところがないもの」
「ぶははははは。須王、〝友達〟じゃねぇのか? 根拠を言わねぇとわからねぇぞ、嬢ちゃんは!」
「……っ、俺はお前の――」
そして早瀬は、渋い顔をして言った。
「上司だろう!? 上司命令だ!!」
三人がよろけて倒れた。
……なんだかね、早瀬に対して素直になろうとしているからなのかな。
早瀬が少しわかってきたような気もするんだ。
そんなにお口を尖らせて、明らかに〝上司〟は言い訳だといわんばかりの顔で、それでも〝友達〟の言葉を避けたのは、性処理という意味ではなく、少しは特別性があるからだと、いいように思わせて欲しい。
あなた言葉より、あなたの……守りたいと言ったその目が、その声が、あたしは嬉しかったの。
とてもとても、嬉しかったの。
あたしは、皆を見渡して言った。
「これだけは約束して下さい。必ず、皆の命を優先すること。気持ちは嬉しいけれど、あたしは……あたしのために傷つくのが嫌だから。そんな事態になるのなら、あたしは迷わず自分の舌を噛みきろうと思う」
裕貴くんが言う。
「柚、そこは一緒に生きる道を考えようよ」
女帝が言う。
「そうよ。守ろうとして死んじゃったら、残ったひとはどうすればいいの」
小林さんが言う。
「嬢ちゃんを生かそうとするのが、力の源になるんじゃねぇか?」
早瀬はしばし黙ってあたしをじっと見た後、ふいと目をそらして言った。
「お前が舌噛み切ったら、俺も舌噛み切るから」
「いやいや、須王さん。そこは、柚を蘇生させようよ!!」
「そうよ、なんの解決にもならないわよ!!」
「がははははは!」
「わかりました。だったら、あたしがあなたを死なせないように……、頑張って生きようと思います」
早瀬は――にやりと笑った。
「ああ。俺のために生きれよ?」
なにか違うかもと思うけれど、これが精一杯。
物騒な事態にならないで欲しいと思いながらも、それでもあたしと共に死のうと言ってくれただけで、あたしは早瀬を信じようと思ったから。
単純極まりないあたし。
そして皆を巻き込む無慈悲なあたし。
「あたし、死にませんから!」
それでも、このひと達のために生きたいと思うから。
また笑っていたいと思うから。
「……ありがとうございます!!」
きっとこれは魔法。
皆の優しさがかけてくれた魔法。
皆だって不安だろうに、笑いに包んでくれた。
あたし、頑張る。
絶対負けるものか。
絶対――!!
……この時のあたしはわかっていなかった。
この先に待ち受けるものがなにかを。
どうして、心にひっかかったものをそのままにしていたのだろう。
どうして、なんとかなると楽観的になっていたのだろう。
魔の手は、こんなにも近くに忍んでいたのに――。
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