エリュシオンでささやいて

奏多

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第5章 Invisible Voice

 4.

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「どんな」

「……っ、言い訳になるから言いたくねぇ」

「言ってよ」

 聞いても仕方がないのに、早瀬をそんな顔をさせるものがなんなのか気になって。

「これは言いたくねぇ。すべてが言い訳になるのが嫌なんだ」

「自己完結しないでよ。あたしがどんな思いで……っ」

「お前をそうやって傷つけた罪をきちんと背負いてぇんだよ。だから、本当に言いたかった言葉も呑み込んでるじゃねぇか。……今でも喉元に出てくる言葉を、必死に飲み下している」

「………」

「前にも言ったけど、九年前のことを許せとは言わねぇ。言う資格もねぇ。だけど……その上で、今の俺を信じて貰えねぇか? 昔が最低であっても、今はそれよりマシになったかもと、思って貰えね?」

 早瀬の顔は、やるせなさそうな笑みが浮いていた。
   
「言葉に出さなきゃ、俺の態度からなにも感じねぇの? お前を、俺の気まぐれで弄んでいるようにしかみえねぇの? 俺、他の女にもこうやってキスしたり、構ったりしてると思う?」

「……でも、本命がいるのにっ」

「お前のことだと、微塵も思わなかった?」

「思うわけ、ないっ」

 九年前のように勘違いして傷つきたくないから、捨てた考え。

 心のどこかで、そうであって欲しいという微かな希望の光を打ち消して、ぶり返したトラウマの痛みから逃れたかった。

「お前、さっき〝あっちもこっちも思わせぶりで〟と言ったな。あっちというのが三芳だとして、こっちって、お前のことなんだろ?」

――本命がいるくせに、あっちもこっちも思わせぶりで……離せったら……!!

「お前、ちょっとでも、俺がお前に気があると思ったんじゃねぇの?」

「違っ」

 無意識で吐いた言葉とはいえ、昔はともかく今は愛されるとでも思っているような、愚かしい自惚れた自分の姿を、早瀬にだけは見られたくなくて。
 
「別にそう思ったらそれでいいじゃねぇか。俺だって、思わせぶりな態度してるんだから」

「つらりと、そんなに軽々しくそんなこと言わないでよ」

「なんで意固地になる」

 あんたのせいでしょと言いたいのをぐっと堪えて、睨むと。

「眉間に皺」

 早瀬の指が急所を押した。

 死ぬじゃないかと憤然と早瀬の手を払うと、早瀬が笑った。

「まあ、いまだ俺のことを信じられねぇくらいのことを、昔の俺はした。その自覚はある」

 しばらく頭を掻いていた早瀬は、ゆっくりと息を吐き出して言う。

「正直、お前がようやく俺に笑って話してくれるようになったと、ここ数日浮かれてた。さっきも誠実さ見せようとしただけなのに、苦労してここまで来たのに、信頼が一瞬にして失墜するとは予想外だった。それが、言葉でお前を傷つけた俺の罰なんだろうが。きっと俺は、言葉で苦労するんだろう」
 
 後悔滲むようなその声に、ごくりと唾を飲んでしまうあたしに、

 〝言葉でお前を傷つけた俺の罰〟

 ……その言葉が無性に胸に響いた。
  
 それを隠して話題を変えた。
 
「誠実さ? 皆の前で女帝を振ることが?」

「お前に、誤解されたくなかっただけ。お前、三芳に言い寄られている俺放置して先に行こうとしてたろう。どうでもいいというより、軽蔑されていると思ったから、きっちりと線を引こうとした」

「でも、本命がいるんでしょう?」

「お前、俺の言葉信じねぇくせに、そういう言葉は素直に信じるよな」

 早瀬が苦笑して言う。

「まさかお前から、牽制という発想が出てくるとは俺も思わなかった。……お前、あれで自分が俺の特別かもとか思わねぇの?」

「特別?」

「そう。特別だから構われていると。そう思えね? キスもセックスもしていて、仕事外で会っていて。お前嫌がっても、俺強引にいくじゃねぇか」

 腕を掴まれ、首を傾げながら訊かれる。

「いや、でも性処理だから……」

「ただの性処理を夜景の見えるレストランに連れて行くと思うか?」

「夜景好きなんでしょう?」

「……性処理がリクエストしたからと、プライベートで音楽演奏するか?」

「皆がいる手前、引くに引けなくなったと言ってたし」

「……。ゲロ吐いた性処理にキスすると思うか?」

「あ、安心させるためでしょう?」

「性処理の都合に合わせて、セックスしたいの我慢すると思うか!?」

「そ、そんなの男の事情で……」

「ただの性処理に、こんなに身の潔白を訴えると思うか!?」

「そ、それは……」

 なんでそんな執拗に。

 だったらまるで、早瀬があたしを好きなように思えるじゃない。
 あたし、自惚れたくないのに。

「まあ、長期戦は覚悟はしてたけど、お前はいつもそうやって理由を見つけて、否定しているんだな、俺の態度の意味を」

「……っ」

「お前が鈍感というより、信じさせないようにしたのは俺で、今も俺が決定的な言葉を呑み込んで、態度で示そうとしすぎなのも、不信さの拍車を回している……というわけか。ちくしょ……やりきれねぇな」

 そう言って、早瀬は抱きしめ、あたしの耳元で甘く囁く。

「……お前だけだよ」

 破壊力がありすぎた言葉に、心臓が飛び上がった。
  
「大体他に本命いたら、お前に手を出さねぇから。何度もお前を抱きたいと思わねぇから。思春期のガキみてぇに、いつでも盛ることもねぇだろう。お前だから、俺は格好悪いところ晒しながら、追いかけてる」

「……っ」

「これが、今の精一杯の言葉だけど、まだ言葉が必要?」

 あたしも一杯一杯で。
 無性に泣きたくなって、抱きつきたくなって。

「返事がねぇってことは、必要なんだな……」

 早瀬と音楽室で会ったこと。
 早瀬を好きになったこと。
 初めて肌を重ねたこと。
 フラれて哀しかったこと。
 辛くて、息が出来なかったこと。
 もう会いたくないと思っていたのに、同じ会社に勤めるようになってしまった時の動揺。
 性処理として抱かれることの屈辱と悲憤。
 だけど嫌えない自分。
 強引だけど優しさに惹かれて、好きだと思ってしまった自分。

 色々な想いが複雑に胸の中に渦巻いて絡み合い、すっきりとした感情が生じない。それどころか熱い……さらになにかの感情がわき上がって、熱くて苦しくてたまらない。

 早瀬を信じたい。だけど信じられない。

 早瀬の音楽は信じられるのに、どうして早瀬の言葉を信じられないの。

 あたしはなにがしたいの。

 早瀬の感情なんか必要ない、ただ自分で思っているだけだと女帝にそう言ったくせに、早瀬の本心はどこにあるのか、あたしが信じられるものなのか知りたいと思ってしまう。

「……柚。今の俺を信じて?」

 ぎゅっと腕に力を込められた。

「……なにか言えよ」

「……っ」

「ん?」

「そ、そういうのが思わせぶりなのよ」

 やけに鼓動が早くて、あたしの声からは上擦ってひっくり返った……可愛くない言葉しか出てこない。

 警戒心と理性が警鐘を鳴らしている。

 怖い、怖い。

 心の中の葛藤が激しくて。
  
「う、自惚れたらどうする……」

「いいよ」

 早瀬の手があたしの後頭部を撫でた。

「思いきり自惚れてくれ」

「……っ」 

 ドキドキがとまらなかった。
 呼吸するのも忘れてしまうほどに、感情の膨大が加速する。

 だけど九年前のことがあたしのブレーキとなる。
 
「俺が色々噂をたてられているのは知ってる。正直、エリュシオンに来るまでは、一夜限りの女はいたよ、俺も男だから神様のように性欲無くすことが出来ねぇから。だけどここ二年、お前に再会してから俺は、お前しか抱いてねぇ。だからお前の目に映る今の俺は、本気に女の影はねぇんだ」

「………」

「それと、今まで俺の車に女を乗せたこともねぇ。女とふたりで食事をしたこともねぇし、せがまれても女のためにピアノ弾いたり、音楽を演奏することもねぇよ。酒飲んだ女が倒れても、俺は介抱しねぇで誰かに頼む」

「……っ」

「俺だって、女に気を持たせる素振りはしねぇようにしてる。誰彼構わず、そんなことはしねぇよ」

 軽く笑いながら、早瀬は手を緩めて、あたしとの間に僅かな距離を作って、あたしの唇を指で撫でた。

「俺、今まででキスしたの……九年前のお前とだけなんだよ」

「え……」

「ファーストもセカンドも、お前とだから」

「………」

「………」

「……なにか反応しろ、こら」

「いやいやいや、してたでしょうが!! 九年前」

 すると早瀬は苦笑した。

「してねぇよ」

「嘘つき! あたし見たもの!」

「だからしてねぇんだって」

「してた! 絶対してた!」

「……してるふり。こうやって頬に手を添えて、こう。で、こっちからの角度なら、指に唇あててるのわからねぇだろ?」

「……な、なんで!?」

 途端に早瀬は黙ってしまう。

「それが本当なら、別にそんなことをして、あたしを突き放さなくたってよかったじゃない。あたしに、〝飽きた〟のひと言を言えば、それだけですんだはずでしょう!? なんで……」
  
 すると早瀬は困ったように笑う。

「だから、理由があったんだって。お前を突き放さねぇといけなかった」

「その理由を教えてよ!」

 早瀬は頭を横に振る。

「教えてってば!!」

 ぼかぼかと早瀬の胸を拳で叩く。

 そう、あたしの背中を押すのは、九年前の出来事なんだ。
 あれを反故にして、白紙にして、あたしは進めないから。

 理由があるのなら訊きたい。

 どうしてあんなことを言ったのか。

「教えたら……お前が戻れなくなる」

 拳を手で掴まれ、逆に包まれた。

「なにそれ」

「俺が、100%離してやれなくなる。どんなに悲惨な未来が起きても」

「は?」

 その時、ブルブルとした振動が聞こえた。

 早瀬が床に置いていた、仕事用のスマホからだ。

「会議再開の知らせだな」

 早瀬は、あたしごと立ち上がった。

「本当は無性にお前を抱きたい。身体全体で、口で言いたい言葉をお前に伝えたいよ」

 苦しそうに笑いながら。

「だけど、そうやって逃げてきたツケなんだろう。今もお前を苦しめているのなら、今度……そうだな。お前を抱く時に言うよ。その時は、ふたりきりのところで」

「え?」

「自分の戒めのために本心隠すことで、今でもお前が傷つくのが嫌なんだ。だからといって、もう前みたいに突き放すことも出来ねぇ。だから……言葉で伝えてやるよ、ちゃんと。……態度に出しても邪推されるくらいなら、俺も今度こそ腹くくるから。〝わかるだろう〟と高を括らず、婉曲しない言葉で」

 頭を撫でて笑うと、早瀬はあたしの横を通り過ぎた。

「五時に裕貴がここにくる。だから裕貴と一度お前の家に行って、泊まる支度をしとけ。家に小林寄越すから、そのまま小林の車でスタジオにいけよ。俺がいない時は、スタジオから出歩くな」

 いつもの調子で言いながら。

――だから……言葉で伝えてやるよ、ちゃんと。

「言葉で……」

 不安のようなものが胸に湧き上がる。

 残されたあたしは無意識に唇を触りながら、呟くしか出来なかった。

 
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