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第4章 Haunting Voice
2.
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ドアを開けてエリュシオンに入ると、受付に大輪の花である女帝がいない。
美保ちゃんがぼけっと座っているだけだ。
ただ、なにか奥の一階がざわついていて、本能的に嫌な予感を感じ取った。
そんなやけに緊張した空気を裂くのは、もうひとりの最年少の受付嬢の声。
「ああ、早瀬さん。お疲れ様です」
……あたしもいるんだけど、美保ちゃん。
今年入ったばかりの新人に、まるでいないものとして扱われたようだ。
「大変なんですよぅ」
「お疲れ様、美保ちゃん」
あたし、今まで色々不当な虐められ方をしてきたけれど、それでもエリュシオンの一社員として正々堂々としてきたつもり。
その上で非があるのなら認めるけど、
「美保ちゃん、お疲れ様」
入ったばかりのあたしのことを知りもしない子に、不当に扱われる覚えはないの。
礼儀は礼儀!
まがりなりとも主任は、後輩を育てる責務がある!
「お……ツカレサマデス」
隣で早瀬がぴゅ~と口笛を吹いたのを、キッと睨み付ける。
「で、なにがあった?」
早瀬も異変を感じたらしく、怜悧な目を細めて尋ねた。
それに僅かに怯えたようにしながらも、なにかあたしを詰るような眼差しで、美保ちゃんは言った。
「HADESプロジェクトが盗まれたんです」
「盗まれた?」
「はい。社内の誰もが知らなくて、突然今日情報が流れてきた時には、マスコミ各社に情報が行き届いていて」
美保ちゃんは、明らかに敵意を向けてあたしに言った。
「〝オリンピア〟からHADESが誕生しました、今日」
「オリンピア……オリンピアって!!」
青くなるあたしに、美保ちゃんは冷たい顔で言った。
「上原さんの同僚がいる、旧エリュシオンの会社です」
どうして――!!
「秘密裏に動いていたのに、エリュシオンは完全後手ということか!?」
「そうです」
それはつまり……、
「それだけではなく、HADESプロジェクトに関わる外部の人達が、そちらに行ったようで、既に名前公開されているようです。早瀬さんが集めた演奏者もすべて」
誰かが、情報を漏らしたということ?
誰かが、企画そのものの奪取に、協力したということ!?
「そしてついさっき、MSミュージックの社長が怒鳴り込んできました。HADESプロジェクト情報漏洩によるプロジェクト中止の、違約金を支払えと」
「違約金……社長がか?」
「はい。それをお嬢さんの三芳先輩が抑えて下さっている状況です、今応接室にいますけど」
あたしは早瀬と顔を見合わせた。
なにかおかしい。
スポンサー撤退なら一文の得にもならないが、ちょうどタイミングよく、違約金発生する事態が起きたこと――。
あの社長はなにかしてくると思ったからこそ、被害者となりながら利益があることが、出来すぎている気がする。
しかも今日は、仏滅だよ。
家のカレンダーで生理の開始日をつけた時、あたしは見ていたの。
あたしの元同僚は、そういうのを気にして験担ぎをしていたひとが居たの。
だから――。
「ありえない……」
早急にHADES誕生となったとしか。
オリンピアは、前社長の崇高な音楽精神を受け継ごうとしたから、営利目的の現社長に反抗して、外に会社を作って独立したんだ。
HADESをパクって世に出した時点で、彼らは社長の主義に反する。
さらに三芳社長の賄賂で動く連中?
オリンピアは変わったの?
オリンピアが早急に動いたというのなら、動かしたのは誰?
本当に三芳社長なの?
あたしは、スパイというよりも、オリンピアの影になにかを感じずにはいられなかった。
それは直感にほぼ等しい。
「上原、どうした」
「オリンピアの独断ではない気がします。かといって、彼にしてはそれでオリンピアが動くとも思えない。だけど買収にしても関係者全員だと言うのなら、あまりに早急で金がかかりすぎている。彼がそのリスクを決断出来るかどうか」
彼とは、無論三芳社長のことだ。
あたしの言葉を、早瀬はすぐに理解したらしい。
さすが頭のいい男は、頭の回転も速い。
「つまり、第三者がいるということか?」
「勘ですけど。オリンピアらしくない」
早瀬は険しく目を細め、なにかを考え込む。
「案外、上原先輩が情報流したんじゃないですか? 皆、そう噂してますよ。エリュシオンに敵意を持ってオリンピアに顔が利くのは、先輩しかいませんから」
顔が利く?
裏切り者だと罵られたのに。
「あたしはそんなことしない!」
「まあ、口ではなんとでも言えますけど」
「いや、上原はプロジェクトの全貌を聞いていないから、流せる情報はねぇんだ。俺が演奏者のリストを上げたのも、上層部だけだ。しかもボーカルも決まってねぇのに、この状況で向こうが間に合わせのボーカル連れた意味がねぇ。今月末まで待ってりゃいいんだから。……谷口、プロジェクトメンバーに号令をかけろ」
「あ、もう二階の会議室で緊急会議開いてます」
早瀬は駆けるようにして階段を上がった。
「そうか、内容は知らされてなかったんですね。信頼されてないんですね、可哀想。案外それで早瀬さんの気を引くために、出かけるふりをして早瀬さんと寝て、そこから情報を聞き出した……」
「美保ちゃん、あたしオリンピアに行ってくるから」
あたしは美保ちゃんの戯言を聞いている余裕もなく、タクシーを拾って青山にあるオリンピアに向かった。
恐らくあたしからの電話もメールも受け付けないだろう。
あたしの目と耳で真偽を判断するしかない。
早瀬がやろうとしていた音楽をこんな簡単に奪って、音楽を冒涜したのなら、あたしは許せない。
早瀬が作ろうとしていたHADESの蘇生を。
なにがあってこうなったのか、説明と謝罪を。
あたしは怒りに燃えていた。
*+†+*――*+†+*
東京都港区青山――。
表参道・原宿にほど近い青山は、大人の女性が好む、洗練されたお店が多い……清楚な街である。
近年表参道と青山の中間に、お洒落なカフェやブティックが入った表参道ヒルズが出来て注目を浴びているが、個人的に大人女性に支持される代官山より、表参道の方が落ち着いた雰囲気で好きだったりする。
タクシーに乗車中、渋滞に巻き込まれたため、そこで下ろして貰い、地下鉄で青山に向かう。
オリンピアは、青山通りという大きな道路沿いにある、立地のいいビルに入って居るが、ロケーションはともかく、OSHIMIZUビルの豪華さには敵わない。
そんな強みしかないけれど、乗り込んできたからには、ただで帰るものか。
深呼吸し、息を止めて二秒。
そして頬をパンと叩く。
柚、怯むな。
エリュシオンの音楽を取り戻せ!
威勢良く、気分は道場破り。
「たのも~!!」だ。
だが、顔を上げた先――ピカピカに磨かれたドアの真ん中、曇りガラスとなっている部分に貼られていたのは、一枚の紙。
〝誠に勝手ながら、本日、お休み致します〟
「はああああ!?」
HADESを公開した日が、お休みなんてありえないでしょ!
中には灯がついているし、居留守使っているに間違いない!!
なにをやっても開かない、開かずのドアに憤るあたしは、艶やかなガラスにベタン、ベタンと両手の手のひらをつけて、背伸びをして曇りガラスではないところから、中を覗いた。
「いる……」
奥で人の影が見える。
「いるじゃない」
ムカムカ。
まさか、こうして文句つけられるのわかっているから居留守とか?
ムカムカムカ。
あたしは、ガラスが割れない程度に(強化硝子だろうけど)、ガンガンと叩いて、「すみませーん」と声を張り上げた。
出てこい!!
あたしは、怒っているんだから!!
生理による憂鬱さは、憤慨にすり替わる。
すると、誰かが近づいてきた。
見覚えある……あたしのふたつ年上で、可愛がってくれた女性……笠井真理絵だ。
目鼻立ちが大きく髪をまとめ上げている彼女は、高校時代陸上部で鍛えた足を持つ、快活なひと。根っからの体育系で、彼女の説得をもってもあたしがオリンピアにいかなかったことを、彼女に散々と詰られたものだ。
真理絵さんが来たのか。
あたしからは、彼女が見えるが、彼女から見ればあたしはきっと、目から上しか見えていない異様なもの。
カチャリと鍵が開く音がして、ドアを手動で引いた真理絵さんが顔を出す。
「申し訳ありませんが、今日……」
そして言葉を切ったのは、あたしがいることに気づいたからだ。
「お話が」
「帰って」
慌ててドアを閉めようとする真理絵さんに、足を差し込んだあたしはぎりぎりとドアで挟まれながらも、渾身の力で空いた隙間に手を入れてドアを開き、なんとか中に入った。
「な、不法侵入っ!!」
騒ぐ真理絵さんの声に、奥からぞろぞろとやってきた。
……見慣れた面々。
懐かしい面々。
いるんじゃない。
「話があって来ました」
「帰れ!」
「追い出せ!」
「塩を撒け!!」
「あたしの話を聞いて下さいっ」
「こっちはねぇよ」
「警察に電話」
「誰、このひと」
むかつく、むかつく、むかつく!!
「話を、聞け――っ!!」
叫ぶと、しーんと静まりかえった。
日頃、あたしは大声を出すことはない。
どちらかと言えば聞き手に回る。
だから発言する時ぐらい、聞いてくれと叫んでしまったのだったが、あたしを知る連中には、インパクトがあったようだ。
「HADESはエリュシオンがプロジェクトを組んで企画運営をしていたもの。それがなぜ、オリンピアで同じHADESが誕生することになったんですか」
あたしは、渋い顔を見合わせる元同僚達に言った。
激情が口から迸るようだ。
「オリンピアは胸を張って、至高の音楽を届けていると、そう言い切れるんですか!?」
かつて――色々と音楽について話し合った仲間だ。
前社長を慕い、その教えに感銘を受けた者達だ。
「一丸となってひとのものを横取りして、あなた達が求める音楽とは、一体なんなんですか!」
……裕貴くんのことを思い出した。
曲をパクられ仲間を奪われていた彼を救ったのは早瀬だ。
――音楽を、冒涜しないで頂きたい!
今、早瀬が裕貴くんと同じ立場にいる。
早瀬のコンセプトが理解されないまま、おかしな方にHADESが動き出してしまうというのなら、今度はあたしが早瀬を守る。
「音楽を、冒涜しないで!」
同じ、音楽に携わる者として、こんなやり方はあたしも認めない。
たとえ元仲間であっても、あたしが二度と踏み入れたくなかった領域だとしても、それでも人間、そこに足を踏み入れてでも、やらないといけないことはあるんだ。
それが、今――。
「だったらそっちはどうなんだ。悪名高いエリュシオンは」
「そうだ、そうだ。金に物言わせて、弱者を食い物にして」
……適当に、お金儲けになる仕事をして大きくなっているのが今のエリュシオン。ぎりぎり法律に触れないだけの仕事をしていることもあるらしいことは、あたしも薄々感じている。
そこは、言われても仕方がないところがある。
「会社では無くて、あなた達はどうなんです! 前社長の教えは!?」
すると皆が口々に怒った。
「お前が、社長のことを持ち出すな」
「裏切ったくせに」
「敵のところに残ったくせに」
どうすれば――。
……怯むな、柚。
なにを言われても、HADESを盗んだ人達に怖じ気づくんじゃない!!
「帰れ!!」
「もう二度と来るな!!」
「息するな」
……泣きそう。
彼らと昔、笑いあっていたというのに……!!
握った拳がふるふると震える。
泣くものかと噛みしめた唇が震えている。
孤立無援。
あたしは、どこにいても。
だけど、負けるものか。
「皆、やめろ」
制するように口を開いた男性は、あたしの上司だった……朝霞要(あさか かなめ)だった。
いることすら、気づかずに居て。
――よろしくな、上原。
朗らかで優しくて、おどおどしていたあたしに手を差し伸べてくれた、旧エリュシオンの元主任は、二年前に独立を真っ先に宣言して行った、あたしより四歳年上の男だ。
――オリンピアに、一緒に行こう。
筋肉質の体格いい身体に、アッシュブラウンのサイドを刈り上げた髪。
どこまでも爽やかに整った、端正な顔。
爽やかなスポーツマンのような彼は、頭がいいだけではなく話術も巧みな上に、とても優しいひとで、社長や相手に可愛がられていた。
実質彼の力で旧エリュシオンは成り立っており、朝霞さんは社員からの人望も厚かったため、皆がこぞってやめて彼についていった。
営利を追求したエリュシオン……現社長のやり方に、異議を申し立てたのは彼だった。彼が、前社長の遺志を引き継ぐ会社をたて、社長となった。
彼の誘いを断って、あたしはエリュシオンに残った。
彼の元で展開される、前社長の教えを受け継ぐであろう会社に行かずに。
そりゃあ行きたかったよ。
それまでのように、和気藹々と仕事をしていたかったよ。
だけどあたしは――。
どんなに孤立して仲間がいなくても、それでも至高の音楽を、前社長の教えてくれたその精神だけは失いたくないと、社長の作ったエリュシオンの名を守るために、あたしなりに頑張ってきたのだ。
「上原は、HADES関係者なのか?」
彼なら、あたしの話を聞いてくれると思った。
「いいえ。ただ……HADESは、うちの早瀬の発案した企画なんです。音楽を真摯に追求したものなんです。彼なしでは、HADESは成り立たない」
「早瀬とは、早瀬須王か?」
あたしは朝霞さんに頷いた。
「彼のものなのか、HADESは」
「そうです。朝霞さん、早瀬に返して下さい。HADESは、早瀬がいてこそ、至高の音楽を伝えることが出来るんです」
朝霞さんはあたしに向いて言う。
「上原は、エリュシオンの一員としてここに来たのか? それとも早瀬須王の使いで?」
あたしはまっすぐに朝霞さんを見て答えた。
「上原柚一個人としてお願いにあがりました。あたしが信じる至高の音楽の実現のためには、早瀬須王が不可欠です。彼の音楽を、会社の営利に用いないでください。それなら、二年前から……、営利目的の方針を打ち出した現エリュシオン社長と同じです」
そして頭を下げる。
「早瀬須王を、公正に評価して下さい。彼がしようとしていることを邪魔しないで下さい」
「きみは……」
朝霞さんが、あたしの肩をぽんと叩いた。
「早瀬須王が好きなの?」
「あたしは、早瀬須王の音楽が好きなんです!」
ちょっとムキになってしまったけれど。
朝霞さんは真理絵さんと顔を見合わせて言う。
「今、笠井と話していたところだ。『勝手にエリュシオンの情報を抜いてオリンピアの名で公に出したのは、誰だ』と」
「え?」
「朝霞さん、そんなこと、この裏切りものに言わなくても」
「そうですよ、こいつは仲間じゃない」
「そうだ、そうだ」
「黙れ!」
朝霞さんは低い声で一喝する。
「上原が捨て身になるほどの早瀬の音楽は、俺達も認めているだろう。早瀬須王がしようとしていた音楽であるのなら、尚更話は重大だ。オリンピアは、早瀬須王を敵に回したくない」
朝霞さん――っ!!
「勝手にやった奴らがとんずらして、こっちも責任だけ負わされる形で、大変なことになっていてね。無断で……上原? おい、上原!?」
ひとつの尊敬する音楽の元、話せばわかる。
音楽は万国共通語、そして早瀬は、早瀬の作る音楽は、やはりどんな敵対している立場である会社でも、心を打つものだと思った時、貧血が祟って意識が真っ黒になった。
「おい、上原! しっかりしろ、上原!」
ああ、さすがは朝霞さんだ。
前社長が見込んだだけあるひとだ。
あたしには雲の上の存在で、下っ端まで気に掛けてくれる彼が眩しくて、頼もしくて仕方がなかった。困ったことがあると、皆で朝霞さんを頼った。
彼は上に立つに相応しいひとだ。
早瀬。
あなたの音楽、諦めないで。
純正律で紡ぐ音楽、あたしがプロジェクトに必要だと言った音楽を、心の赴くまま作って欲しい。
あたしだって、楽しみにしてるんだ。
だから一生懸命、ボーカル探していたんだ。
朝霞さんがいるのなら、きっと、きっとHADESは、おかしな方向に独り立ちしないから。
「早瀬……」
早瀬がやってきた音楽を、朝霞さんが認めてくれていて本当によかった……。
「あんなにおとなしかったきみが、悪意の巣窟に乗り込んでくるのは、会社のためじゃなくて、あの、早瀬須王のためなのか?」
……その時、朝霞さんが目を細めたことを、あたしは知らない。
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甘めに見てくださいm(__)m
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