エリュシオンでささやいて

奏多

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第4章 Haunting Voice

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 *+†+*――*+†+*



 ぽかぽかと暖かいあたしの抱き枕。

 しっとりと汗ばんで心地よい堅さ。
 良い匂いがして、落ち着くんだ。

 あれ? あたし抱き枕なんか買ったっけ?
 買ったんだな、だってあるんだから……と、さらにぎゅっと抱きついた。

 だが、やけにとくとくとうるさい音がして。
 時計入りにしては、かなり早い秒針の気がする。

「なぁ……起きね?」

「まだ寝る」

「ん……寝顔は可愛いんだけど、そのせいもあって結構俺、辛いというか」

「……?」

「起きろって。なぁ……」

 どこか聞き覚えがある甘ったるい声のBGM。唇を奪われ、舌が絡められ、身体も気持ちよく目を開けると、こちらを見ている早瀬がいた。

「おはよう」

 間近で細められるダークブルーの瞳は、朝日を浴びていつもより透き通った青色に見える。

 端正な顔。
 泣きぼくろがある麗しの王子様。

 本当に早瀬は綺麗だな。
 お肌なんてすべすべだし、羨ましい限り。

 そう思いながら、またうとうととしてしまうあたしは、突如鼻を指で摘ままれた。

「もう起きてくんね?」

「ん……」

「いつもは俺を置いてさっさと帰るのに、どうして抱かねぇと決めた時に限ってこんなにくっついてくるのかな……。俺の理性、神レベルに思ってる?」

 ぶちぶちとうるさいなと、あたしはまた重い瞼を上げる。

 早瀬だ。

 ……なぜ早瀬?
   
「お目覚めか、眠り姫」

「……ここどこ……?」

「横浜。ランドマークタワーの中のホテルの一室」

 そういえばあたし、横浜に来て……。

「……っ!!」

 思い出したあたしは、早瀬の腕枕されながら、抱き枕のように早瀬に抱きつき、足を絡ませ合っているという醜態を晒していたというWパンチに、寝たふりをした。

「ぐー」

 寝返りを打つふりをして、頭を反対側にむけ、ずるずると早瀬の腕から頭を落として……。

「……おいこら、完璧覚醒状態で、遠ざかるな」

 頬を抓られ、鼻を摘ままれ、その上に、腕からずり落としたあたしの頭をきっちりと、元あった腕の位置より、より彼の顔の近くの肩付近にまで乗せられた挙げ句、その手であたしの後頭部を固定までされ、最早寝たふりも本当に寝ることも出来なくなった。

「………」

「……目をそらすな」

 気怠げな感じの早瀬の色香と匂いに鼻血吹きそうなのよ。

 いつもは早瀬は寝ていたし、あたしは悪夢に飛び起きて朝早くに帰っていたから、こんなに見つめられることもなくて。

 なんで今日は悪夢を見て飛び起きなかったんだろう!

 目覚め一番、これは辛い。
 一体なんのプレイ!?

 あたし、寝ていたよね?
 悪戯されてないよね?

 しないって言ってたよね?
 パンツはいてないけど、大丈夫だよね!?

 おたおたとしているあたしは、こちらをじっと見ている早瀬と目が合った。

「ひっ」

 思わず短い悲鳴を上げたら、早瀬は片眉を跳ねあげた。

「失礼な奴だな。ひとをレイプ魔のように。なにもしてねぇって」

「本当になにも? 寝ている間におイタはなしね?」

 上目遣いで早瀬を見ると、早瀬の目許がほんのりと赤く染まり、恥じらうようにして視線が背けられた。

「……キスはしたけど」

 してるじゃない!!
  
 記憶が戻る。

 いろいろ戻る。
 色々ととんでもないことも蘇る。

 さあああと血の気が引いた。

「なぁ。嫌わないでと言ったの、キスしてと言ったの、覚えてる?」

「いや、そんなことよりあたしの失態の方が重要……」

「あ゛? そんなことより!?」

「い、いえ、それも重要ですぅ!」

「覚えているようだな、その様子じゃ」

「覚えてないし……っ」

 覚えてますとも、しっかり。
 早瀬への想いを自覚したことも、思い出してしまったわよ。

「へぇ、だったら思い出させてやらねぇとな」

 光を浴びた早瀬の顔が、爽やかを通り越して妖艶になる。

「い、要らない、要らないから……っ」

 もう思い出しているから、そういうの要りませんから!

「却下」

 本能的に早瀬を押しのけようとした手は、早瀬に指を絡められて握られた。

 軋むスプリングの音と衣擦れの音。
 視界が暗くなったと思ったら、斜め上から口を塞がれて。

 ベリームスクの匂いが濃厚になる。

「ぅ、ん……っ」 

 ああ、早瀬のキスだ――。

 そう……理性よりもまず歓喜に浸るあたしの心臓は、どくどくと騒いでうるさくて。
 
 もぐもぐと唇を食むようなキスから、舌がねっとりとあたしの口腔内に忍ぶだけで、腰のあたりがぞくぞくする。

 揺れる腰は、絡んだままの早瀬の足で抑えられ、逆に早瀬のペースで秘部の表面に押しつけられるものは、布地を隔てても膨らんだもので。

 なんで早瀬は下着をつけているのに、あたしはつけていないのと思いながらも、布一枚の刺激がもどかしく思えるほどには、キスであたしの身体は蕩けていた。

 キスの余韻をダイレクトに受けて疼く秘部をあたしからも押しつけてしまうと、早瀬も摩擦するように腰を動かして。

「は……ぅんっ、んんっ」

 腰だけが別の生き物のように動く。
  
 早瀬がちゅぱっと音をたてて唇を離し、あたしの耳を甘噛みした。

「だから俺、神様じゃねぇんだって。こんなことされてるとマジに我慢できなくなるから」

 欲情した時のようなハスキーな声で、耳に囁かれて。

 早瀬は、あたしの手ごとあたしの片足をぐっと持ち上げて。あたしの中に入りたいというように、足の付け根に彼のをぐっぐっと押しつける。

「こうやって、挿りたくなるから……俺を有言不実行にさせねぇで?」

 もどかしくてたまらない。
 もうこんな状態なら、煮るなり焼くなり好きにしてくれればいいのに。

「……やべ、墓穴。……ちょっと待て」

 なにやら慌てるようにしてしばらく項垂れるて深呼吸をしていた早瀬は、やがて顔を上げるとあたしを恨めしそうに睨み付ける。

 どんな眼差しだろうと、艶めいていて。
 どこまでも優しくて……調子が狂う。

「生理終わるの一週間だよな。だったら来週の金曜日、抱くぞ。こうやってお前の顔を見ながら、たくさん繋がるからな」

「……っ」

「ちゃんと俺の名前呼んで、声抑えずに啼けよ、これからは」

「……何気にハードルが上がってる気がするけど」

 朝の光でさらに魅惑的な美貌をひけらかすこの男を、まともに見れなくて顔を背けたら、

「上がってねぇよ。……いい加減、俺に慣れていけよ、お前」

 ぶっきらぼうに呟いた早瀬は、あたしの顎を掴んで、リップ音をたてたキスをする。

「身体のように、心も俺に慣らせ」

「……っ」

 一直線の視線が、あたしの心に刺さる。

「俺はお前を嫌わねぇから。むしろ……」

 再びキスされた。

「キスから、感じれよ。俺がどう思っているのか」

 あたしの弱さを知り尽くしたような、脳天まで痺れる甘美なキス。
 抱きしめられて受けるキスは、極上すぎて。

 それが早瀬の思いなのだとしたら、あたしはまた、勘違いしてしまう。

 あたしを好きなの?

 そう聞ければどんなに楽か。
 だけど、早瀬への想いを自覚してしまった今、その返答が怖い。

 処女でなくなったあたしに、九年前の言葉をぶつけられるのは怖い。
 簡単に落ちないゆえに特別な、ただの性処理だと言われたら――。

 捨てられるのが怖い。
 また見向きもされなくなってしまうのが、怖い。

 愛されていると錯覚する甘美なキスに、……泣きたくなった。

  



 散々にキスをされて、セックスした時よりくたりとしながら、ふと気になったのは現時間。

「今何時……」

「ああ、九時過ぎ。そろそろ朝食とるか。このままだとエンドレスになりそうだ」

「はあああ!? 朝食がどうのという問題じゃないわ! 会社、遅刻じゃない!!」

 突き飛ばして起きようとしたが、早瀬に腕を引かれて、早瀬の腕の中に戻ってしまう。

「今日は午後から。午前中、人選に回ってから会社に行くとクソデブに言ってある」

「え、本当に!?」

「俺を誰だと思ってる。ちゃんと外堀埋めてやるから安心してな」

 柔かな唇が、あたしの顔中に押し当てられる。

「別に埋めなくても……」

「埋めなきゃ、こうやって俺の腕に入ってこねぇだろ? あぁ、マジにエンドレスになりそう」

 なんで早瀬はこんなに甘々なんだろう。

 キスって、そういうものなんだろうか。
 ……早瀬に抱きつきたいと思うくらいは、あたしにも変化はあるけれど。
 
「柚……なぁ、やっぱ一回でいいから、抱かせて」

 光を浴びて凄絶な色香を放ちながらの誘惑に、あたしは身震いした。

「駄目です。有言実行するのがあなたでしょう? ほら、起きる! 仕事しましょう」

「なんで仕事モードなんだよ……」

「今日は平日です!」

 このままだと、あたしの意志関係なく早瀬に溺れてしまいそうなそんな気がして、あたしは慌てて起き、はだけてしまった姿を早瀬に見られて悲鳴を上げ、

「ちょ、なにこの痣っ!!」

 お風呂に入って(勿論、早瀬を追い出して)、あたしの身体についている沢山の赤い痕を見て、さらに悲鳴を上げた。

 胸の膨らみの上、脇のところ、股のところにも点々と咲いている赤い花に、くらりとした。


「はは、そんな程度で。一睡も出来ねぇほど抱きたいのを、それくらいで我慢した、俺の理性を褒めて貰いたいものだ」

 そんな笑いを知らずして。

  

 *+†+*――*+†+*


「裕貴はHADESプロジェクトのボーカルには使わねぇよ。あいつは別件でのプロデュースだ」

 本日は快晴。
 東京に向かった走る車の中で、眼鏡姿の早瀬はそんなことを言い出した。

「だとしたら、やはりふたり探さないといけないんですか?」

「ああ、勿論。本当は俺はひとりのプロデュースを発案していたんだが、三芳の親父がツインボーカルを主張して、ふたりになった。恐らく今後、遅かれ早かれMSミュージックは手を引くだろうから、そうなればひとりで行くのもいいと思っている。とりあえず、裕貴はボーカルだけに固執させたくねぇ。あいつのセンスはトータルで伸ばしたい」

 裕貴くんは、その音楽才能を随分と早瀬に買われているようだ。
 知ったら喜ぶだろうな。

「どこか寄りたいところあるか? 服でも見に「服!!」」

 あたしは飛び上がった。

「すみませんが、途中で適当な駅で降ろして下さい」

「どうした?」

「家で服着替えて来ます」

「クリーニング、甘いのか?」

「いえ、そうじゃなく……昨日と同じ服だと色々と言われるので。しかもあなたも同じ服着て、揃って午後出社なんてなにを言われるか……」 

 新品のようにクリーニングされた服でも、昨日の服はなにかと噂されてしまうお年頃。さらに言えば、クリーニングしているとはいえ、あたしの吐瀉物がついた服をふたりで着て出社なんて、どんな羞恥プレイだ。

「別にいいじゃねぇか。どの服を着ようが俺達の勝手だ。火事で服が燃えましたと言えばいい」

「嫌ですって。どうして嘘をつかなきゃならないんですか」

「だったら本当のことを言えばいい。俺とホテルに居たって」

 具合悪くなったことを抜かす事実は、あまりに酷い。

「あたし、女帝に踏みつけられそう」

 ため息交じりに言うと、それを早瀬が笑い飛ばした。

「ああ、まさしくそんな感じだものな。土の中にお前埋めて、出て来ようものなら足で、モグラ叩きか」

「そこは否定して下さいよ、それに女帝に失礼ですよ」
   
「お前、あいつを貶しているのか擁護しているのか、どっちだ?」

 早瀬は口元で笑う。

「女帝の気持ち、わかっているんでしょう?」

「ん……告られたからな」

 早瀬はフロントガラスに顔を向けたまま、そう返答した。

 ……告ったんだ。
 その上で頑張っているんだ。

「女帝……、レベル高いと思いますけど、受け入れなかったんですか?」

「ああ。受付兼秘書としては優秀だけど、プライベートでも会いたいとは思わねぇし。はっきりいえば、どうでもいいんだ。三芳も他の女も」

 他の女……あたしもそうか。

「女の子は、その気もないのに優しくされたら勘違いしちゃう生き物ですよ」

 自分のことを言っているようで、鼻の奥がつーんと痛くなる。

「別に三芳に優しくしている覚えねぇぞ。とりあえず組織の一員として、どんなにうざったくても女には、一応は畑で育ててるナスとカボチャと思うようにしてる」

「なんですか、それ」

「俺、媚び売ってくる、あからさまな女は苦手なんだよ。濃い化粧で上目遣いをされた時にゃ、その面に水ぶっかけたくなる」

「……ひど」

「だから苦手なんだって。女の機嫌伺うのなんてまっぴらだ」

「モテる男は違いますね、言うことが」

「……俺の母親がそういう女だったからな。この世で二番目に最悪だった。おかげさまで、女不信さ。見返り求められると、ざわっとする。無償でなにかされると、疑っちまう」

 初めて聞いた話だった。
 
「だったら一番目の最悪は誰なんですか?」

「ん……」

 ……曖昧に誤魔化されたようだ。

 早瀬はなにか特別な過去や環境があるのだろうか。
 シングルマザーのお母さんと確執があったの?
  
 迂闊に踏み込んでいいのかわからないあたしが黙っていると、やがて早瀬が発声する。

「なあ、このまま会社にいかね? いいじゃん、服」

「だから、女心をわかって下さいってば。みすみす攻撃の材料差し出しても平気なほど、面の皮厚くないんですって」

 虐める方が悪いのか、虐められる方が悪いのか。
 あたしはどっちもどっちだと思う。

 虐められる方にもう少し隙がなかったら、免れる虐めもあると思うんだ。
 だからといって、虐めていい話ではないけれど。

 だからあえて言われるとわかっていることをしたくない。

「じゃあ、ウインドウショッピングするか。俺がお前に似合いそうなの買ってやる」

「要りません! お金は節約して下さいよ、老後のために蓄えて下さい」

「老後って……。なに、お前老人ホームでも今から見つけたい口?」

「そこまでにはなってませんが、自分が老後に困らない生活はしたいです」

「……結婚、してぇの? 相手が面倒見てくれるんじゃね?」

「そういう奇特なひとが現われませんから」

 なんで早瀬とこんな話。
 普通に出来るくらいには、きっとあたしのことなどなんとも思ってないんだろうな。

「……もし。もしもの話さ」

「はい?」

「十年後あたり、お互いフリーだったら……考えね?」

「なにを?」

「結婚」
 
 信号で停車すると、こちらを向いたダークブルーの瞳が揺れていた。
 
 あたしは目を細めて言った。

「フリーの意味、わかってます? 結婚相手がいないのが、フリーなんでしょう? それにあなたとあたしは違いますから、あなたはそんな心配なくても……」

「そうじゃなくて……」

「?」

「いや、だからさ……」

 なんで顔が赤くなる要素があるんだろう。

「いや、いい。俺も未来はどうなっているかわからねぇのが情けないところだし。うん、今はこの件はなしで。その時考えよう。あ、白紙じゃなくて後々の話ということで」

「……はぁ」

 なんだろう。
 
「よし、じゃあお前の家まで送ってやる」

「いいですよ、どこかで下ろして下されば」

 しかし車は速度を上げて走るばかりで、気づけばタクシーのようにあたしの家の前に横付けだ。

 あれ、あたし家がどこにあるのか話したことがあったっけ?

「じゃあまた会社で。ちゃんと家に帰って、服、着替えてから会社に来て下さいね」

「ん……」

 なにか、面白くなさそうだ。

 ドアを開けて出ようとしたら、忘れ物と言われて振り返る。

 すると腕を引かれて車の中に頭を突っ込む形となり、そこに早瀬が抱き留めるようにして、顔を傾けてキスをしてくる。

 完全不意打ちを食らってなされるがままになってしまうあたしに、早瀬は首にもちゅっと唇をあてて言う。

 そこから挑発的な目を向けて。

「待ってていい?」

「え?」

「俺は、服どうでもいいんだわ。それよりお前、顔色がやけに青いのが気になる。キスしても、あまり赤くなんねぇし。唇も冷てぇぞ?」

 唇に早瀬の長い指が触れられる。

 心配そうな眼差しに、ドキンと鼓動が大きく鳴った。

「な、ななな! あ、あたしは元気ですので! おひとりお先にどうぞ、ではさらば!」

 完全テンパった状態で、敬礼してしまうあたしに早瀬はククと笑って手を振って、待つといったくせに車を走らせいなくなるから、あたしは建物の中に入った。
  
「本当に、なんとかならないかしら、あのエロい生き物」

 キスをしてから、さらに誘惑めいた強い色香が出ている気がする。
 
「顔が青いなんて……またひとを病人にさせて、そんなことを……」

 ……だけどなにかお腹が痛い気がして。
 慌てて自宅でトイレに行くと、案の定、女の子の日の開始。

 もしかすると早瀬を好きだと思ったのも、生理前だから情緒不安定になっていたために、そう錯覚したのかもしれないと思うと気が楽になる。

 あたしは然程お腹が痛くならない軽い方だけれど、それでも最中の違和感や不快感はあるし、貧血のようになる。

 本人より男が気づくってどうよ、と思いながらも、そんな些細な変化に気づいて貰えたのが嬉しいなんて思って、自己嫌悪に項垂れる。

 鉄分のサプリを飲んでのたのたと着替え終わり、化粧も直して家を出ると、家の前にさっき別れたはずの、もう見慣れてしまった黒い車が停まっている。

 車の外には、無駄に手足が長く、無駄に美しいモデルのような背広姿の男がひとり、流れるようなフォルムが美しい車に寄りかかるようにして立っており、スマホを弄っている。

「え? さっきいなくなったはずじゃ……」

「お前さ、LINE見ろよ」

 早瀬は口を尖らせ、なにかむくれている。

「LINE?」

 まるで見ていなかったスマホを取り出すと、LINE通知がたくさん。

『なに飲む?』

『飲み物』

『おいこら』

『シカトしたらどんな目に遭うと思ってるんだ』

『まじにシカト? それとも具合悪い?』

『意識ちゃんとあるか?』

『今、戻って来た。行くから待ってろよ』

 段々と緊急性を帯びてきて、貧血な身体からさらに血の気が引いた。

「あ、ご、ごめんなさい。心配おかけしましたが、大丈夫です。そ、その……来ちゃったので」

「来た?」

「ええと……女の子の日が」

「ああ……それか。休まなくても大丈夫か?」

 肘を見せるように、首のところに手を置きながら言った。

 照れてるらしい。

「毎月のことなので平気です」

「それはよかった。……が、あと数秒遅けりゃ、お前の家に行ってたぞ」

「よ、よかった、間に合って」

「なに? そんなに俺、入れたくねぇの?」

「はい!」

 女の子の部屋は色々あるのです。
 早瀬だろうが、誰だろうが、あたしの領域にひとを入れたくない。

「アキの写真飾ってるとか?」

 低くなった声に気づかず、あたしは純粋に驚いて。

「亜貴? え、飾ってるの、知ってるんですか?」

 元気になりますようにと、いつも神様にお祈りしていることも?

「ちくしょ……。いいから乗れ! 介護タクシーに思え」

「介護……、でも誰に見られるか……」

「別にいいだろ、見られても」

「え、でも……」

「つーか、いい加減、今更だろう。ほら乗れ。乗らねぇとクラクション鳴らして大騒ぎするぞ」

 慌ててまた助手席に乗り込んだ。

「これ、水。コンビニで無難なの選んできた。水分摂ってろ」

 ……なんでこのひと、不遜なくせして気遣いなんだろう。
 普通に別れたくせに、なんでこんなものを用意しているんだろう。

 あたし、早瀬に親切にされてばかりだ。
 じゃあ、あたしはどうなの?

 好き、嫌い……そんなことばかりじゃなかった?

 またずぅぅぅんと自己嫌悪となる。

「気分悪いか? 病院、行く?」

「い、いえ、大丈夫です。早瀬さん……その、色々とありがとうございます」

「なんだよ、突然。いいんだよ、礼ならまずその言葉遣いやめてくれ。何度も言うように、会社以外では。線引かれているようで嫌なんだよ」

「……わかったわ」

 言葉遣いは、あたしなりの線引きだったんだけれど。

 ……結局早瀬は、そのままの背広で出社した。
 オシャレさんのくせに、あたしが吐いた背広で出社する早瀬に、なんだか心がこそばゆくなりながら。


  
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