エリュシオンでささやいて

奏多

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第3章 Bittersweet Voice

 4.

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「いいの、本気にため口でいいの!?」

「ああ。今さらだ。お前はストレートな物言いがウリだろうが」

「うわっうわっ、俺、あの早瀬須王と……。遙に写メと共に自慢して……」

 遙とは、入院中の幼なじみのことらしい。
 面会謝絶ではあるが、LINEには既読がつくらしく、それならとあたしはうさぎのまま、早瀬と裕貴くんは人間の姿のまま、スマホで写メ。

「俺がりすになったことは言うなよ」

「えー、そこがいいじゃないか。あの早瀬須王がりすに……」

「名刺返せ」

「言いません、言いません! りす王さま」

「お前~っ」

 さらに仲良しになった早瀬と裕貴くん。

 裕貴くんは憧れのひとから音楽を教えて貰えるともうはしゃいで大興奮。
 そんな裕貴くんの反応は、早瀬は満更でもないようだ。

「あの……ひとついい?」

「なんだ」

「レッスン料は、かなり高いの?」

 裕貴くんの真剣な顔に、早瀬は笑う。

「勿論だ。俺のプロデュース料は高い」

「俺の、バ、バイトで賄えるように分割して貰える?」

 すると早瀬は吹き出した。

「あはははは。お前には色々と気づかせて貰ったことがある。その礼で、出世払いにしてやる」

「タダじゃないの!?」

「お前は未来の音楽家になる予定だろ? そこは、無償ではなくギブアンドテイク、大人の関係だ。必ず音楽で稼いで俺に返せよ?」

「はいっ!!」
  

「ところで上原。お前、いい加減その格好やめろよ。なんだか馴染んで気味が悪い」

「あたし、これで帰りたいんですが……」

 だってあたしの顔、いつもよりブスに磨きがかかってるし。
 この上なく美しい奴と同じ空間に居たくない。

「駄目だ。俺の車には乗せねぇぞ」

「はい! だったらタクシーで……」

「嬉しそうな声を出すなよ、そこは〝じゃあ脱ぎます〟だろ!?」

「いやいや。違うだろう、どうしてそこで〝素の柚を車に乗せたい〟〝顔を見たい〟って言えないんだろうね……」

 裕貴くんがなにかを言ったら、ゲホッと早瀬が咽せた。

「ねぇ柚。りす王さんが、助手席に座る柚の可愛い顔を見て運転したいんだって。今日頑張って俺を助けてくれたりす王さんに免じて、それ脱いで車に乗ってあげて? そうじゃないと、……なんだか気の毒だからさ」

「裕貴っ!!」

「また、柚と会いたいよ。柚は俺の恩人のひとりだからな。次にりす王さんと会う時には、一緒に来て。一緒の空間にいるだけで、きっとこのりす王さんは喜ぶはずだしさ」

「おい、こらっ!!」

「あはははは。じゃあ今日はどうもありがとう。俺が帰らないときっと帰れないと思うから、これで帰る。柚、LINEするからね」

 そう、裕貴くんは去っていった。 

「……なんで裕貴とLINEするんだよ」

「え、なんとなく?」

「俺のを拒否しているくせに!」

「……今度から、拒否しません」

「当然だろう……え!?」

「うさぎを脱ぎますが、化粧室に籠もります。別にピーゴロゴロではないので、ご心配なく」

 敬礼して、バッグを持って化粧室に行く。
 唖然とする早瀬を残して。

 一度ついた傷は消えない。

 だけど痛みを感じる以上に、早瀬に助けられたから。
 早瀬に、楽しく鍵盤を演奏させて貰えたから。

 だからあたしも、少しずつ前を向いていこう。
 少しずつ、頑なだった心を柔らかくしよう。

 それがあたしの、感謝の気持ち。
 大嫌いの中に生まれた感謝の心を、早瀬に――。

  

「あまりに遅くて、メールも電話も返答がねぇから、逃げ出したのかと思って、探し回る羽目になった。いるなら、さっさと応答しろよ!」

「いるかいないか確かめるなら、外から声をかければいいでしょう?」

「女子トイレの中に向かって、そんな変態みたいなこと出来るか!」
 
 LINEを拒否しないと言ったせいか、化粧の最中にLINEの申請が来て、それどころじゃないから放置したら、早くOKしろとメールが来て。

 だからそんなの後でいいでしょう、今は剥げたところの修復が一番大切なんだからと真剣に修復作業に励めば、電話がくる。

 早瀬の番号は、無理矢理登録されたから入ってはいるけれど、電話をかけてくることがないし、たまにあっても寝ていてとれない時が多く。なんで気づいた時、朝でも折り返さないんだと怒るけど、同じ会社にいるんだし。

 騒がしく音が鳴るスマホを無視して、なんとかお顔を戻して化粧室から出れば、ぜぇぜぇと息をする早瀬に声をかけられて。

 本当に探し回っていたらしく、早瀬の顔が汗ばんでいたんだ。

「なんで今更逃げないといけないんですか」

「……逃げねぇ?」

 早瀬が迷子の子供のように途方に暮れた目を向けてくる。

「だから、今更です」

 早瀬は笑った。
 なんだか嬉しそうにも思えたけれど、その意味がよくわからなかった。

「俺、赤レンガと言えばお前を捜し回った記憶しかねぇよ」

 あたしがびくびくして席についた運転席に、早瀬はどっかりと座る。

「あたしは……うさぎとりすの記憶ですね」

 そう言いながら、ここに来る時とはまた違う……なにかひとつのわだかまりが消化出来たような、そんな爽やかな気持ちで助手席に座った。

「それ、忘れろって」

 エンジンがかかる。

「忘れませんよ」

 早瀬須王を少し知れたこと。
 彼の力により、諦めていたものが可能になったこと。

 あの感激を、あたしは忘れたくないから。
  

「じゃあ行くぞ」

 外はもう暗い。高級外車は赤レンガを後にして、まずは小林スタジオで、シンセとベースなど、借りた一式を返す。

 奥から出てきたのは、あたしが借りた男性ではなかった。

 だらっとしたトレーナーとチノパンの男性で、無精ひげを生やして、長い茶髪にタオルバンダナを巻いた……ガテン系。

 顔立ちは整っているかもしれないけれど、ちょっとあたしが苦手なタイプの男性で、萎縮してしまう。

「よう。顔合わすのは久しぶりだな、須王。お、可愛い「小林は、昔俺とバンドを組んでいた時に、ドラムをしていたんだ。いまはスタジオで先生をしている」」

 小林スタジオだから、小林さんはきっと責任者なのだろう。

「バンド……してたんですか」

「ああ。作曲の上で必要な研修だった」

「おいおい、なにが研修だよ、この野郎。ライブハウスに飛び込んできたお前に、いちから教えてやったのは誰だ? ちょっとメジャーになったからって偉そうにしてるんじゃないよ」

 がははははと小林さんは、豪快に笑う。

 野生の熊のような小林さんと、都会の狼のような早瀬はまるでタイプは違うが、早瀬の笑い顔を見ていれば、結構仲良しさんらしい。
 
「小林。本当に世話になったな」

「なんだよ、気持ち悪いな。お前、今までそんなにありがたがったことねぇじゃないか。いつも我が物顔で、ひと寄越して勝手に楽器持っていくくせに」

「特別なんだよ、今回は」

「へぇ……、特別、ねぇ……」

 小林さんが、意味ありげな眼差しであたしを見た。

 な、なんなんだろう。

 じろじろと上から下まで見るから、本能的にちょっと身じろぎした時、早瀬が間に入り、片手を伸ばす。

「見るな」

 まるで、美しい狼の威嚇。

「いいだろう。こっちは可愛い女の子に飢えてんだよ、癒やされたいんだよ」

「こいつは駄目だ。他をあたれ」

「ははは。なに、須王くん、マジ?」

「うるせぇな」

「まさか、この子?」


「ええと、あたしがなんなんでしょう?」


 話が見えない。
 あたしがなんだって?

   

「あなたのお名前はなんというんですか」

「え、上原柚と言います」

「……柚!! 柚だよ、須王。お前が寝言で……ふごふごふご」

 早瀬の手のひらが、小林さんの口を押さえつける。

「行くぞ」

「は、はい」

 小林さんはふごふご言いながら、あたしに手を振ってくるから、一応あたしも振り返してみる。

「振らなくていいんだよ、お前も!」

 早瀬はその手を掴んで、小林さんを背にした。
 あたしはぺこりと頭を下げて、小林スタジオを後にする。

「くくくく、あれが柚か。近寄る女に見向きもしねぇあいつが、酒飲んで酔っ払って寝る度に、泣きながら会いたいと呼んでた、愛しの〝柚〟にようやく会えたのか。あの分じゃまだものにしてないみたいだけれど、俺に紹介にしに来たということは……前向きに考えていいんだよな? 頑張れ、須王。力がある今のお前なら、柚を守ってやれるはずだから」

 ……そんな呟きがなされていたことに気づかずして。


   ・
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   ・
  
   ・

「な、なんで東京に向かわないんですか!」

「東京に帰るなんて、一度も言ってねぇけど」

「はああああ!? どこに連れて行く気ですか!?」

 あたしの頭の中で流れるのは、勿論「ドナドナ」

「楽器をちゃんと借りてきたご褒美、やらないとな」

 不意に向けられた流し目に、心臓が変な音をたてる。

「あたし、要りません。ご褒美というのなら、一刻も早く家に帰りたい」

「諦めろ」

 夜の時刻となった横浜で、響き渡るのは、

「まだまだ夜は長いんだ」

 夜の闇にまぎれた悪魔の声。

「いやああああああ!!」

 前言撤回。

 感謝なんかしなければよかった。
 あたしをどこに連れていくの。
 なにをするの。

 ……可愛い仔牛~ 売られて行くよ~
 悲しそうな瞳で 見ているよ~
 ドナドナド~ナ~、ド~ナ~、仔牛を乗~せ~て~
 ドナドナド~ナ~、ド~ナ~、荷馬車が揺~れ~る~
  
 あたしの頭の中では、もの悲しい旋律のドナドナが繰り返されていた。
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