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第2章 Dear Voice
5.
しおりを挟む「席移る!」
「移れるものなら、どうぞ?」
しかし――。
ああ、やけに今日ざわついていたのは、有名人であるイケメン早瀬を皆が見ていたからで、さらに近くで見ようと今日のパラダイスは、超満員。
女の情報網は侮りがたく、後から後から増えている気がする。
他に座れるところないじゃない。
しかもきっと、早瀬が席を立つまで立とうとしない長期戦の構えだ。
さすがに、あたし立って隆くんの料理を食べられないよ。
立ち上がったまま固まるあたしに、早瀬はくつくつと喉元で笑った。
「千絵ちゃんきたら、どいてよね?」
仕方がなく座る。
「ああ、来たらな」
しかしいつも現われる時間帯に、今日も千絵ちゃんは現われず。
「あのさ、なんでお前の、これがやけに多いわけ?」
早瀬がスプーンであたしの柚ジュレを掬って自分のパスタにかけた。
たっぷりと、奪われた。
「ちょっと、それあたしのなのに!」
周囲が途端にざわつく。
悪意の視線、嘲笑……ああ女って面倒臭い。
「あたしのをとらないで下さい、早瀬さん!」
言い直すと幾分悪意は和らいだが、今度はダークブルーの瞳が苛立たしげに細められる。
ああ、この男も面倒臭い。
「それ、あたしのジュレなんですが!」
「……なに? あの若造たぶらかして、柚に関するものだからと量増やさせて『あたしは特別だ』とでも喜んでいるわけ? 本当に千絵とやらがここにいるか、わかったもんじゃねぇな」
なんなのよ、この嫌味は。
「今日、たまたま千絵ちゃんがこなかっただけです。それになんであたしが、隆くんをたぶらかさないといけないんですか! 隆くんにも失礼だわ」
「ふぅん? タカシクン、ねぇ? タカシクンの作ったものを、ここに食いに来ているわけか。いつもいつも……」
隆くんのなにが気にくわないのか、掬い取ったジュレを、今度はスプーンの裏で潰しまくる。
「ちょっ、いらないなら返して下さいよ!」
「これは俺のだ。どうしようと俺の勝手だ」
またあたしのジュレが掬われる。
「ちょっと!!」
勝手にここにやってきて、衆人環視の中で一体なににキレ始めたのよ。
「不器用だな、お前も」
早瀬ではない声に横を向いた。
ワイルド系の端正な顔。
パーマのかかった黒髪、この体格のよさは――。
「ええと……忍月コーポレーションの――宮田常務!!」
「「「宮坂、専務!!」」」
一斉に声を揃えて答えたのは、取り巻きの美女達。
凄いね、ロボットみたいに皆同じ動きが出来るんだね。
「す、すみません……っ」
「いや、いいさ。同じ会社なら、締め上げて減俸にした上で降格させるが、他会社だからな」
このひと、怖い……。
そう思って顔を引き攣らせて返答に困っていたら、冗談だと専務は笑う。
緩和した空気に安心して、あたしもつられて笑ってしまった。
宮坂専務は大会社で専務をしているからなのか、とても貫禄があり、こう間近で見ると、男のフェロモンも出しているし、かなりイケメンの部類に思える。
……が、早瀬を見慣れているせいなのか、宮坂専務は超絶イケメンで最高!!とまでは思えなかった。……取り巻きさん達には悪いけれど。
綺麗さで言えば、早瀬の顔の方がダントツ。
だから取り巻き達も、ちらちらと早瀬を見ているのだと思う。
宮坂専務が、意味ありげに上から早瀬を見下ろして言う。
「……なんだその顔は。目立つことをして、ここにいるとアピールしていたのは、そっちだろう。目立つことは好きじゃなかったんじゃないのか?」
早瀬は専務に顔を向けないまま、言った。
「……失せろ」
あたしは、険悪で剣呑すぎるその返事に縮み上がる。
「ちょっ、専務に向かってなにを!! お、お知り合いで?」
慌てて話題を変えると、専務は声をたてて笑っていた。
早瀬の返答のどこに笑える要素があったのかさっぱりわからないが、この専務は随分と笑い上戸らしい。
笑いすぎて涙が出ると、取り巻きがさっとハンカチを出して目を拭いてあげている。その鮮やかさに、内心舌を巻く。
「ああ。彼とは旧知の仲でね。……よろしく、上原さん」
「なんで、あたしの名前……」
専務の視線の先にあったのは、あたしが首から提げていた身分証。
「柚、っていうんだ?」
「は「――去れ」」
頷こうとしたあたしの前で、早瀬が口から出したのは、激怒の声だ。
「俺達に構うな!!」
シーンと静まりかえるほどの凄まじいその怒りに、専務だけが平然と両肩を竦めるようにして、笑った。
「〝俺達〟ね。まあいい。……いつまでも遊ばず、約束は守れ」
最後の言葉はなにか非情で。
早瀬の顔が忌々しく歪まれていくのをあたしは見た。
約束?
ふたりが一体どんな関係かわからぬまま、専務は取り巻き達を連れてそのまま出て行った。
「専務と、どんな……」
関係と約束かを尋ねようとしたら、ぶっきらぼうに言葉を被せられた。
「エリュシオンに戻ったら、出かける」
「……はあ。いってらっしゃい」
人ごとのように言うと、早瀬は怒る。
「お前もだよ!! 重要な役目を担っている自覚をしろよ!!」
「は、はいっ」
じゃあ、そう言えばいいじゃないかよ。
なんだか八つ当たりをされた気分だ。
……せっかくの隆くんの美味しいパスタなのに、あたしの大好きなジュレをいいだけ取られたし、なにかカッカしている早瀬が向かい側からどかないし、慌てて食べたら……パスタが味気がなくて残念だった。
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