エリュシオンでささやいて

奏多

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第13章 brighting Voice

 2.

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 あたしが顔をそらしたのは、朝霞さんの顔に醜い傷が出来たからではない。
 そうさせてしまったのは、自分だと思う罪悪感から目をそらしたのだ。

 もしもあの時、おかしなものをつけられていた真理絵さんもいたあの時に、あたしがさっさと捕まっていれば、朝霞さんは綺麗な顔のままだった。

 あたしのせいで、朝霞さんの顔は爛れてしまったのだ。
 
 そう思ったら、今までのようにまっすぐなど見れない――。
 
「お前、柚に責任をなすりつける気か?」

 不意に須王の言葉が、重苦しい空気を切り裂いた。

「柚が悪いのか?」

 それはどこか憤っているような声で。

「いいや」

 朝霞さんは、きっぱりと答える。

「これは、自分で招いたこと。後悔もしていない」

 昔から朝霞さんはそうなんだ。
 すべてを背負おうとして、誰のせいにもしなかった。

 ……姿が変わっても、ここに変わらない朝霞さんがいたから――。

「朝霞さん、助けてくれてありがとうございます」

 ようやく、あたしは朝霞さんを見た。

「朝霞さんの自己犠牲で、今のあたしはいる」

「そんなのじゃない」

「いえ、そうです。朝霞さんは、昔となにひとつ変わっていない」

「……っ」

 今度は朝霞さんが、怯えた目をしてあたしからそらす――その隙に、須王がシャープな顎で、ある方向を促した。

 それは、朝霞さんの斜め後ろ。
 鉄筋が僅かに積み重なっている奥側に、こちら側に顔を向けて横臥して目をつぶっている女帝と、その奥にこちら側には背を向けてはいるが、小林さんらしき姿がある。

 Dead or Alive?

 不意に棗くんの声が蘇る。
 
 この距離からは確認出来ないが、須王は僅かに頷くようにして「大丈夫だ」と告げた。

 なぜにこの距離から安否がわかるんだろう。

 それだけ須王は、ひとの生死と向き合うような凄惨な過去を経験していたとも言えて、複雑な気分にもなるけれど。

 須王から出た言葉だから、あたしは信じられるんだ。
 ……昔はなにひとつ信じられなかったのにね。

 朝霞さんは、静かに口を開く。

「知っていたか、上原。前久我社長と勤めていたこの聖域は、オリンピアの力で売却されないようにと守ってきていたんだ」

「あたしが見に来た時は土地でした。だけど工事をしているということは、ここは朝霞さんの手から離れたっていうことですか?」 

「ああ。もうすぐにでも工事は始まる。エリュシオンは、なかったことにされる……」

「オリンピアを押さえる、誰の力が動いた? 組織は表に出ねぇだろ」

 すると朝霞さんが、まっすぐに須王を見つめて言った。

「忍月建築」

 須王の目が細められる。

「外の看板には、忍月栄一郎がトップの建築会社の名前が記載されている」

 ……また出て来た。

 忍月栄一郎――。

 忍月コーポレーションの副社長かつ、音楽協会の副会長の肩書きを持つ男。
 遥くんが病院で使用している特別室に、遥くんの担当医と思われる坪内医師に患者を斡旋していた病院の理事長。

 なぜ、エリュシオンを潰そうとするの?

「つまり、組織に忍月がいるということか?」

 その硬質な声音には、並々ならぬ悪意すら感じて。

「早瀬須王」

 朝霞さんは、須王の言葉を打ち消すようにして言う。

「お前のいた『エリュシオン』は、最悪な形で復活した。新生したエリュシオンという楽園は、音楽に関係する者達にのみ門を開いた。奇しくも、お前と上原がいる、木場のエリュシオンとは真逆に」

 朝霞さんの謎の言葉に、須王は目を細める。

「エリュシオンは、柘榴を求めている」

 あのしゃぶしゃぶ店で、確かこんな話題があった。

――俗説によると柘榴は人間の肉の味がするらしい。だから食えなくなった子供の肉の代わりに食べていたとか。そうなれば、匂いなんてないように思えるよな?

――柘榴の実の中には沢山の実があり、たくさんの種が詰まっている。そこから豊穣や多産をもたらすものとされているらしい。ただし、ギリシャ神話では、不吉な象徴みたいだね。

――死せる者の世界では、新しい命は必要がない。

――ひとの命すら認めないのが、冥府〝エリュシオン〟だ。

 そして須王が、あたしを狙ったのは誰かと聞いた途端、真理絵さんの起爆装置にスイッチが入っていた。

 つまり、柘榴とは……?


 朝霞さんはあたしを見る。


「――上原が柘榴だ」

 
「な、なぜ? あたしが狙われる目的がよくわからない!」

「早瀬須王、お前が解け。至極合理的な私欲によって、エリュシオンは開かれている。上原が必要とされている意味がわかった時、自ずとエリュシオンの黒幕もわかるだろう」

「〝天の奏音〟の役割は?」

「音だ。エリュシオンは音を奏でる者に開かれている」

 なぜ朝霞さんは、こうも核心を言える?
 彼が裕貴くんの家に来たあの靴跡を残した男なら、そうまでして姿を隠したというのなら、なぜ朝霞さんは――。

「なぜ、そんなことを俺達に言う? 三芳と小林を拉致しておいて」

 すると朝霞さんは悲しげに笑った。

「……捨て置けるだろう?」

「え?」

 朝霞さんは、上擦ったような声を張り上げた。

「気をつけろ。お前達の中に……くっ」

 朝霞さんが、おかしな声を上げて顔を顰めた時だ。
 焦げ臭い匂いがしたのは。

 彼の座っている椅子の下、ブロックから火が見える。

「朝霞さん!?」

 ブロックは並べられてるものだと思っていたけど、あたしが見ているのは長方形の側面だけであり、上から見たら多分……中央がスペースになっていて、火が出るようなものがおかれているのだろう。

 それはきっと、朝霞さんは最初からわかっていたんだ。
 
 よく見れば朝霞さんの椅子と彼の足は、秘やかにピアノ線のようなもので縛られていた。

 彼もまた、真理絵さんのようになにかの仕掛けの犠牲になっている――。

 
「朝霞――っ!」

「朝霞さんっ!」


 火は大きくなっている。

 声を上げずに天井を見上げる朝霞さんの顔は、苦悶に満ち。
 このままなら、体が燃えてしまうじゃないか。

 朝霞さんを助けようと、あたしと須王が動いた時、朝霞さんの強い声が聞こえた。

「来るなっ」

 なぜ。
 なぜ。

 
「さあ、選べ――」


 突然の見知らぬ低い声に顔を向ければ、立っている男が、まだ意識ない女帝の頭に銃口を押しつけていた。

 背を向けて女帝の横に横臥していた男は、小林さんではなかったのだ。
 そしてきっとこの男が、須王が相手をしていない最後のひとりなのだろう。

 殺気とは違う虚無を感じさせる男は、こう言った。

「その男を助けるのなら、この女を殺す。この女を助けたいのなら、その男を助けるな。その男は制裁に値する」 

 
――……捨て置けるだろう?


「なに馬鹿なことを!」

 あたしは悲鳴交じりの声を上げた。

 すると、女帝の頭にさらにぐいと銃口がつきつけられたようで、慌てたあたしは口を噤む。
 
「……上原、俺は、いい。そのつもり、だったから……っ」

 まさか朝霞さんは、命を賭けるつもりでここにあたし達を連れ出したというのか。

 監視役がいるのをわかっていて、どうなるのかもわかっていて。
 あたし達は絶対的に女帝を選ぶから、だから死ぬって?
 
 そんなのは、許さない。
 
 だけどどうすればいい。
 助けられるのが、ひとりしかいないというのなら。

 女帝か朝霞さんか。
 
 Dead or Alive?

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