エリュシオンでささやいて

奏多

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第13章 brighting Voice

 1.

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 千駄ヶ谷――。

 あたしの記憶によれば、大通りから数本の道を奥に入ったところの、静かな道沿いに旧エリュシオンはあった。

「おや……?」

 だが、いざその場所に行ってみると、昔隣にあった小さな花屋が一階にあったビルの分を含めた形で、二軒分の工事現場となっていて、足場が組まれ、灰色の養生シートがすっぽりと被せられている。

 あたしが以前見に来た時は、ただの跡地となっていて、消失してしまったという喪失感を覚えたものだけれど、こうやって新たな建物が出来ることを思えば、エリュシオンのあった記憶そのものがなくなりそうで、悲しい。

 あたしの中からも、前社長のいたあのエリュシオンが、なにかに上書きされて消えていくようだ。

 新エリュシオンに反発をしてオリンピアを建てた朝霞さんは、この様子を見てなにを考えているだろう――。

 須王は、横脇に車を停めると、静かに言う。

「いいか、俺がお前を守る。だから安心しろよ」

 どことなく警戒に強張った顔をしているように見える。

 ど素人のあたしが、ケロイド状の顔をした朝霞さんや、眠らせられた小林さんと女帝の姿を見て感じる、非日常的なものに対する警戒とは違い、須王の感じているものは過去の経験からなされる現実的な警告だと思う。

 それが、得体の知れない恐怖を生む。

 須王にこんな顔をさせるほど、待ち受けているものは過酷かもしれない。
 それでも、逃げてはならない。

 あたしは、仲間を奪還しないといけないんだ。
 それが、旧エリュシオンに来た第一の目的なのだから。

「うん。頼りにしている」

 そう笑うと、須王は切なそうに笑い、あたしの後頭部に手をあてながら、あたしの唇を奪う。

 慣れた口づけは、どんな時でも蕩けるようで、あたしを熱くさせる。

 唇が離れる瞬間の、須王の色気ある甘い眼差しにくらっとしながら、それでも恐怖心が収まったような気がしたあたしは、須王に笑って見せた。

「行くか」

「うん」

 ……柚、怖くとも笑え。
 我慢するのは得意なんだから。

 旧エリュシオンは工事現場となっている。

 朝霞さんは、どこにいるのだろう。
 ぐるりと須王と回ってみたが、朝霞さんが運転していた車が見当たらない。

 え?
 どうして?

「車をどこか別の場所に置いてここにきたのだとすれば、小林達が人目につくはずだ。それを回避するとすれば、小林達は車のの中か、近場に置き去りということになる」

「いやいや、それは困るよ。第一目的は2人の捕獲なんだから」

 須王はその怜悧なダークブルーの瞳を光らせる。

「朝霞は切り札を置いて、単身で乗り込むアホじゃねぇ。なにより俺の勘が朝霞は近くにいると告げているから、場所違いでもねぇだろう」

 ……須王って、超能力者みたい。
 なんでも出来る上に、なんでもわかってしまう。

「となれば……、残るひとつの可能性」

 須王が、灰色のシートを手にして捲る。

 すると――。

「あった!」

 そこには、見たばかりのセダンが止まっていた。
 後部座席に、女帝も小林さんもいない。

 ひと目につくことなく、ゆっくりと奥に運ばれたようだ。

 シートの中は、足場が組まれて、建材が積まれているものの、建物自体が作られている形跡はない。

 いわば、材料が道となる、迷路のようになっていた。

「え、工事は? 断念していたのかしら」

 すると掌を見た須王が言った。

「シートを持った手が真っ黒だ。この様子では、数ヶ月どころの断念じゃねぇな。……可能性は二つにひとつ。最初から工事などする予定もなく、ダミーとしてシートを被せていた。もうひとつは、予定の工事よりも大きな力が働き、途中で工事は中断している……か。どちらにしろ、何年も工事していれば近隣が不思議に思うだろうから、一軒分が出来上がる半年前後というところか」

 ダミーとして、最初から工事をしているふりをしているのなら、別に目的があったということになる。

 なぜ旧エリュシオン跡で?

 中断させられる力が働いたというのなら、誰がどうして?

 どちらにしても、この場所で誰かの意思が働いているのが、妙に背中がぞくぞくしてしまうんだ。

 この場所は神聖でいて欲しかった。
 誰かの意思で穢されているのなら、許したくない。


「……柚」

 突如、迷路を難なく歩いていた須王が足を止める。
 須王の手を握って、ドキドキしながら歩いていたあたしの足も止まる。

 不意にダークブルーの瞳が細められ、須王の声が響く。

「……やばい」

「へ?」

 やばい、とは?

「朝霞以外に、三人の気配が強まった」

「さ、三人!? 女帝と小林さんで二人だよ!?」

「この感じ……」

 ダークブルーの瞳が剣呑な光が宿る。

「組織の連中だ」

「……っ」

 シートの中は閉塞された世界だ。
 逃げだそうにも、シートを捲るそのすきに、敵の攻撃がなされるだろう。

 須王は片手に、取り出したアーミーナイフを握った。
 
 もし三人が、銃弾で襲ってきたら?

 あたしは、ごくりと唾を飲み込む。

「俺、躱せる自信ねぇわ」

 それは――須王らしくない、言葉で。

「接近戦でも、怖くて……」

「は!?」

 王様らしくない発言に、あたしは動揺してしまう。

 一体どうしたんだろう!!
 これ、須王だよね!?

 まさか棗くんがいないからとか?
 複数をひとりで相手にしたことがないとか?

 まるで弱々しい子供のように、ダークブルーの瞳は揺れる。

「柚……」

 須王は泣きそうな声を出す。


「俺、死にたくねぇ……っ」


 そ、そんな敵がいるの!?

 ボスの朝霞さんを超えて、ラスボス!? 裏ボス!? 裏ラスボス!?

 どのボスが本当のボスなのかわからないけれど、あたしから出た言葉は――。


「ほいきた! あたしに任せて!」


 ばーんと掌で胸を叩いたのだった。


 ……なんだろうね。
 こんなに弱気なレア須王を見ると、自分がしっかりしないといけないと思うんだ。

 別にあたしに策があるわけではない。
 
 だけどあたしは鼻息荒く、大丈夫だよと頷いて見せると、突然須王が笑い出す。

「え?」

「ぶはははははは」

 その大笑いは、忍月コーポレーションの宮坂専務にも似て。
 
「なんなんだよ、お前、その自信。どこからくるんだよ。〝ほいきた〟ってなんだよ」

 弱音を吐いた男が、そうのたまった。

 そして――。

 あたしに笑い顔を向けたまま、須王はナイフを横に飛ばしたのだ。

 それはまるで須王の体の一部のように飛んで行き、カラーンとなにかがぶつかった。

 共に宙を飛ぶのは――黒い銃。

 銃。

 銃?

 そしてナイフはそのままシートを切り裂くようにして、銃ごと外に消えた。

 それに呆気にとられている瞬間、須王があたしの頭を掌で強く押さえ込み、須王と共にしゃがみ込んだ瞬間に、頭上が空を切る。

 そして須王は、しゃがんだまま、片手だけで地面を叩き付けると同時に、斜めにした体を浮かせると、そのまま長い足をぶんと振った。

 ばきっという、なにやら不穏すぎる、なにかが折れたような音がしたと同時に、うっという呻き声がする。

「柚、そのまましゃがんでいろよ」

 また頭上は、空を切る。

 それから連続で五回、そんな不穏な音が続き、二種の音色で悲鳴が奏でられた後、音がすっと消えた。

 頭上が怖いあたしは、両手で頭を抱えてふるふる震えていたが、まさかやられたのは須王ではないのかと思って、慌ててそちらの方を見ると、須王が前髪を掻き上げ、やたら清々しい美貌を魅せている。

 そしてずさりと、足元に落下したのは、歪な輪郭をした黒服の男ふたり。

 男達の眼球がぐるっと動き、白目となり、口から白いあぶくが生じて
 
 思わずひっと須王に抱き付けば、須王は笑ってあたしの頬を指でつつく。

「誰が誰を守るって?」

「す、須王が怖いというから……っ」

「あんなの冗談に決まってるだろう? 思惑通り、惰弱な男には銃を向けるまでもないと判断してくれたようで、すぐに片付いた」

「は、はあ」

「だけど殺すつもりはなかったようだ。殺すつもりなら、もっと上を出せばいい。こいつらはいいとこ、俺の動きを制するだけの役目だ」

「いやいやいや。十分な戦闘だったよ?」

「それでも、俺のマンションのように爆弾で吹き飛ばしたりはしようとしてねぇ。……逆にそれがひっかかりもするが」

 慣れとは恐ろしいが、物足りなさを感じる時点で、既に環境は異常なのだ。

 須王は腕時計を見ると、堅い顔をして言った。

「中に行くか。最後のひとりと朝霞は奥にいるようだ。小林と三芳の安否を確認しよう」

「ええ」
 
 そして、あたしと須王は、エリュシオンがあった場所で、暗い深層に歩み行く。まるで冥界の深層に赴いているかのような錯覚を覚えるあたしは、須王の服をぎゅっと掴んだ。

「手じゃなくていいの?」

 こんな時に須王が揶揄して笑う。

「あたしが邪魔しちゃ悪いもの」

 須王の武器はなにもない。

 だからこそ須王の妨げになりたくないあたしは、須王の温もりを捨てたのだった。

 やがて見えてくるのは、

「出て来たぞ」

 足場で囲まれた空間で。

「やあ、ふたりとも。随分と早いね」

 中央に、ブロックが置かれており、その上に置かれたパイプ椅子に座っていた朝霞さんが笑った。

 そう、昔のような爽やかな笑みで。

「朝霞さん……」

 ……それでも昔とは違う。
 時間は逆戻りは出来ないのだ。

「……っ」

 皮膚が爛れた、赤くなったケロイドの顔は、間近で見ればホラー映画に出て来そうなほど、無残なもので。

 どう声をかけていいのかわからないあたしが、須王の後ろから目を細めてそらせると、朝霞さんは僅かに痛々しげに笑った。
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