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シャオは素直で優しい子だった。賞金首の僕を国に突き出すこともせずに傷の手当てをしてここに住まわせてくれた。
怪我を負わせたクソ冒険者には腹が立っていたが、今思えばあいつらが僕の腹に穴を開けてくれなきゃシャオとは出会えなかったため感謝している。
シャオを初めて見た時、天使が現れたのかと思った。黒い髪にくりくりの大きな黒い目、珍しい容姿に驚きながらもその可愛らしさに目が惹かれた。
天使が迎えに来たのかと思った。でも、違った。
シャオは体格の違う僕を引きずって家に持ち帰って手当てをしてくれた。
シャオの心の広さに付け込んで血までもらってしまった。その甘美な甘さは溶けてしまうほどに美味しかった。
一応冒険者なのに危機感が全くと言っていいほどなかった。このボロ屋に住んでいることから金に困っているのだろうと、当初はいつ手のひらを返してくるか警戒していたが。全くそう言った素振りは見せなかった。
僕がこの子を守ってあげないと。
いつしかシャオの存在は僕の中でなくてはならないものへと変化したのだ。
サーカスの仲間に会った。戻ってきてとの事だった。
けれど僕にはそんな選択肢はなかっただって、愛しい人をこのボロ小屋で待たなければいけないから。
でもその日はいくら待っても帰ってこないシャオに不安で仕方がなかった。どこに行ったんだ、もしかしたら…と、嫌な光景がふわふわと頭の中に次々と浮かび上がりシャオの血の匂いが鼻を掠めた瞬間僕は考える間もなく仲間を置き去りにその匂いの方へ一直線に走った。
今考えればもし冒険者が森の中に潜んでいたら危なかっただろう。けれどそんなことよりシャオが無事でいてくれる方が大切だった。
小屋に戻り熱に浮かされ吸血をすれば、快楽に溶けきったまま僕の膝の上で眠ってしまったシャオ。猫みたいに他人を寄せ付けないあのシャオがこうして心を許してくれたことがこの上ない幸せだった。
サーカスは居場所のない僕の唯一の帰る場所だった。侯爵抱えの秘密部隊として集められた僕たちはとある仕事で失敗し、主人に嵌められて殺人鬼集団だと言いふらされ、しまいには国から狙われる存在になってしまった。
人間にも化け物にもなりきれなかった僕たちを拾った主人は、僕たちを使い捨ての駒としか見ていなかったのだ。そこにはただの主従関係しかなく、僕たちサーカスは生きるための手段として侯爵に従うしかなかった。
しかし、シャオに出会ってしまった僕は主人のいないサーカスから足を洗うことにした。仲間達はバラバラになり今もどこかで逃げているのだろう。
死線をいくつも越えてきた彼らだ。人間に混じり生活するのは造作ないはず。
寝息を立てているシャオを撫でながら僕はこの幸せに唇を噛み締めた。
許さない!許さない!
幼い子の泣き声が今でも耳に残っている。
シャオは僕のやってきたことを知ったらきっと幻滅するだろうな。
この生活をして自分がしてきたことの重さに気がついた。大切な人なんか生まれて今までいたことがなかったから彼らがなぜそこまで苦しむのかわからなかった。
けれど、シャオと出会って僕は自分の背負った罪がどれほど重いものなのかを知った。
初めて出会った守りたいという存在に僕は離れられずにいた。
けれど、僕は幸せになっていいはずがないんだ。
シャオをベッドに寝かせるとボロい布団をその上からかけてやった。
サーカスで仕事をしている時に耳にしたことがあった。
冒険者の昇格試験で一人で突っ走り仲間一人を死なせ、自分は悪くないだのほざく最悪な奴がいると。
まさかシャオがそいつだと思わなかった。けれど毎晩のようにうなされて死んだ仲間の名前だろうその名を寝言で呟くたびに涙を流しているところを見れば、本意ではなかったのだと分かった。
そりゃあ、そうだろう。あのシャオだ。脆くて傷つきやすくて、守りたくなるような子だ。
田舎から出てきたすぐは頼る人がいなくてさぞ不安だったのだろう。けれど、ここには貰い物だという物がちらほらと置いてあった。気にかけてくれた人が一人はいたということだろう。
身を挺して守りたくなる存在。気にかけてやりたくなる迷い猫のようなシャオ。
もしかしたら…と、その死んだ仲間のことを思い浮かべると、僕も同じことをしていたかもしれないとシャオの黒い髪を優しく撫でた。
「お前は、一人じゃないさ。」
僕は立ち上がり、小屋の扉を静かに開けた。
「ばいばい、シャオ。」
◇
その日、懐かしい夢を見た。
『シャオ、そんな軽装備じゃ危ないだろ、これも着てけ』
『おいおい、そんなに慌てて食べんなって。ははっ、飯は逃げないから』
エイドは明るい男だった。
誰からも好かれてリーダーからも恋心を寄せられていた。田舎から出てきたばかりの俺を特に気にしてくれていろんなものを貰った。
いらないって言っても強引に押し付けてきて、俺の心配を無性にしてくるようなやつだった。
『えと…い、一緒に、住むか?』
『やだ。お前、細かいしめんどくさそうだから。』
『はぁあ???おまっ…俺の一世一代の告白をっ』
顔を真っ赤にしたり真っ青にしたり忙しない男だったが。最後には必ず笑って俺の頭を撫でた。
そしてあの時、俺が見落としていた後方からの攻撃を身を挺して守ってくれたエイド。体からは大量の血が流れ出て、回復担当の子も泣きながら必死に魔法をかけてくれていた。
俺のせいで…嫌だ!死なないで!
泣き喚いてエイドの手を握った。血を吐いて、苦しそうにするエイドは最後に俺の頬を撫でた。
『俺んちに、ある飯…食っていいからな』
呆れるほどにいつも通りの彼に涙が溢れた。
目が覚めると日の光が小屋の中に差し込んでいた。
目を雑に袖で擦るとふと、人の気配がないことに気がついた。
いつもなら外で顔を洗っているのに外を覗いても誰もいなかった。
「タルジュ?」
机の上に紙切れが置かれているのに気がつきドキリと心臓が飛び跳ねた。
それを見て、俺は着のみ着のまま外へ飛び出した。
森の中を走り街に出てきた。いつも通り冒険者だらけの街でこんな中あの目立つ髪色のタルジュが居たらすぐにとっ捕まってしまうと冷や汗が出る。
あれからほとぼりは冷めつつあったが、今でも必死に探しているものはいる。
俺は街中を駆け回った。ローブもなしに外を出歩くなんてそんなことはもうどうでも良かった。
今までありがとう。と書かれた置き手紙。
「ミレーネ!えと…髪の白い男を見なかった?」
「髪の白い?見てないわね。」
「そ、か。ありがとう」
俺がこそこそと話すものだからミレーネも合わせて小声で話してくれた。
「なぁに?恋人?」
「ちっ!ちがっ」
クスクスと笑うミレーネに、今はそれどころじゃないと頬を膨らます。見かけたら連絡するよと言ってくれた彼女はやっぱり信頼できる人だった。
しかし唐突に、ミレーネの顔が曇ったのが分かった。
「シャオ。」
聞こえたのは、懐かしい彼女の声だった。
「リ、リーダー。」
場所を移動しようと言われて外に出てきた彼女と俺。花のように輝いていた頃のリーダーの姿とはかけ離れ、目の下には隈を剣を握っていた逞しい腕は細くなっていた。
「ど、どうしたの。俺に何か」
「あの時、シャオに強く当たってしまってごめんなさい。偶然、あなたの姿を見かけて……ずっと後悔してたのあの時カッとなって強く言いすぎちゃったって。」
驚いた。
リーダーの口からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。俺を殺そうと俺の前に姿を現せたのかと思ったから。
「何を言ってるんだ。俺が全部いけないんだ、リーダーは何も悪くない。謝るのは俺だよ。本当にごめん。」
リーダーはエルドに恋心を寄せていた。二人がどんな関係になっていたのかはわからなかったが、そんな彼女にとって大切な人は俺の代わりに死んだんだから。
リーダーは下を向き震えていた。
「本当に、本当に……」
しかし、そこでリーダーの様子が少しおかしいことに俺は気がついた。泣いているのかと思って声をかけようと思ったけれど、顔を上げたリーダーは笑っていた。
「変わらないのね。シャオは。だからエイドにも……あぁ、腹が立つわ。エイドの次は、サーカスの一員?その体は本当にいい具合らしいわね。」
目を見開き彼女を見た。なぜ知ってるのだタルジュのことを。
「な、なぜ!」
「馬鹿なところも本当に変わっていない。あのサーカスは出頭したよ、数刻前にね。そしてお前もあいつをサーカスだと知りながら隠したことで有罪よ。」
いい気味だと笑ったかと思えば四方から数人の騎士が歩いてきて俺に剣を当てた。
「ばいばい、シャオ。」
彼女はそう言って心底満足したという顔でその場から去っていった。
「うそ、うそだ。タルジュ」
俺は取り押さえられ、収容所へ連行された。
俺は牢屋の中に投げ捨てられ、ガチャリと扉が閉められた。手首が縛られているため湿った床にずしゃりと転がり頬が擦り切れた。
「タ、タルジュはどこなんですか!!教えてください!彼はどうなるんですか!!」
騎士達は心底冷めきった視線を向けてケラリと笑った。
「あいつはすぐに死刑になるだろう。安心しろ、お前もすぐ後を追えるぞ。」
笑いながら甲冑を脱いだ騎士達。何をする気なんだとビクビクしていると、ゴキっと骨を鳴らした彼らはその硬い拳を俺に向かって振り上げた。
酷い音は一瞬のことだったが、痛みはじくじくと襲い。俺は恐怖に動けなくなった。
「あっ…いや…」
「あのサーカスはお前なんか知らないと言っていたぞ。だからな…お前を痛めつければ、口を割るはずだ。」
目の前の奴らは騎士なんかじゃなかった。
この時の俺にはこいつらが悪魔に見えた。
笑いながら俺を痛ぶる姿は、まるで他人事のように視界に映った。頭から流れる血が目に入り、ぼやける。
痛い。辛い。苦しい。
もうこんな尋問を受けて何時間経つのだろうか。
途中から連中は俺を痛めつけるのを楽しんでいるようだった。
酒を飲みながら、日々の鬱憤を晴らすように。
俺の悲鳴をクラシックを聞くかのように堪能していた。
お腹がぐぅと鳴った。
思い出すのはタルジュの優しい温もりだった。
タルジュがどうなったのかは全くわからなかった。でも死刑ともなればここにいる人たちは騒ぎ立てるだろう。俺を痛めつける間はタルジュはまだ生きているはすだ。
「こいつ、首を絞めるとピクピク動くぜ。」
「殴りすぎて顔がぐちゃぐちゃじゃねーか。体もあちこち折れてやがるぜ。」
ケラケラと笑う彼らに怒りなど今更起こることはなかった。こうしてる間はタルジュがまだ生きているかもしれないという希望が持てて耐えることができた。
足はもう折れてて使い物にならない。早々に潰された足では逃げることはできない。
毎日考えるのはタルジュのことだった。俺と同じように暴力を受けているんじゃないか、もっと酷いことをされてるかもしれない。
「た、たう……じゅ…」
あぁ、でも俺はもう、ダメかもしれない。
好きだった。タルジュのことが。
最後に、彼の姿を見たかったな。
月の光が格子の外から差し込んだ。このまま楽になれたなら。そう思って俺は気絶するかのように眠りに落ちた。
「おい起きろ。お前を審問官の前に連れて行くぞ。」
重い瞼をひらけば、あぁ、俺は死ねなかったのだと頭が痛くなった。
太陽がのぼり朝が来ていた。
使い物にならなくなった体は自分ではろくに動かすことができないため腕を騎士達に掴まれ引き摺られて外へ出た。
地下を出ればここは立派な石造りの建物だった。あたりは妙に静かで何かが行われるのだろうかと不思議に思ったが。くらくらとする頭では何も考えることができなかった。
しばらく引き摺られ一つの部屋の扉を騎士が2人がかりで開いた。
俺はその光景に唖然とした。
上等な服を着た貴族達がこちらを一斉に見た。まるでパーティーの主役が登場したのだと言うように俺の方に視線を送る。
俺は両腕を騎士に支えられながら中央の板の上に乗せられるとカンカンという乾いた音がこの広い部屋に響き渡った。
「皇女様の御成です。」
今度は一斉に貴族達が立ち上がると頭を深々と下げた。
そして上段の脇から出てきたこれまた豪華な服に身を包んだ2人に俺は体が震えていた。
優雅に皇女と呼ばれた可憐な女の子をエスコートする綺麗な男。その白髪と金色の瞳はよく見知ったものだった。
開いた口が閉じないとはこのことなんだろう。
バチリとタルジュと視線が合うと彼は酷く驚いた顔をした。
「シャオ!!!!」
今にも飛び降りてこちらに向かってきそうなタルジュを引き止めたのは隣にいた皇女様だった。
「騙したな!!僕があなたの言う通りにすればシャオには手を出さないと言っただろ!」
タルジュの目は血走り皇女様の手を振り払った。貴族連中はざわざわと騒ぎ始めて俺には何が何だかよくわからなかった。
しかし、皇女様は悲しい顔をして剣など握ったことのないような真っ白の手で口元を覆った。
「あぁ、かわいそうなタルジュ。お前もあの罪人に心を操られてしまっているのね。」
庇護欲を掻き立てるようなその表情にあてられて、傍観者である貴族達は俺のことをギロリと見やった。
「罪人なんかじゃない!」
すると、俺の右隣に見知った顔の女が現れ発言を宜しいですかと挙手をしていた。
皇女は構いません。とタルジュを無視して言うと、女は俺を指差して言った。
「この男は私の愛しい恋人の心を奪い、あまつさえ自分の盾としてその人を…殺しました。とても悍ましく、まるで悪魔のようなやつです。その純粋無垢な瞳で男を簡単に洗脳し、自分の駒のように使う。こんな酷いことが常人にできるはずがございません、そんなことができるのはサーカスだけでしょう……私は毎日あの日のことを、思い出し、…あぁ…どうか、こいつに罰を、お与えください。」
女…リーダーはそう言って泣き崩れた。
反論しようにも、そんな体力は今の俺にはなかった。
「なんて痛ましい。おかわいそうに、あなたの恋人もこの罪人に弄ばれたのですね。…タルジュ、あなたを救えて良かったわ。」
「な、何が良かっただ。僕の、僕のシャオをこんなんにして」
「僕の?あら、あなたは私のものでしょ。……それで、彼女の言ったことは本当なのかしら?」
皇女様に冷たい目で見つめられて俺は重い口を開いた。
そっか、タルジュは皇女様に気に入られたのか。あんな貧乏暮らしをしなくて済むし、硬くて嫌だと言っていたパンも食べなくて済む。雨漏りのする部屋で寝ることは無くなるし、お金がなくて昼ご飯を抜くこともなくなる。それに俺がサーカスだと言えば、タルジュが疑われることもなくなるだろう。皇女様の隣がすごく似合うんだから将来は彼女と結婚して子供も生まれて。
そして、君は幸せになれるんだ。
俺は君の幸せな生活の中にはいらない存在。
温もりをくれた。優しさをくれた。
人を愛する心をくれた。
毎日が楽しかった。
君が幸せになれるのなら、俺は満足だ。
「はい。…俺がサーカスです。」
「シャオ!!!!」
「あぁ、そうなのね。やっぱり。……それじゃあ、やりなさい。」
俺の後方から聞こえたシャキンという金属音。
やめろ!!というタルジュの声が遠くから聞こえてきて何だか全てがよくわかる。まるでゆっくりと時間が過ぎているようで最後の瞬間ってこう言うもんなのかと、エイドのことを思い出した。
最後になんて言おうか、エイドみたいに呆れるようなことを言おうか。
なんだか死ぬ前にこんなことを考えるのが可笑しくてふふッと笑ってしまう。
頭から流れる血が目に入りそれが流れ出る。
ポツリと床に垂れると同時にダンッという扉の開く音が聞こえた。
「待ってください!」
そこにいたのはミレーネだった。
「審問の最中、大変申し訳ございません。ですが、皆様方にお耳に入れていただきたいことがございます。」
皇女は大変不機嫌な顔をしてミレーネに適当に返事をした。
「ミケイド侯爵がたった今自白しました。侯爵は子供の奴隷を買い取り暗殺者として育て、彼らにサーカスという名を付け使っていました。そして、不要となった彼らを殺人鬼集団だと噂を流し排除しようとしたのです。」
会場の空気が一斉に変わったのを感じた。
ーーミケイド侯爵と言えばあの悪名高い。
ーーあの方ならやりそうなことだ。
ーー私の領地もあいつに取られたんだ!
ーーそうしたらサーカスは被害者なのでは。
ミケイド侯爵の名は貴族の中では有名な名前だった。裏で悪事を働き高位貴族の座を狙っているだとか。隣国と裏取引をしているだとか。そんな良くない噂ばかり聞く人だったが、証拠がないため捕まえようにも捕まえることができなかったのだ。
そんな侯爵が今回自白したというのだ。貴族らは俺なんて忘れた顔でミケイド侯爵を起訴できることに歓喜の声を上げた。
ひとつあいつの顔を拝んでやろうと貴族らは腕をまくり、ぞろぞろと扉から出て行った。
俺は唖然としていて、駆けつけてくるミレーネのことをじっと見つめた。
「酷い怪我。帰ったらすぐに手当てをしましょう。」
「ミ、ミレーネ…なんで」
するとミレーネはいつも通りクスクスと笑って、俺の頬を撫でた。なぜみんなこうも俺を撫でるのか不思議でならなかったけど、とても嬉しい気持ちになった。
「シャオ!!」
貴族達を掻き分けながら愛しい人が俺の名を呼んでいるのがわかった。
「タルジュ!」
ミレーネは俺を立ち上がらせるとさぁ、行っておいでと手を振った。足は少しなら動かせる。ゆっくりゆっくりと彼の方に向かい、倒れそうになりながらも見えた白髪に嬉しくて涙が出そうになる。
あともう少し、もう少しでタルジュに会える。
あぁ、どうしよう。やっぱりタルジュが他の人と幸せになる未来なんて考えたくないくらいに嫌になってきた。
あの星の下でしたキス。
タルジュは最後に何か言おうとしていた。その言葉を聞きたい。タルジュが俺をどう思っているのか聞きたい。
金色の瞳が見えた気がした。
「タル…ジュ?」
その瞬間、俺の腹からは何故か剣の先が飛び出ていた。
ぐちゃりと肉と血が飛び出る生々しい音が鼓膜にべたりと引っ付いた。
「シャ……オ……」
きゃーーー!!!
と、どこか遠くの方から悲鳴が聞こえた。
何かあったのかな、みんな俺を見ているけど、どうかしたのかな。
ベシャリと前のめりになっていく体を止めることはできなかった。
あれ?身体が言うことを聞かない。おかしいな、何も聞こえない。
心なしか呼吸も難しくなってきて必死に空気を吸おうと頑張るが今までどうやって呼吸をしてきたのかわからなくなってしまったように何もできなかった。
「はぁ…はぁ…シャオ。…くくっ…やっとお前を……エイド、今行くよ。」
俺の腹からは剣を引っこ抜くとリーダーは自分の首を切って床に倒れて行った。
あぁ、やっぱりそうだったのか。
遠のく意識、視界の端には白髪がゆらりと揺れているのが見えた。
「シャオ!!ダメだ行くな!!目を開けろ!!」
すごく焦ったような声が聞こえてきた。
珍しいな、タルジュがこんなに必死になるなんて。
俺はぼろぼろと流す彼の涙を力を振り絞って拭い、笑ってみせた。
タルジュは絶対に離すもんかと力強く俺を抱きしめて、血がつくのもお構いなしに冷たいだろう俺を温めた。
あーあ。そんな高そうな服を汚しちゃって。やっぱりタルジュは俺と暮らしてきたせいで貧困生活が抜けないのかな。そんな2人きりの想い出が頭の中に次から次へと浮かぶ。
今度は本当に死ぬんだと最後に何かを言おうと考えていたが。やっぱり、俺はこれだけは伝えないといけないと思った。
「す、き…きみが…すき。だ……」
ケホリと血を吐いて、喉が焼けるように痛かった。
腹からとめどなく流れ出る血。俺を飲み尽くしてくれないかなと変なことを考えて、また笑う。
タルジュはポタポタと涙を流しながら、嫌だ。嫌だ。と赤子のように泣いていた。
遠のく意識。
返事は聞けなかったなと思いながら、俺はどこか満足していた。
瞼が閉じて、俺の意識はとうとう深く深く落ちていった。
怪我を負わせたクソ冒険者には腹が立っていたが、今思えばあいつらが僕の腹に穴を開けてくれなきゃシャオとは出会えなかったため感謝している。
シャオを初めて見た時、天使が現れたのかと思った。黒い髪にくりくりの大きな黒い目、珍しい容姿に驚きながらもその可愛らしさに目が惹かれた。
天使が迎えに来たのかと思った。でも、違った。
シャオは体格の違う僕を引きずって家に持ち帰って手当てをしてくれた。
シャオの心の広さに付け込んで血までもらってしまった。その甘美な甘さは溶けてしまうほどに美味しかった。
一応冒険者なのに危機感が全くと言っていいほどなかった。このボロ屋に住んでいることから金に困っているのだろうと、当初はいつ手のひらを返してくるか警戒していたが。全くそう言った素振りは見せなかった。
僕がこの子を守ってあげないと。
いつしかシャオの存在は僕の中でなくてはならないものへと変化したのだ。
サーカスの仲間に会った。戻ってきてとの事だった。
けれど僕にはそんな選択肢はなかっただって、愛しい人をこのボロ小屋で待たなければいけないから。
でもその日はいくら待っても帰ってこないシャオに不安で仕方がなかった。どこに行ったんだ、もしかしたら…と、嫌な光景がふわふわと頭の中に次々と浮かび上がりシャオの血の匂いが鼻を掠めた瞬間僕は考える間もなく仲間を置き去りにその匂いの方へ一直線に走った。
今考えればもし冒険者が森の中に潜んでいたら危なかっただろう。けれどそんなことよりシャオが無事でいてくれる方が大切だった。
小屋に戻り熱に浮かされ吸血をすれば、快楽に溶けきったまま僕の膝の上で眠ってしまったシャオ。猫みたいに他人を寄せ付けないあのシャオがこうして心を許してくれたことがこの上ない幸せだった。
サーカスは居場所のない僕の唯一の帰る場所だった。侯爵抱えの秘密部隊として集められた僕たちはとある仕事で失敗し、主人に嵌められて殺人鬼集団だと言いふらされ、しまいには国から狙われる存在になってしまった。
人間にも化け物にもなりきれなかった僕たちを拾った主人は、僕たちを使い捨ての駒としか見ていなかったのだ。そこにはただの主従関係しかなく、僕たちサーカスは生きるための手段として侯爵に従うしかなかった。
しかし、シャオに出会ってしまった僕は主人のいないサーカスから足を洗うことにした。仲間達はバラバラになり今もどこかで逃げているのだろう。
死線をいくつも越えてきた彼らだ。人間に混じり生活するのは造作ないはず。
寝息を立てているシャオを撫でながら僕はこの幸せに唇を噛み締めた。
許さない!許さない!
幼い子の泣き声が今でも耳に残っている。
シャオは僕のやってきたことを知ったらきっと幻滅するだろうな。
この生活をして自分がしてきたことの重さに気がついた。大切な人なんか生まれて今までいたことがなかったから彼らがなぜそこまで苦しむのかわからなかった。
けれど、シャオと出会って僕は自分の背負った罪がどれほど重いものなのかを知った。
初めて出会った守りたいという存在に僕は離れられずにいた。
けれど、僕は幸せになっていいはずがないんだ。
シャオをベッドに寝かせるとボロい布団をその上からかけてやった。
サーカスで仕事をしている時に耳にしたことがあった。
冒険者の昇格試験で一人で突っ走り仲間一人を死なせ、自分は悪くないだのほざく最悪な奴がいると。
まさかシャオがそいつだと思わなかった。けれど毎晩のようにうなされて死んだ仲間の名前だろうその名を寝言で呟くたびに涙を流しているところを見れば、本意ではなかったのだと分かった。
そりゃあ、そうだろう。あのシャオだ。脆くて傷つきやすくて、守りたくなるような子だ。
田舎から出てきたすぐは頼る人がいなくてさぞ不安だったのだろう。けれど、ここには貰い物だという物がちらほらと置いてあった。気にかけてくれた人が一人はいたということだろう。
身を挺して守りたくなる存在。気にかけてやりたくなる迷い猫のようなシャオ。
もしかしたら…と、その死んだ仲間のことを思い浮かべると、僕も同じことをしていたかもしれないとシャオの黒い髪を優しく撫でた。
「お前は、一人じゃないさ。」
僕は立ち上がり、小屋の扉を静かに開けた。
「ばいばい、シャオ。」
◇
その日、懐かしい夢を見た。
『シャオ、そんな軽装備じゃ危ないだろ、これも着てけ』
『おいおい、そんなに慌てて食べんなって。ははっ、飯は逃げないから』
エイドは明るい男だった。
誰からも好かれてリーダーからも恋心を寄せられていた。田舎から出てきたばかりの俺を特に気にしてくれていろんなものを貰った。
いらないって言っても強引に押し付けてきて、俺の心配を無性にしてくるようなやつだった。
『えと…い、一緒に、住むか?』
『やだ。お前、細かいしめんどくさそうだから。』
『はぁあ???おまっ…俺の一世一代の告白をっ』
顔を真っ赤にしたり真っ青にしたり忙しない男だったが。最後には必ず笑って俺の頭を撫でた。
そしてあの時、俺が見落としていた後方からの攻撃を身を挺して守ってくれたエイド。体からは大量の血が流れ出て、回復担当の子も泣きながら必死に魔法をかけてくれていた。
俺のせいで…嫌だ!死なないで!
泣き喚いてエイドの手を握った。血を吐いて、苦しそうにするエイドは最後に俺の頬を撫でた。
『俺んちに、ある飯…食っていいからな』
呆れるほどにいつも通りの彼に涙が溢れた。
目が覚めると日の光が小屋の中に差し込んでいた。
目を雑に袖で擦るとふと、人の気配がないことに気がついた。
いつもなら外で顔を洗っているのに外を覗いても誰もいなかった。
「タルジュ?」
机の上に紙切れが置かれているのに気がつきドキリと心臓が飛び跳ねた。
それを見て、俺は着のみ着のまま外へ飛び出した。
森の中を走り街に出てきた。いつも通り冒険者だらけの街でこんな中あの目立つ髪色のタルジュが居たらすぐにとっ捕まってしまうと冷や汗が出る。
あれからほとぼりは冷めつつあったが、今でも必死に探しているものはいる。
俺は街中を駆け回った。ローブもなしに外を出歩くなんてそんなことはもうどうでも良かった。
今までありがとう。と書かれた置き手紙。
「ミレーネ!えと…髪の白い男を見なかった?」
「髪の白い?見てないわね。」
「そ、か。ありがとう」
俺がこそこそと話すものだからミレーネも合わせて小声で話してくれた。
「なぁに?恋人?」
「ちっ!ちがっ」
クスクスと笑うミレーネに、今はそれどころじゃないと頬を膨らます。見かけたら連絡するよと言ってくれた彼女はやっぱり信頼できる人だった。
しかし唐突に、ミレーネの顔が曇ったのが分かった。
「シャオ。」
聞こえたのは、懐かしい彼女の声だった。
「リ、リーダー。」
場所を移動しようと言われて外に出てきた彼女と俺。花のように輝いていた頃のリーダーの姿とはかけ離れ、目の下には隈を剣を握っていた逞しい腕は細くなっていた。
「ど、どうしたの。俺に何か」
「あの時、シャオに強く当たってしまってごめんなさい。偶然、あなたの姿を見かけて……ずっと後悔してたのあの時カッとなって強く言いすぎちゃったって。」
驚いた。
リーダーの口からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。俺を殺そうと俺の前に姿を現せたのかと思ったから。
「何を言ってるんだ。俺が全部いけないんだ、リーダーは何も悪くない。謝るのは俺だよ。本当にごめん。」
リーダーはエルドに恋心を寄せていた。二人がどんな関係になっていたのかはわからなかったが、そんな彼女にとって大切な人は俺の代わりに死んだんだから。
リーダーは下を向き震えていた。
「本当に、本当に……」
しかし、そこでリーダーの様子が少しおかしいことに俺は気がついた。泣いているのかと思って声をかけようと思ったけれど、顔を上げたリーダーは笑っていた。
「変わらないのね。シャオは。だからエイドにも……あぁ、腹が立つわ。エイドの次は、サーカスの一員?その体は本当にいい具合らしいわね。」
目を見開き彼女を見た。なぜ知ってるのだタルジュのことを。
「な、なぜ!」
「馬鹿なところも本当に変わっていない。あのサーカスは出頭したよ、数刻前にね。そしてお前もあいつをサーカスだと知りながら隠したことで有罪よ。」
いい気味だと笑ったかと思えば四方から数人の騎士が歩いてきて俺に剣を当てた。
「ばいばい、シャオ。」
彼女はそう言って心底満足したという顔でその場から去っていった。
「うそ、うそだ。タルジュ」
俺は取り押さえられ、収容所へ連行された。
俺は牢屋の中に投げ捨てられ、ガチャリと扉が閉められた。手首が縛られているため湿った床にずしゃりと転がり頬が擦り切れた。
「タ、タルジュはどこなんですか!!教えてください!彼はどうなるんですか!!」
騎士達は心底冷めきった視線を向けてケラリと笑った。
「あいつはすぐに死刑になるだろう。安心しろ、お前もすぐ後を追えるぞ。」
笑いながら甲冑を脱いだ騎士達。何をする気なんだとビクビクしていると、ゴキっと骨を鳴らした彼らはその硬い拳を俺に向かって振り上げた。
酷い音は一瞬のことだったが、痛みはじくじくと襲い。俺は恐怖に動けなくなった。
「あっ…いや…」
「あのサーカスはお前なんか知らないと言っていたぞ。だからな…お前を痛めつければ、口を割るはずだ。」
目の前の奴らは騎士なんかじゃなかった。
この時の俺にはこいつらが悪魔に見えた。
笑いながら俺を痛ぶる姿は、まるで他人事のように視界に映った。頭から流れる血が目に入り、ぼやける。
痛い。辛い。苦しい。
もうこんな尋問を受けて何時間経つのだろうか。
途中から連中は俺を痛めつけるのを楽しんでいるようだった。
酒を飲みながら、日々の鬱憤を晴らすように。
俺の悲鳴をクラシックを聞くかのように堪能していた。
お腹がぐぅと鳴った。
思い出すのはタルジュの優しい温もりだった。
タルジュがどうなったのかは全くわからなかった。でも死刑ともなればここにいる人たちは騒ぎ立てるだろう。俺を痛めつける間はタルジュはまだ生きているはすだ。
「こいつ、首を絞めるとピクピク動くぜ。」
「殴りすぎて顔がぐちゃぐちゃじゃねーか。体もあちこち折れてやがるぜ。」
ケラケラと笑う彼らに怒りなど今更起こることはなかった。こうしてる間はタルジュがまだ生きているかもしれないという希望が持てて耐えることができた。
足はもう折れてて使い物にならない。早々に潰された足では逃げることはできない。
毎日考えるのはタルジュのことだった。俺と同じように暴力を受けているんじゃないか、もっと酷いことをされてるかもしれない。
「た、たう……じゅ…」
あぁ、でも俺はもう、ダメかもしれない。
好きだった。タルジュのことが。
最後に、彼の姿を見たかったな。
月の光が格子の外から差し込んだ。このまま楽になれたなら。そう思って俺は気絶するかのように眠りに落ちた。
「おい起きろ。お前を審問官の前に連れて行くぞ。」
重い瞼をひらけば、あぁ、俺は死ねなかったのだと頭が痛くなった。
太陽がのぼり朝が来ていた。
使い物にならなくなった体は自分ではろくに動かすことができないため腕を騎士達に掴まれ引き摺られて外へ出た。
地下を出ればここは立派な石造りの建物だった。あたりは妙に静かで何かが行われるのだろうかと不思議に思ったが。くらくらとする頭では何も考えることができなかった。
しばらく引き摺られ一つの部屋の扉を騎士が2人がかりで開いた。
俺はその光景に唖然とした。
上等な服を着た貴族達がこちらを一斉に見た。まるでパーティーの主役が登場したのだと言うように俺の方に視線を送る。
俺は両腕を騎士に支えられながら中央の板の上に乗せられるとカンカンという乾いた音がこの広い部屋に響き渡った。
「皇女様の御成です。」
今度は一斉に貴族達が立ち上がると頭を深々と下げた。
そして上段の脇から出てきたこれまた豪華な服に身を包んだ2人に俺は体が震えていた。
優雅に皇女と呼ばれた可憐な女の子をエスコートする綺麗な男。その白髪と金色の瞳はよく見知ったものだった。
開いた口が閉じないとはこのことなんだろう。
バチリとタルジュと視線が合うと彼は酷く驚いた顔をした。
「シャオ!!!!」
今にも飛び降りてこちらに向かってきそうなタルジュを引き止めたのは隣にいた皇女様だった。
「騙したな!!僕があなたの言う通りにすればシャオには手を出さないと言っただろ!」
タルジュの目は血走り皇女様の手を振り払った。貴族連中はざわざわと騒ぎ始めて俺には何が何だかよくわからなかった。
しかし、皇女様は悲しい顔をして剣など握ったことのないような真っ白の手で口元を覆った。
「あぁ、かわいそうなタルジュ。お前もあの罪人に心を操られてしまっているのね。」
庇護欲を掻き立てるようなその表情にあてられて、傍観者である貴族達は俺のことをギロリと見やった。
「罪人なんかじゃない!」
すると、俺の右隣に見知った顔の女が現れ発言を宜しいですかと挙手をしていた。
皇女は構いません。とタルジュを無視して言うと、女は俺を指差して言った。
「この男は私の愛しい恋人の心を奪い、あまつさえ自分の盾としてその人を…殺しました。とても悍ましく、まるで悪魔のようなやつです。その純粋無垢な瞳で男を簡単に洗脳し、自分の駒のように使う。こんな酷いことが常人にできるはずがございません、そんなことができるのはサーカスだけでしょう……私は毎日あの日のことを、思い出し、…あぁ…どうか、こいつに罰を、お与えください。」
女…リーダーはそう言って泣き崩れた。
反論しようにも、そんな体力は今の俺にはなかった。
「なんて痛ましい。おかわいそうに、あなたの恋人もこの罪人に弄ばれたのですね。…タルジュ、あなたを救えて良かったわ。」
「な、何が良かっただ。僕の、僕のシャオをこんなんにして」
「僕の?あら、あなたは私のものでしょ。……それで、彼女の言ったことは本当なのかしら?」
皇女様に冷たい目で見つめられて俺は重い口を開いた。
そっか、タルジュは皇女様に気に入られたのか。あんな貧乏暮らしをしなくて済むし、硬くて嫌だと言っていたパンも食べなくて済む。雨漏りのする部屋で寝ることは無くなるし、お金がなくて昼ご飯を抜くこともなくなる。それに俺がサーカスだと言えば、タルジュが疑われることもなくなるだろう。皇女様の隣がすごく似合うんだから将来は彼女と結婚して子供も生まれて。
そして、君は幸せになれるんだ。
俺は君の幸せな生活の中にはいらない存在。
温もりをくれた。優しさをくれた。
人を愛する心をくれた。
毎日が楽しかった。
君が幸せになれるのなら、俺は満足だ。
「はい。…俺がサーカスです。」
「シャオ!!!!」
「あぁ、そうなのね。やっぱり。……それじゃあ、やりなさい。」
俺の後方から聞こえたシャキンという金属音。
やめろ!!というタルジュの声が遠くから聞こえてきて何だか全てがよくわかる。まるでゆっくりと時間が過ぎているようで最後の瞬間ってこう言うもんなのかと、エイドのことを思い出した。
最後になんて言おうか、エイドみたいに呆れるようなことを言おうか。
なんだか死ぬ前にこんなことを考えるのが可笑しくてふふッと笑ってしまう。
頭から流れる血が目に入りそれが流れ出る。
ポツリと床に垂れると同時にダンッという扉の開く音が聞こえた。
「待ってください!」
そこにいたのはミレーネだった。
「審問の最中、大変申し訳ございません。ですが、皆様方にお耳に入れていただきたいことがございます。」
皇女は大変不機嫌な顔をしてミレーネに適当に返事をした。
「ミケイド侯爵がたった今自白しました。侯爵は子供の奴隷を買い取り暗殺者として育て、彼らにサーカスという名を付け使っていました。そして、不要となった彼らを殺人鬼集団だと噂を流し排除しようとしたのです。」
会場の空気が一斉に変わったのを感じた。
ーーミケイド侯爵と言えばあの悪名高い。
ーーあの方ならやりそうなことだ。
ーー私の領地もあいつに取られたんだ!
ーーそうしたらサーカスは被害者なのでは。
ミケイド侯爵の名は貴族の中では有名な名前だった。裏で悪事を働き高位貴族の座を狙っているだとか。隣国と裏取引をしているだとか。そんな良くない噂ばかり聞く人だったが、証拠がないため捕まえようにも捕まえることができなかったのだ。
そんな侯爵が今回自白したというのだ。貴族らは俺なんて忘れた顔でミケイド侯爵を起訴できることに歓喜の声を上げた。
ひとつあいつの顔を拝んでやろうと貴族らは腕をまくり、ぞろぞろと扉から出て行った。
俺は唖然としていて、駆けつけてくるミレーネのことをじっと見つめた。
「酷い怪我。帰ったらすぐに手当てをしましょう。」
「ミ、ミレーネ…なんで」
するとミレーネはいつも通りクスクスと笑って、俺の頬を撫でた。なぜみんなこうも俺を撫でるのか不思議でならなかったけど、とても嬉しい気持ちになった。
「シャオ!!」
貴族達を掻き分けながら愛しい人が俺の名を呼んでいるのがわかった。
「タルジュ!」
ミレーネは俺を立ち上がらせるとさぁ、行っておいでと手を振った。足は少しなら動かせる。ゆっくりゆっくりと彼の方に向かい、倒れそうになりながらも見えた白髪に嬉しくて涙が出そうになる。
あともう少し、もう少しでタルジュに会える。
あぁ、どうしよう。やっぱりタルジュが他の人と幸せになる未来なんて考えたくないくらいに嫌になってきた。
あの星の下でしたキス。
タルジュは最後に何か言おうとしていた。その言葉を聞きたい。タルジュが俺をどう思っているのか聞きたい。
金色の瞳が見えた気がした。
「タル…ジュ?」
その瞬間、俺の腹からは何故か剣の先が飛び出ていた。
ぐちゃりと肉と血が飛び出る生々しい音が鼓膜にべたりと引っ付いた。
「シャ……オ……」
きゃーーー!!!
と、どこか遠くの方から悲鳴が聞こえた。
何かあったのかな、みんな俺を見ているけど、どうかしたのかな。
ベシャリと前のめりになっていく体を止めることはできなかった。
あれ?身体が言うことを聞かない。おかしいな、何も聞こえない。
心なしか呼吸も難しくなってきて必死に空気を吸おうと頑張るが今までどうやって呼吸をしてきたのかわからなくなってしまったように何もできなかった。
「はぁ…はぁ…シャオ。…くくっ…やっとお前を……エイド、今行くよ。」
俺の腹からは剣を引っこ抜くとリーダーは自分の首を切って床に倒れて行った。
あぁ、やっぱりそうだったのか。
遠のく意識、視界の端には白髪がゆらりと揺れているのが見えた。
「シャオ!!ダメだ行くな!!目を開けろ!!」
すごく焦ったような声が聞こえてきた。
珍しいな、タルジュがこんなに必死になるなんて。
俺はぼろぼろと流す彼の涙を力を振り絞って拭い、笑ってみせた。
タルジュは絶対に離すもんかと力強く俺を抱きしめて、血がつくのもお構いなしに冷たいだろう俺を温めた。
あーあ。そんな高そうな服を汚しちゃって。やっぱりタルジュは俺と暮らしてきたせいで貧困生活が抜けないのかな。そんな2人きりの想い出が頭の中に次から次へと浮かぶ。
今度は本当に死ぬんだと最後に何かを言おうと考えていたが。やっぱり、俺はこれだけは伝えないといけないと思った。
「す、き…きみが…すき。だ……」
ケホリと血を吐いて、喉が焼けるように痛かった。
腹からとめどなく流れ出る血。俺を飲み尽くしてくれないかなと変なことを考えて、また笑う。
タルジュはポタポタと涙を流しながら、嫌だ。嫌だ。と赤子のように泣いていた。
遠のく意識。
返事は聞けなかったなと思いながら、俺はどこか満足していた。
瞼が閉じて、俺の意識はとうとう深く深く落ちていった。
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