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 よく考えなくてもわかることだった。
 冒険者として名を馳せてやるという夢を持って田舎の村から王都に出てきた俺は冒険者になって早々現実を突きつけられることになった。

 故郷では俺の右に出る者は居なかった。
 同い年くらいの子にも大人にも負けなかった俺は自分は物凄く強いんだと思っていた。
 これなら王都でもやっていける、冒険者として有名になれる。それが後々ひどく絶望することになるとはこの時は全く思っていなかった。

 しかしその時はすぐに来た。
 冒険者ランクがDからCに上がる昇格試験の時だった。ギルドは冒険者のランクごとに紹介する仕事内容を分けており上に行けば行くほど危険度は上がるが一攫千金の大きな依頼が受けられると言うのだ。

 俺はもちろん昇格試験を随時受けていた。
 Dランクの試験は簡単だったから、今回も余裕だろうとたかを括っていたのだ。
 しかし結果はひどいものだった。チーム戦の今回の試験で俺は一人勝手に突っ走ってしまった。その理由も自分だけがのけものにされていたのを感じ、そっちがその気ならこっちも一人でやってやると投げやりになってしまったからだった。

 俺は同じチームだった人達との実力差を感じていたのだ。お前はできないから足手纏いになるなよと、そう言われてるみたいで俺は納得ができなかった。
 その結果がこれだ。
 勿論チーム戦となれば連帯責任、俺らのチームは全員が昇格試験に落ちた。

 試験が終わった後、ぎすぎすとした待合室の中、リーダーだった女の子は泣きながら「お前のせいだ」と怒鳴りつけてきた。

 その時、俺は自覚した。
 自分は弱いんだと。


 俺の噂は瞬く間に冒険者の間に広まった。どのギルドに行っても俺が扉を開けた瞬間こそこそと噂話は始まった。それが良いものならどんなによかっただろうか、しかしそこには明らかに嫌悪の色があった。

「王都で有名になったら俺のサインも貴重になるからさ」と威張り散らし村を出てきた俺は、恥ずかしくて今更帰ることができなかった。

 Dランクの依頼をこそこそとこなしながら小金を稼ぐ日々、小さな部屋で硬いパンをちびちびと齧りながら生活していた。


 そんなある日、いつも通りローブを被りギルドへ向かえば人だかりができているのに気がついた。

 何かあったのかな。

 人混みの隙間からちらりと覗くとそこにはある一枚の依頼書が掲示されていた。

 そ、そんなにすごい依頼なのかな。
 でもきっとAランク以上のやつだよね、もしかしたらSランクかも。

 俺には関係のないことだとその場をさろうとした時、聞こえてきた野次馬の声にピクリと耳を傾けた。

「まじかよ。まさか俺らにもチャンスがあるとわな」

「あぁ。冒険者ランクは問わないなんて依頼今までにあったか?」

 冒険者ランクを問わない?
 なんだって?!

 俺は急いで人混みの中を掻き分けその依頼書が見えるところまできた。じっとそれを見つめれば確かに冒険者ランクは問わないと書かれていた。
 そして肝心の依頼内容だが、とある人物の抹殺せよとのことだ。

 俺はゲッと声が出た。

 無理だ。
 まさか、あのサーカスを殺せるはずがない!

 サーカスとはここ最近巷で有名な殺人鬼集団の名前だ。
 人数はわかっている限りだと五人、それより少ないかもしれないし多いかもしれない。詳しいことはよくわかっていないらしい。
 彼らは夜な夜な王都に出現し、貴族や平民を殺していた。
 殺された人達の共通点はわからず、何が目的なのかもわからないため人々は毎夜恐怖に怯えながら暮らしていたのだ。

 今までは国の騎士団が根を詰め捜索にあたっていたが、奴らの一人も捕まえることができなかった。
 国は最終手段として国の全ての冒険者ギルドへ目を見張るほどの賞金を付け依頼をしたのだった。
 殺してもいいが捕縛したほうが賞金が高いらしい。

 流石に騎士団でも手がつけられなかった連中だ並みの冒険者には捕まえることはおろか殺すこともできないだろう。けれど、目が眩むような賞金の額は思考を放棄させ、冒険者達を動かした。

 これで失敗すれば王国の損害は免れない。国は苦肉の策に出たのだ。

 そのくらいサーカスは着実に国民に恐怖を植え付けていた。



 まさか、弱い俺が行動をするわけがなかった。
 金がないからいつまで経ってもボロい初期装備のみ。
 ひっくり返るほどの大金をちらされて、何も考えずに突っ走るほど馬鹿ではなかった。

 いや、前までの俺ならすぐに飛びついただろう。

 俺は忙しなく準備を始める冒険者を横目にいつも通りDランク用の依頼を受けに受付へ移動した。

「あら?シャオさんは準備しなくていいの?」

 受付嬢のミレーネは俺のことを知りながらもずっと心配してくれた数少ない心許せる人だった。

「無理だよ。俺なんか、どうせ準備したって無駄骨になるだけだ。」

「えぇ。やるだけやってみればいいじゃないの?」

 勿体無いわね。と年上のお姉さんらしさを漂わせた彼女はギルドの人気者と言われるのも納得だった。

「はい、今日はこの辺りね。薬草採集、隣町までの護衛、ゴブリン退治とかかな、どれにする?」

 三枚の依頼書を提示され俺は考える間もなくスッと一枚の紙を取った。

「薬草採集、これにする。」

「わかったわ。手続きしますね。」

 ミレーネは優しく微笑み書類に何かを記入し始めた。
 すぐにその作業は終わり彼女は依頼内容について簡単に説明してから「行ってらっしゃいませ」とぺこりと頭を下げた。

 俺は人知れず盛り上がるギルドから出た。



 薬草採集をしに近くにある森まで来た。鬱蒼とした木々は奥に行けば行くほど薄暗く不気味になってくる。
 しばらく歩けばその場所だけ木々が開け、火の光が差し込み綺麗な小川がちょろちょろと流れているところに辿り着いた。
 俺は手に持っている依頼書を見ると確かにここであってそうだとその小川をひょいと飛び越え光が差し込む中心まで歩いた。

 そこには綺麗な青色の花が咲いていてその隣には寄り添うように青々とした緑色の葉っぱが風でゆらゆらと揺れていた。

「これか。…けど、こんなところにこんな場所があったなんて、初めて知った。」

 俺は薬草を採集しながら心地よい風にほっと息をついた。

 なんだかすごく心が落ち着く場所だった。
 水の流れる音も草木が揺れる音も不思議と今抱えてる悩みなんてちっぽけに思えてしまう。

 俺はどさりと地面に転がった。見上げれば青空が広がっていた。

 あぁ、なんて清々しいんだろう。

 俺はいつの間にか依頼中だということを忘れ、ふと重くなる瞼に身を委ねていた。





「お前のせいだ!お前が…お前が勝手なことをしなければ!!エイドは死ななくて済んだのに!」

 顔をぐちゃぐちゃにしたリーダーが俺を押し飛ばし上から見下ろしてきた。
 後ろにはリーダーを止めようとするメンバーがいた。ギルドの待合室は結果発表がまだな他のチームも皆集まっていて俺達が突然揉め出したことになんだなんだと視線をこちらに向けた。

 俺の心はぐちゃぐちゃで何が何だかわからなかった。

「だって!お前達が置いていくのが悪いんだろ!俺を後ろに追いやって、ズンズン進んでいくから」

 違う、言いたいのはこんなことじゃない。ごめんなさいって謝らないと、エイドを殺してごめんなさいって言わないと。

 リーダーは顔を真っ赤にさせながら堪忍袋の緒が切れたみたいに腰から剣を取り出そうとしていた。しかしそれを仲間達に止められその代わりに口から出たリーダーの言葉に俺の心はグサリと突き刺されたのだ。


「お前が代わりに死ねばよかったのに」





 ハッと目を覚ませばあたりは暗くなっていた。
 どうやら俺はあのまま寝てしまっていたようだった。

「しまった!…依頼中だってのに…はぁ、明日ミレーネに謝ろう。」

 俺は夢見が悪いままのそのそと立ち上がると肌寒くなった夜の森を歩き出した。

 春になり少し経ったとはいえ、まだまだ夜は寒かった。昼間の格好じゃ少し物足りなく、腕をこすりながら俺ははぁとため息をついた。

 もうあれから5年が経ったというのにいまだに夢に見て心が抉られる。
 クウォルは弱い俺を心配してくれていた。まるで弟のように守ってくれた。それなのに、俺はその優しさを裏切って彼を殺してしまった。

 自覚していたんだ、自分が弱いことに。仲間達がズンズン進んで行くのにもついていけず、そんな俺を気遣って一番後ろで守ってくれていたのに。それなのに、俺は自分勝手な行動で仲間達を裏切り、そして殺した。
 全てリーダーの言った通りだった。

 駆け出しの俺達は人数がどうしても足りなくて声をかけてその場限りのチームを作った。最初はうまくいくと思った、けれど現れる実力差に俺は現実を突きつけられ暴走したのだ。

 あれから俺は昇格試験を受けなかった。Cランクに行けば本格的に討伐依頼が受けられるというのに、未だDランクで小銭を稼いでいる。
 償い、というのもあるけど、また過信して横暴になってしまうのが怖かった。また殺してしまうのではないかと恐ろしかった。
 俺は弱い、そして人殺しだ。それを自分自身に叩き込まなければならなかった。


 薄暗い森の中は月明かりだけが頼りだった。
 魔法はろくに使えないから使うのをやめた。

 がさがさと道なき道を歩いているとふと微かな臭いが鼻をかすめた。
 どこかで嗅いだことのある臭いだった。

 そう、鉄の匂い………血だ!

 足元に点々と続く血痕に気がついた。
 急いで辿っていけばそこにはぐったりと木にもたれかかった人がいた。

「だ!大丈夫ですか?!」

 俺は咄嗟に駆け寄りしゃがみ込んだ。どうやら男のようだった。お腹のあたりを抑えていてその指の隙間からはタラタラと血が流れ出ていた。俺はギョッとして声をかけた。

「意識は、ありますか!」

 指がほんの僅か動いた気がして俺は良かったと少し安心した。いや、でも安心してる場合ではない。一刻を争う状況なんだ、俺の行動で彼の生死は決まると言っても過言ではない。
 しかし、俺にはこんな大きな傷を治す治癒魔法は使えない。誰かを頼るにしてもこのあたりは人気はないし、街まではしばらく歩かなければ辿り着かない。
 なにより俺は嫌われ者で、助けてくれるはずがなかった。

 俺は手を腹部に当てて微弱な治癒魔法をかけた。緑色の小さな光が灯り、どうやら出血は抑えられたようだ。
 マントの端をビリッと切って男の腹に当てた。応急処置程度だが今はこれしかできない。

 俺は男に肩を貸して自分よりずっと良い体格の彼を引き摺りながらも家を目指した。


 しばらく森を歩けば小さな小屋が見える。板を貼り付けただけですぐに吹き飛んでしまいそうなボロ屋は俺の暮らしている家だった。
 ここに来て当初に見つけた空き家は金がない俺にとって最高の場所だった。

 ギギギと音の鳴る扉を開けて小さなベッドに男を転がした。ここに運んでくるまでに死んでしまわないか心配だったがどうやらまだ息の根は止まっていないらしい。
 逆にはぁはぁと息を荒くしていて苦しそうにしている。額を触れば案の定熱かった。

「どうしよう……かわいそうに」

 金もなく十分な治療をしてやれないことに悔やみながらも、でもどうにかして処置しないとと俺は家中駆け回った。




「んんっ…」

 気がつけば日は登っていた。
 いつの間に寝てしまっていたのだろうか、ベッドの端に顔を沈めて涎を垂らしていた自分に気がついた。

 ちぃちぃと小鳥が窓辺に止まっていて朝を知らせにきた。

 目の前の男はどうやら峠は越えたのだろうすぅすぅと寝息を立てている。
 額に手を当てれば熱は下がっていた。

「よかった……生きてる」

 俺はのそのそと立ち上がり、彼が起きた時のために何か作っておこうと台所に向かった。
 ストックしてある硬いパンを見て渋い顔をし、そうだスープを作ろうと鍋に火をかけた。


 ガタリと音がして俺は手を止めた。
 振り返ればあの男が目を覚ましていたのだ。

「お、おはよう!」

 びっくりして声がひっくり返ってしまった。
 トタトタと彼に近づけば目線だけこちらに移した。

「どこか、痛いところある?あっ、お腹は痛いよね。そうだ!水、水飲む?」

 なんだか緊張してしまいうまく言葉が出てこなかった。だって、目の前の男はまるで聖書に出てくる美の神ラキトニアのようで綺麗な白い髪と金色の目が神秘的なんだもの。

 しかし俺の言葉にピクリともせずじっと俺を見つめているラキトニア…いや、美しい男。俺はどうしたら良いのか、居た堪れなくなった。

「あ、あの……」

「…僕を突き出すつもりか。」

 へ?と、馬鹿みたいな声が口から飛び出た。突き出す?どういう意味かさっぱりわからない。

「ど、どういう」

 ケホッと咳をした男におろおろとしながら続きの言葉を待つ。

「お前も懸賞金が目当てで僕を生かしたんだろ、生きたままの方が高いしな」

 懸賞金と聞いてふとあの依頼書を思い出した。
 サーカスの一員を捕まえれば国から大金が支給される。

 俺はハッと目の前の男を見た。いや、まさか、そんな。

 彼がサーカスの一員だっていうのか。

 そんな偶然あるのだろうかと目を見張る。一員の顔はわからず特徴だけが書かれていた。その中に彼に該当するものがあったかどうかはよく見ていなかったからわからない。

 俺は頭を抱えた。

 つまり、本当だとしたら負傷している今、この男を騎士団本部に引き渡せば俺の手元には大金が入る。このボロ屋と質素な生活ともおさらばというわけだ。
 俺は唾を飲み込んだ。

 しかし彼の弱った姿を見て胸が痛んだ。なぜ、殺人鬼に対してこんな気持ちになるのかはわからなかったが、俺は彼が悪人には見えなかった。美しい容姿をしている同い年くらいか少し年上のただの男でしかなかった。

 俺はギュッと服の裾を握りしめた。

「お、俺はそんなことしない。……ただ、君を助けたかっただけなんだ」

「うそつけ」

 あっさりと切り捨てられたズンと心が重くなった。信じてもらうにはどうしたらいいのか。今にもベッドから飛び出る準備をしている彼にどうしたら分かってもらえるのか。

「はぁ…捕まえる気がないんならどっちでもいいや」

 そう言って男は俺の前を通って扉から出ようとしていた。


 話に聞いたことがあった。ずっと遠くのとある国では罪を犯した者は自分で自分の指を切って絶対にもうしませんと証明する風習があった。
 信用してもらうにはそのぐらいのことをしなければならないのだと俺は腰に刺していた小さな短剣を取り出した。

 ポタポタと血が垂れる

 あの一件で俺は人との距離感が突然わからなくなってしまった。今までどのようにして人と接していたのか全くわからないのだ。自業自得だというのに極度のストレスで心が押し潰され人に対するいろいろな基準が全てまっさらになった。

 俺はふと頭に浮かんだことをやれば信用してくれるかもと瞬時に考えた。

 剣はプツリと皮を切り肉に僅かに辿り着いた。

 男は振り返り驚いた顔をして俺を見た。

「ご、ごめんなさい。本当なら指を切るつもりだったんだけど………手首で勘弁してほしいな。」

「お、おい」

 血は手首を伝いポタリと床に垂れる。
 男は俺に近寄り手に持っていた短剣を叩き落とした。


「こうすれば…信じてもらえると思って、変なことしちゃった?」

「馬鹿だろ、何やってんだよ」

 顔を背け早く血止めろと言った男に俺はまたやってしまったと治癒魔法で血を止めると床に落ちている布でぐるりと手首を巻いた。

「ごめんなさい。」

「はぁ……めんどくさいやつ。僕を捕まえるとか以前に馬鹿すぎて心配になってきたわ、そんなんでよく今まで生きてこれたな。」

 さっきとは打って変わってケラケラと笑い始めた男によかったと何故か安心した。こんな俺で笑ってくれるなんてと胸がドクリと弾けそうになった。


「ひ、人は苦手で。」

「だろうな。俺も人間は嫌いだし」

 人間という言い方に違和感を覚える。まるで自分が人間でないと言っているかのようで、もしかしたら本当に神様なのかもしれないとごくりと唾を飲み込んだ。

「君は一体、何者なの?」

「は?しらねぇのかよ。まぁ、お前に話したところでなんの支障もなさそうだからな。サーカスって言うグループの一人で、懸賞金首の吸血鬼だ。」

 何一つ隠さないんだと驚くと共にそんなに舐められているのかとガックリする。馬鹿だの阿呆だの散々言われて心地いいと思う人なんて数少ないだろう、俺はもちろんその数少ない人達には入らない。

「今更お前が襲ってきたとしても避けて逃げられる自信しかないしな。」

「そ、それは多分そうかもしれないけど。…それより、随分聞き流せないことを言っていた気がするんだけど。吸血鬼って?」

 俺の質問に男はまたケラケラと笑った。

「バーカ!吸血鬼は吸血鬼だろ」

 心底当たり前だと言うように男は俺を揶揄い、忘れていたとばかりに腹の傷が痛いとまたベッドに戻っていた。



 男の名はタルジュと言った。雪のような髪に金色の瞳、身長は俺より頭ひとつ分高く上品な見た目をしているのに口が悪い。
 どうやら彼は今話題のサーカスの一員で、自分のことを吸血鬼と言っていた。果たしてそれが本当かどうかは俺にはわからなかったがそれを抜きにしても彼はただの重傷を負った怪我人だった。
 完治していない今、冒険者がうろつくアリの巣の中に放り出せるはずがなかった。

「シャオー、顔拭くの取って」

 外からタルジュの声が聞こえて俺は畳んで重ねてあったタオルを彼に渡した。綺麗な顔を伝う水はただの川の水だってのにまるで天から降り注いだ恵の雨のようでその姿にうっとりとしてしまった。

「また見てる、飽きないの?」

 俺の姿にケラリと笑ったタルジュに俺は顔を真っ赤にさせた。

「ばっ!ご、ごめん!その……綺麗だから」

「…あっそ」


 タルジュとこの小屋で過ごし始めてから一ヶ月が経った。最初は俺が動くたびに警戒していたが、今では俺よりも寛いでいる。
 さすがは吸血鬼と言ったところか、人間よりずっと傷の治りが早く既に腹の傷は塞がっていた。
 しかし、まだそこら中にはサーカスを探す冒険者がうじゃうじゃいる。タルジュはまた襲われるのも嫌だからこの騒動が少しずつ静かになった頃に出ていくと言った。
 勿論俺はこの小屋にいてくれて構わないのだが、彼と過ごし始め俺の仕事が一つ増えた。

「シャオ、飯」

「うっ…はい。」

 家に入ったタルジュはベッドに座った。俺も隣に座ると彼は俺の腕を持ち上げそれを口元に近づけた。
 ギュッと目を瞑り、けれど誰もを魅了してしまうようなその仕草を少しでも見ていたいと薄く目を開ける。

 チリリとした痛みが腕を突き刺した。

「あっ…」

 ちゅうちゅうと吸われ腕がうずうずとしてくすぐったい。しばらくそうした後タルジュは名残惜しそうにペロリと俺の腕を舐める。

「はぁ、ご馳走様。」

「お、お粗末さまです。」

 彼はケラっと笑いなんだよと言うと俺の頭をガシガシと撫でた。気分はどうだと言われて心配されているのだと嬉しくなった。

 彼と暮らし始め一つ困ったことがあった。
 それはこの吸血鬼の食事を気持ちいいと思ってしまっていることだった。

 痛いのが気持ちいいなんて、こんなのタルジュにバレたら笑われる。
 俺の腕には二つの小さな穴が空いていた。




「行ってきます」

「おぉ、行ってらっしゃい」

 玄関で行ってきますのキス…じゃなくて!!手を振るだけ。
 最近なんだか充実しすぎて変な妄想までしてしまう自分が恥ずかしい。

 タルジュは俺を馬鹿にして遊んでくるけど、見惚れてしまうほどにかっこよくて優しくてそして。
 頭の中に浮かぶのは扇情的なタルジュの眼差し、血を吸う時だけあの金色の瞳は真っ赤に染まる。俺の血が流れ込んで瞳を染めているみたいでドキドキと心臓が爆発しそうだった。

 森の中を歩き街に出てきた。

 あれから懸賞金の件は静かになると思いきやまだまだ盛り上がり続けている。夜になるとあちこちに冒険者が出歩き勿論森の中まで捜索に来るためヒヤヒヤとしていたが魔法が得意なタルジュは俺の小屋に隠蔽をかけてくれて扉の前を人が通っても誰も気が付かない。

 タルジュは出ていく素振りを見せないのでもうしばらくここにいるのだろう。
 俺は密かにほっとしていた。タルジュが出ていってしまうと考えるとなんだか寂しくて自分からその話題を出そうにも出せなかった。タルジュがいる生活がこんなに心地いいなんて思っても見なかったのだ。

 ギルドへ行けば掲示板にはサーカスのメンバーの詳細が書かれていた。その欄には確かに白髪の男とタルジュに一致する人物が書かれている。

 本当に彼があの殺人鬼集団の一員なのか疑ってしまう。それほどまでにタルジュが俺に見せる姿はただの青年なのだ。

 俺はため息をついていつものようにDランクの依頼を受けた。

「最近は顔色がいいね。なにかあった?」

 ミレーネは楽しそうに俺の顔を見て笑っていた。

「なにも、ないけど。」

「嘘だー。絶対何かあったね」

 ニヤニヤとするミレーネにむず痒くなりこれ以上詮索される前にとっとと依頼を受けようと話を急かした。

 今日の依頼はこんな感じかなと、三枚の紙が並べられていつものようになるべく簡単なものを選んだ。
 Dランクの仕事は基本住民の小さな困りごとが多い、そのため依頼料も安く、頼む側としてはお手頃なのだ。お小遣い稼ぎで子供がやるくらいに簡単な仕事を俺は本業としていた。

 ミレーネにCランクの昇格試験を受ければいいのにと何度言われたことか。しかし、そんな資格がない俺はずっと断り続けている。


 今日の仕事を終えもらったお金を袋に詰めた。
 少しだけ依頼主に色をつけてもらったおかげで懐がいつもよりずっと温かくなった。
 前なら貯金に回していたこのお金、家で待っているタルジュを思い浮かべて今回は美味しい肉でも買っていこうと肉屋に足を向けた。

 吸血鬼だけど人間の料理も好きだと言っていた。いつも硬いパンを不満げにスープにつけて食べているタルジュにクスリと笑いが込み上げ、今日はきっと喜ぶに違いないとさっき買ってきた牛肉をまるで宝物のように大事に抱えた。

 あたりは薄暗くなりつつあり、街の家々からは家族で団欒する楽しげな声が聞こえてきた。
 少し前まではあまりよく思わなかったこれらも、今では違うもののように聞こえてきた。


 しばらく歩き小屋が見えてきたところで誰かの話し声が聞こえた。
 まずい!冒険者か!と身構えたが、可愛らしい女の子の声に混じって聞き覚えのある低音が聞こえた。

 タルジュと……あの子は誰だろう。


 小屋の前でタルジュと赤い髪の見かけない女の子がなにやら話をしていた。
 ここからはタルジュの顔は見えなかったが女の子の方は焦ったような表情を浮かべていた。

 何を話しているのか気になるものの、聞き耳を立てるのも憚れた。
 女の子の方はタルジュの服をギュッと握りしめて彼を見つめていた。
 どうやらただならぬ関係のようだとなぜだか心臓がドクリドクリと高鳴った。
 ここからだと話している内容は全くわからないがその光景だけで俺は彼らがどんな関係であるか察した。

 恋人
 そう考えた瞬間ゾワゾワと嫌なものが俺の心の中を這いずり回った。それを抑えるためにダンダンッと胸の辺りを強く殴る。
 嫌だ、なんだこれ、気持ち悪い。

 その時、女の子がタルジュに抱きついた。
 その子の顔は赤く火照っていてとても可愛らしかった。

 気がつけば俺はその場から走って逃げていた。
 自分はなぜ逃げているのか。なぜこうも心が掻き乱されるのか全くわからなかった。

 タルジュは優しくてかっこいい。
 恋人が迎えに来たのだろう、これで安心だ。傷はとっくのとうに治っているのだから。

 まだ冒険者はタルジュ達を狙ってうろついてるけど、俺なんかといるより恋人と、仲間達と一緒にいたほうがずっといいに決まってる。
 そもそも俺だってこのことがバレたら首を飛ばされるかもしれない。

 なら、はやく離れたほうがいいんだ。それが一番いい。

 木の根っこに引っかかって俺はズシャッと激しく転んだ。枝と石ころが膝や手のひらに突き刺さって血がタラタラと出る。
 血を見るとタルジュを思い出してしまうのが嫌だった。

 思えばあの真っ赤な瞳に見つめられてから俺はダメになってしまったのだろう。
 もともとダメなのは変わりないが、もっとずっとダメになってしまった。

「うぅ…」

 きっとこの涙は手と足の痛みで出たに違いない。そうに決まってる。そうじゃなければ、なんで涙はとめどなく溢れているのか。タルジュと一緒に生活してきた楽しい記憶をなぜ今思い出してしまうのか。

 まるで、俺がタルジュに恋をしているみたいじゃないか。


 そんなのは違う、断じて違うと頭を振る。
 だってタルジュには可愛い恋人がいて仲間もいるんだ。俺とは何もかもが違う。
 だからこんな俺が彼を縛り付けていいはずがない、ましてや冒険者の俺たちから見れば彼らは賞金首だ。生まれていいはずの感情じゃない。

 俺は雑に涙を拭いた。
 寒さに耐えるようにギュッと足を抱え込む。

「シャオ!」

 ザクザクと地面を踏み締める音が聞こえて振り返ればそこには白髪の綺麗な男がいた。

「タ、タルジュ…なんで」

「馬鹿野郎、なんでこんなとこに居んだ。帰りが遅くて心配したろ」

 珍しく焦ったような顔をしたタルジュは俺が怪我をしていることに気がつくとギョッとしたが同時に安心したようなため息をつき同じようにしゃがみ込んだ。

「シャオの血の匂いがしたんだ。もしかしたらと思って急いできたけど、転んだだけか」

 はぁー、と大きなため息をつく彼に怒らせてしまったのかもしれないと小さくごめんと呟いた。
 しかしタルジュはジトっと俺を見てからこれでもかと力一杯抱きしめた。

「よかった。お前が無事で。」

「タルジュ?」

「シャオに何かあったらと思ったら居ても立っても居られなくて。」

 ふわりと白い髪が俺の頬をくすぐった。
 さっきまでの不安がタルジュに抱きしめられたことで全て吹き飛んだようだった。

 俺も辿々しくタルジュの背中に手を回してギュッと大きな体に抱きついた。
 タルジュはひんやりと冷たかった。けれども、人の体温を忘れてしまった俺にはとても心地の良い温もりだった。

 ドクリドクリと心臓の音が響き渡る。
 タルジュにバレてしまうのが嫌で離れたいのに、離れたくない。

 タルジュの焦った顔、初めて見たな。
 こんなに抱きしめてくれるのも初めてだ。
 それに、俺のこと心配してくれたんだ。

 普段は絶対口にしないのに変なところで素直なタルジュ。

 自覚してしまった。せざるを得なかった。

 やっぱり、俺はタルジュが好きなんだと。


「なぁ、シャオ。」

 彼は俺を離すとじっと目を見てきた。
 好きだと自覚した瞬間、彼に見られるのが、彼と接触しているのがうんと恥ずかしくなった。

「な、なに」

「……なんでもない」

 何かを言い淀んだ気がした。どうしたんだろうと首を傾ければタルジュは俺のギュッと抱きしめるばかりであれこれ考える余裕は今の俺にはなかった。

「タルジュ」

「シャオ、僕はすごく……幸せ者だ」

 徐々に近づくタルジュの顔に俺は自然と目を瞑った。なぜだかそうしなければならないと思った。
 ほんのわずかに触れる優しい唇の感触。タルジュの柔らかい唇が俺のと交わり小さな音が弾ける。

 その日は星がとても綺麗な夜だった。


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