異世界で幼女化したので養女になったり書記官になったりします

瀬尾優梨

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5巻

5-3

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 仰向あおむけに倒れる男をブーツのつま先でつんつんつついて、とりあえず生きていそうなことを確認した後、私の代わりに監禁部屋に放り込んでおく。出てこられると面倒だから、鍵穴に差さったままだった鍵をたばごと失敬して、ちゃんと施錠せじょうしておいた。鍵掛けは大事だよね! 
 廊下でうーんと背伸びをした後、足元で毛繕けづくろいしているミーナと、その背中にちょんと乗っているティルに話しかけた。

『さて、鍵も手に入ったことだし、みんなを解放していけばいいんだよね?』

 廊下にずらりと並んだドアにはそれぞれ番号が書かれていた。私の手の中にある鍵束にも対応する番号がられているから、これさえあれば、きっとシェリーたちが捕らわれている部屋も解錠できるだろう。
 でも、私の台詞せりふに対するミーナたちの反応はよろしくなかった。

『うーん……それって、一長一短いっちょういったんだよ』
『確かに戦力は増えるけれど、大人数で移動することになるよね。この建物にいる敵が、マイラの裏切り者たちだけとは限らない。見つかるリスクも高まるし、もしまた捕まったら、玲奈だけじゃなくてシェリーたちもひどい目にう』

 ……確かに。
 勝手に行動した私が見つかってボコボコにされるのは仕方ないが、それにシェリーたちまで巻き込まれるのはあんまりだ。

『それに、ドアと鍵が一致しても、どこに誰がいるかまでは分からないからね。精霊封じのまじないのせいで、ドアを開けるまでは中の様子も把握できないんだ』
『それに、いちいちドアを開けていたら時間が掛かるし、敵に見つかりやすくなってしまうよ』

 ……え? それじゃあ私が部屋を脱出した意味って? 
 いやいや、今さら後には退けない! できることを今から探すんだ、玲奈! 
 弱気になりそうな心にむち打って、ぐっとこぶしを固める。

『……あ、この気配って』

 床にお座りしていたミーナがぴくっとひげを動かしてつぶやき、ティルが慌てて姿を消す。
 直後――
 ひたり、と私ののどに冷たいものがてがわれた。

「……え?」

 背後から回された腕に驚き、目だけを横に動かした時――極限まで見開かれた紫色の双眸そうぼうと、ばっちり視線がぶつかった。
 紫の目に、くせのある金髪。
 顔も服もやや汚れているけれど、それでも生来の美貌が損なわれることはない。
 ――会いたい、と願っていた人。
 私の恋人であるヴェイン・アジェント様。第一グループに属する彼は、マリウス陛下共々、生死不明の状態で消息をっていた。
 その人が今、私の背後にいる。
 そんな最愛の人に、私は今のど元へとやいばを向けられていた。
 なにこの修羅場しゅらば

「……お、お久しぶりですヴェイン様」
「……ああ、久しぶ――違う! そうじゃない!」

 渾身こんしんのツッコミを喰らった。あっ、なんだかすごく嬉しい。
 ヴェイン様はそこでようやく、私に剣を向けたままだということに気づいたようだ。チャッと音を立てて剣を下ろし、私の姿を上から下までまじまじと眺め回す。

「…………第九グループ以外の全員が捕らわれたとは、連中の話で聞いていた。当然おまえも捕まっているものと思っていたのだが……おまえ、どうやって外に出たんだ?」
「……ええと、まあ、私は規格外ですので」

 実は私の正体はレン・クロードなので、体のサイズを変えて脱出したんですよ! なんて言えるわけもなく、適当に言い訳する。

「ほら、私の精霊も色々すごいでしょう? ミ……リィはとにかく強いので! それより、ヴェイン様はどうやって脱出を?」
「まあ、俺も規格外だからな」
「ああ、さては肩の関節を外したとか?」
「……おまえは辺境で暮らしている間、何を教わってきたんだ? 関節はよほどのことがない限り外さん。武器のたぐいは全て没収されたが……ほら」

 そう言って、ヴェイン様は私に手袋のまった左手を差し出してきた。何だろうと手の平を見ると――

「……あれ? 指先に穴が空いていますね」
「手袋の中指先端に、を仕込んである。少々時間は掛かったが、これで縄を切った」

 ヴェイン様はあっさりと言うけれど、よく見ると手袋や上着には細い切り傷がいくつも見えた。
 それだけじゃない。わずかにのぞく手首にも傷があり、赤くれ上がっている。そうだよね、手元の見えない不安定な状態で縄を切るんだから、手元が狂ってもおかしくないんだ……

「……痛くないですか?」
「これくらい平気だ。……確かに皮膚も少々切ったが、大きな血管はけている。戦場ではもっと大きな負傷も当たり前だし――いや、すまん。淑女にする話ではなかったな」
「構いません。知っての通り、私はそこまで箱入りじゃないし、ヴェイン様のおっしゃる通り、変な女ですので」

 公爵家の令嬢って肩書きも、王妃様のお父様であるハルヴァーク公爵の厚意で得た、かりそめの身分だ。淑女どころか自力で監禁場所から脱出しちゃう、じゃじゃ馬だからね。
 ヴェイン様は剣を持つ右腕を力なく垂らし、左手で髪をがしがしといた。

「……そうだな。おまえがいかに変な女かということは、俺が一番よく分かっている。……で? 縄抜けをした後、おまえの猫精霊にドアをぶっ飛ばさせて脱出したってところか?」
「ドアはぶっ飛ばしてませんけど、マイラの人は一人ぶっ飛ばしました」
「…………そうか。いや、ひとまずおまえが無事ならそれでいい」

 ヴェイン様は嘆息たんそくした後、辺りをぐるりと見回した。

「今すぐにでもおまえを抱きしめたいのだが、そうもいかないな」
「はい、もちろん分かっております。……これからいかがなさいますか?」
「捕らわれている皆を助けたいところだが、この建造物の間取りが把握できていない以上、迂闊うかつに大人数で移動するべきではないだろう。まずは俺一人で脱出方法を探してから、陛下方をお助けしようと考えていた」

 なるほど、ヴェイン様の考えはさっきミーナたちが提案してくれた内容とほぼ同じだ。

「了解しました。では、私もお供しますね」
「……そうだな。おまえ一人をここに残しておくのも不安だ。一緒に行こう、レイリア」

 ……ああ。
 こんな時、こんな場所で不謹慎ふきんしんだと分かっている。
 それでも――
 あなたに名前を呼んでもらえて、嬉しい。
 隠れていろとか逃げろではなくて、一緒に行こうと言ってくれるのが嬉しい。

「……はい、ヴェイン様」

 私はヴェイン様と視線を合わせ、しっかりとうなずいた。


「……皆を救出するには、まずドアを開ける必要がある。錠を破壊できないこともないのだが――」
「あ、私、鍵束持ってますよ。どうぞ」
「…………おまえって本当に……いや、何でもない」

 私の言葉に、ヴェイン様は呆れたような声を上げた。


   ***


 ヴェイン様は、周囲の状況を把握する能力にけている。私では聞き取れないようなかすかな足音や人の息づかい、空気の動く気配などを敏感びんかんに読み取って、どこに誰がいるのか瞬時に察知できるらしい。
 さっき私に剣を向けてきたのも、人が一人で廊下をうろうろする気配をさとったからだと教えてくれた。戦闘慣れしたマイラ人にしては目立つ足音だから、敵か味方か不審に思っていたんだとさ。
 私たちは慎重に廊下を移動し、人気ひとけのない小部屋に身をすべり込ませた。

「武器がほしい。今持っているこれは、連中から奪ったものだからな」

 そう言ってヴェイン様は、部屋に常備されていた武器を手に取って検分し始めた。間もなく比較的新しそうな長剣を二本見つけると、それまで持っていた古びた剣を壁に立てかけ、新しい剣を腰にげた。そして私にも小振りの短剣を渡してくる。

「一応持っていろ。丸腰よりはましだ」
「はい、使わないことを祈っています」
「そうだな。……俺も剣を奪われていなければ、悪の精霊と戦えるのだが」

 ヴェイン様は自分のものでない剣を見下ろし、恨めしそうにつぶやく。
 捕まった時に、陛下からたまわった聖剣も、当然没収されてしまったのだろう。あれがないと、悪の精霊をほうむることはできない。生身の人間相手ならヴェイン様は敵なしだけれど、もし途中で悪の精霊が現れたら、ミーナに戦闘を頼むしかないな。

「大丈夫です。悪の精霊は私たちが追い払いますので、ヴェイン様はマイラの裏切り者たちをお願いします」

 私が胸を叩いてそう言うと、ヴェイン様は私をじっと見た後にうなずいた。

「……ああ、頼りにしている。おまえも既に知っているようだが、俺たちを捕らえたのはマイラ出身の討伐隊員だ。俺たちの人数と特徴、戦闘方法、さらに従えている精霊の情報も、敵には全て筒抜けだったってことだ」
「確かに。それでも、私たちが既に脱出していることは相手にとっても想定外のはずです」

 大丈夫、まだ切り札はある。
 こんなところでやられてたまるもんか! 


 武器の調達を終え、私たちは部屋を出た。

「窓がないので断言はできんが、きっとここは地下だ。……おまえの精霊はこの場所について何か言っていないか?」

 ヴェイン様の質問を受け、ミーナたちに問うてみたところ、同意の声が上がった。

『うん、ヴェインの言う通り、ここはきっと地下だ。悪の精霊が玲奈たちをここまで運んできたんだよ』
『ここはまだエスターニャ国内?』
『そうだと思う』
「……リィも、ここがエスターニャ国内のどこかの地下だと言っています」
「やはりそうか。……天井をぶち破って脱出したいところだが、地上の様子が分からないのに強行突破するのは危険だな」
「下手したら地盤が崩れてくるかもしれませんからね」

 私たち二人だけならなんとか脱出できるかもしれないけど、第六グループのほか、負傷して城で休養している第九グループ以外の全員が捕まっているというなら、七十人くらい――いや、マイラの連中を抜くから、六十五人くらいか。それくらいの仲間たちが捕らえられている。みんなが無事に脱出できる方法でないと。

「やっぱり、出口を確保する必要があるでしょうか」
「そうだな。加えて一連の首謀者をふんづかまえなければならん。全員での脱出はもちろんだが、問題の根を把握しなければ、今後も同じことが起きるだろう」

 ヴェイン様の言葉に、私はつい顔をしかめてしまう。
 思い出すのは――エスターニャ国王。枯れ木のようにカリッカリに干からびたおじいさん。
 悪の精霊を使役しているだろう彼は、マリウス陛下たち各国の主要人物が全員出陣しているタイミングで、残りの討伐隊メンバー全員にペサン地方行きを命じた。
 エスターニャ王が、首謀者かもしれない――でもそれを、おいそれと口にすることはできなかった。
 ヴェイン様は、私の正体が異世界人であり、女神様からこの世界を救う使命を受けていることを知らない。もちろん、ミーナとティルが悪の精霊に対して人一倍敏感びんかんであることも、その理由も。
 ……でも、相談するなら今しかないのでは?

「……ヴェイン様、そのことですが――」
「静かに、レイリア」

 思い切って告げようとしたタイミングで、ヴェイン様に口をふさがれた。それも手の平ではなく、ヴェイン様の胸板に抱き寄せられて、である。
 あ、そうか。手袋も上着の袖も汚れているもんね。だから胸を貸してくれたのか、そうか、うん。うっかりときめいた私の恥知らずめ。
 でも、直後に感じたぞわっとするような気配で、そんなうわついた気分は吹っ飛んでいった。
 ヴェイン様はさやから剣を抜き、私の背中をそっと押して横に並んだ。
 背中にかばうんじゃなくて隣に立つ。その行動が、とても嬉しい。
 そうして廊下の奥の暗がりから、数人分の足音が迫ってきた。

「六人……やはりマイラの連中以外にも敵がいるようだな」
『玲奈、気をつけて。悪の精霊もいるみたい』
「ヴェイン様、お気をつけください。悪の精霊もいるそうです」
「分かった。そちらは任せる」
「はい!」

 私が意気込んで返事をすると、ミーナもぶわっと巨大化してライオンサイズになった。よし、これなら悪の精霊を消滅させることはできなくても、追い払うくらいはできる。
 ……ところが。

「……人間しかいない?」

 廊下の角を曲がって現れたのは、武器を構えた騎士数名。よろいの形からして、エスターニャ王国軍だろうけど――え? 騎士? 

「どうして騎士が――」
『玲奈! 悪の精霊が騎士たちに取りいているんだ!』
『前みたいにミーナがはじき出さないと、いくらでも立ち上がってくる!』

 ミーナたちが分析結果を教えてくれるけど……あれか。
 以前ヴェイン様が悪の精霊に取りかれてしまった時も、まずは取りいている精霊をミーナたちの力ではじき出さないと倒せなかった。
 なるほど、エスターニャ王はマイラの討伐隊員だけでなく、自国の騎士も手駒てごまにしていたのか。となると、契約精霊を持たないヴェイン様は格好の餌食えじきだ――

『ティル、ヴェイン様を守ってあげられる?』
『分かった』

 ティルがすうっと私の体から出ていく。ヴェイン様は気づかなかったみたいだけど、その背中にぼんやりと青い光が寄り添った。ティルが付いていてくれるなら一安心だ。

「ヴェイン様、騎士たちは悪の精霊に取りかれています!」

 私がそう言った直後、ギン! と音を立てて騎士の剣とヴェイン様の剣が噛み合った。相手はよろいを着込んでいる上、かなり大柄だけど、ヴェイン様はしっかりと床に脚を踏ん張っている。

「っ、そういうことか! レイリア、俺が攻撃を受け止めるから、おまえはその隙にあの猫精霊で応戦頼む!」
「はいっ!」

 ここが狭い廊下で助かった。ヴェイン様が体を張って立ちふさがってくださるおかげで、非力な私に敵の剣は届かない。いくらミーナとティルが強いとはいえ、私本体はひ弱だ。斬られたら一瞬でアウトだろう。
 ヴェイン様の脇からミーナがすべり出て、彼に襲いかかる騎士の頭にぺんっと肉球を押し当てる。とたん、騎士の体からがっくりと力が抜け、宿主やどぬしから追い出された悪の精霊が噴き出てきた。こうなれば肉眼でも視認できるようになるので、ヴェイン様が一瞬だけびくっと体を震わせる。
 霧状になった悪の精霊は次の憑依ひょうい先を探してうろうろしているけれど、ヴェイン様はティルが守っているし、ミーナは次の騎士にいどみ掛かっている。ヴェイン様にも私にも取りけないので、ミーナによってはじかれたやつらは天井にまっていく一方だ。
 敗北の色が濃いとさとったのか、悪の精霊たちは慌てて元来た方向へと逃げていった。
 気絶したエスターニャの騎士を廊下のはしに押しやっていたヴェイン様が、あごをくっと廊下の先に向ける。

「あっちに本体がいそうだ……追うぞ。行けるか、レイリア?」
「はい」

 私はしっかりとした声で応えた。


   ***


 廊下をしばらく進んだ先で、ヴェイン様が立ち止まった。

「やつらを追う前に、陛下をお助けしたい」
「マリウス陛下の捕らわれている場所はご存じなのですか?」

 私が渡した鍵束を順に見ていくヴェイン様に問うてみると、彼はうなずいて通路の左側にある「四十三番」のドアをあごで示した。よく見ると、ドアの取っ手が変な方向に曲がっている。

「俺はそこに放り込まれたのだが、その前に陛下が別の部屋に監禁されたようだと、やつらの会話から分かった。陛下は四十七番の部屋にいらっしゃる」
「部屋番号を聞いたのですか」
「いや、やつらの声の大きさから、だいたいの位置を判断した」

 えっ、それってつまり、陛下が閉じ込められた部屋から響く声を感知したんだよね? 間に三つ分の部屋があるのに、分かったの? ヴェイン様の聴力パネェ。
 そうしている間にヴェイン様は目当ての鍵を探し、四十七番の部屋を解錠した。

「……ああ、陛下。ご無事ですか!」

 冷静なヴェイン様らしからぬ、やや興奮気味の声に驚く。部屋に駆け込んだ彼を追って、私も急いでそちらに向かった。
 四十七番の部屋の広さは、私がいた部屋と同じくらい。設備も同じようだ。国王だろうと一般兵だろうと部屋のグレードに違いはないってことか。
 そして部屋の中央、ぼろぼろの敷布しきふの上に陛下は座っていらっしゃった。
 王位を継ぐまでは騎士団に所属していたという陛下は、がっしりした体躯たいくをお持ちのため、暴れないようにか私以上に縄でぐるぐる巻きにされている。ヴェイン様は陛下の前にひざまずき、さっきの部屋で調達したらしきナイフで縄を切っていた。

「陛下、大丈夫ですか? お体に不調は?」
「ヴェイン・アジェントか……すまない、助かった。今のところは私も大事ない」

 口をふさいでいた布を取り払われ、大きく息をついた陛下は、そうおっしゃった。声は若干ひび割れているけれど、ご無事みたいだ。
 ゆっくりと腕を回して体を慣らした後、陛下はヴェイン様の手を借りて立ち上がった。そこでおそるおそる様子をうかがっていた私に気づいたようで、黄土色おうどいろの目を丸くする。

「これは驚いた……レイリア、君もヴェインに救出されたのか?」
「お元気そうで何よりです、陛下。私は自力で脱出しました」
「……ああ、そうだな、君はそういう女性だった」

 私の素性を知っている陛下は、何かをお察しになったのだろう。
 彼は苦笑して、自分の腕にまっていた精霊封じの腕輪を抜き取った。

「さて、これで私もジルクウォードを呼べるな。……他の者たちの救出は?」
「まだです。現在私とレイリアの二人で、この建造物の調査と脱出経路の確認、ならびに主犯の捜索を行っております」

 陛下はヴェイン様から先ほど交戦したエスターニャの騎士の話を聞き、大きくうなずいた。

「なるほどな。では仲間たちを解放しつつ、脱出方法も探らねばなるまい。……レイリア、君はヴェイン・アジェントと共に悪の精霊を追いなさい。私のジルクウォードも強力な精霊だが、君のリィにはかなわない。その間、私は捕らわれている者たちを解放してこよう」
「陛下、仲間の救出は私が行います。陛下こそレイリアと――」
「いや、君にはレイリアが必要で、レイリアには君が必要なんだ。戦力的にも精神的にも、な」

 陛下はヴェイン様の申し出をやんわりと断り、息を呑む私たちの顔を順に見た後、にっと少年のように笑った。

「なに、私とて騎士として偵察も隠密行動も行ってきた。即位する前のこととはいえ、まだ腕はなまっていないさ。それに、国王は裏でこそこそ動いてはならないなどという道理もないし、その方が効率も良い。現時点で取れる最善の策を選ばねばならぬのだ、ヴェイン・アジェント」

 陛下の言葉に、ヴェイン様は沈黙した。国王様にそんなことをさせたくはなかった――と、うつむくヴェイン様の瞳が雄弁ゆうべんに語っている。一番に救出して、安全な場所にいてもらいたかったんだろう。
 でも今は、国王だから騎士だからという理由で役割を考える時ではない。
 陛下のおっしゃるように、「最善の策を選ぶ」べきなんだ。
 間もなくヴェイン様はうなずき、腰にげていた剣一本と鍵束を陛下に差し出した。

「……おおせの通りに。よろしくお願いします、陛下」
「ああ。君こそレイリアを頼んだ。……レイリア、よく考え、行動しなさい」
「はい、陛下。……あっ、私が捕らえられていた二十五番の部屋には、代わりにマイラの人を入れているので開けないでくださいね」
「……はは、了解した」

 そうして私は、そうっとティルに話しかける。

『ティル、エスターニャ王のことを陛下にお伝えできる?』
『今はジルクウォードが復活しているから、ジルクウォード経由で話せるよ。行ってこようか?』
『うん、よろしく』

 ヴェイン様にくっついていたティルが、こっそり陛下のもとへと飛んでいく。部屋の外へ向かっていた陛下の背中がびくっと震え、何か言いたげに私を見つめてきた。
 ……それもそうだろう。
 陛下はエスターニャ王に恩があるという。しかも相手は国王としてのキャリアも上だ。彼が裏切っているだなんてにわかには信じられないし、信じたくもないだろう。
 でも、うすうすは予感していたんだろう。目線を落とした陛下が出て行かれてすぐに、戻ってきたティルが「了解した、と言っていたよ」と教えてくれた。
 私と陛下のやり取りを知らないヴェイン様は陛下を見送った後、私の肩にぽんと手を乗せた。

「では俺たちも行こう。なに、大丈夫だ。陛下にはあの強大なジルクウォードが付いている。俺たちこそ、自分の心配をせねばならんだろう」
「……はい」

 私たちも部屋を出て、廊下の奥へと進んだ。ティルには再びヴェイン様にくっついてもらい、私は足元にミーナを控えさせている。現在大型犬サイズに変身しているミーナは、辺りの様子を探るために、ひげをそよそよと動かしつつ歩いていた。
 しばらくは、ドアに番号の付いた部屋が続くばかりの光景だった。やがて段差が急な階段に差し掛かり、そこを上った先で視界が一気にひらける。
 さっきまでいた廊下よりずっと明るい。まぶしさに目を細めていると――

「伏せろ、レイリア!」

 私の半歩先を進んでいたヴェイン様が叫ぶやいなや、ギン! とにぶい音が近距離で響く。
 反射的に後ずさった私の目の前で、ヴェイン様が大柄な男と剣をまじえていた。振りかざされた剣を受け止め、一気に押し上げてね返す。

「……さっきから騒がしいと思ったら、てめぇらか」

 ヴェイン様に剣をはじかれて後退した男が、忌々いまいましげに私たちをにらんでくる。
 黒い髪に黒い目、がっしりした体躯たいくのその男は――

「……モルド」
「おうおう、俺の名前を覚えてたんだな? なんだ、その男に飽きて俺に抱かれに来たか?」
「口をつつしめ、裏切り者」

 私の前に立ちふさがったヴェイン様が剣先をモルドへと向け、低くうなるように言い放つ。
 口調は落ち着いているけれど、その背中からは明らかな怒りのオーラが放たれていた。

「討伐隊としての責務を放棄し、悪の精霊の軍門に下ったか」
「あ? 口を閉じるべきなのはてめぇの方だろう、ベルフォードのいぬ! 誰が悪の精霊なんかに従属するか! 俺は俺のしたいようにするだけだ!」
「それはマイラの総意なのか?」
「はっ、国のことなんざ知ったこっちゃねぇな。一番うまい話に乗って何が悪い?」

 モルドは野望にぎらぎらと輝く目で私たちを睥睨へいげいした。その言葉を受けてか、部屋の隅からぶわっと黒い霧が噴き出してくる。今は原型がはっきりしないけれど、あれも悪の精霊だ。
 それと同時に部屋の奥のドアが開き、ゆらりと人影が現れた。あの格好は……モルドと同じ、マイラ出身の討伐隊員? それにしては様子が……
 ミーナがシャアッと威嚇いかくの声を上げた。

『玲奈! あれは悪の精霊だよ――モルドは自分の仲間にも精霊を取りかせてあやつってるんだ!』
『は!? 仲間にも!?』

 さっき交戦したエスターニャ王国の騎士と同じように、きっとエスターニャ王の手で無理矢理悪の精霊を憑依ひょういさせられたんだろうと思っていたのだけれど、モルドは自分の意思で、仲間を戦闘のこまとして売ったのか!? 

「っ……ヴェイン様、あのマイラの戦士たちもあやつられています」
「三人……数が多いな」

 ヴェイン様は剣を構えたまま、苦々にがにがしげにつぶやいた。

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