異世界で幼女化したので養女になったり書記官になったりします

瀬尾優梨

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4巻

4-1

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 第1章 変わりゆく心


 大切なものが、二つ。
 それらを天秤てんびんの皿に載せ、重さをはかる。
 どちらに傾く? 
 片方を手にするなら、もう片方は失ってしまう。
 私は、どちらを選ぶ? 


 私の名前は水瀬玲奈みなせれいな。花も恥じらわない(笑)二十歳の女子大生――だった。
「だった」というのは、今の私は女子大生でなく――それどころか、年齢も性別も変わってしまう時があるからだ。
 ――大学に行く途中、穴に落ちたと思ったらそこは異世界でした。いわゆる異世界トリップってやつですわ。生きていると不思議な出来事に遭遇するものなんだね。
 私はこの世界を創造した女神様によって、世界の破滅を防ぐために召喚されたらしい。おいおいマジかと言いたくなるけれど、女神様その人に会って直々じきじきにお願いされたんだから本当だ。
 ただ、そのためにあれをしろ、これをしろ、という明確な指示まで受けたわけじゃない。私の思うように行動すれば、それがよい結果に結びつくんだってさ。そんなアバウトでいいんだろうか。
 私は今、十歳の子爵令嬢レーナ、同い年の少年書記官レン、そして十七歳の公爵令嬢レイリアという三つの姿を持っている。
 トリップ時になぜか体が縮んでしまったせいで、普段は十歳の体で過ごしているんだけど、女神様からもらった指輪をめている間は二十歳の体に戻れるんだ。そうして三つの姿を駆使し、ここベルフォード王国王都エルシュタインで活動している。
 私は、地球に戻りたい。
 特に当初は女神様の使命をさっさと終わらせて、用が済んだらさっくり故郷に帰るつもりだった。
 でも、今は? 
 この世界にも、義理の家族ができた。職場の上司や同僚もいる。いつだって協力してくれる王家の方々がいて、頼りになる侍女と令嬢仲間もいて。
 それに――

『レイリア』

 この世界での私の名前を呼ぶ、優しい声。
 ぐ見つめてくる、紫の双眸そうぼう
 強くて、格好良くて、でも時々弱い姿も見せてくれる人。
 地球に帰るなら、彼のことも切り捨てなくてはならない。でも――
 本当に切り捨てられるの? 彼が与えてくれる穏やかな想いを裏切れるの? 
 ――私の心の天秤てんびんは今、大きく揺れ動いていた。


   ***


 いつも通りの朝。
 私こと少年書記官レン・クロードは、カーテンの隙間から差し込む朝日にまぶたを刺激され、ゆるゆると覚醒かくせいした。なんかお腹が重いな、と思ったら、掛け布団の上に二つの毛玉が乗っかっている。私の契約精霊、ミーナとティルだ。
 猫型精霊のミーナと鳥型精霊のティルは、私の友だちのような秘書のような家族のような、かけがえのない存在。いつも私の手伝いをしたり相談に乗ってくれたりする、とっても可愛い二匹なんだけど、戦闘モードになるとすさまじく強い。その力に、今まで何度も窮地きゅうちを救われてきた。
 そんな二匹は、昨夜は窓辺に置いてある猫ベッドと鳥ベッドで寝ていたはず。冬も終わりとはいえ、早朝はまだ冷えるからこっちに来たのかもしれない。

「おはよう。ミーナ、ティル」
『おはよう。ティルはもう起きてるよ』
『……ミーナ、あと十分……』

 ティルは私の呼びかけに応じてすぐに窓辺に飛び上がったけれど、ミーナは私に後頭部を向けて二度寝モードに入ってしまった。精霊といえど、やはり猫型。今日も気ままだ。
 ミーナが寝ている間に、私はちゃちゃっと支度を済ませる。少年書記官の服に着替え、顔を洗って髪にくしを通した。
 私がこの世界にやってきてから、気がつけば一年が経とうとしていた。
 戸籍上、レン・クロードの誕生日は冬の終わりということにしてあるので、今のレンは十一歳になっている。けれど、女神様の力で一時的に成長を止められている私の体はこれっぽっちも成長していない。
 もうちょっとの間なら、「僕、頑張っているのに全然背が伸びなくて……」と悩ましげに言っていれば皆も同情してくれるだろう。でも、二年も三年も姿が変わらなかったら、さすがに不気味だし怪しまれる。
 それまでに、女神様の願いを聞き届けて地球に帰らないといけない。
 ――分かってはいるんだけどね。
 はあっとため息をつくと、蒸気で鏡がくもった。
 指先で鏡面をぬぐうと、情けなく眉を垂らした幼い顔がぼんやりと映り込んでいる。
 考えなければならないことは色々あるけれど、まずは一日一日を確実に過ごしていかないと。
 私はティルを呼ぶと、『あと十五分~』と三度寝を所望しょもうするミーナの首根っこをつかんで、寮の自室を後にした。


 城の食堂で書記部の同僚であるジェレミーとクライドと合流し、三人で朝食を食べた後、そのまま書記部へ。私を挟んでジェレミーとクライドがやいのやいの言い合いながらの出勤、って光景にも、もう慣れてしまった。
 男の子の会話ってのは、聞いているだけならなかなかおもしろい。これがガチの野郎トークになるとやばい内容も出てくるんだろうけど、彼らは十一歳の私に配慮して、キッズ用フィルタリング機能を設定してくれていた。どうもです。

「……それで、レディ・レイリアからはまだ恋文の返事は来ないんだな、ジェレミー?」

 ……おお、私の話題、出た! 
 ハルヴァーク公爵令嬢としての私ことレイリアは、ジェレミーから恋のベクトルを向けられている。以前王弟マーカス殿下からも口説くどかれたことがあるけれど、皆醤油しょうゆがおが好きなのかな。
 クライドにからかわれたジェレミーは、耳まで真っ赤になって言い返す。

「べ、別にいいんだよ! 俺、この前レイリア嬢と話したんだけど……俺のこと、覚えてくれていたんだ! 手紙をくれただろうって言ってくださったんだ! 俺は! それだけで! いいんだ!」

 うん、確かに読みましたよ。君の純情一直線のラブレター。
 王妃であるエデル様から受け取った、レイリアあてのラブレターたち。ほとんどは読んだ後ミーナに焼却処分してもらったけど、ジェレミー含めた数名の手紙は燃やすに忍びなく、鍵付き箱に収めて自室の机の中にしまっている。たどたどしい筆跡で一生懸命想いを伝えてくれたジェレミーのラブレターを、無下にはできなかった。
 クライドは冷めた目で悪友を一瞥いちべつする。

「覚えてくれていた……はいはい、一次審査突破ね。それはよかったな。だが、色よい返事をもらえたわけじゃあるまい」
「そう……そうなんだよ」

 とたんに青菜に塩。
 しゅん、と見るも無惨にしおれたジェレミーは肩を落とし、近くの壁に手を突いた。

「しかもよぉ……その時のレイリア嬢、リンゴの入ったバスケットを持ってたんだ。向かう方面からして、あれだよ。ちょっと前まで自室療養していた若獅子わかじしのところに行く途中だったんだろうよぉ。お見舞いだぜお見舞いぃ……」

 うむ、正解です。
 私の上司である「あか若獅子わかじし」こと近衛騎士団部隊長のヴェイン・アジェント様は数日前に療養期間を終えて、今は元気に騎士団詰め所で働かれている。
 なぜそんなことになったかというと、彼は少し前まで悪の精霊に取りかれていたからだ。
 伯爵令嬢メリダ・バドラインはヴェイン様に懸想けそうするあまり、悪の精霊の力を利用してしまった。ヴェイン様に悪の精霊を憑依ひょういさせることで記憶を操作し、あたかも自分が彼の恋人であるかのように思わせたのだ。でも私たちの活躍によってヴェイン様は解放され、メリダを取り殺そうと暴走した悪の精霊も始末された。自分のおこないを反省したメリダが修道院に入ることになり、一ヶ月が経とうとしている。
 悪の精霊に取りかれていた頃、ヴェイン様はろくに仕事ができず、書類を溜めに溜めまくってしまった。今はその処理でてんてこ舞いで、私も書記部での仕事が終わり次第、なるべく早く応援に来てほしいと頼まれている。

「そりゃあ仕方ないだろう。噂によるとレイリア嬢と若獅子わかじしは、バドライン伯爵令嬢の件で深い繋がりを持ったらしいからな。そんな二人が相思相愛になってもおかしくあるまい」
「う、うう……」
「しかも、令嬢みずからお見舞いか……まさか寝室に二人っきり、ということにはならないだろうが、未婚の男女が一つの空間にいるんだ。賢いジェレミー君なら、その後どういった展開になるか想像が付くだろう。んーん?」

 さといクライドもさすがに想像が付かなかったようだけど、私たち、ヴェイン様のお兄さんであるアジェント伯爵のたくらみで寝室に二人っきりになりましたとも。ただし、ハグ以上の展開はありませんでしたが。
 冷静かつ容赦のないクライドの突っ込みを食らったジェレミーは、ぐおっとうめいて上着の上から自分の心臓あたりをつかむ。

「うっ……ううう……やっぱり世の中、顔なのか。俺もヴェイン・アジェントくらい顔がよかったら、レイリア嬢に振り向いてもらえたかもしれないのに……」
「君は顔面偏差値以外にマイナス要素が多いから、たぶん無理だ」
「なあ、レン! おまえはどう思うよ!」
「僕は男ですよ。僕の意見を聞いてどうするんですか」
「それでもいい! なあレン。おまえがもし女だったら、やっぱり顔か? 顔のいい男にかれるか?」

 クライドでは相談相手にならないと悟ったらしいジェレミーは、今度はこっちにほこさきを向けてきた。おおい、詰め寄るな。肩をつかむな。クライド、苦笑いしてないでこの残念な子を止めてくれ! 

「ぼ、僕に聞かれても……」
「じゃあ質問を変えるぞっ! 俺はあと何を努力すれば、レイリア嬢に好いてもらえると思う!?」

 鬼気迫るジェレミーの顔。「先に行ってるわ」と立ち去ってしまうクライド。裏切り者め! 
 うーん……この状況、何らかのアドバイスをしない限り解放してもらえないぞ。そろそろ周囲の視線も気になるし、これ以上拘束されたら遅刻不可避だ。
 それにしても――どうやったらレイリア(イコール私)に好かれるのかと言われても。というか、私とヴェイン様が両想いであるかのような言い方だよな、この人。まだそんなことにはなってないのに。

「……えっと、そうですね。今思いついただけですけど」
「おう!」
「女性はがいして、ギャップのある男性にかれるといいます。体はたくましいけれど心は実は繊細だとか、優しそうだけど本当は腹黒いとか、冷酷に見えるけど小動物が大好きだとか」

 俗に言う、ギャップ萌え。二次元ラブの友人がかつて熱弁を振るってくれたことを、そのまま引用させてもらった。
 私の苦しまぎれのアドバイスを、ジェレミーは目をしばたたかせて意外そうに聞いていた。

「ギャップ……つまり若獅子わかじしの場合、あんな冷酷そうなイケメンだけど、実は……?」
「僕にも普段からよくしてくれますからね。子ども好き、ってところじゃないですか」

 ジェレミーは納得がいったように私の肩から手を離した。よし、拘束解除! 

「なるほど……外見と中身の差、かぁ。……俺だったら、一見チャラチャラしてるけど」
「実は純情」
「そ、そうか……そこを前面に押し出せばいいのか!」

 ジェレミーはぱあっと笑顔になった。そして神の啓示を受けたかのように、胸の前で両手を組み合わせて天を仰ぐ。おいおい、通りすがりのお姉さんにドン引きされてるぞ。

「俺がレイリア嬢を想う気持ちは、誰にも負けない。……若獅子わかじしが何だ! 俺は若獅子わかじしにはないこの純粋じゅんすい無垢むくな想いとギャップの力で、必ずやレイリア嬢を惚れさせてやるんだ!」
「応援してます」

 とりあえず相槌あいづちを打っておく。
 我ながらなかなかこくなことをしたと思うけれど、他に方法がなかったし。それにジェレミーは元気になってくれたようだから、結果オーライ……かな?


   ***


 エルシュタイン城の頭脳を担う書記部の仕事内容は、多岐にわたる。
 見積書の作成や、イベントの計画立案。各部署に提出する書類の清書や帳簿の確認など、その日その時によって与えられる仕事も違う。
 ちなみに私は、日本の義務教育のたまものである数学の知識をフル活用させ、計算方面で活躍している。この世界では筆算や難しい公式などが発達していないから、私のスキルは重宝ちょうほうされていた。
 反面、共通言語は日本語ではないので、筆記系はからっきしだ。自分の名前だけは練習したけど、後はお手上げ。文書の清書なんてできるはずもない。ちなみに会話とリーディングは精霊たちのおかげで自動翻訳がされるので、なんとかなっている。

「はい、この前の決算報告書ね。レンちゃんの計算とイサークちゃんの麗筆れいひつのおかげで、ご覧の通り!」

 そう言って完成した報告書を見せてくるのは、ダンディな書記官長。そう、である。男性である。少々女性的要素が入っているけれど、仕事はできるし優しいし、最高の上司だ。

「これなら上層部にも満足していただけるでしょうね。すばらしい出来よ。ありがとう、二人とも」

 書記官長にめられ、私とイサークはそろってお辞儀した。
 今、私の隣で優雅なお辞儀をしている美少年は、イサーク・フェスティーユ、十四歳。私が子爵令嬢レーナでいる間の義兄ぎけいである。
 かつては彼の思春期ツンデレハリケーンの被害を受けたりもしたんだけど、それが収まった今はこうして同じ職場で仕事をしている。
 イサークは元々書記官に憧れていたそうだ。でも、一人王都へ行った私が心配だったというのも、彼が書記官になった理由の一つだったんだと先日知った。私の素性・目的共に知る彼は、ぶうぶう文句を言いつつも私のままに付き合ってくれる。いやぁ、なかなかすばらしいツンデレだね、お兄様。
 ……あっ、横目でにらまれた。


 午前中で書記部の仕事を切り上げ、ジェレミーたちと一緒にお昼ご飯を食べたら、騎士団区へ。

「いらっしゃい、レン。今日もお疲れ様」

 近衛騎士団第四部隊の詰め所に入ると、いつもの受付係の若い騎士が笑顔で出迎えてくれる。
 ヴェイン様がメリダ・バドラインの操る悪の精霊の影響下にあった頃は、ここの雰囲気もギスギスしていた。ヴェイン様の様子があまりにもおかしいから、殴ってでもおはらいに連れていこうなんて皆も話していたんだよね。
 今は、詰め所も元に戻ったようだ。騎士の皆も、自室療養を終えて復帰したヴェイン様の姿を見て安堵し、喜んで迎え入れてくれたそうだから。ヴェイン様が元の生活に戻ることができて、彼の専属書記官である私も嬉しいばかりだ。

「ささ、早く隊長のところに行ってあげてください。午前中は僕たちも隊長の手伝いをしていたんですけどね、『やっぱりレンじゃないとだめだ!』と言われてしまいました」
「はは……了解です」

 私はぐ隊長執務室に向かう。すれ違う騎士たちも、にこやかに挨拶してくれた。

「失礼します、ヴェイン様」
「レンか」

 執務室ではヴェイン様がデスクに向かい、一心不乱にペンを走らせているところだった。あまりに忙しいせいか、こちらをちらっと見ただけですぐにまたデスクにかじりついてしまう。

「来て早々に悪い。……今からそっちに投げる封筒を、侍従騎士団第三部隊まで届けるよう、受付のやつに言付けてくれ!」

 言うが早いか、立ち上がったヴェイン様が書類入りの封筒をフリスビーのようにぶん投げてきた。
 あっぶな! 反射的に手を伸ばしたからなんとかキャッチできたけど、頭に命中してたら意識飛ぶくらいの重量だぞ! というか、大切な封筒を投げないでくださいよ。
 私が受付の騎士に封筒を託して部屋に戻ると、ヴェイン様は山のように積まれた書類をぽいぽいと二つの箱に投げ入れて分別するという作業をしていた。あ、この光景、私が専属書記官の配属先を決めた時の風景に似てる。

「悪いがレン、すぐにこっちを手伝ってくれ。……赤い箱に入れた書類の俺の署名の横に、全て押印おういんを」
「赤い箱の書類に押印おういん
「青い箱に入っているものには封をして宛名あてなを書き、さっきのように城内配達手続きをおこなってくれ」
「青い箱の書類は封筒に詰めて配達手続き……了解です」
「すまない、今日のうちにできるだけ片付けてしまおう」
「はい。……今晩から数日間は遠征ですからね」

 私は壁掛けのカレンダーを見上げて言った。ヴェイン様がこれほど必死に書類仕事を片付けている理由。それは、今夜出発の遠征任務が控えているからだ。
 ヴェイン様が部隊長を務める近衛騎士団第四部隊を含め数部隊が、ベルフォード王国内のとある地方への遠征を命じられたそうだ。なんでも、悪の精霊が出たという報告があったらしい。数日で戻れる程度の小規模遠征だけど、皆が出払う遠征中は当然デスクワークをストップせざるを得ない。空っぽの詰め所が施錠せじょうされてしまうから私も中に入れないし、今日の夕方までにできることを済ませておかないと後が苦しい。
 私の言葉にうなずきながらも、書類を振り分ける手は止めないヴェイン様。もはや箱の方を見ずともシュババババ! と正確に投げ入れている。職人技パネェ。
 仕事を早く終わらせたい気持ちは分かるけど、根を詰めすぎるのは体によくない。現に今だって、ヴェイン様の眉間みけんには深い縦皺たてじわが刻まれっぱなしだ。

「ヴェイン様、あまり無茶をなさらないでくださいね」
「気遣いには感謝するが、一秒でも早く書類を片付けたい」

 そう言って、やっぱり手を止めない。ヴェイン様の手の動きを見計らって、私は赤い箱の中に積まれていた書類をわしづかみにし、ガバッと引き抜いた。ちんたらしていたら次の書類にぶつかって、あらぬ方向へはじいてしまいそうだ。
 ヴェイン様の名前がられた印鑑と朱肉を借り、ぐりぐりと力を込めて押印おういんしつつ、私は彼に声を掛ける。

「でも、顔がすごくお疲れです」
「この顔は生まれつきだ」
「僕も到着したんですから、もう少し速度を落とされても……」
「そーだそーだ。隊長、俺たちもいるんだから、あんま無茶すんなよー!」

 おやおや、ちょうど部屋の前を通っていたらしい騎士たちが話に入ってきたぞ。

「いや、おまえたちは書類仕事が嫌いだと公言していただろう」
「何を言ってるんすか! 敬愛する隊長のためなら、俺たちも一肌脱ぎますよ!」
「脱ぐのは上着だけでいい」
「いやいや、あんまり隊長が無理すると、レイリア嬢が悲しむっすよー!」

 騎士の一人が何気なくそう言ったとたん。
 すぱん! とヴェイン様の指先から書類が吹っ飛び、カーペットの上にばさっと落ちる。
 私は何も言えず、床に落下した書類を見つめた。今、顔を上げてヴェイン様の表情を見る勇気はない。

「……なぜそこで、レイリアの名を出す?」

 おおう、ヴェイン様の声が絶対零度だ! うっかり口をすべらせた騎士がヒッと息を呑む音がする。


「い、いやぁ! そりゃあ、大変仲がよろしいって噂っすし!」
「そうそう! 付き合っているんじゃないかって皆も言っていて……」
「噂に翻弄ほんろうされるな。まだ付き合っていない」

 なく放たれた言葉に、私含めその場にいた皆の脳天にズドーンと雷が落ちた。
 ヴェイン様、爆弾発言である! 

「そ、そっすか。『まだ』なんすね」
「……あんなじゃじゃ馬でも、相手は公爵令嬢だ。さらにハルヴァーク公爵はもちろん、王妃殿下もあいつを溺愛できあいしている。今の俺では、公爵家の皆を納得させることはできないだろう。それに第一、俺があいつのことをいくら特別に想おうと、あいつが俺をそういう目で見ていなければ意味がない。それだったら……今のように親しい友人同士に留めておくくらいがいい」

 ヴェイン様がすらすらと語るもんだから、騎士たちは固まっている。そりゃそうだ。クールな上司がいつになく多弁に、個人的な感情を吐露とろしているんだからね。
 ……いや、彼らはまだいい。問題は私だ。
 ヴェイン様は私が女であることを見抜いているけれどレイリアが私の本来の姿であることはご存じでない。つまり彼は、本人の目の前で切実な想いを告白しているってことになるんだよ! なんてこった! 
 ボボボッと頬が火照ほてりだす。このまま全力疾走してどこかに消えてしまいたい。もしくは絶叫を上げて、胸の奥でぐちゃぐちゃにわだかまる何かを吐き出したい。

「そ、そ、そうっすか! いつか成就じょうじゅするといいっすね!」
「あ、そろそろ俺たち時間なんで、行ってきまーす!」
「ああ、気をつけて行ってこい」

 どたどたと走り去っていく騎士たちとは対照的に、ヴェイン様の声は落ち着いている。部下の前で公開告白劇をおこなったというのに、この人はいつも通りだな……
 赤く染まっているだろう顔を見られないよう、私はヴェイン様から顔を背けたまま、床の書類を拾ってデスクに置く。

「……ああ、拾ってくれたのか、すまん。……それにしても、見苦しいところを見せたな」
「い、いえ。その……僕も書記部で、そんな感じのことを聞いていたので」
「……そうか」
「ぼ、僕も素敵な王子様との結婚を夢見ておきます!」
「……そうだな。おまえも女なのだから、今のうちに頼りになりそうな男を見つけておけ」
「ヴェイン様みたいな?」
「からかうな。さっさと押印おういんしろ」

 ヴェイン様はすねたように言い、再び書類選別マシーンと化した。だけど気のせいか、さっきよりも表情がゆるくなり、スピードもちょっとだけ落ちたようだ。
 私はヴェイン様にばれないよう、くすっと小さく笑った。それでも、頬の熱はまだまだ引いてくれそうになかった。


「それでは、僕はこれで失礼します。遠征、頑張ってください」
「ああ。……しばらく詰め所は閉めるから、おまえは書記部での仕事に専念するように。戻ってきたら、また頼む」
「かしこまりました」

 午後五時の定時、私は騎士団詰め所を後にした。
 私が帰り支度を始める頃には、すでに騎士たちの姿もまばらになってきていた。彼らも今夜出発なので色々と準備があるのだろう、定時二時間くらい前には、皆有給をもらって早引きしていた。特に家庭がある人なんかは、家族に行ってきますの挨拶もしないといけないもんね。
 私とヴェイン様のお別れは、ここでの挨拶だけのシンプルなもの。でもそれは、今の私が書記官のレンだから。
 私は一礼して退出するなり、すぐさま服の上から制服の内ポケットを探った。小さくて硬い感触。よし、私も支度開始だ。
 こそこそと柱の陰に隠れつつ、王室居住区まで移動。事情を説明済みの無口な騎士に案内されて、衣装部屋へ。衣装部屋はこの広い王宮内に数室あるけれど、ここは私専用の控え室となっていた。調度品や内装も私の好みに合わせたパステルカラーを基調としているし、レイリアに変身する際に必要なものも最初からそろっている。

「お待たせ、カスミ」
「お待ちしておりました、玲奈様」

 私を迎えてくれたのは、侍女服姿のカスミ。ルーウェン男爵家の令嬢でもある彼女は、私の専属侍女だ。国王夫妻やマーカス殿下、フェスティーユ子爵家の皆の他に私の素性を知っている人物は、彼女くらいである。
 私が令嬢レイリアの姿になる時にメイクアップを担当してくれるのは、基本的にカスミ一人。彼女は日本人顔の私にどんな化粧が合うのか、髪をどう結えばきれいに見えるのか、どんなドレスがぴったりなのか熟知しているのだ。
 私はカスミに荷物を預け、服を脱ぐ。そうしていつものように青い石の指輪を左手中指にめると、私の体は一瞬でぐんっと二十歳まで成長した。ささやかながら胸も復活したので、一安心。

「城門前でヴェイン様をお見送りする予定だから、泥で汚れないように丈は短めで。色は、夜でも分かりやすく……でも派手すぎないのがいいよね。何がいいと思う?」
「王道は白ですね。ただ、城門前となるとランタンのあかりで目立ちますし、こちらのライムグリーンのガーデンドレスなどはいかがでしょうか」

 そう言ってカスミがクローゼットから出したのは、明るい緑色のアンクル丈ドレス。冬仕様だから長袖で生地も厚め。胸元は逆三角形に大きくカットされていて、白いレースが覗いている。スカートの形がすとんとしていて装飾も少なめだから、その上にレースのショールを羽織ってバランスを取るようだ。シンプルなドレスだけど、ショールには見事な薔薇ばらの模様が浮かび上がっていて、あかりに照らすと銀色に輝いた。
 肌を磨いてもらった後、下着セットを身につけてドレスをまとう。立派な鏡台の前に座ると、カスミが私の髪にくしを通しつつ言った。

「……ここ数日で、玲奈様はずっとおきれいになりましたね」
「……え?」

 髪をでられる感覚にうとうとと微睡まどろんでいた私は、驚いて鏡の中のカスミを見返す。

「きれい? 私が?」
「はい。肌や髪のつやはもちろんのこと、ちょっとした仕草や表情まで――以前よりずっと、洗練されているように感じます」
「……それは、カスミがこうやってマッサージとかをしてくれてるからじゃないの?」

 肌や髪質の変化なんて、鏡で見ても自分ではよく分からない。手練てだれの侍女だから、日々の微妙な変化にも気づくのだろうか。

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