52 / 85
4巻
4-1
しおりを挟む第1章 変わりゆく心
大切なものが、二つ。
それらを天秤の皿に載せ、重さをはかる。
どちらに傾く?
片方を手にするなら、もう片方は失ってしまう。
私は、どちらを選ぶ?
私の名前は水瀬玲奈。花も恥じらわない(笑)二十歳の女子大生――だった。
「だった」というのは、今の私は女子大生でなく――それどころか、年齢も性別も変わってしまう時があるからだ。
――大学に行く途中、穴に落ちたと思ったらそこは異世界でした。いわゆる異世界トリップってやつですわ。生きていると不思議な出来事に遭遇するものなんだね。
私はこの世界を創造した女神様によって、世界の破滅を防ぐために召喚されたらしい。おいおいマジかと言いたくなるけれど、女神様その人に会って直々にお願いされたんだから本当だ。
ただ、そのためにあれをしろ、これをしろ、という明確な指示まで受けたわけじゃない。私の思うように行動すれば、それがよい結果に結びつくんだってさ。そんなアバウトでいいんだろうか。
私は今、十歳の子爵令嬢レーナ、同い年の少年書記官レン、そして十七歳の公爵令嬢レイリアという三つの姿を持っている。
トリップ時になぜか体が縮んでしまったせいで、普段は十歳の体で過ごしているんだけど、女神様からもらった指輪を嵌めている間は二十歳の体に戻れるんだ。そうして三つの姿を駆使し、ここベルフォード王国王都エルシュタインで活動している。
私は、地球に戻りたい。
特に当初は女神様の使命をさっさと終わらせて、用が済んだらさっくり故郷に帰るつもりだった。
でも、今は?
この世界にも、義理の家族ができた。職場の上司や同僚もいる。いつだって協力してくれる王家の方々がいて、頼りになる侍女と令嬢仲間もいて。
それに――
『レイリア』
この世界での私の名前を呼ぶ、優しい声。
真っ直ぐ見つめてくる、紫の双眸。
強くて、格好良くて、でも時々弱い姿も見せてくれる人。
地球に帰るなら、彼のことも切り捨てなくてはならない。でも――
本当に切り捨てられるの? 彼が与えてくれる穏やかな想いを裏切れるの?
――私の心の天秤は今、大きく揺れ動いていた。
***
いつも通りの朝。
私こと少年書記官レン・クロードは、カーテンの隙間から差し込む朝日に瞼を刺激され、ゆるゆると覚醒した。なんかお腹が重いな、と思ったら、掛け布団の上に二つの毛玉が乗っかっている。私の契約精霊、ミーナとティルだ。
猫型精霊のミーナと鳥型精霊のティルは、私の友だちのような秘書のような家族のような、かけがえのない存在。いつも私の手伝いをしたり相談に乗ってくれたりする、とっても可愛い二匹なんだけど、戦闘モードになるとすさまじく強い。その力に、今まで何度も窮地を救われてきた。
そんな二匹は、昨夜は窓辺に置いてある猫ベッドと鳥ベッドで寝ていたはず。冬も終わりとはいえ、早朝はまだ冷えるからこっちに来たのかもしれない。
「おはよう。ミーナ、ティル」
『おはよう。ティルはもう起きてるよ』
『……ミーナ、あと十分……』
ティルは私の呼びかけに応じてすぐに窓辺に飛び上がったけれど、ミーナは私に後頭部を向けて二度寝モードに入ってしまった。精霊といえど、やはり猫型。今日も気ままだ。
ミーナが寝ている間に、私はちゃちゃっと支度を済ませる。少年書記官の服に着替え、顔を洗って髪に櫛を通した。
私がこの世界にやってきてから、気がつけば一年が経とうとしていた。
戸籍上、レン・クロードの誕生日は冬の終わりということにしてあるので、今のレンは十一歳になっている。けれど、女神様の力で一時的に成長を止められている私の体はこれっぽっちも成長していない。
もうちょっとの間なら、「僕、頑張っているのに全然背が伸びなくて……」と悩ましげに言っていれば皆も同情してくれるだろう。でも、二年も三年も姿が変わらなかったら、さすがに不気味だし怪しまれる。
それまでに、女神様の願いを聞き届けて地球に帰らないといけない。
――分かってはいるんだけどね。
はあっとため息をつくと、蒸気で鏡が曇った。
指先で鏡面を拭うと、情けなく眉を垂らした幼い顔がぼんやりと映り込んでいる。
考えなければならないことは色々あるけれど、まずは一日一日を確実に過ごしていかないと。
私はティルを呼ぶと、『あと十五分~』と三度寝を所望するミーナの首根っこを掴んで、寮の自室を後にした。
城の食堂で書記部の同僚であるジェレミーとクライドと合流し、三人で朝食を食べた後、そのまま書記部へ。私を挟んでジェレミーとクライドがやいのやいの言い合いながらの出勤、って光景にも、もう慣れてしまった。
男の子の会話ってのは、聞いているだけならなかなかおもしろい。これがガチの野郎トークになるとやばい内容も出てくるんだろうけど、彼らは十一歳の私に配慮して、キッズ用フィルタリング機能を設定してくれていた。どうもです。
「……それで、レディ・レイリアからはまだ恋文の返事は来ないんだな、ジェレミー?」
……おお、私の話題、出た!
ハルヴァーク公爵令嬢としての私ことレイリアは、ジェレミーから恋のベクトルを向けられている。以前王弟マーカス殿下からも口説かれたことがあるけれど、皆醤油顔が好きなのかな。
クライドにからかわれたジェレミーは、耳まで真っ赤になって言い返す。
「べ、別にいいんだよ! 俺、この前レイリア嬢と話したんだけど……俺のこと、覚えてくれていたんだ! 手紙をくれただろうって言ってくださったんだ! 俺は! それだけで! いいんだ!」
うん、確かに読みましたよ。君の純情一直線のラブレター。
王妃であるエデル様から受け取った、レイリア宛のラブレターたち。ほとんどは読んだ後ミーナに焼却処分してもらったけど、ジェレミー含めた数名の手紙は燃やすに忍びなく、鍵付き箱に収めて自室の机の中にしまっている。たどたどしい筆跡で一生懸命想いを伝えてくれたジェレミーのラブレターを、無下にはできなかった。
クライドは冷めた目で悪友を一瞥する。
「覚えてくれていた……はいはい、一次審査突破ね。それはよかったな。だが、色よい返事をもらえたわけじゃあるまい」
「そう……そうなんだよ」
とたんに青菜に塩。
しゅん、と見るも無惨に萎れたジェレミーは肩を落とし、近くの壁に手を突いた。
「しかもよぉ……その時のレイリア嬢、リンゴの入ったバスケットを持ってたんだ。向かう方面からして、あれだよ。ちょっと前まで自室療養していた若獅子のところに行く途中だったんだろうよぉ。お見舞いだぜお見舞いぃ……」
うむ、正解です。
私の上司である「紅の若獅子」こと近衛騎士団部隊長のヴェイン・アジェント様は数日前に療養期間を終えて、今は元気に騎士団詰め所で働かれている。
なぜそんなことになったかというと、彼は少し前まで悪の精霊に取り憑かれていたからだ。
伯爵令嬢メリダ・バドラインはヴェイン様に懸想するあまり、悪の精霊の力を利用してしまった。ヴェイン様に悪の精霊を憑依させることで記憶を操作し、あたかも自分が彼の恋人であるかのように思わせたのだ。でも私たちの活躍によってヴェイン様は解放され、メリダを取り殺そうと暴走した悪の精霊も始末された。自分の行いを反省したメリダが修道院に入ることになり、一ヶ月が経とうとしている。
悪の精霊に取り憑かれていた頃、ヴェイン様はろくに仕事ができず、書類を溜めに溜めまくってしまった。今はその処理でてんてこ舞いで、私も書記部での仕事が終わり次第、なるべく早く応援に来てほしいと頼まれている。
「そりゃあ仕方ないだろう。噂によるとレイリア嬢と若獅子は、バドライン伯爵令嬢の件で深い繋がりを持ったらしいからな。そんな二人が相思相愛になってもおかしくあるまい」
「う、うう……」
「しかも、令嬢自らお見舞いか……まさか寝室に二人っきり、ということにはならないだろうが、未婚の男女が一つの空間にいるんだ。賢いジェレミー君なら、その後どういった展開になるか想像が付くだろう。んーん?」
聡いクライドもさすがに想像が付かなかったようだけど、私たち、ヴェイン様のお兄さんであるアジェント伯爵の企みで寝室に二人っきりになりましたとも。ただし、ハグ以上の展開はありませんでしたが。
冷静かつ容赦のないクライドの突っ込みを食らったジェレミーは、ぐおっと呻いて上着の上から自分の心臓あたりを掴む。
「うっ……ううう……やっぱり世の中、顔なのか。俺もヴェイン・アジェントくらい顔がよかったら、レイリア嬢に振り向いてもらえたかもしれないのに……」
「君は顔面偏差値以外にマイナス要素が多いから、たぶん無理だ」
「なあ、レン! おまえはどう思うよ!」
「僕は男ですよ。僕の意見を聞いてどうするんですか」
「それでもいい! なあレン。おまえがもし女だったら、やっぱり顔か? 顔のいい男に惹かれるか?」
クライドでは相談相手にならないと悟ったらしいジェレミーは、今度はこっちに矛先を向けてきた。おおい、詰め寄るな。肩を掴むな。クライド、苦笑いしてないでこの残念な子を止めてくれ!
「ぼ、僕に聞かれても……」
「じゃあ質問を変えるぞっ! 俺はあと何を努力すれば、レイリア嬢に好いてもらえると思う!?」
鬼気迫るジェレミーの顔。「先に行ってるわ」と立ち去ってしまうクライド。裏切り者め!
うーん……この状況、何らかのアドバイスをしない限り解放してもらえないぞ。そろそろ周囲の視線も気になるし、これ以上拘束されたら遅刻不可避だ。
それにしても――どうやったらレイリア(=私)に好かれるのかと言われても。というか、私とヴェイン様が両想いであるかのような言い方だよな、この人。まだそんなことにはなってないのに。
「……えっと、そうですね。今思いついただけですけど」
「おう!」
「女性は概して、ギャップのある男性に惹かれるといいます。体は逞しいけれど心は実は繊細だとか、優しそうだけど本当は腹黒いとか、冷酷に見えるけど小動物が大好きだとか」
俗に言う、ギャップ萌え。二次元ラブの友人がかつて熱弁を振るってくれたことを、そのまま引用させてもらった。
私の苦し紛れのアドバイスを、ジェレミーは目を瞬かせて意外そうに聞いていた。
「ギャップ……つまり若獅子の場合、あんな冷酷そうなイケメンだけど、実は……?」
「僕にも普段からよくしてくれますからね。子ども好き、ってところじゃないですか」
ジェレミーは納得がいったように私の肩から手を離した。よし、拘束解除!
「なるほど……外見と中身の差、かぁ。……俺だったら、一見チャラチャラしてるけど」
「実は純情」
「そ、そうか……そこを前面に押し出せばいいのか!」
ジェレミーはぱあっと笑顔になった。そして神の啓示を受けたかのように、胸の前で両手を組み合わせて天を仰ぐ。おいおい、通りすがりのお姉さんにドン引きされてるぞ。
「俺がレイリア嬢を想う気持ちは、誰にも負けない。……若獅子が何だ! 俺は若獅子にはないこの純粋無垢な想いとギャップの力で、必ずやレイリア嬢を惚れさせてやるんだ!」
「応援してます」
とりあえず相槌を打っておく。
我ながらなかなか酷なことをしたと思うけれど、他に方法がなかったし。それにジェレミーは元気になってくれたようだから、結果オーライ……かな?
***
エルシュタイン城の頭脳を担う書記部の仕事内容は、多岐にわたる。
見積書の作成や、イベントの計画立案。各部署に提出する書類の清書や帳簿の確認など、その日その時によって与えられる仕事も違う。
ちなみに私は、日本の義務教育のたまものである数学の知識をフル活用させ、計算方面で活躍している。この世界では筆算や難しい公式などが発達していないから、私のスキルは重宝されていた。
反面、共通言語は日本語ではないので、筆記系はからっきしだ。自分の名前だけは練習したけど、後はお手上げ。文書の清書なんてできるはずもない。ちなみに会話とリーディングは精霊たちのおかげで自動翻訳がされるので、なんとかなっている。
「はい、この前の決算報告書ね。レンちゃんの計算とイサークちゃんの麗筆のおかげで、ご覧の通り!」
そう言って完成した報告書を見せてくるのは、ダンディな書記官長。そう、ダンディである。男性である。少々女性的要素が入っているけれど、仕事はできるし優しいし、最高の上司だ。
「これなら上層部にも満足していただけるでしょうね。すばらしい出来よ。ありがとう、二人とも」
書記官長に褒められ、私とイサークは揃ってお辞儀した。
今、私の隣で優雅なお辞儀をしている美少年は、イサーク・フェスティーユ、十四歳。私が子爵令嬢レーナでいる間の義兄である。
かつては彼の思春期ツンデレハリケーンの被害を受けたりもしたんだけど、それが収まった今はこうして同じ職場で仕事をしている。
イサークは元々書記官に憧れていたそうだ。でも、一人王都へ行った私が心配だったというのも、彼が書記官になった理由の一つだったんだと先日知った。私の素性・目的共に知る彼は、ぶうぶう文句を言いつつも私の我が儘に付き合ってくれる。いやぁ、なかなかすばらしいツンデレだね、お兄様。
……あっ、横目で睨まれた。
午前中で書記部の仕事を切り上げ、ジェレミーたちと一緒にお昼ご飯を食べたら、騎士団区へ。
「いらっしゃい、レン。今日もお疲れ様」
近衛騎士団第四部隊の詰め所に入ると、いつもの受付係の若い騎士が笑顔で出迎えてくれる。
ヴェイン様がメリダ・バドラインの操る悪の精霊の影響下にあった頃は、ここの雰囲気もギスギスしていた。ヴェイン様の様子があまりにもおかしいから、殴ってでもお祓いに連れていこうなんて皆も話していたんだよね。
今は、詰め所も元に戻ったようだ。騎士の皆も、自室療養を終えて復帰したヴェイン様の姿を見て安堵し、喜んで迎え入れてくれたそうだから。ヴェイン様が元の生活に戻ることができて、彼の専属書記官である私も嬉しいばかりだ。
「ささ、早く隊長のところに行ってあげてください。午前中は僕たちも隊長の手伝いをしていたんですけどね、『やっぱりレンじゃないとだめだ!』と言われてしまいました」
「はは……了解です」
私は真っ直ぐ隊長執務室に向かう。すれ違う騎士たちも、にこやかに挨拶してくれた。
「失礼します、ヴェイン様」
「レンか」
執務室ではヴェイン様がデスクに向かい、一心不乱にペンを走らせているところだった。あまりに忙しいせいか、こちらをちらっと見ただけですぐにまたデスクにかじりついてしまう。
「来て早々に悪い。……今からそっちに投げる封筒を、侍従騎士団第三部隊まで届けるよう、受付のやつに言付けてくれ!」
言うが早いか、立ち上がったヴェイン様が書類入りの封筒をフリスビーのようにぶん投げてきた。
あっぶな! 反射的に手を伸ばしたからなんとかキャッチできたけど、頭に命中してたら意識飛ぶくらいの重量だぞ! というか、大切な封筒を投げないでくださいよ。
私が受付の騎士に封筒を託して部屋に戻ると、ヴェイン様は山のように積まれた書類をぽいぽいと二つの箱に投げ入れて分別するという作業をしていた。あ、この光景、私が専属書記官の配属先を決めた時の風景に似てる。
「悪いがレン、すぐにこっちを手伝ってくれ。……赤い箱に入れた書類の俺の署名の横に、全て押印を」
「赤い箱の書類に押印」
「青い箱に入っているものには封をして宛名を書き、さっきのように城内配達手続きを行ってくれ」
「青い箱の書類は封筒に詰めて配達手続き……了解です」
「すまない、今日のうちにできるだけ片付けてしまおう」
「はい。……今晩から数日間は遠征ですからね」
私は壁掛けのカレンダーを見上げて言った。ヴェイン様がこれほど必死に書類仕事を片付けている理由。それは、今夜出発の遠征任務が控えているからだ。
ヴェイン様が部隊長を務める近衛騎士団第四部隊を含め数部隊が、ベルフォード王国内のとある地方への遠征を命じられたそうだ。なんでも、悪の精霊が出たという報告があったらしい。数日で戻れる程度の小規模遠征だけど、皆が出払う遠征中は当然デスクワークをストップせざるを得ない。空っぽの詰め所が施錠されてしまうから私も中に入れないし、今日の夕方までにできることを済ませておかないと後が苦しい。
私の言葉に頷きながらも、書類を振り分ける手は止めないヴェイン様。もはや箱の方を見ずともシュババババ! と正確に投げ入れている。職人技パネェ。
仕事を早く終わらせたい気持ちは分かるけど、根を詰めすぎるのは体によくない。現に今だって、ヴェイン様の眉間には深い縦皺が刻まれっぱなしだ。
「ヴェイン様、あまり無茶をなさらないでくださいね」
「気遣いには感謝するが、一秒でも早く書類を片付けたい」
そう言って、やっぱり手を止めない。ヴェイン様の手の動きを見計らって、私は赤い箱の中に積まれていた書類を鷲掴みにし、ガバッと引き抜いた。ちんたらしていたら次の書類にぶつかって、あらぬ方向へ弾いてしまいそうだ。
ヴェイン様の名前が彫られた印鑑と朱肉を借り、ぐりぐりと力を込めて押印しつつ、私は彼に声を掛ける。
「でも、顔がすごくお疲れです」
「この顔は生まれつきだ」
「僕も到着したんですから、もう少し速度を落とされても……」
「そーだそーだ。隊長、俺たちもいるんだから、あんま無茶すんなよー!」
おやおや、ちょうど部屋の前を通っていたらしい騎士たちが話に入ってきたぞ。
「いや、おまえたちは書類仕事が嫌いだと公言していただろう」
「何を言ってるんすか! 敬愛する隊長のためなら、俺たちも一肌脱ぎますよ!」
「脱ぐのは上着だけでいい」
「いやいや、あんまり隊長が無理すると、レイリア嬢が悲しむっすよー!」
騎士の一人が何気なくそう言ったとたん。
すぱん! とヴェイン様の指先から書類が吹っ飛び、カーペットの上にばさっと落ちる。
私は何も言えず、床に落下した書類を見つめた。今、顔を上げてヴェイン様の表情を見る勇気はない。
「……なぜそこで、レイリアの名を出す?」
おおう、ヴェイン様の声が絶対零度だ! うっかり口を滑らせた騎士がヒッと息を呑む音がする。
「い、いやぁ! そりゃあ、大変仲がよろしいって噂っすし!」
「そうそう! 付き合っているんじゃないかって皆も言っていて……」
「噂に翻弄されるな。まだ付き合っていない」
素っ気なく放たれた言葉に、私含めその場にいた皆の脳天にズドーンと雷が落ちた。
ヴェイン様、爆弾発言である!
「そ、そっすか。『まだ』なんすね」
「……あんなじゃじゃ馬でも、相手は公爵令嬢だ。さらにハルヴァーク公爵はもちろん、王妃殿下もあいつを溺愛している。今の俺では、公爵家の皆を納得させることはできないだろう。それに第一、俺があいつのことをいくら特別に想おうと、あいつが俺をそういう目で見ていなければ意味がない。それだったら……今のように親しい友人同士に留めておくくらいがいい」
ヴェイン様がすらすらと語るもんだから、騎士たちは固まっている。そりゃそうだ。クールな上司がいつになく多弁に、個人的な感情を吐露しているんだからね。
……いや、彼らはまだいい。問題は私だ。
ヴェイン様は私が女であることを見抜いているけれどレイリアが私の本来の姿であることはご存じでない。つまり彼は、本人の目の前で切実な想いを告白しているってことになるんだよ! なんてこった!
ボボボッと頬が火照りだす。このまま全力疾走してどこかに消えてしまいたい。もしくは絶叫を上げて、胸の奥でぐちゃぐちゃにわだかまる何かを吐き出したい。
「そ、そ、そうっすか! いつか成就するといいっすね!」
「あ、そろそろ俺たち時間なんで、行ってきまーす!」
「ああ、気をつけて行ってこい」
どたどたと走り去っていく騎士たちとは対照的に、ヴェイン様の声は落ち着いている。部下の前で公開告白劇を行ったというのに、この人はいつも通りだな……
赤く染まっているだろう顔を見られないよう、私はヴェイン様から顔を背けたまま、床の書類を拾ってデスクに置く。
「……ああ、拾ってくれたのか、すまん。……それにしても、見苦しいところを見せたな」
「い、いえ。その……僕も書記部で、そんな感じのことを聞いていたので」
「……そうか」
「ぼ、僕も素敵な王子様との結婚を夢見ておきます!」
「……そうだな。おまえも女なのだから、今のうちに頼りになりそうな男を見つけておけ」
「ヴェイン様みたいな?」
「からかうな。さっさと押印しろ」
ヴェイン様はすねたように言い、再び書類選別マシーンと化した。だけど気のせいか、さっきよりも表情が緩くなり、スピードもちょっとだけ落ちたようだ。
私はヴェイン様にばれないよう、くすっと小さく笑った。それでも、頬の熱はまだまだ引いてくれそうになかった。
「それでは、僕はこれで失礼します。遠征、頑張ってください」
「ああ。……しばらく詰め所は閉めるから、おまえは書記部での仕事に専念するように。戻ってきたら、また頼む」
「かしこまりました」
午後五時の定時、私は騎士団詰め所を後にした。
私が帰り支度を始める頃には、既に騎士たちの姿も疎らになってきていた。彼らも今夜出発なので色々と準備があるのだろう、定時二時間くらい前には、皆有給をもらって早引きしていた。特に家庭がある人なんかは、家族に行ってきますの挨拶もしないといけないもんね。
私とヴェイン様のお別れは、ここでの挨拶だけのシンプルなもの。でもそれは、今の私が書記官のレンだから。
私は一礼して退出するなり、すぐさま服の上から制服の内ポケットを探った。小さくて硬い感触。よし、私も支度開始だ。
こそこそと柱の陰に隠れつつ、王室居住区まで移動。事情を説明済みの無口な騎士に案内されて、衣装部屋へ。衣装部屋はこの広い王宮内に数室あるけれど、ここは私専用の控え室となっていた。調度品や内装も私の好みに合わせたパステルカラーを基調としているし、レイリアに変身する際に必要なものも最初から揃っている。
「お待たせ、カスミ」
「お待ちしておりました、玲奈様」
私を迎えてくれたのは、侍女服姿のカスミ。ルーウェン男爵家の令嬢でもある彼女は、私の専属侍女だ。国王夫妻やマーカス殿下、フェスティーユ子爵家の皆の他に私の素性を知っている人物は、彼女くらいである。
私が令嬢レイリアの姿になる時にメイクアップを担当してくれるのは、基本的にカスミ一人。彼女は日本人顔の私にどんな化粧が合うのか、髪をどう結えばきれいに見えるのか、どんなドレスがぴったりなのか熟知しているのだ。
私はカスミに荷物を預け、服を脱ぐ。そうしていつものように青い石の指輪を左手中指に嵌めると、私の体は一瞬でぐんっと二十歳まで成長した。ささやかながら胸も復活したので、一安心。
「城門前でヴェイン様をお見送りする予定だから、泥で汚れないように丈は短めで。色は、夜でも分かりやすく……でも派手すぎないのがいいよね。何がいいと思う?」
「王道は白ですね。ただ、城門前となるとランタンの灯りで目立ちますし、こちらのライムグリーンのガーデンドレスなどはいかがでしょうか」
そう言ってカスミがクローゼットから出したのは、明るい緑色のアンクル丈ドレス。冬仕様だから長袖で生地も厚め。胸元は逆三角形に大きくカットされていて、白いレースが覗いている。スカートの形がすとんとしていて装飾も少なめだから、その上にレースのショールを羽織ってバランスを取るようだ。シンプルなドレスだけど、ショールには見事な薔薇の模様が浮かび上がっていて、灯りに照らすと銀色に輝いた。
肌を磨いてもらった後、下着セットを身につけてドレスを纏う。立派な鏡台の前に座ると、カスミが私の髪に櫛を通しつつ言った。
「……ここ数日で、玲奈様はずっとおきれいになりましたね」
「……え?」
髪を撫でられる感覚にうとうとと微睡んでいた私は、驚いて鏡の中のカスミを見返す。
「きれい? 私が?」
「はい。肌や髪の艶はもちろんのこと、ちょっとした仕草や表情まで――以前よりずっと、洗練されているように感じます」
「……それは、カスミがこうやってマッサージとかをしてくれてるからじゃないの?」
肌や髪質の変化なんて、鏡で見ても自分ではよく分からない。手練の侍女だから、日々の微妙な変化にも気づくのだろうか。
33
お気に入りに追加
2,123
あなたにおすすめの小説
私が死んで満足ですか?
マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。
ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。
全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。
書籍化にともない本編を引き下げいたしました
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
側妃は捨てられましたので
なか
恋愛
「この国に側妃など要らないのではないか?」
現王、ランドルフが呟いた言葉。
周囲の人間は内心に怒りを抱きつつ、聞き耳を立てる。
ランドルフは、彼のために人生を捧げて王妃となったクリスティーナ妃を側妃に変え。
別の女性を正妃として迎え入れた。
裏切りに近い行為は彼女の心を確かに傷付け、癒えてもいない内に廃妃にすると宣言したのだ。
あまりの横暴、人道を無視した非道な行い。
だが、彼を止める事は誰にも出来ず。
廃妃となった事実を知らされたクリスティーナは、涙で瞳を潤ませながら「分かりました」とだけ答えた。
王妃として教育を受けて、側妃にされ
廃妃となった彼女。
その半生をランドルフのために捧げ、彼のために献身した事実さえも軽んじられる。
実の両親さえ……彼女を慰めてくれずに『捨てられた女性に価値はない』と非難した。
それらの行為に……彼女の心が吹っ切れた。
屋敷を飛び出し、一人で生きていく事を選択した。
ただコソコソと身を隠すつまりはない。
私を軽んじて。
捨てた彼らに自身の価値を示すため。
捨てられたのは、どちらか……。
後悔するのはどちらかを示すために。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~
つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。
政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。
他サイトにも公開中。
【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。
くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」
「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」
いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。
「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と……
私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。
「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」
「はい、お父様、お母様」
「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」
「……はい」
「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」
「はい、わかりました」
パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、
兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。
誰も私の言葉を聞いてくれない。
誰も私を見てくれない。
そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。
ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。
「……なんか、馬鹿みたいだわ!」
もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる!
ふるゆわ設定です。
※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい!
※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ!
追加文
番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。