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3巻
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しおりを挟む第1章 荒野の夢
我が輩は水瀬玲奈である。ただし現在、名前は他にも三種類持っている。
日本の女子大生だった私は、ある日突然異世界に落っこちた。おまけになぜか体が十歳程度に縮んでいたけど、契約した精霊――猫のミーナと鳥のティルと共に、この世界での生活をエンジョイしている。
私の一つ目の偽名は、レーナ・フェスティーユ。体が幼女化して、行くあてもなく困っていた私を拾ってくれたお父様――フェスティーユ子爵がくれた名前だ。子爵家に長女として迎え入れられたけれど、病弱のため、あまり表には出てこないという設定になっている。
二つ目は、レーナが男装した姿のときに使う、レン・クロード。フェスティーユ子爵領の田舎出身という設定で、現在ベルフォード王国王都エルシュタインの書記部でばりばり働く、駆け出し書記官だ。近衛騎士団第四部隊隊長の専属書記官も兼任しており、私は基本的に、この姿で日々生活している。
そして三つ目。レイリア・ハルヴァーク。王妃様の実家であるハルヴァーク公爵家の遠縁の公爵令嬢で、十七歳という設定だ。なぜ十七歳なのかというと――私は先日、夢の中で女神様と見えた。そのときに彼女から贈られた、青い石の指輪。それを嵌めている間は、二十歳の姿に戻ることができるのだ。某少年探偵もびっくりの伸縮具合だ。
つまりレイリア・ハルヴァークは指輪の力を使って二十歳に戻ったときに使う偽名で、田舎で育った箱入り娘が、十七歳になったのをきっかけに王都に上がった――ということになっている。この世界の人間はおしなべて私より大柄で大人びた顔つきだから、十七歳でも十分通ってしまうのだ。
私は女神様から賜った、「破滅の運命にあるこの世界を救う」という目的を果たすべく、三つの姿で奔走している。全ては故郷地球に帰るため――。だから、私はこの世界で特別に想う人を作らない。別れの時に後悔するような人間関係は作らない。
そう心がけていたのに――
私の胸には今、ある一人の男性がいる。
好きになっちゃいけない、特別な存在にしちゃいけない。そう思いつつも、ついつい目で追いかけてしまう人。
レンの姿の時は、ぐしゃぐしゃと髪を撫でて「よくやった」と褒めてくれて。レイリアの姿の時は、「どんくさい」「変なやつ」と呆れた顔で言ってきて。
彼の存在は、私の中で日に日に大きくなっていた。
***
指輪の力で大人の姿に戻った私は、リーリエの花を手に、レイリアの専属侍女であるカスミの部屋を訪れていた。
昨日の昼過ぎ。令嬢仲間とお花鑑賞会をしていた私は、その場に居合わせたメリダ・バドラインという伯爵令嬢に喧嘩をふっかけられた。彼女はレン姿の私の上司、ヴェイン・アジェント様に好意を抱いていて、一部で彼との関係を噂されているレイリアへ敵意を剥き出しにしてきたんだ。
怒り狂ったメリダが投げたカップは、私を庇ったカスミの額に命中した。
私のせいでカスミに怪我を負わせてしまい、頭の中がぐちゃぐちゃになった。一晩経ってようやく気持ちが落ち着いたので、今は改めてカスミの様子を見に来たところだ。昨日ヴェイン様に手折ってもらったお見舞い用の花は、使用人に保水加工してもらったから、一日経っても瑞々しい。
カスミの実父であるルーウェン男爵は、既に娘の見舞いを終えて帰っていったそうだ。
彼からレイリア宛てに届いた手紙には、「娘が負傷したのは、侍女として当然のことをしたため。レイリア嬢は、お気になさいませんように」という、こちらを気遣う言葉が書かれていた。後で返事を書いておこう。
使用人に案内されて入った先は、小さめの居間になっていた。さすが、侍女として美容やファッションに拘っているカスミだけあって、きれいに整頓された部屋には、クローゼットやチェストがいくつもある。本棚には流行の服飾関連雑誌も並べられていて、カスミが勉強熱心であることが察せられた。
入室の許可を得て、続き部屋になっている寝室に入る。奥のベッドで上体を起こしていたカスミは私を見て、驚いたように目を瞠った。
「カスミ……具合はどう?」
「玲奈様……」
ふんわりとした淡いピンク色のワンピースが、おっとりとした印象のカスミに似合っていて、とっても可愛らしい。でも、頭に巻いた包帯を見ると、途端に胸がぐっと苦しくなった。
カスミは責任感が人一倍強い。わけあって日本風の名前を持っている彼女は、私を守るためなら何だってする。
――その結果、妙齢の女性だというのに、顔に怪我を負わせることになってしまった。
カスミが負傷した原因は、私。メリダが投げたカップを避けようとせず、暴力を振るわれた証拠を残すため、いっそのことぶつかってやろうとした私の責任だ。でも、だからといっていつまでもウジウジしたり、私が悪い、私がいけないと腐っていたりすればいいって話じゃない。
精霊であるミーナとティル、中庭で遭遇したヴェイン様――それに男爵の手紙に、諭されたんだ。カスミは私に仕える侍女として、当然のことをした。仮初めといえど、私はハルヴァーク公爵家の遠縁の娘。王妃様の幼なじみという立場でもあるから、カスミは私を守らなければならない。
私は自分にできる限りの、威厳に満ちた笑みを浮かべた。ちょうど使用人が、水を入れた花瓶を持ってきてくれたので、持参したリーリエの花を挿してカスミに見せる。
「昨日は、本当にありがとう。カスミが庇ってくれたおかげで、大事にならなくて済んだわ」
「そんな……滅相もございません。玲奈様があの連中に怪我をさせられなくて、何よりです」
カスミがふるふると首を左右に振――ろうとしたので、慌てて止める。
メリダ・バドラインが投げたカップは、カスミの額に命中して、皮膚を切り裂いた。一時は大量に血が出たし、その直後は脳震盪で気を失ってもいたのだ。本当ならベッドから体を起こすのもしんどいはずだから、頭部に刺激を与えない方がいい。
私の説得を受け、カスミは渋々ベッドに横になってくれた。傷の具合を尋ねると、包帯越しに額にそっと触れて答える。
「この傷でしたら、どうかお気になさらず。ご覧の通り、髪の生え際で目立ちにくいですし、わたくしの婚約者も大きな傷にならずに済んでよかったと言っておりましたから。玲奈様にお怪我がなければ、それで十分です」
「う、うん。カスミのおかげだよ」
「はい。わたくしは、玲奈様をお守りするためにいるのです。……玲奈様がこの世界で不自由なく生活できるように全力を尽くせることが、わたくしにとって何よりの幸せですから」
そう言うカスミの目には、強い光が宿っていた。何を言っても意志を曲げられそうにない、侍女としての誇り高い眼差し。
私はふうっと息をつき、椅子の上で姿勢を正した。
「……分かった。それじゃあ――公爵令嬢としての顔は一旦置いておいて、ただの玲奈として言わせて」
カスミの気持ちは分かる。でも、あれは明らかに私の過失なんだ。
その思いだけは、伝えたい。
「……あなたを傷つけてごめんなさい、カスミ」
「玲奈様……」
私がゆっくりと告げると、カスミは何か言いたげに口元を動かした。でも、途中で思い直したのかキュッと口をつぐんで、豊かな金色の髪をふるふると左右に振る。
「……玲奈様はお優しすぎます。わたくしのことなど、手駒の一つだと思ってくださってもよろしいのに」
「駒だなんて! 思えるわけないでしょ!」
「しかし、玲奈様は公爵令嬢というご身分でありながら、わざと負傷しようとなさっていたのでしょう? それはご自分の身を、他にも代わりのいる駒として扱ったも同然ですわ。それに気づいて、あの時わたくしの肝はどれほど冷えたか……」
「そ、それは――」
「――でも、これでおあいこですね」
そう言って、カスミは笑った。いつもの笑顔とはちょっとだけ違う、いたずらっ子がするような無邪気な笑み。
「わたくし、これからも玲奈様をお支えします。ですから玲奈様も、どうぞご遠慮なく頼ってくださいませ。わたくしは玲奈様の目となり手足となり、全面的に協力致します。わたくし、ちょっと無茶なこともされる玲奈様のことが、好きですから」
「カスミ……」
迷い一つない、真っ直ぐで純粋なカスミの笑顔。その顔を前に、私は膝の上で拳を握った。
私がカスミにできる罪滅ぼし。それは、カスミを信じて彼女の力を素直に借りること。
カスミは私の侍女としての役目に誇りを持ってくれている。だったら私は、彼女と一緒に問題に立ち向かっていけばいいんだ。
私はすっと息を吸った。
「……ありがとう、カスミ。早速だけど、相談してもいい?」
私の言葉に表情を改め、カスミは寝間着の裾を直してこっくりと頷いた。
使用人が、お茶とお菓子を持ってきてくれた。カスミは自分で給仕をしたがったけれど、今回ばかりは全力で阻止をする。結局使用人が淹れてくれた紅茶を堪能しつつ、私はカスミに件の夢のことを話してみた。鳥に導かれた私が、荒れ地の村で一つのお墓にたどり着く夢だ。あのお墓は誰のものなんだろう。
「荒野の村に行く夢――ですか」
話を聞いたカスミは、真剣な眼差しで腕を組む。
「しかもその案内をした鳥とは、以前玲奈様が女神様と見えた場所で出会ったことがある、と。となれば、その鳥は女神様の遣いである可能性がありますね。女神様に代わって玲奈様に神託を届けに来たのかもしれません」
「女神様の遣い――って何?」
それって、精霊とどんな違いがあるのだろうか。
カスミが解説してくれた。
「伝承では、女神様は精霊たちとはまた違う、動物の姿を取った生き物を遣いとして従えているそうです。精霊と遣いはそもそもの起源が異なっており、遣いは精霊よりも神々に近い存在で、次元を渡ることもできるのだとか」
次元を渡る――地球から召喚された私たち、「異世界の乙女」のように?
約五十年前に、この国ベルフォードに舞い降りて戦乱の世を平定した、宮野皆実。後にベルフォード王妃となった彼女が残した手記によると、私たち「異世界の乙女」がこの世界と地球を行き来できるのは、それぞれ一回ずつだそうだ。
既にトリップしてしまった以上、今度地球に帰ったなら、私はもう二度とこの世界に戻って来られない。
でも――今のカスミのニュアンスだと、女神様の遣いは、比較的自由に次元間を行き来することができるみたいだ。私をこの世界に招いたのは女神様らしいけど、ひょっとしたら女神様の遣い――あの茶色い鳥も、一枚噛んでいたのかもしれない。
何にせよ、あの鳥が本当に女神様の遣いなら、私の見た夢も、ただの夢とは言い切れない。きっと、荒れ地に寂しく佇むあの村は、この世界のどこかにあるんだ。
カスミも同じことを思ったんだろう。掛け布団の上で両手を重ね、神妙な顔で私を見つめてきた。
「気になることは即解決、ですよ。まずベルフォード王国内から探すことに致しましょう。城内には、国内のさまざまな風景を撮影したコルメル画集が多数保管されています。色彩がはっきりしないのが難点ですが、ひょっとしたら玲奈様が夢で啓示を受けた村のコルメル画も見つかるかもしれません」
カスミの提案で、私はこの世界の写真技術を思い出した。
この世界にも、写真に似たものがある。いわゆるカメラは「コルメル」といって、この国で最初に写真技術を開発した人から名付けられたそうだ。コルメルで撮影した写真は「コルメル画」と呼ばれている。焼き増しが可能なので情報誌や資料などに広く利用されていて、地球で言う写真集みたいなものもある。いつぞや見せてもらったマーカス王弟殿下ファンクラブの会報誌にも、このコルメル画が使用されていたんだ。ただし、今の技術では白黒撮影までが限度で、現在カラーコルメル画の開発が進められているのだとか。
「そんな画集があるのね」
「はい。ただ……王宮の公用図書館内にあるコルメル画集は、大衆向けに取捨選択がなされています。さびれた村の風景画が載っている可能性は低いかと」
「……確かに、そういうのには見栄えのする場所を選定するものだよね」
「ええ、わたくしも何度か公共図書館でコルメル画集を見たことがありますが、大抵は国内の絶景や美しい町並みが写されていましたね」
そう言ったあとカスミは、ですが、と語調を強める。
「王宮内には、風光明媚な地に限らず、あらゆる種類の風景コルメル画を収集した冊子が保管されている書庫があるのです」
「そ、そんなすごい書庫が?」
微かな希望の光を見た気がして、私は身を乗り出した。
直後――私の脳裏に、その「すごい書庫」に思い当たる場所が浮かぶ。
カスミは私の考えを察したように、にっこりと微笑んだ。
***
書記部には、他では閲覧できない稀覯本を取り揃えた特別な書庫がある。ここは予約制で、一回四時間の読書時間を確保するためには何ヶ月も待たなければならなかった。
以前私は、書記部の同僚ジェレミーの厚意で、彼の持ち時間を分けてもらって入室したことがある。その時、念のために次回の予約をしておいたんだ。そのリストの日付を確認するべく、私は仕事の休憩時間に書庫のある執務区二階へ下りていった。
「……また来おったか、生意気な小僧め」
秘蔵書庫の入り口には、以前と同じ根暗な雰囲気の男性書記官が控えていた。相変わらずの陰険そうな眼差しで私を睨みつけてくる。
「今度は何をしに来た? 貴様の次回閲覧日は半月先だ」
「……そんなに後なんですね」
こちらが何かを言う前に、用件が済んでしまった。それでも渋い顔をする書記官に頼み込み、私は予約待ちリストを見せてもらう。
このリストはファミレスなどにある順番待ちの表とそっくりで、閲覧終了した人のところに斜線を入れていく仕組みだ。私の名前があるのは、確かにもっとずっと後。期待を込めて順番の早い人たちをざっと確認したけれど、仲のよいジェレミーやクライド、兄のイサークの名もない。誰かに頼んで一緒に入室させてもらうのは難しそうだ。
リストを返却し、書記官にブツブツ言われながら私は書庫に背を向けた。
半月後だと、遅すぎる。今はまだ、あの荒野の夢は鮮明に思い出せるけれど、これから十数日も経ったら記憶が薄れてしまうかもしれない。
だからといって、あまり親しくもない人にお願いして持ち時間を分けてもらうのは難しそうだし、さてどうするか――
考えながら歩いていた私は、廊下の角を曲がった際、大柄な人物とぶつかりそうになった。体格差もあいまって、相手に弾き飛ばされかける。すんでのところで身を翻した私は、衝突未遂の相手がジェレミーであることに気づいた。
「うおっ!? わ、悪い!」
「っと……あれ、ジェレミーさん?」
図書館に行く途中か、帰りなんだろう。数冊の本を抱えた彼は、私を見て申し訳なさそうに眉を垂らした。
「レンか……悪かった。怪我はしていないか?」
「はい、大丈夫です」
答えると、ジェレミーはぽんぽんと私の頭を撫でてきた。
ボサボサの茶色の髪に澄んだ緑の目のジェレミーは、ちょっとお調子者で抜けているところがあるけれど、優しいし、いざという時は頼りになる。同時期に登用試験に合格した仲という気安さもあり、普段から一緒に行動することが多かった。
「僕はこれから書記部に戻ろうと思うのですが……ジェレミーさんはこれからどこかへ? 荷物が多そうですし、僕も持ちますよ?」
「ばーか、おまえみたいなちっこいやつに荷物持ちなんてさせたら、俺の男が廃るよ」
そう言って、撫でる手に力を入れてくる。ぐりぐりされて、髪がぐしゃぐしゃになってしまった。
「俺はこれから図書館に行って、借りていた本を返そうと思ってんだ」
「へぇ……さては、前にクライドさんが言っていたエロ本ですか」
「ばっ! ……んなわけないだろ! これは真面目な本! ああいうのは町の本屋で買う――あっ」
なるほど、この世界では一般書店でもそーゆー本を売ってるんだね。
勝手に撃沈したジェレミー。廊下の床に手を突く彼の脇に、図書館で借りたという本が積まれている。さて、彼の言う「真面目な本」とはどんな内容だろう。勉強になりそうなものだったら私も後で借りたいな、と思って表紙を見てみると――
「……『これであなたも恋文マスター! 女性のハートを掴むフレーズ集』……?」
「あーーっ! 読むな! 読み上げるな!」
「こっちは、『女心の心得――女性をとろけさせる、魔法の言葉――』……これって?」
「……頼む、これ以上俺を虐めないでくれ」
ずーん、とタイル床にめり込みそうなほど沈み込むジェレミー。そんな彼はスルーして、ぱらぱらとページをめくってみる。すると、どこか既視感を覚えるフレーズが。
ちょっと前に、私の仮初めの姿のひとつであるレイリア・ハルヴァークは、ジェレミーからの恋文を受け取った。たどたどしく、読んでいて思わず頬が緩んでしまいそうな手紙。彼にしては気障なフレーズを使うな、と思っていたけれど、この本を参考にしたのか――
「ジェレミーさん、あなたは本当に、真面目でいい人なんですね」
「う、うん? そうか?」
「はい! この本を参考にして、レイリア・ハルヴァーク嬢に手紙を書いたんでしょう?」
「……そうだけど。俺、それをレンに言ったっけ?」
……あっ、しまった。この話、ジェレミーからは聞いていないんだ!
ひやりと、背中を汗が伝う。ジェレミーは不思議そうな顔で、私を見上げている。
――ひとまず、ごまかさないと!
「うーん、聞いたはずですけど。それか、クライドさんから聞いたのかもしれません」
「……あー、そうだ。あいつに言ったんだ。相談した俺が馬鹿だった――」
納得したのか、再びずーんモードに入るジェレミー。思った通り、悪友のクライドには話をしていたようだ。当たってよかった。
それでも、これ以上突っ込まれたらボロが出る。
「……まあ、確かにクライドさんはジェレミーさんに対してちょっと手厳しいですものね。僕もこれ以上広めないようにするので、クライドさんには早く忘れてもらえるよう、何も言わないでおきましょう」
「……そうだな」
ジェレミーはしおしおと項垂れて呟いた。
ひとまずこれで、ミスの尻ぬぐいはできたかな?
その日の夜。私は陛下たちに呼ばれ、レイリアの姿で執務室を訪れた。
いつもなら、こういう時にはカスミがメイクやマッサージをしてくれるんだけど、現在は療養中なので、別の侍女にお願いした。彼女も腕は確かで、マッサージがとても気持ちいい。それでも髪のセットの仕方やドレスの選び方などを見ていて、やっぱりカスミとは違うんだな――と、当然のことを思った。
「突然呼び出してすまないな。先日のことで話がしたいのだ」
私の向かいのソファに座った陛下が、そう切り出した。
二十四歳の若き国王であるマリウス陛下は、灰色の髪に黄土色の目のガッシリとした美丈夫。肩幅が広くて、胸板も厚い。かつては騎士団に所属していたそうだけど、ヴェイン様とはまた違ったタイプのイケメンだ。
その隣には、ゆったりと微笑むエデル王妃様が。現在妊娠中のため、日によってはつわりがひどく、お茶会などにはあまり参加されていない。昨日のお花鑑賞会に関しても、あんな結末になってしまったので、欠席されていてよかったと思う。
そして――なぜか私の隣には、王弟であるマーカス殿下が。彼は私と同じく書記官で、今日は遅くまで仕事をしていたからか、いまだに書記官服姿だ。前に座ってくれればいいのにと思ったけど、指摘するのも面倒なので、以前のように間にクッションを挟んでおくだけにしておいた。
「話は聞きました。メリダ・バドライン伯爵令嬢たちと口論になり、彼女があなた目がけて投げたカップがカスミに当たったそうですね」
王妃様は眉根を寄せ、私を気遣わしげに見つめてきた。
「あなたに怪我がなくて何よりです。……カスミももう意識を取り戻したようですね」
「はい。……その、バドライン伯爵令嬢たちの処遇はどうなるのでしょうか?」
私は問うてみた。
お見舞いの際にカスミに教えてもらったのだけど、王城では令嬢同士の口論なんてものは日常茶飯事なんだそうだ。今回みたいに、一人の男性を巡って――巡ったんだよね? そうだよね? ――言い合いになったり扇で引っぱたき合ったりってのは、よくあることなんだって。男性が介入するとさらに面倒くさくなるから、流血沙汰にならない限り、第三者は口を挟まないというのが暗黙の了解になっているそうだ。
で、それを踏まえての今回のケースである。メリダ・バドラインが攻撃対象にしたのは、公爵令嬢である私。私を庇って負傷したのは、男爵令嬢のカスミ。
悲しいかな、伯爵令嬢が男爵令嬢を攻撃した場合、身分差のせいで罪に問いにくいそうだ。「目下の者が出しゃばったから制裁を加えた」など、いくらでも言い訳されてしまうのが現状だという。
でも今回の場合、カスミが庇ってくれなかったら私が負傷していた。私は公爵令嬢。王妃様の遠縁で、陛下やマーカス殿下とも懇意にしている。それなら、メリダへの罰はある程度の重さになるんじゃないだろうか。
でも陛下は、ふーっと息をついて首を横に振った。
「……君の友人であるガードナー伯爵令嬢たちからの申し出もあり、メリダ・バドライン含む令嬢四人には、既にこちらから忠告を入れている。だが、我々からは『カスミ・ルーウェンの介入がなければ、公爵令嬢への傷害罪に問われていた。以後気を付けるように』としか言えない。皮肉な結果だが、カスミが君を助けたことにより、バドライン伯爵令嬢を糾弾できなくなったのだ」
陛下の言葉に、私は唇を噛みしめて頷いた。それは私も予想していたことだ。
私は、一方的に突っ掛かってくるメリダが罰を受けるようにしたかったから、カップを投げられても避けなかった。狙い通り私が負傷していたなら、メリダたちは公爵令嬢への傷害罪で糾弾されていただろう。
……ううん、カスミのせいみたいに考えるのは間違いだし、悪いのは絶対メリダの方だ。というか私も悪い。普通の公爵令嬢なら、カップを投げつけられて「よっしゃ、喰らってやるわ!」なんて構えたりしないんだから。
「……忠告を入れてくださったならば、それで十分です。お手を煩わせてしまい、申し訳ございませんでした」
「気にするな。我々も――君を『普通の令嬢』の枠に押し込めようなどと、思っていない」
そう言って、陛下は強ばっていた表情を少しだけ緩めた。
「……君が予想外の事態を引き起こすのは、この際もうどうしようもない。それに、型破りな君の存在がベルフォードに新しい風を吹き込んでくれるのではと――そう期待している」
私がベルフォードに風を吹き込む――か。どんな風だろう。少なくとも爽やかな風じゃなさそうだな。焼き魚とかシチューみたいな食べ物の匂いになる気がする。
メリダたちの処罰はなく、今後の行動についての忠告だけを聞いて、ひとまずこの話題は終わり。それまで部屋の隅に控えていた使用人たちが動き出し、夜のティータイムの準備をしてくれる。さっきは紅茶のみだったから、ちょうどお菓子も摘みたいと思っていたところだ。
「ご覧ください、レイリア。これはマイラで採れる、モルッスムという果実を使ったタルトですよ」
そう言って切り分けたタルトをフォークに刺し、私に差し出してくるのはマーカス殿下。ちなみにマイラというのは南方にある島国で、黒髪黒目の人が多い地域らしい。私はハルヴァーク公爵家の遠縁ということもあり、マイラ人の血が混じっているのではと噂になっているそうだ。マイラか――どんな国なのか、今度、改めて勉強しておこう。
さて、それはいいとして。この麗しきプリンスは、なぜ私に「あーん」をしてくるのだろうか?
フォークを受け取ろうとしたけれど、殿下ががっちり握っていて離そうとしない。そんなに私に羞恥プレイを強要したいのか。正面の席では陛下と王妃様がにこにこ笑いながら、そちらも「あーん」でタルトを食べさせ合いっこしている。何この空間、カオス。
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