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公爵令嬢と第三王子の恋人ごっこ

君以外にいない

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 翌日、令嬢が暮らす女子寮のロビーの一角で、王子は待っていた。
 もちろん女子寮であるから、ロビー以降の入場はたとえ王子でも許されておらず、彼がここにいるのはある意味当然である。
 いたのは彼だけではなく、見慣れない壮年の男性もいた。

「アンジェリーナ嬢、昨日言っていたことを書面にまとめたものだ」

 そう言って差し出された三枚の羊皮紙に、令嬢は目を通す。
 上から下まできちんと目を通し、昨日の話と違いがないこと、三枚とも内容が同じであることを確認する。王子のサインはすでに入っていた。
 令嬢もそこにサインを加えると、王子は二枚の羊皮紙を受け取り、一枚を男に渡す。

「ランドリー事務官、これを正式な契約として申請するよ」
「……分かりました」

 どうやら王城の役人らしい。
 彼は微妙な顔をしたが、王子から恭しく羊皮紙を受け取ると足早に立ち去って行った。

「それではこれで、契約はすんだ」
「そうですわね」

 男を見送ることなく、手の中の羊皮紙を丸めると王子はニコリと微笑んだ。
 令嬢も頷く。

「そ、それでだな、こ、これからだね」
「殿下?」

 いきなり挙動不審になった王子に、令嬢は首をかしげる。
 傾げた後に、「あぁ」と頷く。ここは女子寮のロビーだ。つまり、彼女以外にも女子生徒はいる。
 これから彼の思い人でも来るのかもしれない。彼女はそう判断すると、スカートのすそを持ち上げ、淑女の礼をしようとした。

「殿下、私はこれ」
「その、リーナと呼んでもいいだろうか」
「…………は?」

 突然の言葉に、令嬢はらしくもなく動きを止めた。
 そんな彼女に気が付かずに、王子はまくしたてる。その顔はもしかしなくても真っ赤だ。

「市井での恋人同士というのは、愛称で呼んだりするらしい」
「はぁ」
「アンジェリーナという名前も高貴で可愛らしい名前でキミによく似あっているが、その……ダメだろうか」
「……いいえ」

 どこか上ずったような声で令嬢の名前を褒めたたえた後、あまりのことに反応ができないでいた彼女に、王子は眉を下げて尋ねる。
 ワンテンポ遅れて彼女は自身のスカートから手を離すと首を振った。
 途端に王子は顔を輝かせる。

「そうか! ではリーナ、私のいや、オレのことはロンと呼んでくれ!」
「殿下」
「ロンと!」

 ズイッと、顔を近づける王子は、かつてないほど力強い口調で言った。
 その態度に令嬢は、「もしかして」と思い当たったのである。

「あの、確認したいのですが」
「なんだ?」

 早く呼んでくれないだろうかとワクワクしていた王子は、令嬢の言葉に首をかしげる。

「でん……ロン、様の恋人というのは、その、私で間違っていないのでしょうか?」
「何を言っている」

 令嬢の言葉に王子のワクワクとした表情が真顔に変わった。
 そのあまりの落差のある変化に、令嬢は内心で冷たい汗をかく。自分の言葉が何か王子の不興買ったのかと脳内を激しく回転させ始める。
 だがそれも、王子の言葉に見事に空転した。

「当たり前じゃないか。君以外に誰がいるんだ!」
「はぁ」

 王子の詰るような言葉に、思考が空転した令嬢の反応は鈍い。
 そんな令嬢の態度に、王子はロビーの隅に用意されているソファセットへと彼女を優雅にエスコートすると、ソファに座らせる。
 それから令嬢の顔を覗き込み、王子は「どうしてそうなったんだ」と尋ねた。その表情は穏やかなものだったが、王族特有の内面を伺わせないタイプのものだ。
 令嬢は王子を見上げながら、強張った舌を何とか動かしながら告げる。

「てっきりその、他に懸想されている方がいて、学園にいる間はその方と過ごされたいとか、別に恋人を作りたいとか、そういうお話かと」
「なぜ君という婚約者がいて、他の女性に目を向ける必要があるんだ」
「…………ソウデスネ」

 心底わからない。と言う王子の反応に、令嬢はそれ以上何も言えない。
 そんな彼女を見下ろしていた王子は、少し首を傾げたようにハッとした顔をする。

「もしや、キミには他に好きな男がいるのかい?」
「いいえ」

 令嬢は食い気味に否定をする。
 実際そんないてはいなかったし、王族である婚約者のこれ以上の不興を買うつもりはなかった。
 一瞬だけ刺々しいものになった王子の気配が緩む。

「そ、そうか。よかった。
 君は王族の婚約者として何の過不足もなく素晴らしい女性だ。だから、学園に通っている間の恋人らしいことをしたいというのは完全に私の我が儘なんだ」
「恋人らしいこと」

 どうやら王子は本当に婚約者である令嬢と「恋人ごっこ」をしたいらしい。
 婚約者と恋人同士はどう違うのかと言う話だ。
 鸚鵡返しに呟いた令嬢の声にそのあたりの戸惑いを察したのか、王子は頬を染めながらぼそぼそと呟く。

「その、手を繋いで登下校をしたりとか、一つのケーキを分け合ったりとか、手づかからクッキーを食べさせたりとかだな。アンジェリーナ嬢、いったい何を笑って!!」
「リーナですわよ、ロン様。それと、笑ってはおりません」

 微笑ましいと言うべきか、細やかと言うべきか。
 そんな王子の要望に、令嬢――リーナは艶やかな笑みを浮かべた。
 大輪のバラのような、と、家族に褒められる笑みを意識して浮かべる彼女に、王子――ロンは顔を真っ赤にさせて見惚れた後、ごほんと、咳払いをする。
 それからソファに座る彼女へと手を差し出した。

「それでは、一緒に登校しよう。帰る前に一緒に学内のサロンでお茶をして、そうだな。まずはキミの好きな茶葉を探そうか」
「あら、ご存じだったんですか」

 ロンの手を取り起ちあがったリーナの意外そうな言葉に、ロンは苦笑いを浮かべる。
 二人の茶会で出される紅茶も、菓子も、彼女がほとんど最低限しか手を付けていないのはロンも気が付いていた。

「キミは自分が思っている以上に顔に出ているぞ。ついでに言うなら、あの茶はオレも苦手だ」
「それは、気が付きませんでした……」

 リーナも今更ながら婚約者の好みを知らなかったことに思い当たり、呆然とする。
 二人の婚約は生まれた時から決まっていた。そういうものだった。
 それに不満も疑問もなかった。だってそういうものだったからだ。だがそれに一石を投じたのは王子の方だった。
 ショックを受けるリーナに、ロンは首を振る。

「兄が好きなんだ。それゆえに王宮では言い出せなくてな。苦労を掛けた」

 スペアでもない第三王子である彼が、兄の好きなものに文句を言えるはずもなく。
 婚約者が味を苦手としていることを理解しながらも何の手も打てなかったことを短く詫びる。
 そんなロンに、リーナは握る手に力を込めて微笑む。

「いいえ。私もでん、ロン様が好きな茶葉が知りたいですわ」

 リーナの笑みに、ロンは微笑む。
 なりたての恋人同士の学園生活は、まだまだ始まったばかりである。
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