忌巫女の国士録

真義える

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二章

水神川

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「ばっかじゃない!? 普通あの状況で喧嘩する!?」

 葵は憤慨ふんがいしていた。
 互いにそっぽを向いて歩く二人は、全身土だらけで、乱れた髪には落葉や雑草、木屑きくずが絡まっている。


 ────数分前。

 妖獣が着地する寸前、二人は左右に別れて転がって避けた。空いた空間の地面に妖獣の爪がめり込み、円形に割れた。
 ほんの一秒でも逃げ遅れていたら、お腹に風穴が空いていただろう。
 獲物を逃した妖獣は怒り狂ったように鳴き喚くと、左右の餌を見比べた。白か、黒か……。どちらとも同じ背格好であるせいか、妖獣は選ぶの少しばかり時間を要していた。
 ──が、ようやく決まったらしい。妖獣は巨体を重たげに震わせると、強く地を蹴った。突進した先には、めすの生き餌が無防備に突っ立っている。

「──わ、私!?」

 一番無抵抗な獲物を選ぶあたりは、野生の勘の鋭さが発揮されている。
 迫る妖獣がコマ送りに感じられた時、横から飛び出したテツが妖獣の横面を思い切り殴りつけた。巨体がぐらりとバランスを崩したが、片脚を踏ん張り、なんとか持ちこたえると、顔を大きく震わせた。それでも一度狙った獲物は変える気がないらしい。

「無駄なことを……」

 いつの間にか、目の前ではリンが低く構えていた。妖獣が駆け出すと同時に地を蹴ると、真正面に向かっていく。
 すれ違いざま、掠れるような音がした気がしたが、妖獣の勢いは止まらない。
 葵は後へ一歩さがった時、落葉に足を滑らせて転倒した。お終いだ、と最後に腕を持ち上げて、無駄な護りの姿勢をとった。

 妖獣の生暖かい鮮血をまともに浴びた。生臭い獣の匂いが鼻をつく。巨体が力なく地に倒れると、動かなくなった。
 リンが何をしたのかはわからないが、とにかく助かったのだ。

「……あ、ありがと……」

 葵は呆然としながらも礼を口にした。
 しかし、斬ったリンには一滴も血がついていないのを見るなり、不満と怒りが込み上げる。

(────て、いうか……)

 手のそばに落ちていた砂利や落葉を適当に握ると、リンに向かって投げつけた。

「最初からやれよ!!」

 空気抵抗に弱い攻撃がまとまで届くはずもなく、はらはらと緩やかに地に落ちた。

 それからの後始末がとくに大変だった。
 首と胴体が別れた妖獣と喰われていた遺体をそれぞれ土に埋め、大きめの石を墓石に見立てて埋葬した。
 穢れに侵された肉体を放置しておけば、それを食べた獣がまた妖獣と化し、さらに増えてしまう。本来ならば、火葬するのが適切な方法なのだが、そんなことをすれば、追手に自分達の位置がばれてしまう。そのため、時間はかかるが、埋めることにしたのである。



「最悪……」

 埋葬もなんとか終えて一息つけても、葵は不機嫌なままだった。テツが不貞腐れながらリンに噛みつく。

「お前が投げ飛ばしたりするからだろ」
「足でまといはみずから食われにいけ。それが貴様に出来る唯一の仕事だ」
「俺の仕事は最初で最後かよ!!」

 リンの悪びれのない態度に、葵はテツに加勢した。

「さっきのはリンが悪いんだからね!!」
「なぜ」
「なぜって、あんた……」
「死にかけたんだぞ!! 謝れ!!」
「嫌だ」

 即答すると、リンはそっぽを向いた。

「リン、謝って!!」

 抗議する葵たちを鼻で笑うと、リンは嫌悪を顔面いっぱいに貼り付けて振り向いた。

「貴様に謝るぐらいなら、舌を噛んで死ぬ方がましだ」
「そんなに!?」
「お前、性格悪いぞ……!!」

 思わず声をあげた葵の隣で、テツは驚愕きょうがくのあまり身を震わせた。そんなテツをリンは無視すると、葵の着物についた血を見やる。

「血の匂いに妖獣が寄ってくる。川で洗い流さなければ」
「離れてきたのに、また戻るのかあ……」

 せっかくここまで歩いて来たのに、と葵はガックリと肩を落とした。
 とはいっても二人とも泥だらけだし、葵にいたっては妖獣の血に染まった着物を着ているのは気分が悪い。早めに洗い落として、不快感から開放されたい。もう二度と妖獣と遭遇しないためにも、血の匂いを落とさなければならなかった。
 一行は、逆流する不気味な川へ向かって再び歩きだしたのだった。


***


 ようやく川の音が耳に届くと、自然と早足になった。喉が渇いて仕方がない。早く渇きを潤したくて、リンを追い抜いた。追い抜きざまにリンに呼び止められたが、聞かずに川へと駆け寄り、透明な水を手ですくうと一気に飲み干した。食道を流れていく冷たい水の感触が心地良く、生き返ったような感覚に、ほっと息をついた。
 満たされて冷静になった途端、後先考えずに飛び出してしまったことに後悔した。もし、そこで追手が見ていたら即捕まってしまっていただろう。判断に欠けていた。

(我慢できなかった……)

 自己嫌悪に陥っていると、後ろから笑い声が聞こえた。
 振り返ると、テツがお腹を抱えて笑っている後で、リンが何とも言えないような表情をしている。

「どうしたの?」
水神川すいじんがわの水飲むなんて、度胸あるなあ」

 テツの言っている意味がわからず、葵は首を傾げる。

「水神の川は、けがれの混じった血を洗ったり、水葬すいそうに使ったりするからさ、普通は飲まないんだけど」
「すいそう……水葬!?」

 思わず声を張り上げた。

「うそ!? さっき土葬したじゃん!! 火葬できないからって!!」
「さすがにここまで遺体を担いで歩けないだろ?」

 言葉足らずなテツに代わって、リンがわかりやすく説明する。

「穢れが発症した遺体など例外もあるが、水波盛みなもりでは基本、水葬で埋葬する。水神の川に流し、魂をかえすことで、また生まれ変わると言い伝えられている」

 テツはうなずくと、朗らかに笑った。

「だから、生活用水に使うのは他の川なんだ」
「他の川?」
「湧き水でできた川だ。下流に向かって流れてるから、見ればすぐにわかるぞ」
「あるの!? 普通の川!?」
「あたりまえだろ」
「早く言ってよ!! ていうか、飲む前に止めてよ!!」
「いやあ、まさか飲むとは思わなかったからさ」

 テツは可笑しそうに笑うが、葵にとっては笑い事ではない。一歩間違えたら、しかばね漬けの水を飲むことになっていた。

「どうでもいいが、急に飛び出していくな。追手に見つけてくれと言っているようなものだ」
「ごめん……」

 絶句していると、リンがため息混じりに言った。
 それは葵も自覚していたので、素直に謝る。

「お前もここに流されたのだろう」
「──え?」

 葵は驚いてリンを見た。

「忌み子を流すのも、この水神川すいじんがわだ」
「あの小舟に乗せて?」
「ああ」
「あんな濁流なのに?」

 リンが頷く。
 信じられない、と葵は愕然がくぜんとした。上流にいくにつれて流れの激しさは増すうえ、雲より高い滝を小舟が耐えられるとは思えない。ほとんどが濁流にのみ込まれてしまうだろう。

「無事、水波盛のやしろまで流れ着いた赤子あかごが巫女となる。女だけだがな」
「じゃあ……男の子は?」
「不思議なことに、男は視憶しおくを授からない。水神様が、男女の役割をそうお決めになったのだろう。ゆえに、神官として教育され、素質のある者だけがその役に就く」
「なれなかったら?」
「普通は兵士となるが、百姓の道を選ぶ者もいる」

 へえ、と葵はぼんやり相槌あいづちをうつ。
 水神川すいじんがわに流すということは、命を投げ捨てるようなものだ。
 
(きっと、本当の両親は、私が生きていることを望んでいない)

 わかってはいたが、改めて捨てられた場を目の当たりにすると、やはりショックだった。
 突然、テツに背中を叩かれて我に返った。

「けど、葵は遠い国にいたんだろ? だったら流されたとは限らないよな」
「──でも、見つかった時に小舟に入ってたって……」
「水神川の終着点は、本殿ほんでんか、頂上のでっかい穴だ。異国に流れ着くわけないだろ」
「……あ、そっか……」

 確かにありえない話だ。だとしたら、事故という可能性もある。胸の内に、ほんのわずかな光が灯ったような気がした。
 テツは葵の肩を組むと、ニカッと笑った。

「な? 本人に聞いてみないとわかんねぇよ」
「本人?」
「お前の親父」

 葵は目を見開く。

「探してくれるの!?」
「十年前に居た村の名前なら覚えてるぞ。まだ生きてるかはわかんねぇけど」
「生きてる!! ──だよね、リン?」

 それを教えてくれたのはリンだ。
 期待を込めた視線を送ると、リンは眉を寄せた。

「やめておけ」
「なんでだよ?」

 テツが不満げに首を傾げる。

「どうせ会いには行けない」
「だから、なんでだよ?」
「その前に、私が貴様を殺す」
「お前なあ……」

 テツが呆れたような声をもらしたが、リンの目にははっきりと憎悪が宿っている。

「そんなこと、させない」
「葵……」

 テツを背に立ちはだかった葵を、リンは蔑むように見下ろした。

「無知は愚かだ。そいつも、お前も……」
「私は、二人に憎しみあって欲しくないだけ」
「無理だ。それは私だけではなく、そいつも」

 葵が振り返ると、テツは顔を逸らした。
 簡単にいかないのは、重々承知している。葵自身も、リンを全く憎んでいないわけではないのだから。
 それでも、敵意を向けられないのは、リンのうちに自分の影を見てしまったことが大きく影響している。

「リンにも一緒にきてほしい」
「葵、無理だ。そいつ、自分の事しか興味ねぇよ」
「そんなことない!! だって──」
「手を貸すのは森を出るまでだ。その後は好きにしろ。私もそうする」

 リンはきっぱりと拒絶すると、最後に一言だけ忠告した。

「……後悔するぞ」

 リンがなぜそこまで否定するのか。その意味を、この時の葵はまだわからなかった。
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